二人きりの勉強会

(第2話)



6時間目の授業は数学だった。

順序良く解いていくと必ず正解にありつけるこの教科は、やっただけの成果が得られるから好きだ。

国語、特に現代文なんかは、正解が一つではないというのが気に入らない。

いろんな視点で見ていくといろいろと解釈できる、それが楽しいといったところなんだろうけれど

テスト問題としては不具合があるのではないだろうか?

以前、入試で出題された問題を、文章を書いた作家が解いたら満点ではなかったという笑えない話を聞いたことがある。

作家の意図と違うものが答えって、テスト問題としておかしくねえか?

そんなことをウダウダと考えているうちに、授業終了を告げるチャイムが鳴る。

「起立」「礼」と、形ばかりの挨拶を終えた後、オレはテキパキとカバンに教科書を入れ始めた。

今日は、三橋と一緒に勉強する。

試験が近いので、マジメに勉強しねえとマズイから、決してあれやこれやできるわけじゃねえんだが

(・・・というか、まだキスしかしたことねえんだけど)

でも、オレの部屋で二人きり。そんな状況で何も期待しねえっていうのなら、恋人同士とは言わねえよな。

「おい、阿部。顔がニヤついていてキモいぞ。」

いつの間にかホームルームが終わり、机の横に花井が立っていた。

心なしか顔色が悪いような気がするが・・・気のせいだろうか。

「今日の勉強会、図書館だってオマエに言ってあったっけ?」

「ああ?オレ、今日行けねえ。」

「え?オマエ、出ねえの?」

少し焦ったような表情。・・・・まあ、それも仕方ねえよな。

「あー、悪い。今日は三橋とマンツーマンでやるんだ。」

・・・・言い方、変じゃなかったよな?

気を抜くと口元が緩みがちになるのを必死に堪えて、無表情のまま答えた。

「げっ、聞いてねえよっ。数学どーすんだよ。」

英語は花井、国語は栄口、数学はオレ、そして、オールテイティの西広は、理科を中心に全ての教科を見ることになっている。

「あー、悪いな、でもな、三橋なんとかしねえとマズイだろ?数学だけじゃなくて、全部面倒みてやっから。」

「そうだけど・・・・」

「数学マジでやべえのは田島くらいだろ?泉も数学そこそこ得意じゃん。泉に任せれば?」

「そうだけど・・・専属のカテキョーかよ。」

「まあ、三橋はエースなんだから」

と、決めのセリフを言われたら、花井とてそれ以上の反論はできない。

苦虫を潰したような顔の花井に「スマン」と一言告げて席を立とうとした。

すると

「阿部。でも、これだけは教えてけ。」

と、ふたたび呼び止められた。

それは今日の授業で出た宿題だ。・・・・早く三橋んとこ行きてえけど・・・それくらい協力しねえとな。

オレはノートを取り出して、図を描きながら三角関数の説明を続けていくと

「阿部君、私にも教えて!」

と、数名の女子が机の周りに集まってきた。

うざってえ・・・と思いつつ、花井に教えるついでだからまあいいかと思い、そのまま説明を続けた。



そして、強い視線を感じた。

廊下から。これは三橋の、だ。


ふと顔を上げると、案の定、三橋がじーっとこっち見ていて。

目が合うと、みるみる間に頬を真っ赤に染めて、俯いてしまった。

つい、こちらの表情も緩む。

「おい、阿部。」

花井の声で現実に引き戻され、オレは説明を続けた。

ああ、早く一緒に帰りてえな。ったく、今日はウチのクラスのほうが早くホームルーム終わったんだから

アイツのクラスの前で待っていたかったのに・・などとブツブツ考えながら説明を続けると

少しコツを説明するだけで理解してくれるようなヤツらだったので、すぐに教え終わった。


「三橋!」

ようやく開放されて、オレは三橋のところに走っていった。

三橋は、ぱあっと顔を明るくして、そしてふわっと笑った。

・・・・やべえ、ついつい口元が緩んじゃうぜ。




帰り道。

街路樹の葉をカサコソと踏み鳴らしながら、二人でゆっくりと歩く。

西の空から降り注ぐ陽光が優しく包み込むように体をあたためていく。



三橋はいつもオレより半歩下がって歩く。

オレは並んで歩きたい。だって、そのほうが表情よく見えるから。

そう何度も言うけれど、でも、いつもちょこっとだけ、後ろを歩く三橋。

夜暗いときはたまらず手を掴んでグイと引き寄せることもできるけど、さすがに、真昼間ではそうもできない。

・・・・悪いこと、しているわけじゃねえんだけどな。

「数学、テスト範囲まで授業習ったか?」

「あ、うん、今日終わったよ。」

・・・・なんか、声に元気がねえな。ちらっと振り返ると、何かを考えているような、ぐるぐるとした表情。

・・・・さっきのこと、気にしてんのかな?廊下で会ったときも、なんとなく浮かない顔してたし。

「ん?どうした?」

三橋と目が合うと、そのまあるくて大きな琥珀色の瞳が、一瞬見開かれた。

金色の光を真正面に受けて、宝石のようなきらめきを見せる。

「な、なんでも、ないよっ。」

ちょっと不安げな表情。瞳が揺れて、光の加減でキラキラ輝く。

ほんっと、澄んだ色してんなあ。

隣に並んだその手をぎゅっと掴む。

「妬いてくれたのかと思った。」

耳元に小声でそう囁くと、ふたたび三橋は耳まで真っ赤になった。

図星だな、そう思うとうれしくって、つい、笑みを零してしまった。

そんなオレを見て、口元をとんがらせて不貞腐れる。

「妬いて、なんか、ない。」

そんな顔もかわいいと思うオレはもう重症だ、なんて考えながら、うれしさを表面に出さないように
「・・・ふうん。あっそ。」

わざとそっけなく答えた。そして、掴んでいた手を離して、こっちもわざと不貞腐れたように答える。

「オレはしょっちゅう妬いてんだけどな」

三橋が、立ち止まった。驚いたのか、目がおっこちそうなほど見開いている。





これは本心だ。

三橋のことをカッコイイと口にしている女を見たことがある。

それも。一人や二人じゃねえ。

新設校の野球部が初戦の桐青を倒してから、三橋の噂はどんどん広まっていった。

すべての試合を最後まで凛とした姿勢で投げ続けた三橋は、上級生からも注目されていった。

「投げているときと、普段のギャップがいい!」だの、「庇護欲をかきたてられる」だの「ファンクラブを作る」だの。

もちろん、ミーハーっぽく騒ぐヤツはあんまり気にしてねえが、内面を知った上で、アイツに近づいてくる女だっている。

実際、お弁当の差し入れとかを持ってくるヤツを見かけたことがある。

・・・・まあ、渡せないような雰囲気作って、さっさと追い返したけど。



そんなふうにいつも心配してっけど、でも、普段あんまり気持ちを口にしねえもんな。

だからびっくりしたんだ。

そう思うとなんだか一本取ってやったような気になって、また顔がにやけてきた。

顔が真っ赤なのは分かっている。そんな恥ずかしいの、見られたくねえって思う。

でも、やっぱり。

「ほら、遅いぞ。」

隣を歩いてほしくって、手を差し出した。

三橋は走り寄り、そして手をぎゅっと掴み、腕を絡めてきた。

・・・・ほんっと、かわいいヤツ。


「・・・・ゴメン、ウソ、ついた。」

数分後。もともと下がり気味の眉を更に八の字に下げての、三橋からの告白。

「分かってるよ、そんなこと。」

「うへっ?」

「さて、バツはなんにしようかな。」

悪戯心が勝って、ついついそんなイジワルを言ってしまう。

「うえええっ?は、なんで?」

「だって、ウソついたんだろ?」

「う、うん、そ、そうだけど・・・」

「だったらおしおきしなきゃダメじゃん。」

「ひえええっ。」

どんどん青ざめていく三橋の頭をポンポンと軽く叩きながら

「まあ、そんな難しいことは言わねえから安心しろって。」
「あ、阿部君、なんか、ヘンなこと、考えてる、だろ。」

「ヒデエなあ。そんな、オマエがいやがること言うとでも思ってんの?」

「だって・・・顔が・・・」

「顔?なに?どーかした?」

「や・・・なんでも、ナイ、です・・・」

「んー、そうだな、オマエからのキス、がいいな。」

「ふえっ。オ オレ、から?」

顔から血の気が更に引いていくのが分かった。

「ああ、そーだよ。いつもオレからばっかじゃん。

 ・・・・オレがオマエを想うほど、オマエはオレを好きじゃねえのかなって時々思うぜ。」

ちょっとだけ、寂しそうな演技をする。これくらいしねえと、三橋からのキスなんて望めないから。

「そ、そんなことは、ない!」

「・・・そうか?」

「だって・・・阿部君の、言うことも、確かに、そうだ。オレ、いつも、あんま気持ちとか、伝えないから・・・」

真っ赤になって、俯いて。でも、真剣に言葉を紡ぐ三橋を今すぐここで抱きしめたい。

「ムリしなくていいぞ。」

「う、うんっ。オレ、阿部君、大好き、だからっ。恥ずかしい、けど、だから・・・や、やってみる。」

今のオレの笑みは「黒い」って、栄口あたりに言われそうだ。

「あんがとな、三橋。」

「うおっ。オ オレ、がんばるっ。」



あどけない笑顔でそう答える三橋が愛おしくて、背後からぎゅっと抱きしめる。

ふんわりと漂うシャンプーの香りが鼻孔をくすぐり、その甘さに軽くめまいがした。

いつまでもこの腕の中にいてほしい、そんなことを願いながら、もう一度、その腕に力を込めた。

・・・・こんなんで、ちゃんと勉強できんのかな、オレ。



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