アンドロメダ



ずっとずっと気付いてはいたが、相手が自分の気持ちを告げてくれなかったから、彼に対してだけはどうしても臆病になっていた学生時代の自分は、結局こちらの気持ちを伝える事は出来なかった。

高校を卒業して三年、プロとして一軍にいる割合の方が多くなった今年、いい加減自分の気持ちに区切りをつけようと決心した。
──は良いが、試合のチケットを送る為の文面をどうすれば良いか、まずそこで頓挫した。
大体、手紙を書く事自体に抵抗がある。
メールでならいくらでも適当な話題が見つかるが、どうにも敷居が高くて緊張してしまう。
「なぁ、何書いたら良い?」
『……田島……俺はいつまでお前の面倒を見れば良いんだ?』
携帯の向こう側から聞こえる疲れた声に、田島は訳が分からなくて眉を歪めた。

高校時代、鈍い事を自他共に認めるほどの三橋でさえも、花井が田島に対して友情以上の気持ちを持っていることは知っていた。
だが、花井はそれを必死に隠しているつもりだったらしいので、全員で知らん振りをする事を決め込み、ただでさえ苦労性のキャプテンが倒れないよう、後輩達へのフォローに回った。
当の田島は、それを知った当初は珍しいくらいに狼狽していた。が、それも僅か数分の事で、自分が花井の気持ちを知っているという事をつまびらかにしてしまえば、きっと彼は自分と関わる事を止めるだろうと考え、沈黙する事を決めた。

田島にとって花井は、当初、野球好き仲間の一人に過ぎなかった。
高校のクラブ見学の際、自己紹介で四番だった事を明らかにした花井に対し、軽いライバル心を持ったくらいだ。
けれど、入部を決めた彼を改めて見て嫉妬を覚えた。
どこの学校の四番だったかは分からないが、まずその大きな体が羨ましかった。それからそれに付随する伸びやかな手足。
成長途中だった自分にはなかなか打てなかったホームランを打てる花井に、それまでで感じた事の無い強いライバル心を燃やし始めたのは、一年の夏大の初戦だった。
桐青のシンカーを打ち取るために、どれだけ伸ばしても足りなくて無茶な打ち方をしてしまった後、心底花井が羨ましくなった。

その次の公式戦で四番に座った花井が、進塁打で満足そうな顔をしているのが気に食わなくて、でも、長打を諦めたようではなかったこと、「田島には敵わない」と思い込まず、認めて、自分目掛けて色んな感情を向けてくれる事が嬉しくなって、気がつけば自分の方が花井に夢中になっていた。

けれど、常識のある花井が黙っている事を、こちらから水を向けるのには大いに躊躇った。
冗談を装って話を振ったとして、その所為で余計に頑なになられても困る。
では真面目に聞いてみるか、若しくは自分から告白をしてみるかと考えると、そこまで好きではないと拒否されたりしたら立直れない、と腹の底から恐怖に震えた。
それに、花井が巧みに自分と二人だけになるのを避けるのも問題だった。
こんな話を他人のいるような場所ですれば、花井は必死になって抵抗してしまうだろう。
こうして無い知恵を必死に絞って考えた結果、高校の三年間はただひたすら互いに高めあって甲子園を目指す事にした。

だが計算違いはここからで、共にプロを目指すと思っていた花井は大学に進学し、そこで続けた上で考えると言い、自分はドラフトで下位ながら指名を受けられた為、卒業後すぐにプロ入りするという岐路に立ってしまった。
こんなに早く、花井と分かれると思わなかった。というか考えもしなかった。
ずっと一緒だと信じ込んでいたのに、少し裏切られたような気分にもなったのも事実だ。
一緒に来て欲しいと思いながらも、何故と問われてしまう事が恐ろしくなって、部活を引退した後も問い掛ける事は出来なかった。

そうして入ったプロの世界はやはり厳しかった。
高校一年の時に感じた高校野球のレベルの高さなど、遥かに飛び越えたプロの世界の野球に、一年目は一軍に加わる事も許されなかった。
二年目になり、一年目の練習の積み重ねが功を奏してなんとかシーズン中盤からは一軍に多く居る事ができた。そして三年目。トレーナーと打ち合わせを重ねて作り込んできた体は波に乗り始め、キャンプインの前からクリンナップ入りを視野に入れるという言葉を貰った。
それならば自分を試して欲しい、と言ったのは、自分なりに課したプレッシャーだった。
一試合、できれば四月二十八日に自分に四番を任せて欲しい、そこでもし結果を出せなければ切り捨てて欲しい、と監督に切り出した時、周りのチームメイトの目の色が変わった。
鼻持ちならない奴に見えるだろうという事は分かっていた。
だが、どうしても花井に対してもやもやとした気持ちを抱えたままで、この先も過ごしたくは無くて、自分の気持ちを素直に周りに伝えた。

監督も打撃コーチも、元々クリンナップ入りを打診してきていた為、一試合だけなら、と登用を約束してくれた。
チームメイトの中には、あからさまな反感を見せる者も居たが、多くは少なくとも顔に笑顔を浮かべて応援してくれた。
そうして決まった自分的決戦日のチケットを、花井宛の封筒に手紙と一緒に入れた後、電話を繋いだままだった相手に送る分も、別の封筒に入れて封をした。
「じゃあ泉、監視ばっちり頼むぜ!途中で帰ったりしねぇように!」
『ったく、しゃーねーな。埋め合わせ忘れんなよ?』
「おう、任せとけ!豪華温泉旅行プレゼントすっぜ。浜田とペアで」
『ふっざけんな田島!誰があん……』

耳元で大音量で叫ぶ泉の小言と惚気を聞きたくなくて、田島は通話ボタンを押して会話を切ると、決意を固める為に鋭い息を吐いて、封をした二つの封筒を手に、球団の単身寮の部屋を出るや、最寄の郵便局よりもう一つ遠い郵便局に、ランニングを兼ねて向かった。



そうして迎えた試合の当日、グラウンドに入るまでは僅かに緊張している事を自覚したけれど、入ってしまえばもういつも通りのコンディションだった。
淡々とウォーミングアップをこなしながら、花井が来るかどうかだけが心配だったが、入場開始と同時に、花井の席の近くに、監視の為に変装までして陣取ってもらった泉からのメールで、ちゃんと試合を観に来てくれたのが分かってテンションが上がった。

今日の相手はペナントレースで競り合いを続ける相手で、相性はどちらかと言うと悪い。おまけに先日から相手チームは絶好調で連勝している為、チーム内にかすかな不安が漂っていたが、シートバッティングで田島が快音を響かせていると、少しそれが和らいだ。
だが、流石に試合の開始時間が近付いてくると、肝心の自分の方が段々と逃げ出したい気分に囚われ始めて、田島は今シーズンから使い始めたバッティンググローブを握り締めた。

去年の誕生日、シーズンオフに入っていたが、自主練の為九州にいた自分宛に花井から送られた誕生日プレゼントだった。
本当は使わずに、大事に大事に仕舞っておきたいところなのだが、その方が勿体無いだろうとチームメイトに言われて使っている。
否が応にも時間は過ぎ、とうとう始球式も終わって試合が始まった。
一回の表がすんなりと終わって次の二回表、自分から始まる打席に向かうとき、仲の良い先輩選手に呼び止められた。
何事かと思って振り返ると、いきなり額にデコピンを食らい面食らった。

「ってー!何すんっすか!」
「顔が怖いぞ田島ぁ。大事な彼女が来てんだか何だか知らねぇが、そんな顔してっと嫌われるぞ?」
「そうそう。ただでさえボックスに立つと怖い顔してンすから。マッサージでもしましょうか?」
尻馬に乗ってきた後輩選手が、顔目掛けて腕を伸ばしてきたのを除けると、田島は何とか笑みを浮かべた。
「俺、そんなに怖い顔してんすか?そういや昔、友達にも言われましたよ」
「してんだよ。ほれ、リラックスして行って来い!」
自分より五つほど年上で気安いその選手のエールを受け、自分の名前が読み上げられる中ボックスに向かうと、今頃行きつけの店で、花井の誕生日を祝う為に集まっているであろう花井と泉以外の仲間の顔が脳裏に浮かんだ。

いつもより少し丁寧に足場を慣らすと、田島は花井がいるライトスタンドにバットの頭を向けた。
予告と取られるかもしれないが、投手がそう取って頭に血が上ればしめたものだ。
本当は、自分の打った打球がスタンドに届くように、という祈りだった。
打球が届けば、自分から花井に気持ちを伝える勇気を持てる。そして、花井もきっとそれを受け取ってくれるはずだという、子供じみたおまじないのような物だった。

スタンドに差し向けたバットを下ろし、構えると、少し顔を強張らせた投手が一度頭を振った後、投球モーションに入った。
初球スライダー。
MAXスピードではないが、かなり速い球で、頭は待てと命令しているのに、気負った体が無意識に反応して手が出た。
幸いファールになったが、田島は小さく息を吐いて自分を落ち着かせた。

花井が見ているのに、無様な真似は出来ない。
高校時代、大体の場合自分の後ろで打順が巡ってくるのを待っていた花井が、構える自分に痛いほどの視線を向けてくるのを背中で感じていた。
それと同じような感覚が、今日は正面よりやや右にずれたところから向かってくる。
そう、自分はここに居る。
田島悠一郎はここに居て、常識とか世間体という鎖と、拒絶への恐怖に絡みつかれた自分と花井を解放しようとしている。

ピッチャーが振りかぶって二球目を投げてきたが、手を離れた瞬間にボールだと分かってそのまま見過ごす。
案の定ボールがコールされ、キャッチャーが何か声を掛けながら返球したが、そんなものはもう耳には入らなかった。
ただピッチャーが構え、投げた瞬間に備える為に自分の集中力を高める。
第三球目、今度は際どいラインに入るだろうカーブが来て振りかぶった。
ミートした瞬間、真芯を捉えた感触がしたが、僅かに振り遅れた所為かツーベースヒットに留まった。

自分の賭けも大事だが、チームとして今日の試合も勝ちたい。
それに四番としての仕事もきちんとこなせなければ、今後の起用に関わってくる。
塁上でベースを見つめながら、そこにいつか花井の姿が戻ってくる事はあるのだろうか、と考えたが、すぐにそんな雑念は振り払う。
今は走る事を考える。
そして、次の打席でこそ納得のいく打撃をする為のイメージを描いた。



だが、野球の神様か、縁結びの神様か、もしくはその両方に嫌われたのか、ヒットは二本だけでフライに進塁打という成績で、八回表の出番を終えベンチに戻ると、先ほどの先輩選手に手招きされた。
「よう、スゲェじゃねぇか。全打席当てて」
「こんな成績じゃ駄目っしょ。我侭言って四番に入れて貰ってんのに」
隅の方で寄り集まって陰口を叩く他の選手に、ちらりと視線だけを向け声を潜めて答えると、先輩選手は面白そうに口元をたわめた。
「ばーか。その当てるだけでも大変だっての。それに、一人で点は入れられ無ぇよ。俺もそろそろ四番から解放されてぇから頑張ってくれよ?」

今日田島が四番に座ることが出来たのは、この先輩選手の口添えが一番の大きな理由だ。その先輩にそう言われて、田島は表情を曇らせた。
打てるには打てるのだが、狙っている距離が得られず、口惜しさが込み上げてくる。
「うわぁ珍しい。田島さんがへこんでる」
「なんだぁ?田島、点が入れられなくて落ち込んでんのか?落ち込むなら速攻で四番から下ろすぞ」
後輩選手の言葉を聞いた監督がこちらを振り向き、からかうように笑った。
「まだ九回表があるんだ。打順も巡ってくるかもしれんのだし、こっそり落ち込んでんな。最後に一発ぶちかませ」

監督のその言葉に、何かが引っかかった。
「田島?」
「何でも無いっす。ちょっ……あっ!」
先輩の横に座り込んで、どこか遠くを見るような目をしていた田島に、心配して声を掛けてくれた先輩が驚いて肩を竦めたのを放置して、田島は何が引っかかったのかを理解して、思わず赤くなってしまった顔を慌てて手で隠した。
頭の中で、監督の言葉の一説が勝手に花井の声に変換され、輝かしい記憶が蘇る。

雨の降る中で行われた、格違いの相手に挑んだ試合、そこで今と同じように落ち込んでしまった自分にかけられた言葉。
あんな頃から良く自分の事を見てくれていた相手の顔を思い出して、少し顔がにやけた。
「あれ?もう復活したんすか?」
自分の顔を覗きこんできていた後輩選手の頭を掴むと、その髪をぐちゃぐちゃにしてやりながら、田島は声を上げて笑った。
「おう、もう滅茶苦茶元気出た。だってさ、絶対なにがあっても俺が打つって信じてくれてる奴が居るからな。今日もう一回、俺に打順回せよ?良いな九番!」
「痛い痛い!田島さん止めて下さいよ!」
二人のじゃれあいを見て、ベンチ入りしているメンバーは呆れたような笑みを浮かべた。

そして巡ってきた十回表の攻撃。ここまで本当に粘ってくれたチームメイトに報いる事だけを考えた。
よくよく考えてみると、二つの事を考えるような頭を持ち合わせているとは思えない自分が、自分の賭けと、試合の勝利を同時に考えるから悪かったのだ。
もう吹っ切れた。
花井は、自分が打つ事を願っている事は充分に分かっている。それならば自分はそれに応える事を考えれば良い。そしてそれはチームの勝利に繋がる。
昔と変わらない。そして、これからも変わらない事だ。
もう今日の賭けの結果に依らず、自分の気持ちを伝える事に決めた。
伝えた後の結果などもう二の次だ。
打った球が捕られるか捕られないかにも少し似ている。

「さぁ、こいよぉ」
ボックスの中で構え、ちらりと覗かせた舌で唇を湿して呟く。
今までの打席で繰り返していた為、なんとなくおさまりが悪い気がして、スタンドにバットを向ける仕草はもう一度繰り返したが、考えるのはもう球の事だけだ。
一球目は外の高めに入ってボール。
さて、次は内角か?と思った時、自分の体を包み込むように暖かい何かが取り囲んだ気がした。
それが何かを考える間も無く、ピッチャーがモーションに入り、白球が放たれた。
その瞬間に確信する。
「ライトスタンド!」

思わず口を吐いて出た言葉は予言だ。
この球はスタンドに吸い込まれる。それを確信しながらも、一塁を目指して全力で走る。
そして、バックスクリーンの壁に縋るようにライトが腕を伸ばしても、届かない位置を通り過ぎた打球が消えてしまうと、球場内の歓声は最高潮になった。
「見てたか花井―!ゲンミツにお前の為の祝砲だぞ!」
突き上げた右腕をそのままライトスタンドに向ける。
どこに花井が居るのかは、流石にこの距離では分からない。けれど、絶対に見てくれている事は確信できる。
桐青戦の時、落ち込んだ自分を鼓舞してくれたのは、試合に勝つために、自分に打ってもらわなくては困ると言う花井なりの声援だ。
各塁を一つ一つ踏みしめながら、今年初めてのホームランの歓びに込み上げる笑みを浮かべながら、期待に応えたくなるただ一人の人の存在を強く感じて熱いほどの幸せに浸った。





「は?誰がテレビでお前を見たって言ったよ」
試合も終わり、呼び出された店に向かった花井は、ほぼ同時に店に入ってきた泉に、自分の仕草を見咎められた事を尋ねて、返された言葉に首を傾げた。
「え?でもお前、試合見て……」
「ああ、見てたぜ?お前の席からちょっと離れた所から」
水谷が貸切にしてくれた小さな居酒屋の座敷席で、卓の中央に座らされた花井の向かいに座った泉は、しれっとそう言ってのけた。
花井が「はぁっ?!」と大きな声を上げると、チケットの半券を証拠に振って見せた。
「田島に頼まれたんだよ。花井がちゃんと試合を見てるかどうか見張っててくれって。はぁ〜あ、携帯持ってなかったら胸焼けしてたよな」

泉の言葉に、先に飲み始めていてすでに酔いの回っている水谷が食いついてきた。
「あ、泉ワンセグなんだ。いいなぁ」
「ねぇ泉、何かあったの?俺、準備してたから試合見てないんだよね」
卓の上に上半身を寝そべらせた水谷を起こしに掛かりながら栄口が問いかけると、泉は人の悪い笑みを浮かべた。
「録画してるか?もししてたらさ、田島がホームラン打った後のライトスタンドで花井探しやろうぜ。で、そこだけ画像切り取って田島にプレゼントしてやる」
言いながら、泉は左の拳を胸に二度打ちつける仕草をして見せた。

栄口は何の事だかわからないという顔をしていたが、三橋と共に少し離れた所に座っていた阿部は、ニヤリと笑った。
「三橋の実家の57型のが良いんじゃ無ぇの?あれ画面超でけぇかんな」
「止めろ。頼むから止めてくれホントに頼むから……」
「何言ってんだよ。俺等にずっと黙ってたキャプテンがやっと幸せになるんだぞ?後輩も集めてお祝いしてやりたいくらいなんだぞ?」
顔色を赤とも青ともつかない色に変えながら、ぶつぶつと呟く花井の肩を組みながら巣山が言うと、花井は涙目になりながら彼を睨みつけた。
「んなの言える訳……」

「花井―――――!愛してるぞ―――――――――!!誕生日おめでと―――――!」

店の扉を開け放つ音と共に響いた田島の大音声に、花井はその場にばったりと倒れ伏した。







花誕参加作品2作目。ペルセウスの対になる田島視点。
試合中の選手の視点など全く分からずに書いています。なので穴は見てみぬ振りでお願いいたします(汗)男前泉は外せませんっ!