celebrate

引越しの後始末を何とか終え、まだいくらか散らかった印象はあるものの、生活するのに支障が無い程度に片付けた部屋の中、俺は雑巾を持った手を腰に当てて息を吐いた。
もともと荷物はそんなに多くなかったし、荷物入れの前日までに掃除は済ましておいたから、今日運んだ家具の拭き掃除をしたり、掃除機をかけたりするくらいですんだけど、結構疲れた。

「花井ー。俺の服の入ったダンボール、どこぉ?」
俺の居るリビングとは別の場所から響いてきた声に、俺は半身を捻って声のした方を振り返った。
「クローゼットの中。足元見てみろ」
「あ!あった!サンキュ!」
探し物を見つけ出して嬉しそうな声に、自然と頬が緩む。
「田島ぁ、こっち終わったから、そろそろ晩飯にすっぞ」
「んー分かった。ってか、どっか食いにいこーぜ!」
ばりばりとガムテープを剥がす音と一緒に聞こえてきた提案に、俺は素直に乗ることにした。

ふと、持ったままだった雑巾に気付いた俺は、それを片付けに行こうとして、部屋の中を見渡した。
シンプルで飾り気の少ないリビング。その一角に置かれたチェストの上に、何枚かの写真が大きな一つの写真立ての中に納まっている。
懐かしい高校時代の自分と田島が、創部メンバーと一緒にはしゃいでいる姿を写したものや、大学の、そしてプロの野球の世界で活躍するシーンの田島を写したものもある。そして──
「どーした、花井?」
いつの間に来てたのか、背後に立っていた田島が、俺の肩に顎を乗せて手元を覗き込んできた。

「なんでもねぇよ。でもやっぱこれ、恥ずかしくねぇか?」
「何いってんだよ。俺が飾りたいって言ったやつ却下したのに。これでもだきょーしたんだぞ?」
視線だけを俺に向けた田島は、不満そうに唇を尖らせた。
「あんなもん飾るな!」
くすくす笑いながら俺の腹に右腕を回してきた田島は、一喝なんか聞こえてないような感じで、写真に視線を戻して幸せそうに目を細めた。
「かっこよかったよなぁあん時の花井」
「……お前だって似合ってたじゃねぇか」

いつもはしない格好をした田島は、良く知っているはずなのに知らない人みたいで、俺は酷く緊張した反面、心臓がうるさいくらいにドキドキしてたのを思い出した。
「んにゃ。花井の方がゲンミツにかっこよかった。だからやっぱ飾ろうぜ?あれ」
俺の左肩から上目使いに見上げてきた田島の言葉に、俺は近くにあった額にキスを落として答えてやった。
「絶対ぇやめろ。分かったな」
出会った頃に比べて大分身長の伸びた田島は一瞬目を瞠った後、昔と変わらない笑顔を浮かべた。

「分かった。新婚早々、喧嘩も別居も嫌だかんな」
うあっ!
…………くっそ、たまには度肝を抜いてやろうと思ったのに!
昔は良く見せていたぎらぎらとした力強い目とは正反対って言っても良いくらい、穏やかで、俺の事だけを見ている温かい目で田島は俺を促す。
俺が少し首を傾げると、田島は俺の左手に自分の左手を重ねて、上から覆うように握りこんだ。
つい先日までは無かった、薬指に嵌めた金属同士が重なる感触に、胸の奥底に温かく、穏やかな火が灯る。
それを感じ取っているのか、田島から与えられたキスはさっきの視線と同じく、穏やかで優しさに満ちたものだった。

俺の誕生日にプロポーズされてから、今日にこぎつけるまでいろいろあった。
付き合い始めた高校一年の頃からだと、もっとだ。
でも、お互いぶつかり合いながら一緒に乗り越えてきて、これから先もずっと、二人で全ての事に立ち向かっていこうという約束をした。

その証である左手のリングの感触に涙が出そうになりながら、俺は普段とは違う優しい口付けに酔いしれていると、不意に田島が唇を離した。
「田島?」
「飯、食いに行こうぜ?花井も腹減っただろ?」
最後に音を立てて唇を奪った田島は、そう言って着替えの為に寝室へと向かった。

ちょっと物足りなく思いながらも、確かに昼に手伝いに来てくれてた創部メンバーの連中と食った引越しそば以降、何も口にしていなくて腹は減ってた。
まぁ焦る事はねぇよな。
毎日って訳じゃ無ぇし、多分居ない事のほうが多いんだろうけど、田島はここに帰ってくるんだ。





今日からここが、俺達の『家』だ。






玄関扉を開けて家の中になだれ込むと同時に、俺は抱え込んでた田島の体に引き摺られるようにして、上がり框に倒れこんだ。
「こら田島!お前怪我でもしたらどうすんだ!」
お互い痛い思いをしないよう、手を付いたり、勢いを殺して寝転がったからなんとも無いのは分かってたけど、俺は仰向けに倒れた田島の上に覆いかぶさるように倒れた体を起こすと、少し睨みつけるようにしながらたしなめた。
「んなモンしねー……俺だしー……」
何の理由にもなっていない返事をした田島は俺の肩に手を回すと、そのままくすくす笑いながら酒臭い口を寄せて来たから、俺は田島の口元を両手で押さえ込んで突き放した。

「こンの酔っ払い!一人でワイン一本空けるなんてどういう了見だ!」
「だってぇ……旨かった、からさー……」
いくら旨くても呑みすぎだし、プロの野球選手として自分を制御できないのは問題だろが。
そう言ってやろうかと思ったけど、もう田島は半分以上夢の世界に浸かってた。そんな状態の奴に何を言っても無駄だろう。
とにかくここで寝させる訳にはいかねぇ。けど、寝ちまったこいつをベッドまで運ぶのは俺には難しい。
「起きろ田島!ベッド行くぞ!」
「……はないーだいたんーv」

アホか!
また顔を寄せてきた田島の頭を叩くと、俺はフラフラになっている田島を何とか抱え起こして立たせた。
「ほら!ちゃんと立て!」
「ありがとな、花井」
不意に耳を打ったしっかりとした声音に、俺は一瞬首を傾げ、田島を振り返った。
けど、すぐに本気で寝入り始めた田島の顔が目に入って、俺は悪態を吐きながら俺より重い男の小脇を抱え、引き摺るようにして寝室まで運んだ。

何度か休憩しながら寝室まで運んだ田島を、ベッドに放り投げるようにして寝かせ、はみ出していた足を乗せてやった頃、俺はもう肩で息をしていた。
「ったく!自分がどれだけ重いか考えろっての!」
肩を呼吸に合わせて上下させながら叫んだ後、俺はどっと疲れた体を引き摺って、バスルームに向かった。
引越しだけでも重労働だってのに、最後にあのでかい体をマンションの駐車場から部屋まで運ぶのにかなり疲れた。
本当は湯船にゆっくり浸かりたかったけど、湯が張るのを待ってる時間も惜しいくらいで、俺は頭からシャワーを浴びた。
熱目に設定した温度のお陰で、少し冷えていた体も温まる。



田島のシーズンオフ入りと、俺が連休を取れそうな時に合せて式と引越しを予定した。
式はニューヨークのゲイチャーチで挙げた。
ちょっと日程が上手く噛み合わなくて、ただ式を挙げる為だけに行ったから、すぐにとんぼ返りしてきたけど、凄く嬉しくて幸せだった。
立会人を頼んだ阿部と三橋以外にも、高校時代の仲間の何人かが俺達に黙って参列してくれて、ビデオを回したり、写真を撮ってくれたりして、俺達は思いがけず記念になる物を手に入れた。
その中の一枚を田島はひどく気に入っていて、俺に黙ってパネルにしやがった。

ニューヨークから戻って暫く、ちょっと顔を合わせられなかった間の仕業を知ったのは今日の事で、俺は畳半畳分くらいはありそうなそれを、リビングに飾ると言い張る田島を宥めるのに苦労した。
結局写真立てに入れた別の写真で我慢させたけど、田島も嬉しかったんだと思うと、こっちまで嬉しくなる。

けど……
けれど、俺はらしくなく緊張している自分を自覚していて、嬉しいんだけど怖い、幸せなんだけど竦む、そんな自分の心と向かい合うことが出来なかった。
それに、よくよく考えてみると実は今夜が、は、初めてなんだよな……
ニューヨークには前日入りで、翌日の夜には日本にとんぼ返りだったし、その直後からお互いの仕事の都合で顔を合せていない。
二人だけで夜を過ごす事は、もちろん初めてじゃねぇけど、しっかりとけじめをつけた上での初めての夜だってのに、あいつは……!

「はないー?大丈夫かぁ?」
「うわぁっ!」
えらくタイミングよく掛けられた声に悲鳴を上げながら振り返ると、まだ赤い顔はしてるものの、意識はしっかりしてきたらしい田島が、バスルームの扉を開けて顔を覗かせていた。
「な!何を覗いてやがんだ!」
「だってさ、もう三十分以上シャワー出しっぱなしなんだぜ?疲れて寝ちまったのかと思った」
言いながら、風呂場に掛けられた防水時計を指差され、俺は慌ててシャワーを止めた。確かに風呂に入ってからかなりの時間が経ってた。
「わりぃ、もう出る。お前も、温めのシャワーくらい浴びるか?」
「花井と一緒なら」
真顔で冗談を言う酔っ払いの顔目掛けて、俺は手に取ったフェイスタオルをぶん投げた。

俺が脱衣所で体を拭いている間に、昔と変わらない早業で服を脱ぎ散らかした田島は、カラスの行水で風呂を済ませ、俺がスウェットを着込み終わる頃にはもう出てきた。
しっかり体を拭いてから来るように言い置いて風呂場を後にすると、俺はすぐに寝室に向かった。

ベッドの端に腰掛けて一息吐くと、もうそれだけでする事が無くなって居た堪れなくなる。
高校の頃教わったリラックス法を試そうかとも思ったけど、アイテムも無いし、誰か他の奴の手も無い。苦肉の策で自分の手を握り合わせたけど、効果なんか全く無かった。あーくそ、落ち着かねぇ!
ま、同じみたいなんだけどな……

「あー気持ちいかったー!」
そんな俺の緊張を他所に、俺とは別メーカーのスウェットを着込んだ田島が、寝室のドアを開けて入って来た。
他の部屋の電気もちゃんと消してきてくれたみたいで、田島の向こう側はもう真っ暗になってた。
ベッドサイドに置いたランプのオレンジ色の光を受け、俺の目の前に立っている姿を見ると、我ながらおかしいくらい見惚れてしまった。
バカで破天荒で、格好良い俺の……悠一郎。
「どーした?」
……悠一郎……
「やっと、一緒になれたんだな」
俺は立ち上がると、悠一郎の湿気を含んだ髪に指を差し入れた。

昔から全然変わんねぇ、固そうなんだけど柔らかい感触。
俺はこうやって田島の髪に触るのが好きだ。でも、もっと好きなのは、俺がこうした時に田島が見せてくれるうっとりとした表情だ。
少し目を細めて、普段は犬みたいな田島が、咽を鳴らしてる時の猫みたいになる。
「改めて、これから宜しくな……悠一郎」

今まで滅多にしなかった名前呼びに、田島はいきなり目を見開いた。
本当に猫みたいにいきなりだったから、ちょっと驚いた。
そう言えば、事の最中に悠一郎が呼んでと言ってきた時に言ってやるくらいで、自分から自発的に呼ぶのは初めてかもしれない。
なんともいえない幸せそうで、でもむず痒そうな顔を俺の肩に伏せ、今ではプロの球場でもホームランを出せるほどになった太い腕を、田島はそおっと俺の腰に回した。

「もー何でそんなに格好良いんだよ花井ー!」
悠一郎はむずがる赤ん坊みたいに、俺の肩に額を擦りつけてきて、首筋をくすぐる毛先の感触に、俺は思わず噴き出した。
「参ったか?」
笑いながら冗談めかして言うと、悠一郎はくぐもったこえで降参、と笑った。
ちょっとだけしてやったりって気分になって、俺は悠一郎の肩に腕を回してしっかりと抱きしめた。

「俺の方こそ、これからも宜しくお願いします!」
「しゃーねーな……お願いされてやっか!」
お互いの肩に顔を埋めたまま、小さく笑い合いながら言い合うと、悠一郎が俺の肩口や首筋にキスをし始め、触れたところで弾ける快感の火花に体が震えた。
……っと、駄目だ駄目だ。
「やめとこうぜ、悠一郎」
俺は持っていかれそうになる意識を押し留めようと、悠一郎の背中をしがみつくようにかきむしり、確固たる意志をもって言った。



「……なんで?」
こいつにしては珍しい沈黙と、猜疑に満ちた問い掛けに、俺は背中を宥めるように叩いてやった。
「自分でも分かってんだろ?緊張してるって」
悠一郎の体がびくりと大きく震えた。
暫しの沈黙の後、悠一郎はぐすぐすと鼻を鳴らし始めた。泣きべそってお前、一体幾つだよ……
「……俺、ゲンミツにかっちょわりぃ〜…………」
「んなことねぇよ……俺だって緊張してる」
意外とデリケートなんだよな、男も。
悠一郎も、昼間のどたばたで忘れていられた緊張を思い出したんだろう。晩飯前から、何か様子がおかしかったもんな。
「けどさー折角の初夜なのにぃ」
しょっ!?…………確かにそうだ。うん。間違っちゃいねぇ。けど……なぁ……

俺は体を少し離すと、悠一郎と正面から向かい合った。
そして涙目になってる悠一郎頬に手を添えると、その唇に自分の唇をそっと添えた。
「なぁ、悠一郎」
「ん?」
額と鼻の頭をを触れ合わせ、目を閉じながら呼びかけると、田島の大きな両手が俺の頭に移動してきて、顔を挟むようにして頬に添えられた。
「あずさ、って呼んでくれねぇのか?」

昔はからかわれるだけだったから、絶対誰にも呼ばれたくなかった名前だったし、悠一郎にも今まであんまり許さなかった。
本当は、随分前から呼んでもらいたかったんだけど、良いきっかけが無かった所為で、今までずるずる来ちまった。
俺達二人で、一緒に歩いていく道に立った記念に、もう悠一郎にも許して良いよな。

でも、長年自分の名前に抵抗を持っていた所為か、自分で言っておきながらあまりに恥ずかしくて、俺は目を開ける事が出来なかった。
悠一郎もきっと、突然のことで驚いたんだろうな。
添えられた手も、近くに感じる気配も、一瞬固まった。
けど、すぐに悠一郎から唇を寄せられて、丁寧な仕草でキスされた。
深く深く、けど、いつもより格段に穏やかで、ちょっとワインのかおりのするそれに、俺は鼻に掛かった声を上げた。

お互いが堪能するまで唇を重ねた後、俺達は暗黙の了解で顔を離した。
「今なら出来る気がすんだけどさ……」
静かな吐息と共に紡がれた言葉と、密着させた体で感じる物に、俺は顔を赤らめた。
ご無沙汰なのはご無沙汰なんだ。俺だってそういう気が無いわけじゃない。
でも出来るなら、今日はこのまま穏やかに眠りたい気分だ。
お互いの温もりと鼓動を感じながら、一つの通過点に過ぎない幸せを、心行くまで堪能したい。
俺は甘えるように、悠一郎の頬に鼻を摺り寄せた。
たったこれだけの行動で、悠一郎が俺の気持ちを感じ取ってくれるかどうかは分からねぇけど、悠一郎が選んだ選択に従う腹積もりだった。

俺の真似をするみたいに、悠一郎も鼻を俺に摺り寄せてきて、口角にもう一度キスされた時、頬に添えられていた手が離された。
目を開けてみると、すぐ間近にある悠一郎の顔が視界一杯に入ってきて、鼓動が不意に跳ねた。
閉じていた瞼を開けた悠一郎の視線とぶつかると、更にもう一度心臓が跳ねる。
心電図取ったら、不整脈で引っかかるんじゃねぇか?俺。
冗談交じりの俺の考えなんて気づいて無い悠一郎は、俺の背中に回した腕に少し力を込めた。

「俺も、やっぱ今日は一緒に寝るだけで良い。もっと一杯名前呼んでもらって、もっと沢山、名前呼びたい
──あずさ」
髪を撫でてる時の顔とは比べ物にならないほど、うっとりとした表情を見せた悠一郎に、俺は膝から力が抜けそうになった。
自分の名前なのに、破壊力抜群だ。
……否、悠一郎に呼ばれたからだよな、やっぱ。

俺は、きっと変な顔をしてしまっただろう一瞬の後、だんだん笑いが止まらなくなっちまって、悠一郎が困ると分かっていても、暫く笑いを止める事が出来なかった。
あんまり笑いが止まらなくて自分でも困っていると、悠一郎もつられて笑い始めて、二人で顔を見合わせると、暫くの間二人で笑い合った。

漸く笑いが治まってベッドに潜り込むと、悠一郎は左、俺は右手でしっかりと相手の手を握り込み、色々なことを話しながら眠りに就いた。
酔ってた悠一郎が先に眠ったのを確認すると、俺は悠一郎の左手を自分の口元に持ち上げて、その甲に軽く口付けた。

社会的なダメージは、悠一郎の方が絶対に大きい。なのに、俺と一緒に居ることを選んでくれたこと、そして、俺がお前を選べるほどに愛情を注いでくれたことに、心の底から愛情と同じだけの感謝の念が浮かぶ。
「ありがとな、悠一郎」
そう言ってもう一度、悠一郎の手の甲に口付けた瞬間、古い歌の歌詞が頭に浮かんで、俺は慌てて頭まで布団を被った。





(2008.06.10)
15000hit、tiara様リクエスト。大人タジハナで、愛され花井と男前田島。
……になったのでしょうか……田島がちょっとヘタレになった気もしn……
花井の頭に浮かんだ歌はア○ロの「今夜からは〜」(笑)tiara様、素敵なリクエストをありがとうございました!そして力足らずで申し訳ありませんでした!(脱兎)