「阿部隆也くんね?」

背後から声をかけられ、阿部たちは足を止めた。
夜更けのため、通りに人影はほとんどない。
阿部とそのパートナーであるファティマ以外には、遠くに一人で騒いでいる酔っ払いがいる程度だ。
マントで全身を覆った自分たち二人連れに、躊躇うことなく声をかけてきた。
しかもそう知られているわけでもない、名前を呼ばれる。
人違いですで済みそうにないと判断し、阿部は背後を振り返った。
そこにいたのは、長い黒髪の女性。

「こんばんは、突然にごめんなさい。もしよろしければお話を聞いてもらえないかしら」
「仕事の話か?」
「似たようなものね。いわゆるスカウト活動ってやつだもの」
「……話を聞こうか」

一瞬、何かの罠かとも思ったが、自分を罠にはめて得をすることなどなかろう。
そう判断した阿部はパートナーを促し、歩き出した。

場所を騎士たちが情報交換に集うナイトバーに移し、改めて向かい合って座ると、その女性は百枝まりあと名乗った
彼女は小さな傭兵騎士団を作ろうとしており、若いフリーの騎士を探しているのだという。

「君の噂を聞いて探してたのよ。本当はちゃんとアポイントを取るつもりだったんだけど、今夜中に街を出るって聞いて、慌てて飛び出してきたってわけ」
「俺の噂を聞いて、わざわざ?」

阿部の声が怪訝なものに変わったのを察知して、百枝は軽く肩を竦めてみせる。

「自分にどういう噂が流れているかは、知っているみたいね」

もちろん知っている。
情報収集と分析は自分の得意技、自分自身にどういう噂がたっているかくらい重々承知の上だ。

「壊れファティマを連れた騎士―――本当なのかしら?」

百枝の目が、ちらりと阿部の後ろの席でじっと座っているファティマに向けられる。
ファティマは店の中でもマントのフードを下ろさず、息を潜めるようにしていた。
百枝の視線を感じているのか、阿部の背後に隠れるような風でもある。

「噂じゃ、銘入りファティマを蹴って壊れファティマを選んだとか?壊れてしまったファティマは元に戻らないわ。どうしてそのファティマにこだわるの?まともなパートナーもいないのでは、貴方がどれだけ優秀だろうとどこの騎士団も雇い主も、採用なんかしないわ」

ファティマは騎士にとってもっとも重要な存在だ。
戦闘での補助だけでなく、多種多様な情報の的確な分析・判断能力、負傷した時の手当てなど、文字通り命綱と言っていい。
だからこそ騎士は少しでも優秀なファティマを欲しがり、ファティマ・マイト(製作者)が自ら手をかけて作り上げた銘入りと呼ばれるファティマたちは騎士の垂涎の的だ。

だが、阿部はその銘入りファティマに主人として選ばれたのに、断ったのだという。
そしてその理由が、壊れたファティマのほうがいいからなのだと。

「貴方をスカウトに来たと言ったけれど、正確にはスカウトするかどうかを見極めにきたの。よかったら事情を教えてもらえるかしら?」

百枝の言葉に、阿部はむっつりとした表情のまま、過去を思い出す。
自分の背後で、必死に気配を押し殺しながら主人の様子を窺っているファティマとの出会いのことを。

 

自由都市と呼ばれる街は星団各地にある。
その名の通り自治権を有しながらも国の体裁はとらず、様々な人種の出入りが自由な都市のことだ。
その自由さ故に学者や芸術家が集まりやすく、また人や物資、情報の流通の中心として商業も発展しやすい。
そして騎士やファティマたちも仕事や新たなパートナーを求めて集まり、さらにその騎士たちを目当てに、各国の騎士団や大小の傭兵団のスカウトも目を光らせてもいるのだ。
丁度今、阿部や百枝たちがいるのもそういう都市のひとつだが、阿部がパートナーと出会ったのはまた別の街である。

その光景はある意味、ありふれたものではあったのだ。

阿部があの時、足を止めたのは今日と同じように夜更けの街を歩いていた時。
声をかけられたのではなく、路地裏から聞こえてきた会話が耳に止まったからだ。

「なんだ、やっぱりオス型だったのかよ」
「だから言ったろうが、スカートじゃねえのは男だって」
「顔見たらメス型みてえだったんだよ」

嫌でも聞いてしまったその会話にうんざりし、嘆息した。
こういう時、気配や物音に敏感な騎士の耳があだになるのだ。

人目を避けるように彷徨い歩く主人のいないはぐれファティマが、性質の悪い騎士や人間に捕まるのはさして珍しいことではない。
騎士が集まる場所にはファティマも自然と集まるし、そのファティマたちを狙う連中も集まるからだ。
主人のいないファティマは、あらゆる人間の命令を聞かねばならない―――たとえ、殺されようとも。
それゆえ、自分の身を守るという最低限のことすら許されない従順なファティマたちに、己の欲望をぶつけて慰み者にする輩は絶えない。

「どうするよ、オスじゃ面白くねえな」
「”人形”なんざ、オスもメスも変わりねえだろ、この顔だけ見てりゃいけんじゃねえか?」

それは珍しい出来事ではない。どの国でも、どの街でも、よくあること。

どこかの大騎士団に所属しているならまだしも、自分は騎士の認定を受けたばかり、これから職探しという立場で金なんぞない。
襲われているファティマたちを一々助けていては、身も金ももたない。それは所謂、常識というやつなのだ。

「どうする、ここでやっちまうか?」
「前の主人が仕込んでたら楽しめるかもしれねえじゃねえか、寝ぐらへ連れて行こうぜ」

分かっていた、のに。

(―――くそっ!)

阿部は自分に毒づきながら、路地裏へと足を踏み入れる。
自分のこの性分はなんとかしたほうがいいと、心底思いながら。

「おい、おっさんたち、待てよ」

ブリキで出来たゴミバケツを蹴ると、四人の男たちがぎょっとして振り向いた。
その男たちは背中に隠すようにしているが、人が一人、蹲っているのが見える。あれがファティマなのだろう。

「なんだぁ、ガキはとっとと家に帰って寝てろ」

男たちはお決まりのセリフと、やたらと体を揺らして斜めに人を見てくる滑稽な動作をしていたが、阿部がその身分の証明でもあるスパッド(光剣)を見せると「うげぇ」とこれまたお決まりのうめき声を上げて、後ろに下がった。
阿部がその男たちを無視してファティマに歩み寄ると、蜘蛛の子を散らすように逃げていったが、追いかける気もない。

「おい、お前」

阿部の呼びかけに、ぴくんとファティマが反応する。

「お前、壊れてねーよな?俺を選ぶんなら、連れてってやる」

ファティマは緩々と顔を上げる。柔らかそうな明るい髪の色に、まるでひよこみてーだなんて思う。
ファティマは汚れたマントで体を隠しながら、それでも阿部を見上げてはっきりと声を出した。

「―――マス、ター……」

それが阿部隆也とファティマ・レンの出会いだった。

 

「阿部くん?」

訝しげな百枝の声に、阿部は今の時間に引き戻された。
百枝は黙ってしまった阿部の返答をじっと待っているようだ。
騎士ではないというがどうして、彼女の真っ直ぐな視線には普通の女性とは思えない迫力がある。

「……どんなにスペックが高かろうと、銘入りだろうと、いいファティマとは呼ばない。プライドが高くて騎士のやることにいちいち口を出す、扱いづらい神経質なファティマなんざ、俺はいらない」

阿部はそこまで言うと、ちらりと自分の背後のファティマを振り返った。

「こいつは壊れてなんかないし、ダメファティマでもない。俺の命令をきちんと理解し、ちゃんと実行する。こいつはいいファティマだよ、俺の相棒はこいつしかいない」

百枝は腕を組み、阿部の視線を受け止める。
唇の端に浮かんでいる笑みは揶揄か、それとも―――。

「本当に壊れてないのね?いざ戦闘になって、ファティマがまともに機能しなければ、死ぬのは……」
「俺に自殺願望はない」

何度も繰り返されてきた問答だ、阿部はつい百枝の言葉に被せるようにして口を開いてしまう。
これで分かってもらえなければ、やはりこの話はお流れだろう。
そう判断して、阿部は立ち上がろうとするが、

「―――分かったわ、とりあえず仮契約を結びましょう。その代わり、ファティマが本当に問題ないか、マイトなりマイスターなりのチェックは受けてもらう。これでどう?」
「……いいだろう」
「よかったわ!貴方がうちの団の騎士一人目よ!よろしく頼むわね!」

満面の笑みを浮かべる百枝に、阿部も僅かにひっそりと安堵の息を吐いて頷いて返す。
仮とは言え、就職先が決まったことは嬉しい。
自分だけならどうとでもなるが、パートナーであるレンのために金が要るからだ。
阿部はテーブルの下、百枝から見えない部分で自分のマントをずっと握っていたレンの手を、そっと握り返した。


後日、ケミカルチェックを受けたレンが今は亡き高名なマイトの作品であると判明し、百枝たちが仰天したのは―――また別の話である。

 

 

 

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ずっと書いてみたかった、アベミハでFSSダブルパロです。
分かってもらえるのがクロエさんしか思い浮かびませんでした(´・ω・`)。
ついでに言うと、レンとハナイは兄弟です。ハナイのがお兄さんです。
ハルカとアスカという双子の妹たちもいます(笑)。
レンや双子たちは、ハナイのことをつい「アズサ兄さま」と呼びそうになります。
うん、アズサ兄さまと呼ぶ三橋を書きたかったというのが動機です。
変なもの送りつけてごめんなさい・・・!(土下座)

08/06/02