BabyBaby -3-




「えぇ?悠兄ぃ帰ってたの?」
「おお。久し振り!」
玄関で客を出迎えた田島は、そこに立っていた義理の妹、あすかの驚く顔を見て、満面の笑みで出迎えた。
「久し振りのデートだったんだって?」
「うん。そうなんだけど……そっかぁ、お兄ちゃんにも悠兄ぃにも悪い事しちゃったね」
玄関から部屋の中へと案内している途中、そう言って顔を曇らせたあすかに、田島は首を傾げた。
おじゃましますと小さく言いながら、田島が促すままに奥に進みながら、あすかは困ったように笑った。
「お兄ちゃん、悠兄ぃが居ないと寂しそうなんだもん。だから、アキラのことでも構ってたら、気が紛れるかなって思ったんだけど、悠兄ぃが帰ってたんならお邪魔虫だったでしょ?」

リビングへと通じる扉の前で、田島は後ろを歩くあすかを振り返って少し目を瞠った。
田島が知る限り、花井はいつもそんな素振りを見せてくれない。いつもこちらの事を気遣い、案じてくれている。
もちろん田島も、一人家にいる花井を伴って遠征先に行きたいのは山々だが、花井にも仕事があるし、何より花井自身が嫌がるのだ。
スター選手の試合に、昔からの付き合いのある友人が毎試合、どこにでも付いて回ってきているなどとマスコミにでも嗅ぎつかれたら、どんなでっち上げ記事を書かれるか分かったものではないからと、地元の試合に、どうしてもと頼み込むか、他の昔馴染みを引っ張り出してこなければ、絶対に球場に足を運んではくれない。

「どうかした?」
どっぷりと浸かっていた思索の海から、義妹の声が意識を引き上げた。
「え、いやなんでも無い。今花井は風呂なんだよ」
不思議そうに声を掛けてきたあすかに、田島はそう言って誤魔化しながらリビングへの扉を開け放ち、あすかを中へと案内した。
「アキラは今ソファの所で寝てる。荷物とか片すから、座ってて」
「お言葉に甘え……ええ?この服可愛い!何?買ってくれたの?」

ソファに横たわった、ミツバチをデフォルメした服をまとった息子に向って、あすかが駆け寄るのを見送ると、田島は浴室に向った。
一応ノックして扉を開けると、既に浴室から出ていた花井が、脱衣所でスウェットに着替えている最中だった。
「悪ぃ悠一郎。あすかだろ?」
客の来訪が分かっていた花井が、髪からまだ雫をこぼしながら言うと、田島は嬉しそうに笑いながらフェイスタオルを頭の上に乗せた。
「ん。今アキラのとこに居る」
入り口で立ちはだかるように立った田島に花井が首を傾げたとき、田島は掠めるようにその唇を奪った。

「いきなり……!」
離れた場所にいるとはいえ、妹にこんな濡れ場を見られたらと花井が慌てるのを尻目に、田島は言葉に表しきれないほど愛しい人に向って笑みを浮かべた。
「ちょっとうれしー事聞いたから、梓にキスしたくなった」
「何聞いたんだ?」
花井が何を言われたのかと不快そうに顔を歪めるが、それに気付かないかのように田島は笑みを深めた。

何を言われたのか気になる花井と連れ立ってリビングに向うと、丁度起き出したらしいアキラをあやすあすかが笑っていて、花井は田島の言葉を忘れて、わざと作ったしかめ面を妹に向けた。
「もっと早く迎えに来てやれよあすか」
「ゴメンねお兄ちゃんvだって悠兄ぃ今日まだ戻らないと思ってたから……」
そう言って意味ありげな視線を向ける妹に、花井は渋面を作れなくなって苦笑を浮かべた。
「別に預かるのは構わ無ぇから、もっと早くに連絡しろよな」
「はぁーい」

悪びれる様子の無い返事に呆れながらも、寝室に広げていた細々とした道具を片付け、彼女に持たせた。仕事の電話がかかって来た為、近くに車を停めて待機しているという彼女の夫の所まで見送りついでに送ろうと言うと、折角の夜に申し訳ないからと却下され、玄関までだけ二人で見送りに立つ事になった。
「んじゃまたなアキラ」
「いつでも来いよー」
「お兄ちゃん達、ほんとにありがとう。また今度改めてお礼に来るね」

花井と田島が声を揃えて言う言葉にあすかが応じると、それまで機嫌の良さそうだった赤ん坊は不意に顔をしかめ、声を上げて泣き始めた。
突然の事に花井が慌てておしめか、調子が悪くなったのかと確認しようとすると、あすかは笑いながら否定した。
「最近お気に入りから離そうとするとこうなの。アキラは二人のおじちゃん大好きだもんねーv」

そう言って泣き止まない息子の頬にキスしたあすかは、こちらに向って手を伸ばす息子を連れ、二人の見送りを受けて玄関の扉を閉めた。
「……なんか、やっと静かになったな」
花井が傍らの田島を見ながらポツリと言うのを聞いて、田島はにししと笑った。
「ちっこい子供がいるとこんなもんだよ。それにしても、花井は俺が居ないと寂しそうなのか……いいこと聞いたな」
「はぁっ?!あ、あすかか?!」
顔を茹で上げた花井の腰に手を回すと、田島はずいと顔を寄せた。

「俺も寂しかったんだからおあいこだって。だからさ、寂しがってた俺を慰めてよ」
田島は言いながらキスを降らせて、他の人間の気配が無くなった途端に豹変した伴侶の様子に慌てる花井を黙らせた。
自分達の関係が、他の人から見ればとても歪なものなのだという事は分かっている。
けれど、自分にとって伴侶として認められる相手は花井だけなのだ。

高校時代からずっと、お互いに無い物を求め合い、高めあってきた。
彼が居たからこそ今の自分があるという喜びと感謝を、触れ合う事で伝えたかった。
それと同時に、限りの無い愛情をも伝えたかった。
歪であるがゆえに壊れやすい関係。けれど、すこしづつ伝え合って絡み合わせていけば、どんな事があっても壊れない関係になると信じている。

深く浅く、優しいが大胆なキスを受け、田島に縋るように彼のシャツを掴んだ花井は、徐々に照れを霧散させ、久し振りに交わす愛情の発露に身を任せた。
音を立てて交わしたキスで呼吸が乱れ、どちらからとも無く一度唇を離すと、妖しく濡れた瞳で田島を見た花井が、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「おあいこなら、お互いに慰めあうのがいいんじゃ無ぇのか?」
すぐ近くに迫った花井の目を見つめ、そこに灯った熱を見出した田島は目を細めた。
「それ乗った。今日は昼からずっとお預けだったもんな。たっぷり慰めあおうぜ」

薄い唇を撓めた田島の表情に、明日動けなくなっているかも知れないと一瞬不安に思った花井だったが、自分もそれを求めているのは認めるところだったので、返事代わりに自分から田島の唇を奪った。
花井からの大胆な行動に動じることも無く、田島は風呂上りの為にいつもより温かい花井の肌に触れようとスウェットに手を差し入れ、吸い付くような感触を堪能しながら邪魔者を脱がしにかかった。





「こぉんなに可愛い頃もあったのになぁ……」
一枚の古い写真を見ながら、心底残念そうに溜息をこぼした相手に、アキラは食事が喉を通らなくなるのでいい加減勘弁してくれと、心の底の思いを表情に浮かべた。
古い写真に写りこんでいるのは、まだ生後五ヶ月頃の自分と、それに添い寝をする目の前の人物の若い頃の姿だった。

大学の野球部に所属するアキラは今、神宮大会を前にした強化期間の真っ最中で、他のメンバーと共に早朝から深夜まで野球にどっぷりと浸かっている。
そんなとある練習日の昼食時間、苦手なものを除けている自分に気付いた監督が目の前の席に座り、突然どこかから取り出した写真を片手に昔話を始めたのだ。

目の前の人物の事は野球選手として心底尊敬していたし、数ある引退後の仕事の中で、自分がこの大学に通っているからという理由で、監督を引き受けてくれた事には本当に感謝している。しかしだ……
「監督……昔話ならこんな所でなくても良いじゃないっすか……」
「水臭い事言うなよ、伯父甥の仲だろぉ?昔は風呂にも入れてやったのに」
行儀悪く、手に持った箸で水の入ったグラスの口をたたく監督に、アキラは食べる事を諦め、まだ大分料理の残っているトレイを持ってその場を立ち去ろうとしたが、ちゃんと食うまで動くなという監督命令が下され、渋々もとの席に腰を下ろした。

父親譲りの果物嫌いのお陰で、ブルーベリー入り入りヨーグルトや、フルーツサラダが残っているのだが、必要な栄養なのだから、絶対に何一つ残さず食えという監督の言葉に、食堂に一人居残って既に十分ほどが経過している。
他の野球部メンバーは自分達の関係を、昔からの知り合い程度にしか知らないが、かなり親しい知り合いだとも認識していて、薄情な彼等は自分と監督のみを残して食堂から去っていた。

来年この大学を受験しようとしているいとこに、野球部に入るつもりなら、好き嫌いは必ず無くせと忠告する事を誓いながら、アキラはもそもそと箸を動かした。
「で、梓おじさんは元気なんすか?」
目を閉じ、自分が今食べているのは果物ではない別のもの、と言い聞かせながら食べつつ聞くと、監督──田島は、ようやく自分の話しに乗ってくれた甥っ子に破顔した。

「いやそれがさーつい調子に乗っちゃって……っと、喋ったらもっと怒られるからやめとこ」
言いかけてやめた伯父の顔に、悪戯小僧の笑みを見つけたアキラは、甥っ子にノロケ話をしている事をばらせば、絶対に怒られると教えてやろうかと思ったがやめた。
彼が二人しか居ない食堂で、自分の気を紛らわせて食べられるように仕向けている事は分かっている。
けれど、それが少し余計なお世話になっているのは分かっていないらしい。
何とか目の前から去ってもらおうと思いながらも、機械的な動きで箸を動かしていると、目の前の田島の携帯が鳴り始め、アキラは田島がそれに答える様子を見つめていた。

「もしもし?ん?ああ。あぁうん。……そうそう。今アキラと二人で居る。……ちびが?分かった。んじゃ待ってっから」
酷く幸せそうな笑顔で通話を切った伯父を見て、アキラは首を傾げた。
「何かあったんスか?ちび」
と言いつつ、アキラは内心苦笑する。
ちびと未だに呼ばれているのは、来年この大学の受験を目指しているいとこだ。

もう良い年でもあるし、ちびとは形容できない背丈なのだが、親である彼等にとっては未だにちびなのだ。
昔からの倣いで、自分もつられてちびと言うと、田島は少し笑いジワの目立つ目尻を下げた。
「これから練習の見学に来るってさ。梓と、お前の親父も一緒に。だからさっさと食っちまえよ?しっかしちびの性格は梓に似たのかなぁ……すっげぇ真面目だよな!頭の出来は完璧梓だけど」

そう言って惚気た田島は、踊り出しそうな軽快な足取りで食堂を後にし、伯父のその背中を見送ると、アキラは好機とばかりに食べられないものを処分した。
必要な栄養かもしれないが、もう成長期も終わっている為、少々のビタミンぐらいは問題ないだろうと、使い終わった食器を片付けてグラウンドに戻ると、今しがた連絡があったばかりの見物人が、差し入れらしい大きなダンボールと田島と共に、グラウンドの出入り口近くに立っていた。
こちらに気付いて手を振ってくれたもう一人の伯父に頭を下げ、父親には小さく頷くだけの挨拶をすると、田島の顔に満面の笑顔が浮かび、彼等の元に来るように手招きされた。

まだ食休みの時間で、他の部員はまだどこかで休んでいるらしく、自分たち以外の人影の無いグラウンドを突っ切って走り寄りながら、アキラはいつも優しく見守ってくれている人達に向けて相好を崩した。




←BACK







(2008.9.6)
今更ですが最後です(苦笑)
大猫さん、カイさんの御好意に甘えさせて頂きました。勝手してすいませんした!(土下座)
ちびの正体に関しては、お二人のサイトの企画にてv