確かな未来の現実




『全国制覇』


田島が言った目標という名の言葉は、その場の全員の心に、色んな形の波紋を寄せることになった。





1年の夏が終わった後のミーティングで、チームの目標をひとつにしようとの話が上がった。
先ずは現時点の目標を紙に書くことになって、もともと目標設定をつける癖があった俺が書いたそれはかなり細かいものとなる。

『今年の秋大ベスト16、来年の春ベスト16、夏ベスト8、秋ベスト8、再来年の春ベスト2、夏優勝』

ぐるぐる考えて書いたそれだけど、別に設定した以降は負けることを予想したものじゃない。
最低そこまでは確実に勝てるようになるって、目標として達成できるって考えた、そういう意味だ。
負けた直後だからこそ余計に、力が全然足りないのだと再認識させられたことも影響したかもしれないが…正直なところ3年で県大優勝して、甲子園へ行って、それからは…想像なんてできなかった。
ましてや、『全国制覇』だなんて。

書いた目標はみんなバラバラだったのに、ただひとつ共通していた『甲子園』。
高校で硬式野球をする人間なら、そこは憧れの舞台であり、一度は夢見る場所だろう。
そこでプレイできることを。その権利を獲得することを。
そして、頂点へ立つことを。

でもそれは、そこまでだ。実際に頂点へ立つのはまた別の話。
頂点へ立つ=全国制覇は、俺にとっては夢のまた夢のように感じられるものだった。



結局、いくらか意見を交わしてもその場で纏まらなかった意思統一は、1日の猶予を貰うことになった。
もう一度じっくり考えるようにと言われてからは、なにをしながらでもずっと頭について回ることになる。
家への帰路はもちろん、夕飯の支度をしながらでも、風呂や洗濯の最中も。
頭に少しの余裕ができる度に戻ってくる思考は、ゆっくりと考えて答えを出す前に他の雑事にかき消されてしまい、マトモな言葉で納得できないままずるずると時間だけが過ぎていった。

夜になって。阿部の家へ寄った分遅くはなったけどいつもよりは早くに家へ帰ったからと、あとは寝るだけまでに用を済ませた後はずっと弟に付き合っていた。夏大の抽選会後から練習時間が長くなっていたからあまり一緒に遊んでやれていなくて、だからこうしてパワプロ対戦をするのも凄く久しぶりだ。あまり勝ち過ぎないように気をつけつつ遊びながら、楽しそうにしている弟を見てほっとする。

変に考え込んで手が止まると心配をかけるかもしれないと、弟と一緒にいる間は意識して頭の隅へと追いやっていた思考は、弟に友だちからの電話が入りひとりになった瞬間に戻り、すぐに脳内を占拠した。


優勝。
甲子園。
全国制覇。

優勝できるならしたい。
甲子園へ行けるなら行きたい。
それは、誰もが夢見ることだ。

そう、「夢」だ。
それを憧れだけの夢じゃなく明確な目標にしようって話がどれだけ突飛なのかってことは、あのとき即答できなかった皆は理解しているだろう。そのひとりである俺は、今この瞬間もまだそう思ってる。
こんな思考のままじゃ、どうやったって『全国制覇』だなんて考えには至らない。至るはずもなかった。

はぁっと盛大なため息を吐きながら、無意識にきつく握り締めていたコントローラーを床へ置く。
固まりかけた指を解しながらゆうるりと視線を上げた先には、タイムがかかったままのゲーム画面。

それでも、野球の試合だった。


大事な試合で負けたすぐ後に、ゲームだろうとまた野球の試合をやってるなんて、シニア時代には考えられなかった。俺がいたところは強くないチームだったけど負ければそれなりに落ち込んだし、反省会をやった後もまだ悔しくて、練習はともかく試合までは――例えゲームであってもできなかったから。

なのに今こうしているのは、今日の負けを自分の中で整理することができたからだ。悔しさを溜めるだなんて、そんな風に教えられたことも発想することもなかったけど、それを納得し実行できていたから落ち着いていられたし、ミーティング後の反省会でも逃げることなく向き合うことができていた。

胸の中、奥深いところに、捨てずに流さずに箱へ詰め込んだ、悔しさや不甲斐なさの劣情。
失敗を反省したら直ぐに切り替えて次へ繋げることの大切さは身に沁みていたけど、即実践できるかと云えば難しい。
でもあの監督とこのチームは、それを当たり前のこととして要求してくる。
それに俺も応えられるようになったのだ。
箱の数を増やしたくないけど、増えたのならそのときは逆に踏み台にしてやろうとまで思えるようになった。その思考は、単純に…単純に、凄いことだった。俺にとっては。

野球は楽しかった。楽しいと思う野球をしてきていた。
負けることは悔しかったけれど、勝つことに貪欲だった訳じゃなかった。
シニアのチームや監督が悪かったんじゃない、意識の差だ。
気持ちは全ての原動力になるのだと、西浦で改めて思い知らされた。

エラーとか本当に情けないけど、今日の野球は今の俺が引き起こした結果に過ぎない。
だから、また後悔して落ち込みたくないなら頑張るしかない。
まぁ、落ち込むのは負けたときだけじゃないんだけど。勝っても内容に満足できないこともあるから。
だけど、負けたときがその筆頭であるのは確かだった。負けて落ち込まないはずがないからだ。
であれば、負けなければ、落ち込んだり後悔したりする回数はぐんと減るだろう。
勝つしかない。極論だけれど、真実でもあった。


勝つしかない。
負けなければ良い。

意味は違えど同じ内容の言葉を繰り返し呟いたところで、俺の思考がひとつの疑問に辿り着く。


負けなければ良い?…それは、どこまで負けなければ良いんだ?

ずっと、負けなければ?

ずっとって、いつまで?

県大で優勝して甲子園へ行けたとして、全国大会の初戦で負けても全く悔しくないのか?
甲子園へ行けたんだから、プレイできたんだからって、それに満足して負けても落ち込まないのか?


…そんなわけ、ないよな。


どこまでだって、負ければ悔しい、たらればを考えて後悔して落ち込みもする。
それは、最後まで負けない限りは、どこで負けたって同じことだ。
最後まで勝たなければ、甲子園で優勝しなければ、どこで負けたって同じことなんだ。


…あぁ、結論なんて、もう出てるんじゃないか。
こんな単純なことにいつまでも悩んでいたなんて、ホントに、馬鹿みたいだ。



ふぅっとおおきく息を吐く。
視界を占めるテレビ画面の向こう、ゲームの世界はボタンひとつでやり直しができる。
全てをなかったことにして、初めからもう一度。

でも画面のこちら側は、現実世界じゃそんなことはできない。
1日どころか1秒だって戻らない。だから今を頑張るしかない。ムダにはできない。
自分の持てる力を強くおおきくし、一度しかない舞台で全てを出し切る。
俺にできるのは、どれだけ最大でも、たったそれだけのこと。


ダメなままでやってたらきっと、この世界は直ぐに終わるのだから。





――その後。
戻ってきた弟と再開したゲームは思い切り勝ってしまって拗ねられたけれど、それは次の休みにまたやることとキャッチボールの約束をすることで機嫌を直してもらい、ひと息ついたところでそのまま寝かしつけた。
真剣になってしまったのは、先刻思い至った全力を出し切る一度のチャンスをゲームの試合に重ねてしまったからで…本当に大人気ないことをしてしまったと反省するしかない。
けれど、それでひとつ吹っ切れたのも確かだった。





そうして翌日、無事にチームの目標が決まった。

『全国制覇』

昨日のミーティングの時点で大多数の皆が突飛であり現実味がないと感じたそれが、正しく俺たちの統一した目標となった。





いつか、思ったことがある。
『このチーム、なかなかオモシロそうだよな』、と。
それは合宿や練習試合を通して感じたことだったけど。

今、改めて思う。
『このチーム、オモシロイな』、と。
経験したこれまでの全てと、予想するこれからの全てをひっくるめて。


あと2年しか残されていない高校野球生活。
このメンバーで、このチームで、この目標を達成できると思えるのは、決して甘い展望なんかじゃない。

これは未来の、現実になるのだ。



「それなりの覚悟」をした後、アップで走りだしたグラウンド。
見上げた空の向こうに、風になびく大深紅旗が見えたような気がした。









(2008.10.7)

「箱庭の蒼空」の朔さんの10000hitフリーテキストを頂いてまいりました!
尊敬する書き手様のお一人です。いつもこちらのミズサカや、沢山のSSに癒されています(´▽`)*皆様是非一度御覧になって下さい!