A氏の日常




俺は“おねだり”っていうもんが嫌いだ。

自分に関する事で、誰かに甘えるなんていうのは軟弱な気がするし、自分で何とか出来そうなモンなら自分で何とかした方があとくされも無い。
まぁまだ高校生で、部活の所為でバイトも出来ない身分では、自分の衣食住とか、学校や部活に必要な諸経費は親に頼らざるを得ない、って言うのは納得しなきゃいけない。
その分、両親の老後の面倒を見るのが子供の責任なんだろうと考えているが、それ以外。



そう、例えば弟のシュンが今のように泣きついてくるって言うのは納得できない。



「兄ぃちゃん頼むよー数学の宿題教えて!」
「甘えんな!俺ァこれからデータ整理だ!」
「タカ!シュンちゃんの宿題くらいすぐ済むでしょう!見てあげなさいよ」
「自分で解けないならそれがそいつの実力なんだから、大人しく学校で教師に怒られてくりゃいいんだ!」
「兄ぃちゃんヒドイ!」
「……シュン、殴って良いか?思い出したくも無いクソレを思い出した……」
「おかーさんっ!」
「タカ!!」

こうなってくると、俺にはもう選択権は無い。
無視して部屋に戻ろうものなら父親が乗り込んできて下手すれば拳骨だし、用があるからと説得しようとしても、それが終わったら、とか、その前に少しだけ、って言われる。
それなら、手早く片付けた方が得なのは誰の目にも明らかだ。
俺は舌打ちしながらシュンの手に握られていた教科書とノートをひったくった。



「つぎー。……X角は75度」
「兄ちゃん……答えだけ教えて貰っても……」
「あ?何か言ったか?」
「いえ、何でも無いです……」
言うなり、ノートに俺の言った答えを書き込み始めたシュンに向かって、俺は大きく鼻を鳴らした。

数学の問題なんていうのは解き方自体が問題だ。
その辺を全部すっ飛ばして、最初っから人頼みするような奴にはこれでも大サービスだ。
俺はまた次の問題を頭の中で考えながら、部活の事に思いを馳せた。

もうすぐ新人戦が始まる。
足の怪我の所為で俺の出場は無理そうだが、対戦相手の情報収集やデータ整理は手伝えるし、投球組み立てなんかも出来る。
田島も野球の経験値は高いから、色々三橋と相談して組み立てる事も出来るが、捕手としてのキャリアは俺の方が断然上だ。
アドバイスできる事は色々あるはずだし、俺もベンチを温めながら胃の痛い思いをするのは嫌だ。

そう、美丞戦の二の舞なんて、絶対ぇお断りだ。

無意識に歯を食いしばると歯が鳴ってしまい、シュンが机に向かいながらビクリと肩を跳ね上げたが、そんなものは無視した。
でも、その仕草が三橋の事を思いださせた。

俺の事を信じてくれた三橋──
自分が初めて“高校野球”という世界に足を踏み入れた事を忘れ、実力を過大評価していた所為で慌てふためき、怪我までしてしまった俺を、それでも信じて、これから一緒に強くなっていこうと言ってくれた三橋の事を、俺は普通とは違う好意を持って見ている。
夏の合宿の間、今まで知らなかった沢山のアイツを知ることが出来て、その気持ちはもっと膨らんだ。

あのマメだらけの手に惚れこんで、もっともっと勝たせてやりたくて……
それが、いわゆる恋愛感情にいつ変わったのかなんていうのは分からねぇ。
でも、気が付けば三橋が何よりも、誰よりも大事になっていたし、今のように、三橋相手に勉強を教える事も苦にならなくなってる。

……ちょっと前までの自分を考えると、ホント、俺も変わったよな……

でも、そこまで考えて俺はふと一つの事に思い至った。
“おねだり”っていうのは、要するに相手に甘えるっていう事だよな?
今のシュンみたいなことは、学校では水谷や田島あたりがよく頼ってくる。
授業中に居眠りしてしまい、版書きを取り損ねたからと俺や花井のノートを奪っていったりするのは日常茶飯事だ。

でも、三橋は自分からはあまり頼んで来ない。
まぁ、俺が先にそれを察してノートを差し出すのが原因だとは分かっているが、基本的に暗い中学時代がネックで、人に物を頼むって言うのが酷く苦手だ。
だから合宿中でも、勉強で分からないところが出てくると、自分で何とかしようと必死になり、何度も教科書をめくってみたり、数学なら解法を書き込んでは消して、を繰り返す。

間違いに気付いて訂正を入れてやれば、正解を得られるまで何度でも自力で何とかしようと問題を解き、間違いを指摘した相手に礼を言う。
そんなアイツが、誰かに何かをねだるっていう事はあるんだろうか?

誰かに甘えるっていうのは、甘える相手の事を信用していないと難しい。
自分の弱みを見せる訳だから、それを逆手に取られて痛い目を見ることだってあるだろう。
でも、三橋にそんな相手が同年代に居るとはあまり思え無ぇ。
三星の叶辺りなら、もしかするかもしんねぇけど、西浦でいるとすれば、昔馴染みだったっていう浜田くらいだろう。

そう考えた時、俺は一瞬胃の辺りに苦いもんが広がっていくのを感じた。
俺と三橋は、これからもっともっとお互いを信頼し合って、バッテリーとして成長していこうと決めた。
なら、俺が三橋にとって誰よりも信頼される相手にならなきゃならないだろうし、俺もそうなりたい。
個人的な感情込みでの希望であるのは間違いないが、でも、俺達が成長することは、チーム全体の成長にも繋がって、ひいては勝利にも繋がっていく。

俺が今目指すべきは、誰よりも信頼され──
「三橋からおねだりされるレベルを目指すか……」

下方からの視線に気付いて視線を向けると、そこには青い顔をして冷や汗を浮かべているシュンが、俺の事を有害な珍獣でも見るかのような視線を向けていた。
「ンだよ。もう終わっても良いのか?」
「…………うん、お願いですからお引取り下さい……兄ちゃんの顔、今凄く気持ち悪いから……」

折角宿題を手伝ってやったというのに、とんでもねぇ失礼な事を云いやがったシュンに、強烈なウメボシを食らわしたのは言うまでもない。




(2010.4.30)
4月の更新無し、という事態を回避したくて書いたSS。
スパコミにて配布頂くペーパーと繋がりが在るのですが、双方読まなくても全く問題ございません(^^;)