石の日 2

― Side―Mizutani −



一月四日、石の日

どこでそれを知ったのかは忘れちゃったけど、俺はあんまり良い気持ちがしなかったのを覚えてる。
だってさぁ、俺の誕生日だよ?
もっとこう、華々しい感じの方がいい気がするじゃん。
毎年、お年玉とは別に誕生日プレゼントを確保するのに苦労するし、友達には祝ってもらえない。おまけにお正月の冷たいおかずの残り物なんてものが出て来た時には、もうホント泣けてきちゃうよ。

毎年ちょっと気落ちしながら迎えていた誕生日だけど、その年がそれまでで一番気が重かった。
15歳になる誕生日。
そう、受験生にはホンッと冷たく厳しい時期に誕生日だなんて、考えただけで涙が出るよ。

「文貴―、これ上げるわ。誕生日プレゼント」
「勝手に部屋開けんなよ!ノックぐらいしてよね」
「私が開けたのはドアよ、バカ文貴」

机にかじりついていた俺に向かって、ドアから顔を覗かせた姉貴が、そう言って投げて寄越した小さな布の袋に入ったそれは、音も無く俺の手の中に収まった。
「お、ナイキャッチ」
「まぁ、これくらいはねぇ」
「ってか、そんなのも捕れなかったら、野球選手失格?」
「うっさいなぁもう!」
消しゴムを投げつけてやろうかと思って振りかぶったところで、姉貴が高笑いと共にドアの向こうに消えて、扉は音を立てて閉じられた。

薄いドアの向こうで、姉貴が母さんになんか言われてるのが聞こえたけど、俺はそんな事には気も留めず、姉貴から貰った袋を見た。
手の中にすっぽり収まるそれは、中に何が入っているのか、小さい割りに重量感があって、俺は固く口を閉じられたその袋を開けてみた。

「何これ?石?」
煮豆くらいの大きさをした色とりどりの石が、ころころと俺の手のひらに転がり出てきた。
紫色や、黒の中に、雲みたいな模様が入っている石や、光を吸い込んじゃうみたいな印象の真っ黒。それに透明なガラス……よりはなんか水糊をそのまま固めちゃいました、みたいな変な不透明感のある丸くカットされた石が、転がした手のひらの上で触れ合ってカチカチと小さな音を立てる。

俺は勉強に飽きていた事もあって、手の平の石を見つめていたけど、その正体なんかは分からなかった。けれど、姉貴が何でこんなものをくれたのかは分かる気がする。
「姉貴の奴ぅ、また自分が飽きたの俺に寄越したな……」
横目で机の上を見ると、姉貴が時々寄越してくる品物が、あちこちで顔を覗かせている。

ファンシー系キャラの付いたシャーペンとか、ミニ団扇、それにUFOキャッチャーの人形とか。俺のCDコレクションの中には、全然趣味じゃない男性アイドルグループのCDも沢山ある。
けど、これは女の子と話すきっかけになったりするから、よっぽど小遣いに困った時にしか売りに行かない。

俺は凝り固まっていた肩をほぐす為に、石を握ったまま大きく伸びをすると、もう一度勉強に向かうために石を袋の中に戻そうとして、小さく折りたたまれた紙を見つけた。
「何だ、これ?」
先に石を袋に戻し、入れ替わりに取り出したそれを広げると、そこには何かの説明書きがずらずらとあった。

「水晶、黒曜石、オニキス、メノウ、アメジスト……って、この石の名前?」
俺は首を傾げながらも、前にクラスの女の子達が騒いでいたのを思い出していた。
この石を持ってると恋が叶うとか、勇気が出るとか、目が良くなる、幸運を運んでくれる、人間関係良くなる、とか、聞きながら頭の中で「嘘だぁ」と思ったけど、口には出さなかった感想を思い出して、ちょっと吹き出した。
「姉貴らしくねぇ〜!」

あんまり大きな声で笑ってると、後で姉貴にシメられそうだったから、一生懸命笑いを押し殺しながら、俺はその説明書に一通り目を通した後、自分の誕生日にまつわるジンクスを思い出して、神社でカミサマにお願いするようなノリで、もう一度袋から出した石を持ったまま、両手をがっしと握り合わせるとその石に向かって頭を下げた。

「無事高校合格して、クラブに変な先輩居なくて、皆で楽しくやれて、怪我とかケンカとか無くて、あ、それから可愛い彼女が出来ますように!」
俺は冗談交じりにそう言うと、自分疲れてるなぁとか考えながら、石を袋に戻して勉強に意識を戻した。

そして、そのまま石の事を忘れて、春、無事に試験を突破した俺は、西浦に入学した。



そんな事もあったなぁ……って思い出したのは、夜、浴槽に浸かってぼんやりと天井を見上げた時だった。

あの石のありかなんて、もう手掛かりすら思い出せないくらいだったけど、意外とご利益あったのかな?とか思って、俺はちょっと笑った。
無事高校に入って、部活は創部一年目の先輩ゼロ。そして、部活でもクラスでも楽しくやれてて、怪我も無い。それから、最後にしたお願いを思い出して、俺は深々と溜息を吐いた。
「彼女かぁ……」

あのお願いをした時は本当にそう願っていたと思うけど、いざ高校生活が始まると、勉強も忙しいけど、何より部活の方が楽しかった。
モモ監のシゴキは辛かったけど、高校球児としては誰もが夢見る甲子園に向かっての練習が、思ったよりも楽しかったから、辞めたいとかは考えなかった。
同じクラスで同じ部活。そして副将でもある阿部曰く「モモ監の俺達の扱いが上手い」というのは同感だった。ホントにツボを心得た練習メニューって感じなんだよねぇ。

疲れた時に出てくるおにぎりと麦茶とか、バナナプロテインもおいしい。
俺はお湯から覗いた腕を見て、ちょっと口元を緩める。
身長も体重も順調に、けどバランスよく増加して、腕は一回りくらい太くなった。
この間、中学を卒業したときのアルバム写真と秋大の時に皆で撮った記念写真を見比べて、自分でも「成長したなぁ」って分かるくらい、体は大きくなった。
そして──

心も、少しは成長したのかな……

俺は、入浴剤の入ったお湯の中に頭の先まで沈み込みながら、溢れそうになった涙をその中に馴染ませた。

言っちゃあ何だけど、俺だって、野球部で頑張ってるし、この明るいキャラで人気あるから、女の子に告白された事はある。
だけど、最後のお願いでもあった彼女は作って無い。
っていうか、作れなかった。
俺の心をがっしり掴んだ相手に、出会ってしまったから。

今、その相手である部活仲間、栄口は、俺の部屋に居る。

五月の半ばに自覚した想いは、最初から難題だらけだった。

相手は男!しかも部活仲間で、俺以外の奴を一生懸命見てる!

三重苦だったけど、俺は自分を殺す事で、栄口からの信頼を勝ち取っていた。

栄口への想いを必死に殺して、栄口が見てる奴と、少しでも近づけるように仕向けてみたり、栄口に頼まれた色々な事を、文句一つ言わずにやってのけた。
我ながら見事な献身っぷりと演技力に、金色のオスカー像とか欲しかったね。

でも結局、栄口の恋は失われてしまって、それ以来、栄口は何となく元気が無い。
そりゃあ、失恋してすぐに立ち直れるわけが無いよね。あれだけ真剣に、大切にしていた恋だったから、余計に。
側で見ていて、こっちまで辛くなる恋なんて、そうそうお目に掛かる事は無いと思う。

俺の想いも、誰かに見られていたら、そう思われたのかな?

俺は苦しくなって水面に顔を出すと、肩で息をしながら、滴り落ちる水滴と一緒に頬を伝う涙を、たくましくなった自慢の腕で強く拭った。



体だけ拭いて、頭は適当にだけ水分を飛ばして部屋に向かうと、母さんが用意したらしい客用布団の上に座り込んだ栄口が、俺が時々買ってる雑誌に視線を落としていた。

寒いんじゃないの?と思いながら、薄く開いた扉の隙間から覗いていた俺は、自分のストーカーみたいな行動に気付いて、またちょっとへこんだ。

だって、今日、本当は元気の無い栄口に、ちょっとでも元気を取り戻してもらおうと思って、栄口が聞きたがってたアーティストの新譜をお年玉で買って用意して、それをネタに家でゆっくり話をしようと思ってたのに、予想外の雪の所為で、俺の行動は殆ど裏目に出てる。

栄口のお母さんが亡くなっているのは知ってる。
俺には想像も出来ない、大切な物を失ってしまう感覚が、栄口の根っこにあるのを理解しているけど、それを癒す方法なんて、俺には全然分からなかった。
けれど、俺の家で母さんと顔を合わせるときのちょっとした表情の変化を見ると、多分、亡くなったお母さんを思い出して、辛いんだろうなと思う。
だから、栄口が家に来ている時は、母さんに俺の部屋に近付かないように頼んである。

俺は栄口に気付かれないように注意しながら大きな溜息を吐くと、部屋の扉を開け放った。

「ホントゴメンね、栄口ぃ」
「何が?」
雑誌から視線を上げて、俺の顔を振り仰いだ栄口の綺麗な目に後ろめたさを覚えて、俺は顔を伏せた。
「う……色々……だってさぁ、俺が最初CD持って学校行ってりゃ良かったんだし、その後も、探すの手間取っちゃったり、引き止めたりしてさぁ」
俺は懺悔するみたいに栄口の前に座り込むと、必死になってなんて栄口に謝ろうか考えた。
けど、黙って俯いている俺の頭に乗っけたままにしてたタオルに、栄口は不意に手を伸ばしてそのまま俺の髪を優しく拭き始めてくれた。
って、えええええ?!さ、栄口?!
すっごい俺嬉しいんだけど!

「気にすんな。俺だって甘えさせて貰ってるんだし」
「……でもさ……」
嬉しい反面、栄口の優しさが、ちょっと痛かった。
栄口は優しすぎるんだよね……だから、時々その優しさに耐えられなくなる。

俺が伏せた顔を上げられずに、栄口のなすままにしてたら、ふと、栄口が小さく吹き出した。
「何?栄口」
「んにゃ、ゴメン。だって水谷が無抵抗なんだもん」
その優しい顔に、俺の顔が熱くなる。
だって俺、栄口に触ってもらうの大好きなんだもん。めったに無い機会だ。

ああ、でも罪悪感増大だよ。

「水谷?」
黙っちゃった俺の顔を、栄口が覗き込んできて、俺はもう耐えられなくなった。
「……ゴメン、栄口。ホントは栄口が何か言いたい事があるんじゃないかと思ったから、CD探すのに手間取った振りをしてしまいました!」
「へ?」
ああ。また言っちゃったよ。
俺、いつか自分の言葉でへこみ死ぬんじゃないかな。ちょっとは上手く嘘がつきたい。

でも罪悪感に耐えられなくなって、勢い込んで顔を上げると、必死に喋った。
「だって今日部活終わった後、なんか変だったし、俺が雪降ってきたって言った時も、なんか顔怖かったしさぁ……何かあったのかなって思って……」

言いながら、また段々へこんで来て、俺は栄口から視線を落としていった。
また栄口が黙っちゃった事が追い討ちをかけてきて、俺は段々全身に力が入ってきた。
もう、練習で培ったリラックスなんて全然出来ない。

「お、怒ってる?」
「え?っああ、怒ってないよ?」
勇気を振り絞って聞くと、栄口はそう言って両手を振って否定してくれた。
けど、確信が欲しくて、もう一度確認すると、今度は声を上げて笑われた。
「なんだか水谷ってすっごい従順な柴犬って感じだね。いや、ゴールデンレトリバーの子犬かな?」
「へ?柴犬?ゴールデンレトリバーの子犬?」

な、何?どっからそんな話しになったの?
「セラピードッグみたいだ」
そう言って、ちらりとどこかに視線を向けた栄口は、また俺の頭の上のタオルに手を掛けると、それを目隠しみたいに俺の顔の前に垂らした。

栄口が何をしたいのか理解できなくて、声を出そうとした瞬間、おでこに手じゃない柔らかな感触が触れた。

手じゃなくて、足はありえないって事は……

ずるずるとタオルが落ちるのと反対に、俺の顔はもうそれこそカイロにでもなったんじゃないの?ってくらい熱くなった。
「あ、あの、さか、えぐち?」
俺はまともに栄口の顔を見れなくて、忙しなく栄口の顔のパーツに視線を走らせた。
多分、栄口もちょっと照れたんだろうと思う。頬がほんのり赤くなる。

「ん?ほら、可愛い犬にはキスとかしたくなるじゃん?」
「か、かわ……?」
「良い仕事をしてくれる犬には、ちゃんと御褒美あげなきゃねぇ」
「ご、御褒美!?」

何それ!!
俺もう大興奮なんだけど!
でも栄口に静かにするように合図されて、俺は口を噤んだ。

またちらっと栄口の視線がどこかに向けられる。
あっちは何があったっけ?
時計?
「あの、さ、栄口!」
「大した物じゃないけど……」

ちょっと図に乗っちゃっても良いかな?
俺、栄口に一番におめでとうを言って貰いたい。
俺のよこしまな想いなんて気付かなくていいから、せめて、ほんの少しだけの御褒美が欲しいよ。

僅かな沈黙の間に、俺は何て言ってそう頼もうかと考えた。
その時、どこかでカチリと何かが鳴った気がした。

「はい、十二時過ぎた。誕生日おめでとう、水谷。俺、お前に出会えて良かったよ」

え?

「お前が生まれてきてくれて、俺、本当に嬉しいよ」

……………………………………これって…………夢?

俺はいつの間にか強く握りこんでいた手に、更に力を込めて、手のひらに食い込んだ爪の痛みに、これが夢や幻で無い事を確認すると、あまりの嬉しさに涙が目に溜まって来た。

うわぁん!反則だよ栄口ぃ!
これって、あの石のお陰?!それとも神様?!

俺は横向きに倒れこみながら、そんな事を思ってた。
「水谷?」
「ゴメン、栄口ぃ……俺今、嬉しすぎて顔見れないよぉ……」

栄口の掛け布団に顔を埋めて、止まらなくなっちゃった涙にほとほと困り果てながら、どんどん激しくなる鼓動に、俺は何にも考えられなくなっちゃった。

動けない俺の肩を、栄口が優しく叩いてくれた後、電気を消して、俺のベッドからおろした布団を、二人の体を覆うように被せてくれた時、俺はもうパニックになってた。

闇に慣れていない目を見開いて、隣に横たわる栄口の体温に、風呂上りでただでさえ高かった俺の体温は、とんでもないところに集中し始める。
だって、俺だって青春真っ只中の16歳よ?
大好きな人を目の前にして、大人しくしていられるような理性は求めないでクダサイ!

俺はなけなしの理性を総動員して、栄口以外の事を考えようとした。
ああもうっ!栄口って実は天然?それとも魔性の人?
誰か俺に答えを教えてよぉっ!






私も知りたいよ文貴!(笑)
石の日に、力のある石を持って願い事を言うと、叶うというのがあるそうです。
何の日か調べていてフラグが立ちました。水谷には是非アメジストを持っていて貰いたいものです。お酒弱そうだし、それ以外の効果も、何だか水谷かなぁ、と。
というか吃驚です。今日ほぼ半日で書き上げちゃいました。ミズサカで拍手下さった方に捧げます。その方だけDLF