je te veux 1

日曜日の午後、練習が始まる前にグラウンドに集まったメンバーは、ただならぬ雰囲気で対峙する主将と四番を見て、眉根を寄せた。
「何があったんだ?」
「さぁ?俺が来た時は、もうこんな感じで、じぃっとにらみ合いしてたから分かんね」
三橋と共にグラウンドに現れ、ベンチで着替え始めた阿部の問い掛けに、既に着替えを終え、ボールを弄んでいた泉が興味無さそうに答えた。
「でも、なんか近寄れないんですけど……」
「だなぁ……花井が切れるのは時々あるけど、田島が真剣に怒ってるのって、初めて見たかも」
阿部と三橋に続いて現れた水谷と巣山も、ベンチに荷物を置いて着替えながら、ぼそぼそと言い交わして、肩越しにベース近くの花井と田島を見遣る。
「そろそろ、誰か仲裁に行かない?」
「無理無理!俺、あんな二人に近寄れないよ」
パーカーの下に着込んでいたアンダーの上に、シャツを羽織った西広の提案に、ぶんぶんと首を振ったのは沖だ。
「さ、栄口君、は?」
三橋の提案に、泉以外の全員が「おお」と声を上げた。が、
「栄口は今日休みだってよ。モモ監に、風邪引いたみたいだからって連絡来たらしい」
という泉の一言に、また暗い空気に包まれた。
「なら無視しかねぇな。なるべく関わるな。それしかねぇだろ」
花井と栄口を欠いた場合の最高権力者である阿部の一言に全員が頷いて、沈鬱な雰囲気のまま、その日の練習が始めるべく、ベンチからのろのろと移動を始めた。



花井は、他のメンバーのそんな雰囲気を感じて、内心申し訳ない思いで溜息を吐きながらも、顔には固い表情を浮かべ、目の前に立つチームの四番であり、普通は男女間で使われる意味合いのお付き合いをしている相手、田島悠一郎十六歳を見つめた。

いつまで経っても理解できないと思う。
入部当初からの付き合いで、中学時代の打順を掻っ攫った相手で、どんな球でも打って、バカでエロで単細胞で小猿のようで、がきんちょのままの高校生で、どこのどいつよりも格好良くて、自分のどこがそんなに良いのか、いつも引っ付いて来て、これでもかというほど、焦がれさせているのに、時折、花井の事をすっかり失念した顔で立ちはだかり、胸の内に憎悪に似た感情を植え付けて、好きだと思う気持ちに爪を立
てさせる。

(何でこんな奴に惚れちまったんだ?俺……)

内心の溜息を現実の物にして、花井は気持ちを入れ替え、目の前の小柄な四番に向かって口を開いた。
「田島、今はここまでだ。練習すっぞ。今日はグラウンド全面使えんだから、ほら……」
そう言って、田島の肩に触れようとした途端、伸ばした左腕を弾かれ、花井は信じられないものを見るような面持ちで、弾かれた自分の手を見た。
「田島……」
自分でも驚くほど、受けた衝撃をそのまま乗せた声に、田島はびくりと肩を震わせ、顔を伏せた。
自分の行動で、このどこまでも敵わない天才を、これ程までに動揺させる事が出来るという、暗い快感に背筋を震わせながら、花井は衝撃から立直ると、もう一度、今度は優しく恋人の名を呼んだ。
「たじ……」
「やめろよ」
常に無い、低く潜められた声に、今度は花井が小さく肩を跳ね上げた。

顔を上げ、見た事の無い強い光を宿した目で花井を射抜いた田島は、何かを言おうとして口を開きかけたが躊躇い、数瞬視線をさ迷わせると、結局何も言わず、握り締めていた拳を更に強く握り込んで、踵を返した。
「やっぱ駄目だ、俺。……今日は帰る」
「田島!」
「今日の俺は使い物になんねぇよ。練習したって怪我の元だ。こんなのがいたら、他の奴に迷惑だろ」
言葉の強い調子に、花井は根負けしてしまい、諦めの溜息を吐いた。するとそれを合図にするかのように、田島は真直ぐにグラウンドの出口に向かって走って行き、金網の扉に激突しそうな勢いで、外へと飛び出していった。

「花井ー?」
水谷が遠巻きに見守っていた集団の中から、遠慮がちに声を掛けてきたのに手を振り上げて応えながら、花井はどうしていいか分からず頭を掻いた。



夕方、暗くなる前にその日の練習を終えた花井は、いつも以上の疲労感に、座り込んだベンチから動けなかった。
他のメンバーが自分を避けるようにして着替えるのを横目で見ながら、花井は今日何度目か分からない深い溜息を吐き出し、がっくりと頭を垂れた。
と、その時、誰かが後頭部を叩き、衝撃で前のめりになった花井は、叩いた人物に怒鳴りつけてやろうと振り返って、犯人の険しい形相に顔を強張らせた。
「あ、べ……」
「気持ち悪ぃ呼び方すんな」
声に出さずに、三橋のようにどもっただけなのに、と考えた瞬間、再び睨みつけられて、花井は固く口を閉ざした。
この有能な捕手は、時折人の心が読めるらしい。

着替えを終えた阿部は、花井の隣に腰を下ろすと、「三橋が着替え終わるまでだ」と言い置いて、視線で話すように促してきた。
なんだかんだと言いながら、相談に乗ってくれる友人に、花井は苦笑しながら礼を言った。
「俺さぁ……結構モテんだな」
「はぁぁっ!?知るか、んなもん!もう話は終りだな」
「待て待て!、問題はこっからなんだから!」
どう切り出すべきか迷った挙句の単刀直入さに、阿部がベンチを蹴散らす勢いで立ち去ろうとするのを、服の端を掴んで何とか押し止めると、花井はなるべく物事を正確に伝えようと、頭の中で整理しながら話した。



今日の発端は、今朝、早目にグラウンドに来ていた花井の元に、一人の先輩が現れた事だった。

自主練をしようと、早くに目が覚めた事もあって、練習開始予定の二時間も前に来ていた花井は、練習着に着替えると、ランニングで体を温めようと、グラウンドの周囲を走り始めた。そうして、汗をかき始めた頃に、ランニングを止めて素振りでも、と思った所で、その人影に気付いた。
ホームの背後に控えているフェンスの向こうで、ことらをじっと見つめている人影は女で、眼鏡を外していた花井は、遠くから目を眇めて見て、相手の正体が分かると、放っておくのもどうかと思い、挨拶だけでもするか、と近付いた。

相手は、部会等でよく顔を合わせる先輩だった。
どこの部活だったかは忘れたが、殆どが三年生で占められている部会の中で、勝手の分からない花井に、何くれとなく世話を焼いてくれた人物だった。

他の部活も幾つか練習の為に登校していた為、その人も部活の為に、わざわざ日曜日に学校に来ていて、偶々一人で練習していた自分を見つけて、声を掛けに来てくれたんだと、暢気な事を考えて近付いた事を、すぐに花井は後悔した。
理由はシンプルだ。

顔を合わせるなり告白された。

本当に唐突に、花井が「おはよ……」と声を出した途端、「好きなの、付き合って欲しい」と切り出された。

この時、フェンスを間に挟んで立っていれば、この後の失態を晒す事は無かったと思う。
だが、先輩相手に失礼かと思った花井は、フェンスを回りこんで先輩の目の前に立ち、それを聞かされる羽目になった。

虚を突かれた花井が、何を言われているのか理解するより早く、先輩は花井のどこが良いとか、ここが好きだとか、自分が花井のことをどう考えているのかを、矢継ぎ早に語り始め、花井が口を挟もうと手を伸ばしかけた時、学校ジャージに身を包んだその先輩は、細い体で花井に抱きつき、僅かに背伸びをすると、花井の唇を奪った。

キスを強奪され、固まってしまった花井に向かって、「返事はいつでも良い」と言い置いて去っていった先輩は、物凄い勢いで走り去って行き、取り残された花井は、呆然とするしかなかった。だが、そうも言っていられない状況になったのはそのすぐ後だった。

田島に見られていたのだ。

「田島!?」

とんでもない所を見られてしまった。
そんな事を考えて、思わず口元を手の甲で拭った花井は、なぜかそこで顔をしかめた田島に、違和感を覚えた。
「どうしたんだ?田島。こんなに早く……」
「何でその場で断らねんだ?」
声に潜められた、初めて田島が見せた負の感情に、花井は背中を微弱な電流でも流れたように感じ、無意識に両手で反対の腕の二の腕を掴んだ。

「何で……って……ただ吃驚して……っつか、俺が口を挟む余裕なんてなかったの、お前も見てたんじゃねぇのか?」
真直ぐにこちらを見つめてくる田島の目を見ていられなくて、花井は視線を逸らした。

そう、ただ驚いていた。
年上の人からの告白は、初めてだった。
今まで、何度か告白された事はあるが、大体は同級生だ。
その中の一件は、今日の告白以上に驚いて、自分の新たな一面を発見する事になった、目の前の人物からの告白だったが、何となく、好きだと言われるのは、もうその告白してきた人物、田島からだけだと考えていた。

よくよく考えれば、間抜けな話だと思ったが、それでもそれくらい、花井は目の前の人物を愛おしいと思っていたし、また、田島も自分の事を本当に好きでいてくれるんだと感じられるくらい、その小柄な全身で自分の気持ちを伝えて来ていた。

だから、キスされたあの一瞬、気持ちが悪いと思った。

すぐにでも相手を突き飛ばしてしまいたくなるのを自制した分、唇が重ね合わされていた時間が長くなってしまって、離された時には、嫌悪の気持ちしか抱けなかった。

「やっぱさ、花井は女の方が良いんだ。だからさっきもてーこーしなかったんだな」
「はぁっ?」
田島の突然の発言に、花井はつい大きな声を上げた。
「だって、花井は男なんだぞ?そんだけの体もあってさ、女一人くらい、嫌だっつって跳ね除けるくらい何でもねぇだろ」
拗ねた子供のような言葉だったが、表情は全く違った。
いつもなら、茶化して来るか、おどけたように笑いながら「花井モテモテ!」とか言って来そうな所なのに、今日は少し青ざめたようにも見える硬い表情の顔は、田島が怯えているようにも見えて、花井はたじろいだ。

今まで目にしてきた田島は、どこまでも子供で、どこまでも格好良かった。
その田島が見せた、嫉妬の表情にぞくぞくする。
だから、少しだけ調子に乗ってみようと思ったのだ。

「あのなぁ、田島。俺も確かに男だ。でもその俺に惚れたのはお前だろ?」

その言葉を聞いた途端、田島がびくりと大きく肩を震わせた。

花井は自分の言葉のどこに、田島がそこまで反応したのか分からず、眉根を寄せた。
「田島?」
問い掛けに何の反応も見せず、ただ地面を睨みつけている様子に、胸の内で色々な感情が混ざり合って、黒々としたものが渦巻き始める。
(これはどう見ても嫉妬だよな?でも、いつもの田島と反応が違うしなぁ……機嫌が悪いのはまぁ分かるけど……っつか、俺に飛びついたり、触りまくったりしねぇ……まさか……まさかっ!ええ……っ?!)
頭に浮かんだ、思いつきたくも無かった考えに、花井は頭を大きく振った。

だが、考え込んでしまった花井を置いて、田島がホームベースに向かって歩き出したのを見て、慌てて後を追い、その肘を掴んでこちらを振り向かせようとした。しかし、強い力でそれを振り払われた瞬間、先程浮かんだ嫌な考え、「田島に飽きられたのでは?」という思考は脳裏にこびりつき、嫉妬と感じていたものが嫌悪へと形を変え、口を突いて出ようとしていた言葉を飲み込ませた。
「何だよ花井」
硬い、聞いた事も無い無機質な声に、考え付いてしまった事を裏付けられてしまったようで、頭が白熱し、何も考えられなくなる。

何とか言わなければならない。
考え至ってしまった不安を解消する為に。
だけど、それを決定的なものとして言われてしまったら?
そう思っただけで、足元が崩壊し、暗く深い穴にどこまでも落ちていきそうになる。

冷たい汗が噴き出してきて、花井は口を開けなかった。

だが、その時、強い不安と同時に、微かな怒りも浮かび上がってきている事に気付いて、花井は内心首を傾げた。
何に対しての怒りなのか分からないまま、睨み合いになってしまい、結局田島が何に対して気分を害しているのか分からないまま、物別れになってしまった。



「…………うぜぇ…………」
地の底を這うような声に我に返ると、不機嫌を隠そうともしない阿部が、花井を横目で見ていた。
見ればその横には寝入ってしまった三橋が、阿部のジャンパーを肩に掛け、阿部に凭れ掛っている。
おまけに他のメンバーは誰も残っていないし、月は記憶にあるよりもかなり動いた場所にある。

「うぁっ……ご、ごめん……」
「俺に謝るくらいなら、田島とちゃんと話して来い。鬱陶しい。やっぱただの痴話げんかじゃねぇか」
こめかみに青筋を浮かべた阿部は、三橋を揺り起こすとそう苛々と呟き、まだかなり寝惚けている三橋と共に立ち上がった。
「自惚れてんなよ」
「は?」
ポツリと呟かれた言葉を聞き返すと、阿部は呆れた様子で深く溜息を吐いた。
「田島も意外と苦労してんだな」

溜息の白い呼気が消えていくのを見ながら、花井は阿部の言葉を頭の中で何度も繰り返し、幸せそうに寄り添うチームメイト二人の背中を、微かな嫉妬を持って見送った





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ちょっと長くなりそうです。
次は田島様ターン。
タイトルはジュ トゥ ヴー。フランス語ですv知ってる人は知っている漫画から。って、私漫画原典のタイトル多いな……