二人きりの勉強会

(第1話)



6時間目の授業は古典だ。

教科書は、難しい漢字の羅列。

アルファベットよりは馴染みがあるけれど、これは、もはや中国語の勉強なんじゃないかって思う。

先生が黒板にチョークを走らすと、ノートにシャプペンを走らす音が聞こえてくる。

写さなきゃ、と思いつつも、すぐに手が止まってしまうのはどうしてなんだろう。

ぼんやりと黒板を見つめつつ、頭の中は漢文から離れていく。



もうすぐ、中間テストだ。

西浦高校は、夏休み明けすぐに文化祭があり、それが終わるとたちまち通常授業へと切り替わる。

夏休みボケしていた頭も切り替えを早くしないと、あっという間に授業についていけなくなるのだ。

そして、10月に入ってすぐにテスト勉強のため部活停止になる。

練習はキツいけど、ヘトヘトになるけれど、大好きだ。

だから、投げることができないこの期間は本当に苦痛だった。



赤点をとったら試合に出られなくなるので、オレは、いつも必死に勉強、するんだけど・・・

でも、教科書見ても、参考書見ても、さっぱりわかんない。

数式を見ると条件反射で瞼が落っこちてくるし、現代文は、子守唄。

そんな調子だから、ノートはいつも真っ白だ。

決して、サボりたいって思っているわけじゃないんだけど。どんなに必死に聞こうと思っても、自然と意識が遠のいていくんだ。

勉強はやっぱり、ニガテだ。

そんなオレに、試合に出られなくなると困るから、と、みんなで勉強会をやることになった。

場所は図書館とか、オレの家とか。

みんなでやる勉強はすごく楽しいって思った。

中学のころは・・こんなこと、一度もなかったから。





「起立!」

ガタガタとイスを引く音ではっと現実に戻る。礼を終えた後は途端に教室がざわめき、開放感に溢れた。

オレは慌ててシャープペンやマーカーを筆箱にしまい、教科書をカバンの中に入れた。

いつもは置きっぱなしなんだけど・・・・阿部君が、試験勉強中くらいは、ちゃんと毎日持って返れって言ったから。



「三橋?勉強会、そんなにウレシイのか?」

泉君が顔をのぞき込んで来た。

「うおっ!」

「さっきからニヤニヤしてたぞー。」

田島君がニタッと笑いながら肩を組んでくる。

「う、え、そ、そんなことは・・・。」

「今日はドコでやんだっけ?」

「田島、図書館だぞ。忘れるなよ。」

「あ・・・あの。オレは、行かない・・・。」

「え?なんで?」

「三橋もオレと同じくらいやべーだろ?」

「あ、べ、勉強はするんだけどね、えっとね、図書館には、行かない、んだ。」

「どこでやんの?」

「あ・・・べ、くん、ち。」

「阿部んち?」

「二人だけでやんのかよ?」

「大丈夫か?阿部先生、厳しいんじゃね?」

「そうそう、すぐにウメボシだもんなー。」

「そ、そんなことは・・・・ない。阿部君は、や、さしいよ。」

「やさしい、ねえ・・・・」

ナゼか疲れた顔をした泉君。

「オイっ。先生来たぞ!」

ハマちゃんの掛け声で二人は急いで席に戻っていった。


熱った顔を見られたくなくて、頬に手を添えて冷ます。

そう、今日は・・・・阿部君の家で、二人きりで、勉強会。



みんなにはナイショなんだけど、オレたちは、付き合っている。



                



ホームルームも終わり、田島くんと泉君に「がんばれよー!」と送り出されて、急いで7組の前の廊下に行くと

阿部君のところもちょうどホームルームが終わったところのようで、教室のなかはザワザワとしていた。

阿部君を探すと席にまだ座っていて・・・・隣には花井君が、あと他にも数人の女の子が、その机を取り囲んでいた。

あの様子は・・・多分、数学かなにかを、教えているんだろう。

ノートを指差しながら必死に話している。真剣な面差し。

そして女の子たちは、阿部君に尊敬の眼差しを向けていた。

阿部君は、ぶっきらぼうだけど、面倒見がいい。

だから自然とみんなが頼ってくるんだ。



胸が、チクッと痛んだ。


見たくないな、そう思って視線をはずそうとしたその時、阿部君がふとこっちを見た。そして、ほんの一瞬、やさしく笑った。


ドキン、と、大きく心臓が跳ねる。

顔がぱあああって赤くなってしまった。今度こそ視線をはずし、慌てて手をパタパタさせて扇ぐ。

今のは・・・オレに、見せてくれた、のかな。

阿部君は、あまり表情を変えない。

だから、とっつきにくいと感じる人もいるみたいだ。

最初はオレもそうだった。でも、バッテリーとして一緒にすごす時間が長くなるにつれて、いろんな表情を見せてくれるようになって。

不意に見せる笑顔にドキンとしたのが始まりだった。

阿部君、こんな風に笑うんだって、しばらく動けなくなった。

それから、少しずつ、ドキンの回数が増えていって、好きって気持ちが溢れていって。

いつの間にか、目が、離せなくなっていったんだ。



「三橋!」

その声にはっとして顔を上げると、阿部君がコチラへと向かってくる。

「悪い。待たせたな。」

「あ、ううん・・・大丈夫、だよ。阿部君のほうは、平気なの?」

「ああ?何が?」

「ううん、何でも、ない。」

「ほら行くぞ。」

「うんっ。」

阿部君はスタスタと歩き始めた。オレも、半歩後ろをついて行く。

チラリと横顔を見上げると、端整な顔立ちにドキリとする。

横に並んで歩くよりも、少し後ろからこうして阿部君の顔を見るのが、好きだ。



付き合って3ヶ月。

オレにとって阿部君は、トクベツな存在で、そして、阿部君にとっても、オレはトクベツな存在、って思ってくれている、と思う。

でもこんなときは無性に、阿部君は自分のもんだ、と、主張したくなる。

「ん?どうした?」

季節は秋。斜めから降り注ぐ光は阿部君の顔をまぶしく照らす。その優しい顔に、低い声に、胸がとくんと高鳴った。

「な、なんでも、ないよっ。」

少し開いてしまった距離を小走りにつめると、一瞬だけ、手を絡められた。

「妬いてくれたのかと思った。」

耳元に小声でそう囁かれて、ようやく落ち着いたはずの熱りがまたぶり返す。

またしても顔に風を送りながら、その顔をちらっと見ると、阿部君は・・・・余裕の笑顔。

・・・・自分ばっか、好き、なのか。

「妬いて、なんか、ない。」

感情が駄々漏れとよく言われるけれど、必死に平静を装って、何事もないような口ぶりで答える。

「・・・ふうん。あっそ。」

意外そうな顔をして、ぱっと手を離して。

そして。

「オレはしょっちゅう妬いてんだけどな」

数歩前を歩く阿部君の呟きは、ふわりと二人の間を吹き抜ける秋風に乗って、耳元を優しくくすぐった。

・・・・え?

思わず立ち止まる。

聞き間違いじゃないかと思った。確認したくて走ろうとしたそのとき、

「ほら、遅いぞ。」

振り返った阿部君は、耳まで真っ赤だった。

差し出されたその手を、ぎゅっと掴み、腕を絡める。

・・・・誰もいないから、ちょっとなら、いいよね。


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