lily yarn




とある晴れた日曜日。
本当は秋大に向けて練習があったんだけど、モモ監の急用で無くなった。
そう連絡した途端、浜田がジュースとアイスの手土産片手に、家に遊びに来た。

「よっ!いーずみ。遊びに来た」
「……」
満面の笑みを浮かべて、門前で手を上げた浜田に向かって、俺は呆れた顔をして見せた。
電話したのはほんの十五分程前だ。なのに、まだ残暑厳しいこの時期に、汗だくになり、肩で息をしているこいつは犬か?

「あら、浜田君いらっしゃい」
「あ、こんちわおばさん。出掛けんスか?」
俺の背後から現れたおふくろに、浜田は頭を小さく下げて声を掛けた。
「うんそうなの。浜田君が来るなら言っときなさいよ孝介」
浜田に向かってにこやかに答えた後、俺に向かっては不満そうに言ったおふくろは、
「昼はピザでも取りなさい」と、「夜には戻るから」と言い置いてさっさと出掛ける為、車に向かってしまった。

四月の再会からこっち、浜田は家にもよく来るようになったため、家族全員が顔見知り状態になっていて、今や何の警戒もされていない。
「あ、そうそう」
車のドアノブに手を掛けたおふくろが、何かに気付いて声を上げた。
門扉を潜った浜田と、出迎えた俺が二人で振り返ると、おふくろはにこやかにこうのたまわってくれた。
「夜まで誰も帰らないから、出掛けるなら鍵だけお願いね」

……おかあさま、孝介は狼を家に入れてしまったかもしれませんヨ。

俺の内心の葛藤なんか、全然気付いてない浜田は、のんびり手を振っておふくろの車を見送った。



狭い一戸建ての二階、兄貴の部屋と物置になってる部屋、そして俺の部屋しかないそこへ、案内するまでもなく上がっていく背中を見ながら、俺は絶対気温の所為じゃない汗と、心拍数の上昇にあせった。
今まで浜田が家に遊びに来てた時は、必ず誰かがいて、何となく安心してたけど、俺と浜田二人だけで家に居るこの状況に、俺の頭は冷静になる事が出来なかった。

「おっ邪魔っしまーす」
いつもの調子で俺の部屋のドアを開けた浜田は、すっかり定位置になった、ドア脇に置いている、でかいビーズクッションに腰を下ろして、持ってきたコンビニ袋の中のアイスを一つ、俺に向かって差し出した。

「ほい、こっち泉の」
「……サンキューってか、買い物してきたのなら早過ぎね?電話してから15分しか経ってねぇし」
差し出された棒アイスを受け取り、さっき疑問に思った事を尋ねると、浜田は一瞬言葉に詰まった。そして、少しだけ恨めしそうに、傍らに立っていた俺の顔を見上げた。

「泉ー。数少ない二人だけでいられる時間だぜ?俺だって舞い上がっちゃうっての。ま、髪伸びて来たし、切りに行こうと思って家出た瞬間くらいだったから、タイミング良かったんだけどな」
そう言って、自分の分のアイスを取り出した浜田は笑った。

それが凄ぇ嬉しかった。
別に呼び出したりした訳じゃない。
ただ、練習が休みになったって、報告しただけで、会いたいとか言ってない。それなのに、自分の予定を変更してまで会いに来てくれた事が、たまらなく俺の心を締め付けて、警戒心の鎖を溶かした。
「……さんきゅ……」

アイスを袋から出しながら、ポツリと、自分でも声に出してんのかどうか怪しいくらいの小さな声で呟くと、顔が一気に熱くなった。
「うおっ、泉、どうした?顔真っ赤だぞ?」

この鈍感野郎。んなこと突っ込むな!

「うっせぇな、何でも無ぇよ!」
俺は貰ったアイスに噛り付くと、少し溶けかけていたそれを一気に半分以上食っちまって、頭が痛くなった。
「んなに慌てて食わなくても溶けねぇぞ?」
「うるひゃい」
顔をしかめて、アイスを口に咥えたまま言うと、浜田は困ったような笑顔を浮かべた。
ああ、素直になれないこの口が憎らしい。

「……それにしても、確かに髪伸びたな」
浜田の頭に目をやると、前髪が目の中に入りそうになっているし、全体的にも、頭の大きさが二割増しくらいに見える。
「俺が切ってやろうか?髪の毛」
「えっ?!」
冗談めかして言った言葉に、物凄く嫌そうな反応を示した浜田に、俺はちょっとした嗜虐心を刺激された。

「食ったら風呂場行こうぜ。どっかにビニール風呂敷あったよな」
「えぇ?ウッソ!マジでやる気?」
「梳きバサミも確か──」
「いずみー!」
アイス片手に俺に縋りついてくる浜田に、俺は悪魔の微笑みを浮かべた。



「おぉーっ!結構上手いもんじゃん!」
浴室の大きな鏡の前、台所から持ち出してきた椅子に座り、ビニール風呂敷を首に巻いた浜田は、鏡に向かって声を上げた。
「こら、あんま動くな!ばっさり行くぞ」
「器用なもんだなぁ」
俺の警告なんか聞こえてない感じで浜田は呟き、鏡の中をじっと覗き込んだ。

「梳きバサミで梳くくらい、慣れりゃ自分でもできるぜ?俺も時間無い時とか、時々やってる」
「いやぁ、でもやっぱ泉は上手いと思うよ?」
鏡に目をやった俺と、鏡越しに視線を交えた浜田は、そう言ってまた笑った。
「泉と付き合って得した事の一つだな」

ああっもう!手元が狂ってもしらねぇぞ!

「ばぁか。それよりほら、後ろ。こんな感じで良いか?」
俺は用意していた手鏡を持って、浜田の襟足が風呂場の鏡に映るように調整してやって見せた。
「おお、サンキュ!良い感じじゃん。さすが泉!」
本当に関心している様子に、俺はちょっと嬉しくなった。

いつも、俺が浜田にしてやってる事は少ない。
言葉にする事も苦手だし、学校でなんかくっついてられる訳無い。
かといって、放課後とか試験期間、練習が休みの日でも、一緒に居られる時間は少ないし、場所も無い。
なのに、俺と居る事を選んでくれた浜田の優しさが、少しでも返せたら……

「泉」
「え?」
考え事をしながら、ビニール風呂敷の結び目を解いていた俺は、弾かれたみたいに顔を上げた。
いつもの調子とは少し違う、二人だけの時にだけ聞ける声に、心臓が跳ねる。

「ごめん。ついでにシャワー、借りちゃっても良い?」
「……んあ。良いよ……」
解いたビニール風呂敷を翻して、付いていた髪を払い落とした浜田は、その大きな手で髪の毛を梳きながら言って、俺の呆れた顔には気付かなかった。

俺の純情返しやがれ!




カットした髪を掃除し、バスタオルと着替えを用意してやって、散髪道具を片付けた後、部屋に戻った俺は、何だかぐったりしてしまって、ベッドに倒れこむようにして突っ伏した。
慣れない事はするもんじゃねぇ。
今になって震え始めた手を見て、俺は小さく溜息を吐いた。

最初はホントにただの悪戯心だったのに、いざ鋏を手にすると緊張した。
あのメントレのお陰か、試合ではあんまり緊張しなくなってたから、久しぶりの感覚に、体が固くなった。それでも、自分が言い出した事だし、浜田の髪に触れる機会なんて無かったからやりたかった。それに、自分の一部を任せてくれた浜田の信頼が嬉しくて、髪を切りながら、何度もキスを落としたくなって、自重するのが大変だった。

いつの間になんだろう。

いつの間に、こんなにも人を愛おしいと思うようになったんだろう。

確かに、昔から浜田の事は好きだった。でも、お互いの気持ちを確認しあって、一緒に居る時間が、お互いに触れる時間が増えた今は、あの頃とは想いの質が違うような気がする。
昔の、それこそ自分の体と心を焦がすような想いとは異質な、でも、確かな質量を持って心と体を満たすような感覚は、俺を安心させもするし、不安にもさせる。
そして、その全ての理由は、浜田に帰結する。

どれだけ辛い練習の後でも、負け試合の後でも、でかいミスをした後でも、浜田に会えたらそれだけで嬉しくなって、嫌な記憶が吹き飛ぶ。。
浜田がどっかの女に呼び出されたと聞いたら、俺のだと叫んで取り返したくなるけど、絶対にそんな事を大っぴらにはしないし、出来ない。そして、そのジレンマを浜田にぶつけて、自己嫌悪に陥った俺を、慰める浜田の優しさに涙が出そうになる。

テレビで見てると、世の中の女も御同様らしいけど、男同士の俺達には、倍増しくらいのダメージのような気がする。

そんな事を色々と考えているうちに、俺はうとうとし始め、浅い眠りに入っていった。
そして、本格的に意識を失いかけたところで、首裏に何かが触れた感覚に、閉じていた目を開けた。
「起こしたか?」
いつの間にか部屋まで来ていた浜田が、囁くように訊いてきた。
「……んにゃ、まだ寝てない」
「疲れてたんだな。悪かったな、急に来たりして」
まだ乾ききっていない髪がオールバックになっていて、それが迫って来たと思ったら、今度はこめかみに音を立ててキスをされた。
「今日はありがとな。俺、帰るわ」

「……馬鹿」

俺はそう言うと、仰向けになって、浜田の頭を手繰り寄せ、肩口で抱え込んだ。
中腰で俺を覗き込んでいた浜田は、変な声を出しながら倒れこみ、俺の体の上にのしかかる形になった。
「いず……」
名前を呼びきられる前に、俺は口元に来ていた浜田の額に口付けた。
それから腕の力を緩めて、届く限りのところにキスの雨を降らせる。

後になって、自分の大胆さに顔から火がでるんじゃないかと思う程、恥ずかしくてたまらなかったけど、この時の半分寝ぼけていた俺は、帰ると言い出した浜田を、何とか引き止めたいという思いだけで一杯だった。
最初は、何か抵抗するような声を出していた浜田だったけど、気が付けば、主導権は浜田に移っていて、俺に負担がかからないように体をずらすと、今度は俺の顔や頭に、これでもかと言うほどキスして、お互いあちこちに唇で触れた後、最後には唇に落ち着いた。

散々弄られ、貪られ、頭の中がとろとろのスープにでもなったみたいに、浜田とのキスに集中していると、不意に唇が解放され、俺は閉じていた目を開けた。
「浜田?」
「……好きだ。またいつか、髪切ってくれる?」
告白の言葉の中に、少し不満が滲んでるように思えて、俺は口元を撓めた。
うん。俺もわかる。
好きじゃ伝えきれないんだけど、それを上手く言葉に出来るほど、俺達は年を重ねてない。だから、本当は凄く厚みのある言葉なのに、薄っぺらに聞こえてしまう。



だから。



だから、いつかそれを上手く伝えられるようになるまで、一緒に居られるように、小さな約束を幾つも重ねて、編み上げていこう。

「俺、美容師免許取らなきゃな」
俺の言葉に、浜田は訝しげな顔をした。
浜田の首に回した手に力を込め、その頬にそっとキスすると、喉の奥で小さく笑った。
「知らねぇの?免許持たずに髪の毛切ると、傷害罪で捕まっちまうんだぜ?」
抱きしめた浜田の首筋が、一気に赤味を増すのに充足感を覚えながら、俺はまた瞼を閉じ、自分にのしかかる大切な人の重みに酔いしれた。






昔、学校の寮に居た時は時々居ました。友達に髪を切ってもらっている運動部員が。
みんなそれこそドロドロになるまで練習して帰って来てなので、偶の休みにしかカットに行けないのに、原則短髪の体育科の子が多かったので、洗面所とかでやってました。けど、なぜかバスケ部員は長髪OKだったので、理由を聞いてみたら「顧問がなびく髪が好きだから」との事だった。そんな母校はオリンピック選手が出たりしている女子高だ。セクハラ!
でも、なんだか赤頭巾泉君は書いてて楽しかったなぁ……浜ちゃんの誕生日に間に合わなかったけどねv
この話は某私的神サイト様のパロ漫画でフラグが立った話。