Festival! 2




受付を済ませ、姿を現した次のバッターの姿を見て、いつもとは別位置の守備についていた三橋の顔に驚きと喜びが表れたのを見て取って、阿部は自分の驚きを一瞬にして怒りに変えた。
見覚えのある釣り目の丸顔は、余裕とも取れる笑みをたたえ、以前と同じ右のバッターボックスに立つ。
まるで初めての試合の時のようだと思いながら、阿部はその時に得たデータを頭の中で思い起こす。
あの時は頭に血が上っていたようだったが、今日の構えを見ていると気負いは見えず、ただゲームを楽しむ為だけにきているのかも知れない。
けれど、泉からのサイン連絡により釣り目の丸顔、こと三星の一年生エース叶が、三橋を連れて行こうとしているという事実を知った今では、相手は必ず打倒しなければならない。

「9回表!2アウト!」
阿部は少し苛々としながら声を張り上げた。
9回と聞いて、マウンドに居る沖の顔に不安が閃く。
回数はボックスに立つ相手の手ごわさを表す暗号だった。
表、裏はチャレンジするゲームの種類を現していて、アウトカウントはそれくらいの緊張感を持て、という号令だ。
全員の顔に緊張が漲るのを見届けてから、阿部はマスクを被って腰を下ろした。

全員が一度叶と対戦している為、彼に対しての警戒心はそれなりに持っている。
ただ一人、三橋だけが少し気が緩んでいるようで、阿部は小さく舌打ちした。
「何イラついてんだか」
不意に頭上から降ってきたからかうような声に目線を上げると、叶がこちらを見下ろして不敵な笑みを浮かべていた。
「集中してなくて、怪我しても知らねぇぞ」
「んな間抜けな怪我はしねぇよ」

阿部がうるさげに忠告すると、フンと鼻を鳴らした叶はそう言って真直ぐにマウンドに顔を向けてしまい、阿部は再び怒りが湧き上がってくるのを感じたが、手元は忙しく動かして沖に指示を出していた。
沖が頷き返してモーションに入り、白球が放たれた瞬間、思いがけず叶はバットを大きく振りかぶり、澄んだ音をさせた。
(初球打ちかよ!)
予想していなかった阿部がマスクを跳ね上げて白球の軌道を辿ると、それは三橋の頭上を通り過ぎ、レフトの水谷が走り寄ってきた手前に落ちた。

「よし、これでおにぎりゲット。じゃあ、次は裏メニューだな」
見物客から上がった歓声にニヤリと笑った叶は、そう言って再びバッターボックスに立った。
阿部の背後で、浜田が叶を言祝ぐのを聞いて阿部は堪忍袋の紐が切れるかと思ったが、次に控えている裏での勝負の事を思い出して、自分を落ち着ける為に一度大きく深呼吸をしてから、マウンドに内野陣を呼び集めた。
訝しげな顔をしながら集まった面々の中、一人だけ喜色満面で走り寄ってきた三橋に視線を向けると、阿部はそうとは知れないようにかすかな溜息を吐いた。

阿部は西浦のエースであり、叶の幼馴染でもある三橋と付き合っている。
付き合っている、というのは、普通は男女間で使われる意味合いでの付き合いだ。
家族には話せないで居るが、既に部内公認になっていて、集まってきた内野陣の殆ども、阿部の渋面の理由を理解していて腰が引けていた。
「阿部……せめてもう少し眉間の皺を薄くしろよ……?」
「あ?うっせぇな。それより、叶は裏メニュー入れてきやがった。ぜってぇ勝つぞ」
怯えがちに声を掛けてきた栄口をそう言って黙らせると、阿部は三橋の方を向いた。

その瞬間、三橋の顔から緊張感の無い笑顔が消え、何か後ろめたい事でもあるのかと問い質したくなるキョドリ振りを見せて視線をさ迷わせる。
「三橋……」
その場で怒鳴り出したい気持ちを押し殺して呼びつけると、短い悲鳴を上げて逃げ出しかねないと思っていた三橋は、歯医者の建物の前に連れてこられた子供のように怯えていた。
「な、に?阿部君……」

それでも健気に自分の方に寄ってくる姿に、可愛い、抱きしめたい、食いたいと思う自分の思考は、もうかなり破綻しているな、と改めて認識しながら、阿部はミットで口元を隠して三橋に顔を寄せた。
「叶はピッチャーでも裏メニューやる気らしいが、俺はお前の事を渡してやる気なんてねぇ事、しっかり頭に入れとけよ?」
叶に対する敵愾心を押し殺し、三橋を目の前にする喜びだけで心の中を一杯にすると、阿部はそう言ってニヤリと笑った。

本人はきわめて友好的な笑みだと思っているらしいが、傍から見た人間ほぼ全員が、何か腹に企みを秘めた笑みだというそれに、三橋は心底嬉しそうに頷いた。
「俺、修ちゃんに、負けない、よ!」
目をきらきらと輝かせ、お前を渡さない宣言にとても嬉しそうな三橋に、集まった内野陣は乾いた笑いと涙を零した。
「不憫だ……」
「三橋……」
「何で……」

栄口、巣山、沖が呟く横で、三橋の隣に立った田島が、がっしりと彼の肩を捉えた。
「じゃあ俺も頑張んねぇとな!俺が叶の球、打てなきゃ駄目なんだろ?」
「おお。頼むぜ田島。三星での試合の時みたいにな」
策士の捕手が意気揚々と引き上げて行くのを見送り、他の内野陣も、夫々のポジションにつこうとした矢先、マウンドに残った三橋は、こそりと顔を寄せた田島に、小さく耳打ちされた。
「なぁ、三橋」
「何?田島、くん」
「お前もさ、三星には帰らねぇけど、幼馴染とはちっとくらい一緒に居たいよな?」

その言葉に、暫し思考回路を回転させた三橋は小さく頷いた。
阿部と一緒に居たいという気持ちに迷いもかげりも無いが、今日、わざわざ遠い所を来てくれた友人と、少しくらいは一緒にいたいという気持ちもある。
けれど、それは阿部の気分を害してしまう事も良く分かっている為、三橋はほんの少し諦めの気持ちを込めて笑った。
「俺、修ちゃんとは、また次の時に一緒に居るから、良い、んだ」
それを聞いた田島の顔に不満そうな色が浮かんだが、ホームベースから轟いた阿部の怒声に、田島は文句を言いながら三塁ベースへと戻って行った。



再び阿部によってポジションチェンジが告げられ、勝負が始まると、予想外にそれは長引いた。
阿部が組み立てた投球そのほぼ全てに叶は食らい付いてきたのだ。
何度もファールを叩き、しつこく食い下がった叶だったが、結局意地の悪さを発揮した阿部に軍配が上がり、10球も投げた三橋も、感嘆しきりといった様子で、バッターボックスで悔しがる叶の事を見つめた。

「くっそー!結構良いとこ行けたのに!」
ヘルメットを外し、その場で悔しがる叶を尻目に、阿部がベンチへと走って行き、予備に置かれているグローブを手に取ると、それを叶に向って放り投げた。
「ほら、次使えてんだから早くしろよ」
「はぁ?せっかちな奴だな……でも俺、練習無しに投げたく無ぇんだけど」
叶が強く眉を歪めながら言った瞬間、阿部もこめかみに青筋を立てた。
「てんめぇ……」
「何?俺が肩痛めても、お前に責任取れ無ぇだろ?」

びしりと言い渡され、阿部は黙り込むしかなかった。
確かにこんな文化祭のイベントで怪我人を出す訳には行かない。もちろん、裏メニューがばれる危険が高い所為もあるが、叶の言うとおり、他校のエースに無理矢理全力で投げさせて筋でも痛めさせたりしては大問題であり、相手が叶である以上、阿部が何よりも大事に思っている三橋が心底悲しむのは目に見えている。
「チッ仕方無ぇ……おい、田島!」
阿部は苦虫を噛み締めながら、もう一人捕手が出来る田島を呼び寄せた。

「どーした、阿部?」
「お前、俺が叶のピッチング練習に付き合ってる間、三橋の球受けててくれ」
阿部の言葉に、叶と田島の二人共が目を見開いた。
「阿部が?三橋じゃなくてこいつの捕るの?」
「お前……俺の球捕れんのか?」
小柄な二人から揃って向けられた訝しげな視線に苛々としながら、阿部は盛大な舌打ちをして二人に向って叫んだ。

「田島にフォークのキャッチいきなりは無理だろが!俺はシニアの時に捕ったことあるし、三星戦の時にも見てたから問題無ぇんだよ!分かったら田島はさっさと防具取りに行って、ついでに泉を呼び出せ!んで、お前はこっち!」
「お前って何だよ!、俺には叶修吾って名前があんだよ!」
「阿部のいばりんぼ!だから三橋にあんな顔させんだな?!」
「何でそこで三橋の顔が出てくんだよ!訳わかんねぇ!」

「オメー等、いー加減にしろよー」

どこから持ち出してきたのか、黄色いメガホンを片手に持った泉が、ホームベース近くで騒いでいた三人に向って、あきれ果てたといった様子で声を掛けてきて、三人は我に返った。
「おら阿部!後がつっかえてんだから、さっさと動けよ。田島も、防具つけんなら早くしろ」
不意に現れておきながら、全ての事情を知り尽くしているかのような泉の言葉に三人が呆気に取られていると、泉はグラウンドで待機している他のメンバーや、そのグラウンドを取り巻くようにして集まっているギャラリーの一団を指した。

「何か、この企画大成功みたいでチャレンジしたいって奴が結構溜まってんだ。部費を稼ぐ為にもさっさとしやがれ」
顔には笑みを浮かべつつ、決して笑っていない雰囲気を感じ取って、騒いでいた三人全員が身を引いて大人しく頷いた。






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(2008.10.5)
ねこじゃらし様20000hitリク。大変時間を頂いてしまい、本当に申し訳ありません!おまけにまだ続いてしまって……つ、次こそ!申し訳ございませんー!!!(土下座)