可愛い人

薄暗いグラウンド隅の用具室の建物の陰、そこに二人の人影が入り込んだのを、栄口は見逃さなかった。

練習を終え、コンビニに行く為に部室を出た栄口は、他のメンバーに向かって先に行くように言い置くと、用具室に向かって走り出した。
グラウンド側からは死角になるそこは、時々部員以外でも逢瀬の場所としているところだが、この寒い年の瀬も近い時期の、しかも夜にあんな場所に入り込む者はまずいないだろう。
いるとすれば、それは──

「そんなトコで何やってんの?」

用具室と周囲の植え込みの僅かな隙間、張り出した常緑樹の枝で外からも見えにくいそこには、先に部室を出たはずの二人、阿部と三橋の二人が、男同士にしては親密すぎる距離で向かい合っていた。
「栄口……」
「さ、栄口、君?」
二人とも何をしていたのか、練習が終わってもう大分経つというのに頬を上気させ、呼吸を乱している。
それを見てしまっても、動揺するどころか頭が痛くなるだけになってしまった自分に涙が出そうになりながら、栄口は、三橋にはいつもの笑顔、阿部にはコブラツイストをくれてやった。
「三橋、今日はもう寒いから帰ろうか。コンビニで豚まん奢ってやるよ」
「ほんと!」
「み、みは……」
コブラツイストから開放されたものの、次は首に回された腕を締められ、頚動脈を極められた阿部は、大好きな豚まんを奢ってもらえることに目を輝かせた三橋に向かって手を伸ばしたが、届く前に、それは力なく垂れ下がった。



阿部と三橋の二人が、男同士でありながら付き合い始めたのは12月の11日、阿部の誕生日の日からだった。
最初の出会いを記憶している者にとっては、それはありえないだろうと思う現実だったが、夏の大会を終え、秋の大会を過ごし、バッテリーとして少しづつ親密になっていった二人は、いつしか友情を超えた感情をお互いに抱くようになったらしい。
そして、泉の立てた計画の下、二人は無事お互いの意志を伝え合い、付き合うようになったのだが、そこから阿部の暴走が始まった。

それまで耐えて溜めていたからか、休憩時間や練習の合間を縫うように、やたらと三橋と二人でいるようになったのだ。
ただ一緒に居るだけなら良い。
二人がバッテリーを組んでいるのは誰もが知っている事だし、阿部と三橋だけでなく、花井と田島や、栄口自身、水谷や他のメンバーと二人だけで話しこむこともある。
けれど、阿部の場合は違う。

人気の無い場所に三橋を連れて行こうとすることはもちろん、時には図書室の専門書コーナーの陰、この時期には人の近寄らない、屋上に続く階段の踊り場、どこで鍵を手に入れたのか、各教科の資料室や体育館倉庫など、普通は男が彼女を連れ込む場所へと三橋を連れ込もうとするのだ。

そう、阿部は学校で三橋といちゃつきたいらしいのだ。

クリスマスイブの日、泉の発案で三橋の家で野球部のメンバーでクリスマスパーティーをやった時もそうだった、と思い出して、栄口は頭痛を覚える。

その日、三橋の両親が二人とも不在なのをいい事に、阿部は三橋の家に泊まり、いわゆるコトに及ぼうとしたらしい。
何だか嫌な予感がした栄口が、水谷を引き連れて三橋の部屋に戻ってみると、案の定三橋を組み敷いた阿部が居て、エースの貞操を守るべく阿部と水谷と共に泊まる事を宣言した栄口に、邪魔だといわんばかりの視線を向けてきたが、三橋の見ていないところでシャイニングウィザードをかまして黙らせた。

その日以来、栄口はこうして目を光らせているのだが、その目をかいくぐって三橋を攫って行く阿部に、そろそろ引導を渡したくて仕方がなくなっていた。
「栄、口君?」
「あ、何?三橋」
コンビニのレジ前で、先程奢ると約束した肉まんを物色していた三橋が、不思議そうな顔でこちらを覗きこんで来ていることに気付いて、栄口は思考の渦から脱出した。

落ちた阿部はそのまま放置してきたため、今は二人だけでここにいるのだ。数少ないチャンスなのだから、今を楽しまなくてはならない。
「何でもないよ。ちょっと冬休みの宿題の事考えてたんだ。三橋はやってる?」
「う、ま、まだ、ぜんぜん……」
案の定の答えを返してきた三橋に笑いかけながら、栄口は安心させるように左の肩を叩いた。
投手の大事な右肩は触れない。
阿部も、三橋を大事にしているかもしれないが、栄口も阿部と同じ気持ちで三橋の事を大事にしたい。

「じゃあ、また皆で集まって宿題やらないか言ってみようか。三橋の家で集まっても良いかな?」
「うん!う、ウチは、いつでも良い、よ!」
満面の笑みを浮かべて言ってくれた三橋に、栄口は胸の辺りがほんのりと温かくなるのを感じて、無意識に胸に手を当てていた。

この胸のうちに秘めている思いは、告げる事などもう出来ない。
三橋が阿部を選んでしまった以上、自分の気持ちを伝えたところで、この可愛い人はきっと混乱してしまう。
それがもし野球にも影響してしまったら、と考えると、それはとても辛くて寂しい。
普段の三橋も好きだが、野球をしている時の三橋の姿も大好きなのだ。

様々な種類のある中華まんの中から、ようやく欲しい種類を決めた三橋が、遠慮がちに指し示したものを注文し、レジ前に立っていると、入り口のセンサーが反応して、店に誰か客が入ってきた事を知らせるチャイムが鳴った。
その途端、栄口の背筋に悪寒が走り、急いで振り返ったが、その客は入り口脇の陳列棚に隠れてしまったらしく、姿を確認する事は出来なかった。

嫌な予感に顔を強張らせながら、栄口は店員から渡された中華まんを三橋に手渡し、店の外に誘った。
もう復活したのか……と、心で殺意を抱えながら、阿部以外のメンバーに菩薩の笑み、と呼ばれる微笑を浮かべると、栄口は隣を歩く三橋を振り返った。
「あ、ゴメン、三橋。俺も買うものあったのに忘れてた。すぐ済むから、自転車の所で待っててくれる?そのうち阿部も来るかも知れないからさ」
「うん、分かった」
手に持つ中華まんに集中している三橋がそう答えるのを確認して踵を返すと、栄口は店の中に舞い戻った。

「いらっしゃいませー」
店員のやる気の無い声を無視して、忙しなく店内に視線を走らせると、入り口の一番手前の陳列棚の向こう側、絆創膏や、マスクといったものが並べられている辺りに、その標的は座り込んでいた。
そして、二つの箱を手に取り、それらを見比べながら何かをぶつぶつと呟いているのを見て、栄口の頭の血管が切れた。

「おーまーえーはーっ!」

普段の栄口を知るものなら、信じられないものを見た衝撃で全てを忘れそうな形相で標的、阿部に向かって突進した栄口は、こちらに気付いて立ち上がりかけた阿部の首めがけて伸ばした左腕をヒットさせ、その勢いのまま床面に叩きつける、ジャンピングネックブリーカードロップを見事に決め、倒れた阿部を見下ろした。

「学校近くでそんなモン買うな!」
背負っていたバックパックのお陰で後頭部を割られずには済んだものの、再び意識をどこか遠くに飛ばしてしまった阿部には、もう聞こえていなかった。

それでも鼻息荒く、満足した栄口は店員の呆然とした様子も気に留めず、そのまま店の外に出ると、栄口の言った通りに自転車の側で待っていた三橋に声を掛けてから近寄った。
「ゴメンゴメン、お待たせ」
「うう、ん。俺は平気。阿部君、は、まだなんだ」
すでに中華まんを食べ終わっていた三橋は、そう言って栄口の方を振り返った。
「そっかぁ。ま、大丈夫だよ。あいつ頑丈だからね」
三橋を安心させるために言いながら、心の内では「害虫よりも性質が悪いほどに」と付け加えて、栄口は自転車に手を掛けた。

「それじゃあ三橋、そろそろ帰ろうか。寒いし、阿部だって、三橋が風邪を引いたら心配するからね」
「うん。そう、だね」
阿部がまだ来ていないと思っているのだろう、後ろ髪を引かれる思いをありありと浮かべた三橋に、少しだけ悪い事をしたかな、と思いつつ、栄口は笑った。
「三橋は優しいな」
「ふへ?」
「何でも無いよ。さ、帰ろ帰ろ」

栄口が自転車に跨ると、三橋もそれに続き、栄口は夫々の家に帰るための分かれ道までの間、穏やかな幸せに浸った。




だから彼は知らない。
栄口と分かれて暫くしてから、三橋が大急ぎで来た道を戻った事を。



「阿部君?だい、丈夫?」
「んー……ちょっと大丈夫じゃねぇかも。段々容赦なくなってきたな……」
コンビニで購入したロックアイスの袋を後頭部に当てて阿部がそう呟くと、三橋が申し訳無さそうな顔で俯く。
「やっぱり、俺、栄口君に……」
「そんな顔すんな、三橋。俺ぁこんくらい何とも無ぇよ」
三橋の赤くなった頬を抓みながら、阿部は口元を緩めた。

この可愛い恋人は知らないが、栄口が三橋に対してそういう想いを寄せている事を、阿部は知っていた。
その上で、栄口が止めに来る事を良しとしているのはサービスでもなんでもなく、単にこうして三橋が自分の事を一所懸命心配する顔を拝む事が出来るからだった。

「まだまだ甘いんだよ、栄口」
「へ?」
「何でもありません」
しれっと言い放ちながら、阿部は目の前の心配そうな三橋の顔を、心行くまで堪能した。






ニダコ様1000キリ番リクエスト。三橋を巡る、阿部vs黒栄口。ドタバタで。
こんなものが出来ましたが……どうなんでしょう?栄口黒い……かな?というか、ただのプロレスラーのような気も(笑)
いつかリベンジしたいです。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした!