溢れるココロ




冬のある日の朝、目が覚めた花井は目の前の物体を凝視したまま固まった。
瞬きすら忘れそうだったが、何とか数回瞼を動かして周囲を見渡すと、間違いなく自分が横たわっているのは自分のベッドだし、ベッドが置かれているのは自分の部屋で変わりは無かった。
けれど、そんな視界の中の中心に鎮座しているのは明らかに異質な存在だった。

一言でその存在を言い表すなら、間違いなく小人だ。
ざっとした目算で10センチちょっとだろうか。
まるでCMでよく目にするケーブルテレビのキャラクターのようなそれは、枕の上にちょこんと正座したまま、花井がじっと見つめるのにも動じる事無く、その大きな目でこちらの目を見つめ返していた。

しかし、問題はそこではなかった。
その三頭身程の小人が、花井の良く知る人物にそっくりだというのが問題だった。
目が覚めた時の状態のまま横臥していた花井は、傍らの机の上に置いていた携帯を手探りで探し出すと、その小人から目を逸らさずに、短縮に登録している人物の一人に電話を掛けた。
数回のコールの後、少しだけ眠そうな声が電話の向こうで誰何の声を発する。
「朝から悪ぃ……田島」

語尾の名前を花井が呟いた瞬間、電話の向こうの人物は訝しげにこちらを伺い、目の前の小人は嬉しそうに目を輝かせながら、何か用かとでも言いたげに首を傾げた。





朝から一人パニック大会を繰り広げた花井は、学校に辿り着く頃にはもうぐったりとしていた。
家人にミニチュア田島の事をどう説明するべきかまず悩んだが、ミニチュア田島は自分にしか見えていないようで、母親を始め、祖母や父親、そして妹達は、挙動不審な自分に対して不審そうなだけだった。
内心の不安を隠していつもどおり朝食を平らげながら、自分にしか見えていない、人の朝食を横から手を出してちょろまかしているミニチュア田島に動揺を抑えられないまま、花井は学校へと向かう準備を整えた。

ミニチュア田島などという不自然極まりない存在を、もちろん花井は家に置いて行くつもりだったが、それを察知したらしいミニチュア田島は必死の抵抗を見せた。
小さな手で一生懸命花井の指にしがみついたり、荷物の中にもぐりこもうとしたり、しまいには目を潤ませてじっとこちらを見つめたりする様子を見ていると、結局花井の方がほだされてしまった。

冬の休日、いつもの如く野球部の練習に向うため学校に向う途上、万が一にも転がり落ちたりしないようにと、自転車の前かごに入れた鞄の形を整えたり、タオルで壁を作って風除けを作ったりしてやると、ミニチュア田島は楽しそうな様子を見せ始め、声は聞こえないものの、鼻歌でも歌っているのかリズムを取って頭を揺らし始めた。
そんな様子を見ていると、まるで小さな子供を見ているようではあったが、なにぶん小さすぎる。
花井は突然起こった信じられない事態の原因を探りながらペダルを漕いだが、答えが出るより早く目的地に辿り着いてしまった。

いつもどおり、グラウンド脇に自転車を停めてグラウンドに入ると、先に到着していた他のメンバーが口々に挨拶を返してくれた。
もちろん一番学校に近いところに家がある田島も到着していて、同じクラスで仲の良い三橋とはしゃぎながら、グラウンドのトンボかけをしていた。

いつものように、何の悩みも抱えていなさそうな天真爛漫な様子に何故か脱力したくなったが、その鋭い視線で花井がグラウンドに到着したのを目にすると、田島は三橋をマウンド近くに取り残したまま花井に向かって走り寄ってきた。
「おっす花井!今朝の電話、なんだったんだ?」
「はよっす……いや、何か無意識に弄ってたみたいでさ……何でも無ぇ……」

事前に用意していた言い訳を唱えると、田島はそれで納得したのか小さく鼻を鳴らし、三橋と共に置いてきていたトンボを取りにまたグラウンドに戻っていった。
すんなり心配事の一つが済んだ事に胸を撫で下ろしながら、花井はベンチに荷物を置くと着替えを始めた。
普段着の下にアンダーやズボン、ストッキングを履き込んでいたため、短時間で準備を整え終えられたのだが、ミニチュア田島も一体どこから取り出したのか、自前らしいユニフォームに着替え終えていた。

自分にしか見えていない妄想なのだとしたら、そんなに自分は疲れているのだろうかと考え込んでしまうが、ちょこまかと動く様子は愛らしく思えるようになってきたし、まるで田島そのものであるかのような表情や行動には少し和んでしまう。
喋らないというだけでこれだけ和めるのなら、チームメイトである田島も黙っていれば可愛らしく思えるのだろうかと考えかけて、花井は慌てて頭を振った。

同い年の男を捕まえて可愛らしいというのもおかしな話だし、むしろ田島は格好良い。
本当に癪に障る話だが、野球に関して田島にはまだ勝てるとは思えなかった。
自分にはまだまだ伸び代があるのは分かっているが、その全てを出し切った時、田島に追いつけるのか、追い越せるのかいつも不安にさいなまれる。
けれど、誘蛾灯に誘われる羽虫のように、田島という男から目が離せなかった。

気が付けば田島の姿を追いかけているようになって久しいが、それが原因でミニチュア田島が見えるようになってしまったのだろうかと考えて、花井は自分の肩の上に乗っかっているミニチュアに視線を向けた。
花井の困惑などそ知らぬ風情でこちらを見上げたミニチュア田島は、またにっこりと笑い返してくる。
その屈託の無い、本人とそっくりな笑顔に、花井は苦笑しか返してやれなかった。

そんなキャプテンの葛藤など知らない他のメンバー達は、グラウンドや練習道具を整え終え、練習前の瞑想をする定位置になっているホームベース近くに集まり始め、少し離れた場所に立っていた花井にも泉が声を掛けてくれた。
それに応じて顔を上げた瞬間、自分の側にもう一人誰か居るのを見咎めて、花井は一瞬固まった。
肩の上に居るミニチュア田島は、どうやら自分以外の人間には見えていないようだが、自分の肩を見つめて苦笑している姿など、近くで見ればおかしな事この上ない。
どうか阿部や水谷といった、面倒な相手ではありませんようにと願いながら近くに立ち尽くしている人物を振り返ると、そこに立っていたのは予想外の人物だった。

「……み、はし……?」
「うぐ……」
名前を呼ばれているというのに、どうしてそんな唸り声が出るのだろうかと不思議だが、自分から人に近付く事のあまり無い投手は、後退りたいのを堪えるようにその場に立ち尽くしながら、つり上がり気味の目をきょろきょろとさせた。

何か用なのだろうかと思った刹那、彷徨う三橋の視線が何度も自分の肩の辺りを注視している事に気付き、花井は息を呑んだ。
まさかとは思うが、疑念を抱えたままではいたくなくて、花井は生唾を飲み込むとゆっくりと口を開いた。

「三橋、もしかして見えるのか?」
そう問うた瞬間、大仰なくらいに肩を跳ね上げた三橋は、顔から血の気が引くほど怯える様子を見せたが、またうぐ、とかぐむ、とか唸りながら、小さく首肯した。
それを見届けた瞬間、花井は三橋の両方の二の腕をしっかりと掴んで詰め寄った。
「後でゆっくり話し合おう!な!?」
不可解な事態を打開する唯一の手掛かりになりそうな相手に縋った瞬間、目の前の投手は目を盛大に潤ませた。





しかし、話し合いの場はなかなか設けられなかった。
初めてミニチュア田島が現れた日、練習の合間を縫って三橋と話をしようとしたのだが、その度に邪魔が入った。
絶妙なタイミングで必ず誰かが自分と三橋の間に割って入り、二人だけで会話をするなど到底無理な相談だといわんばかりの状況だった。
それならば、メールで三橋に質問をぶつけてみようと試みたのだが、阿部が常日頃からぼやいているように、三橋からのメールの返信はなかなか来なかった。

最初の夜は、気付いたのが遅かったのだろう程度にしか考えていなかったのだが、翌日も、更にその翌日になっても返事は来ない。
練習時間に三橋にメールの事や、日を重ねる毎にその数を増やしていくミニチュア田島の事を相談しようとしても、これまた上手くナインの誰かが邪魔に入り、学校で接触を持つことすら困難になってしまい、流石に花井の堪忍袋の緒が切れた。

4日目になって、花井は1時限目の授業が終わるなりすぐさま9組の教室に駆け込むと、呆気に捕られる泉や田島といった部活仲間には構わず、三橋の腕を掴むとそのまま階段の踊り場まで引っ立てた。
もうすぐ訪れるバレンタインデーには、たくさんのカップルが訪れる告白ステージの一つであるそこは、2月の寒さを余す事無く体にしみこませたが、花井は三橋を壁際に追いやると、長い腕の囲いの中に閉じ込めた。

切羽詰った勢いのままの行動に、一瞬だけ涙を決壊させそうな三橋には悪い事をしたかと考えたが、今や肩だけでなく、頭や上着のポケットなど、ありとあらゆるところにへばりついているミニチュア田島を見て改めた。
ミニチュア田島は喋らないからまだ良いものの、四六時中纏わり付かれるのもそろそろ限界だ。
落ち着いて風呂にも入れない事を三橋にも理解してもらおうと、花井は腕の中の三橋を見下ろした。

「なぁ三橋……これ、見えてるんだよな?」
随分前にも、同じような事があったように思いながら問い掛けると、三橋は花井の体に纏わり付いているミニチュア田島を順番に見回した後、小刻みに首肯した。

2日目の朝、2人(匹?)に増えていたミニチュア田島は、3日目になると4人になり、今朝起きた時には8人だった。
このままの勢いで増殖が止まらないとなると、いつの日にか自分の部屋一杯にミニチュアが溢れかえりそうで恐ろしい。
せめてここまでで止めたい花井としては、もう藁にも縋る思いなのだが、腕の中の三橋は詰まりがちに音を発するだけで単語を紡いではくれず、10分しかない休憩時間を思うと、花井は焦りから泣きたくなってきた。

「なぁ三橋、このミニチュアを増やさない方法とか知らないか?!」
答えを急きたてるように問うと、三橋は首がもげそうな勢いで横に振った。
「俺は、ムリ……でも、田島く……」
「花井!」

廊下中に響き渡りそうな声で名前を呼ばれ、花井だけでなく三橋も言葉を切って声の主を振り返った。
階段の下段、一段目に足をかけた状態で、肩を大きく上下させた田島がこちらを見上げていた。
三橋と二人、呆気にとられて見下ろしていると、何か思いつめたような顔をした田島がぐんぐんと階段を昇り、花井の腕を取った。

「ちょっと来てよ花井」
決心と不安に揺れる瞳に見つめられた瞬間、花井の心臓が思いの他跳ねた。
自分の体の反応に驚く間も無く、いきなり運動量を増した心臓が全身に血液を送り始め、顔が熱りだした瞬間、自分に纏わり付いていたミニチュア田島達がくすくすと笑い始めた。

手首をつかまれたまま、引き摺られるようにして田島に誘導されながら、ミニチュア達は初めて声を洩らしながら笑い続けた。
その笑い声の中に「やっとだ」という言葉を聞きつけて、花井は何故か一瞬で理解した。

ミニチュア達は田島の気持ちの代弁者達なのだろう。
部室に向う道を辿りながら、授業開始のチャイムが鳴り響く。
いつもなら授業を気にするところなのだろうが、今、花井の中にあるのは自分の期待した言葉を得られるかも知れないという望みに喜ぶ心だけだった。






66666hitリク「ノスタルジックな感じのタジハナ」
……もうどの辺がノスタルジック?という代物ですが、リクを下さった葉良さんが許して下さったので恥ずかしげも無くUPです(^^;)
リクエスト下さり、ありがとうございました!