je te veux 5




田島の吐瀉物を受け止めて汚れた服を脱がされ、そのまま風呂に入るように田島の義姉から指示されて大人しく従った花井は、着替えにと貸してもらった田島の兄の服一式を着込むと、居間に居る田島の一番上の兄と義姉、そして姉二人に声を掛けると、そのまま田島の部屋へと上がっていった。

灯りが点けられたままの部屋には石油ストーブが持ち込まれ、その上に乗せられた薬缶から湯気が上がっている横、ベッドにうつ伏せに横たわり、額に解熱シートを貼った顔をこちらに向けている田島の顔色は、まだ大分青かった。

田島が吐き始めた途端、二人のただならぬ雰囲気に、喧嘩になった場合を考えて扉の向こうで待機していたらしい義姉と兄が飛び込んできて、二人は引き離され、花井は風呂に連行、田島は後始末と着替えを済ませた後ベッドに寝かされたらしい。
先程覗いた居間では、多分胃腸風邪だろうから心配無いと言われたが、それでもやはり、昼間の事も多少は負担になったのだろうと思えて、花井は情けなくて眉尻を下げた。

「田島」
呼び掛けると、閉じ合わされた瞼がぴくりと反応するが、開かれる事は無く、花井は小さく息を吐くと、田島のベッドサイドの床面に座り込み、彼の顔を覗き込んだ。
多分狸寝入りなんだろうなと分かってはいたが、無理やり起こすことはせず、花井は膝立ちになるとおもむろに顔を寄せ、乾いた田島の唇に自分の唇を宛がった。

一、二度、軽く触れさせるだけの口付けの後、あまりに乾いた唇が痛々しくて、いつもなら田島がするのだが、自分の舌で、相手の唇を湿した。
慣れない行為に、首筋から熱が昇ってくるのを自覚しながら顔を離すと、さっきまで閉じていた大きな目を、これでもかというほど見開いた田島と視線がかち合い、花井は思わず声を上げて体を離した。

「な、何見てんだよっ!」
「今の、何?」
目は見開いたまま、まんじりともせず花井を見つめる田島の視線に、花井は動揺を隠し切れず、右の拳で口元を隠しながら、顔を真っ赤に茹で上げた。
「キ、……キス……以外に、今のに、どんな名前があるんだよ……」
あまりの恥ずかしさに途切れ途切れに、勢いもあったり無かったりでそう言うと、田島はベッドの上に腕を突っ張って上体を起こした。
「じゃあ、何で俺にそんな事すんの?」

花井は田島のその言葉に顔を強張らせた。
「何でそんな事聞くんだよ」
「何ででも。俺はいつも、花井の事が好きだからするけど、花井は?あの先輩とだってしてたし」
「あれは!」
昼間の感触が思い出されて、花井は無意識に隠す為にかざしていた拳で口元を拭った。
「あの時は、不意を突かれたから逃げられなかっただけで……先輩には悪いけど、気持ち悪かった」
言いながら、田島の目に白球を追いかけている時のような強い力が戻った事に気付いて、花井は思わず見惚れた。

「俺は、お前が好きだ」



零れ落ちたという表現が一番しっくりくるだろう。
本当に何の気なしに、自分で呟いた事すら現実なのかどうか分からない程の容易さで、花井は田島に向かって言った。
だが、田島は何を言われたのか理解できていないかのように、最初は顔色を全く変えなかった。しかし、徐々に目の色が変わり、喜びに尻尾をぶんぶん振る成犬、不安に揺れる子犬、獰猛な獣と様々に印象を変える光を乗せた。

花井はかざしていた手を下ろすと、田島の目に見惚れたまま、奥深くに見える不安を拭ってやろうと、座り込んだ姿勢を正した。
「田島は、俺の事好きなのか?」
「だから言ってんじゃん!好きだからキスするって!」
噛み付くような言葉に、心臓が高鳴った。

「よかった。俺、今日お前に飽きられたのか、とか、嫌われたのかとか、いろいろ考えちまった」
ぎこちなく笑った途端、いつの間にか溜まっていた涙が一粒零れた。
「俺が、お前の事を好きだっていう気持ちを、疑わないでくれ」

零れた涙を追う様に瞼を伏せると、昼間感じた微かな怒りが、胸の中の喜びに払拭された。
玄関前で田島の目を見た時に感じた不安と、自分の中にあった不安は、きっと同じ物なのだろうと感じた。
お互いがお互いを欲していながら、相手に向ける複雑に絡み合った感情や、同性同士という負い目のような後ろめたさに、自分は二の足を踏み、言葉で、行動で、気持ちを伝える事を怠った。
阿部が言ったように、田島がいつも好きだと言ってくれているから、と自惚れて──

そうして、田島の言葉と行動に甘えている間に、彼がどれ程苦しい思いをしてくれていたのか、今日の事で良く分かった。
もう二度と、大事な田島に負担をかけるような事はするまいと固く誓いながら、花井はじっと黙ったままこちらを見ている田島に向かって身を乗り出し、再びゆっくりと顔を近づけた。

「はない……」
呆けたような声が、間近で鼓膜を震わせる。
「目ぇ閉じろよ」
半眼で田島の目を見る。
いつものきらきらとした光の中に、困惑が覗く。

「オレさっき吐いちゃったのに」
「……うがいしただろ。気にすんな。俺は気にし無ぇ」
言いながら、余りの恥ずかしさに再び頬が熱くなるのを感じた。
けれど、田島はそんな事など気付く気配も無く、豆鉄砲を食らったかのように驚いた後、にかっと笑った。
「花井、男前だな!」
言うが早いか、自分から仕掛けるつもりで寄せた唇に田島のそれも迫ってきて、互いの歯がかちりと鳴った。
まるで試合開始のゴングのようなそれを合図に、二人は互いを喰らい尽くさんばかりの勢いで貪った。



これほどまでに熱いキスを交わすのは初めてではないだろうかと、頭の片隅でちらりと考えたのが最後だった。
せめぎ合う様に互いの口腔を蹂躙し、舌を絡ませ、吸い、歯列をなぞる。
お互い負けず嫌いである為か、どちらのものともつかない唾液を飲み下しながら、次第に息を弾ませ始めても、唇を離すことが躊躇われた。

だが、不意に田島が名残惜しそうにしながらも離れ、花井は乱れた呼吸の為に肩で息をしながら、興奮で潤んでしまった目で、田島を見上げた。
「たじ、ま?」
まだ欲しかったのに、と思いながら、次第に冷静さを取り戻してきた頭は何を考えている!と叱咤してきて、花井は反応していた自身に気付くや、またもや頭を茹で上げて顔を伏せた。
「花井」
その反応を面白がるような田島の声が降って来て、頬にかさついた固い手が添えられるや顔を上げさせられて、再び音を立てて唇に吸い付かれた。
けれどすぐに離れたそれを追う様に田島を見ると、今まで見た事の無い顔をした彼が、目を細めた。
「凄っげぇ名残おしーけど、花井に風邪移しちゃ駄目だかんな、ここまでにしとく」

何やら風格のようなものを漂わせた田島に、花井の心臓が鳴った。
「……もう手遅れなんじゃねぇの?」
風邪の感染経路は空気感染と飛沫感染だった筈、と考えて、これだけくっついて、しかも興奮するような熱烈なキスを繰り返していた以上、もうとっくにウイルスは活動を始めているだろう。
明日は放課後の練習だけだ。今日は薬を飲んでゆっくり寝てしまえば、大丈夫だろうと考えて、花井は鼻を鳴らして笑った。
「お前の風邪、俺が引き受けて治してやろうか?」

言われた田島は驚いた顔をしたかと思うと、拗ねたように口を捻じ曲げて、珍しく顔を赤くした。
「煽んなよ!俺、花井に飢えてたんだぞ?そんな事言われたら食いたくなっちまう!」
「俺は食い物じゃねぇ!」
強く求められる喜びに一瞬詰まってから、笑顔を浮かべて花井は声を上げた。

今の自分に自信等というものは持てないが、こんな自分を欲しいと言ってくれる、憧れて、嫉妬して、愛して止まない存在を得られた事がとても幸せで、嬉しかった。
たとえこの先、望まぬ決断を迫られても乗り越えられる。
そんな、胸の内を鋭く切り裂く思いに、目尻に涙を浮かべながら、笑いの為に浮かんだものだと誤魔化せるように、声を上げて笑った。
田島も、昼間の出来事など嘘のようなやり取りと、花井の笑いにつられるようにして笑った。

「田島」
ひとしきり笑いあった後、花井は田島の首に右腕を回して引き寄せると、先程の仕返しとばかりに薄い唇に口付けた。
「今日はもう帰る。だから無理だけど……」
とっくに田島という存在に絡め取られ、彼との日々の積み重ねで、心も体も形成されているように感じるほど溺れている。けれど、まだ欲しい。まだ足りない。

ほんの数ミリ動かせば、再び口付ける事が出来る場所で、花井は素直な気持ちを吐露した。
「いつか、俺を食ってくれよ?」
半分ほど伏せていた目を開け、田島の大きな目を真近で見据えながら言い終えると、急に恥ずかしくなって、花井は勢い込んで体を離すと、荷物と一緒に、置いていたダウンベストと帽子を引っ掴み、面食らったような顔の田島に声をかける余裕も無く、部屋を後にした。

居間を覗いて、一人だけ居残っていた田島の兄に失礼すると声を掛けると、花井は深夜に近い時間になって、更に冷え込んだように感じる外の空気にの冷たさに、自分の体を抱きしめるように掻き抱いた。
空を見上げると、満月の光に霞むように輝く星がそれでも光を放っている。

いずれ、田島がなるであろうものと同じ名前。
そうなった時、側に居られない辛さに、今日のように涙を流す事になるのか?と自嘲気味に考えながら、置き去りにしていた自転車に向かうと、サドルに跨り、勢い良く自転車を漕ぎ出した。

満たされて切ない。
きっと朝には幾らか薄らいでしまう幸せと痛みに浸りながら、目元と頬、そして耳を、触れれば切れそうな冷気に晒して、赤くなったそれらを家族に見咎められた時の言い訳になるように仕向けながら、花井は全力で自転車を漕ぎ続けた。




翌日、授業を終えて部室で練習着に着替えている最中、何やら視線を感じて背後を振り返ると、珍しく肩を並べて着替えている阿部と水谷が、視線はやや下の方を向いているが、こちらをじっと見ていた。
「……何?何か付いてんのか?」
「え?あ、ううん。何でもないよ。ただ、花井っていつもボクサーだったよなぁとか思って」
既にズボンを履いているが、そこから僅かに覗いた下着は、確かにいつものボクサーパンツではなく、昨日田島の家で貰ってしまったトランクスだ。

「お前等何?俺の下着がどうしたってんだ?」
「何でもねぇよ。それよりお前、昨日ちゃんと田島と話したのか?」
視線を泳がせた水谷ではなく、阿部が話を逸らし、問い掛けてきた事に首を傾げながらも、昨日心配をかけた事を思い出して頷いた。
「昨日、あれから田島ん家行って来た。迷惑掛けて悪かったな」
「ふーん……成る程ね、だからか」
鼻を鳴らし、何かを納得したらしい阿部に、更に首を傾げる。
「何だよ一体?」
「ねぇねぇ、やっぱさ……」
「多分そうだろ。篠岡に赤飯頼んでやるか?」

急に小声でひそひそと話し始めた二人に、他の部員がまだ来ていないこともあって、疎外感を感じつつ頭を捻っていると、何やら興味津々といった様子の水谷が振り返った。
「ね、田島と花井、どっちが上?」
「はぁ?一体なんの……」
全然訳が分からず問い返した途端、二人から放たれたキーワードが繋がって、花井は呆れるやら恥ずかしいやらで、全身を瞬時に真っ赤に染め上げた。

「あ、アホかーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」

大絶叫一声。
まくし立てるように阿部と水谷に食ってかかりながら、花井は昨日の自分の決意に一つ訂正を入れなければと心に誓っていた。
田島の為にならどんな事でも耐えられると思っていたが、こんな羞恥プレイだけは二度とごめんだ、と──







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とりあえず一段落?
まだ短い田島様ターンを書こうかと思います。もうちょっと待って下さいね。しつこいかな……