Clover




朝、いつものように早朝からの練習の為に、花井はグラウンドに向かった。

監督が昨夏に宣言したとおり、毎日綿密に考え込まれた練習メニューがあり、今日の練習内容は何だったか、と記憶の引き出しを探りながらグラウンド脇に自転車を停め、緑の金網扉に手を掛け押し開けた。
「ちわ……」
「花井!」
「うおわっ!」
もはや習性になっている挨拶を口にしようとした途端、大音声と共に横合いから姿を現した人影に、花井は思わず半歩退いた。
「…ンだよ田島ぁ!びっくりさせんな!」
「おっはよー花井!」

突然の襲撃に心臓が驚きの鼓動を刻む中叱り付けると、すでに練習着に着替えていた相手は何ら悪びれる様子も無く挨拶を返してきた。
流石に一年の付き合いがある為、これくらいのスルーに目くじらを立てるようなことはない。
いちいちこんな事くらいで怒っていたら、こちらの身が持たないのは経験則だ。
「なんだよお前、今日はえらく早いじゃねぇか。何かあったのか?」
「ん!大事な用事!」
練習着を着込み、その上にウインドブレーカーを羽織った姿の花井は、肩に掛けていたエナメルバッグをベンチに置く為に向かいながら、隣を歩く田島を振り返った。

出合った頃より伸びた背丈、厚くなった体つき、大人びた表情、そのどれもが花井の心臓を驚きとは別の意味で早まらせる。
去年の夏が終わった後、自分の人生に起こりうるとは思わなかった衝撃的な出来事、同性との恋愛という道に引きずり込んだこの相手に、花井は心底惚れ込んでいた。
周りには決して口外できない関係だが、自分なりに真剣に考え、選んだ選択を誇らしく思えるほど愛して止まない恋人は、何がそんなに嬉しいのか、さっきから顔に笑みが張り付いたままだ。

「何だよ気持ちワリィな……」
「うおっ冷てぇ!折角花井に一番に会いたいと思って早く来たのに!」
少し拗ねてしまったのか、不満そうに口を尖らせた田島に、花井は眉を歪めた。
「悪かったな。で?俺に何か用だったのか?大事な用事って?」
宥めるように頭を叩いてやると、それだけで機嫌を直したらしい田島は、そばかすの浮いた顔に笑みを浮かべた。
「花井、誕生日おめでと」
言葉と共に、後頭部に田島の手が伸び、ぐいと引き寄せられた。
抵抗する間も無く、音を立てて奪われた唇に、花井は一瞬の間固まった。

「っっってンめぇ!こんなとこで何すんだぁ!!」
すでにベンチの中に入っているとはいえ、これから練習がある以上、次々と現れるはずのほかのメンバーや後輩達の姿がないか慌てて確認しながら叫ぶと、田島は悪戯が成功した子供の笑顔で笑った。
「今日、部のメンバーの中では一番に言いたかったんだ!ほんとはさ、朝花井の家まで行こうかとも思ってたんだけど、昨日の内に見つけらんなくてさぁ」
言いながら、尻ポケットに手を伸ばした田島は何かを取り出した。
「はい、これ!俺からの誕生日プレゼント!」
ぐいと眼前に突き出されたのは、一本のクローバーの葉だった。
白い斑入りの葉の枚数は四枚。

「四葉のクローバー?」
「そっ!幸運の四葉!自主練で行く広場で偶に見つけんだ。花井に何を送ったら喜んでもらえるか色々考えたんだけどさぁ、なんも良いもの思い浮かばなくて!で、夕べ練習終わってから探しに行こうかと思ったんだけど、朝の方が葉っぱも元気かなって思ってさ!」
得意満面の笑顔で田島が語る間、花井は突然のキスで上気した顔が、更に熱を帯びるのを感じた。
自分の為に誰かが、特に田島が一生懸命になって考えてくれて、送ってくれた物が、これ程までに嬉しいものだとは思わなかった。

「花井?」
赤くなった顔を見られたくなくて、伏せた顔を逸らした花井の様子に、田島が窺うように声を掛けた。
「ちょ……ごめん、嬉しいんだけど、お前の顔見れねぇ……」
「えー!何でだよ!ってか、花井顔赤すぎ」
最初は不満そうに叫んだ田島だったが、花井のあまりの顔の赤さに笑い出してしまった。
そして笑いながら、手にしていた四葉のクローバーを、花井の手にそっと持たせた。

「これ、俺からお前に向ける気持ち」
「へ?」
何を言いたいのか分からず、嬉し涙が浮かびかけた目で振り返ると、田島はニッと笑った。
「姉ちゃんから聞いたんだ。けど、秘密」
何が秘密なのかと問いかけようと思った途端、グラウンドの入り口から挨拶の声がして他のメンバーが姿を現し始めた為、花井は慌てて受け取った四葉をエナメルバックの中に入れていた本に挟んだ。



「花井君、何か落ちたよ?」
「へ?」
教室の中、自分の席で本を読んでいた花井が、今年も同じクラスになったマネージャーの篠岡の声に振り返ると、落としたというものを拾い上げてくれた彼女が顔を上げた。
「はい、これ。四葉のクローバー?」
「お。おお!サンキュ」
休憩時間の間に読もうと持ってきていた文庫本からするりと落ちたそれは、朝から午後の今までプレスされていた所為か、少し水分が抜けていた。

男がこんなものを持っているのを見咎められるのが恥ずかしくて、しっかりと挟んでいたつもりだったのだが、忘れるなといわんばかりに飛び出してきたらしい。
「プレゼント?貰ったの?」
慌てて受け取ると、篠岡が小首をかしげながら問いかけてきて、花井は小さく頷いた。
「ああ。何か、俺の誕生日だからって今朝寄越してきた。安上がりだよな」
乾いた声で笑い、何とかプレゼントされたものを見て顔が緩んでしまうのを誤魔化そうとすると、篠岡の目の色が変わった。

「誰から貰ったか、聞いても良い?」
「ん?田島だけど?」
篠岡の問いに何の気も無しに答えると、彼女は不意に面白がるような笑みを浮かべた。
「ふーん、そうかぁ……そうなんだぁ花井君と田島君」
「俺と田島が何だ?」
含みを持たせた彼女の言葉を理解できなくて問い返すと、篠岡はくすくすと笑った。

「四葉のクローバーって、一枚一枚に意味があるの知ってる?」
問い掛けに問いを返されて訝しむと、彼女は笑いながら答えた。
「誠実、希望、愛、幸運の意味があるんだけど、それが一つになると、真実、本物、っていう意味になるの」
「へぇ、知らなかったな、そんなの」
頭の片隅で、それなら自分から田島に送るのが相応しいような気がした事は黙っていた。
田島の野球にかける情熱は本物だ。
そして、田島の才能もまた本物だと思う。
そんな彼に憧れと対抗心、友情と愛情を持っている自分の心の真実を伝えるには良い手段かもしれない。
家の近所かどこかに、シロツメクサが咲いている場所があったかどうかと思っていると、篠岡が「それをね、」と言葉を続けたので、花井は彼女に意識を戻した。

「誰かに送る時の意味って、あなたは私の真実の恋人って意味になるの」

その後、篠岡が「なんちゃって。男の人から女の子に送った時だけどね」と笑いながら去って行ったのはもう目に入らなかった。
呆けたような顔でクローバーを本に戻し、それを鞄の中に仕舞い込むと、花井はおもむろに机の上で腕を組み、その輪の中に頭を突っ込むようにして顔を伏せた。

田島が姉から聞いたという意味を聞き出さなければならない。
けれど、どんな意味合いにしても嬉しい。
そんな事を考えている自分はもう末期かも知れないと思いながら、動悸の治まらない心臓が、どんどん体を熱くするのをやり過ごそうと、花井は伏せた顔を更に深く沈めた。


花誕企画参加作品3作目。ハニーの日記にあった花冠が元ネタです(^^)しかし後に大猫様とネタが被っていたことが判明。その節は大変ご迷惑をお掛けいたしました!