真夏のセーロス





プール。



そこは夏の暑さを忘れさせてくれる、オアシスの一つ。



プール。



そこは時に怪談の舞台にもなる、ひとときの涼を与えてくれる場所。



プール。





そこは、時に誰かの絶叫が響く場所。

「たじまぁっっ!三橋に触んなぁっ!」
「うっせーなー阿部は!」
「構うな田島。怪我なんかするほうがワリィんだ」
一人、学校のプールサイドに置かれたパラソルの下で絶叫する阿部を見て、プールを満喫していた田島と泉は、間に挟んだ廉の肩に手を回した。
それを見た阿部が、ギリギリと歯軋りをして立ち上がろうとしたのを見て、廉は慌てて声を上げた。
「動いちゃ、駄目、だよ!」
廉が必死にそう声を上げるのを聞いて、阿部は一瞬固まった後、不満一杯という妖気を漂わせながら、折り畳み椅子の上に腰を下ろした。
「すげぇなぁ……ホントに三橋の一言で座ったよ……」
廉の背後に現れた浜田は、目の上に手をかざし、心底感心したように呟いた。



去年に引き続き、夏の大会で好成績を残した野球部に、学校側から半日だけプールの特別使用許可が出た。
モモカンの許可も下り、今日は志賀の監視の元、プールで自由に遊ぶ事が許されて、野球部メンバーと、それに便乗した応援団のメンバーは、貴重な夏休みらしい体験を楽しんでいたのだが、大会中、軽度とはいえ再び膝を痛めてしまった阿部だけが入る事を許されず、プールサイドでメンバーを睨みつけていた。
それを見た志賀は「用があるから」と、阿部にプールの監視を一任し、どこかへと消えてしまったのだが、野球部の一、二年と応援団で溢れ返ったプールは賑やかなことになっていた。

「しっかし三橋ぃ。お前なんでそんな水着なんだ?」
水で張り付いた前髪をかき上げながら、浜田は自分の眼下にいる三橋を見下ろした。
浜田と廉は、一時期離れていたが幼馴染で、西浦高校で偶然の再会をした。
そんな相手である廉が、色気もそっけもない(否、一部には効果大だが)スクール水着などを着ている訳が分からず、首を傾げた。
「ふえ?」
「そうそう!なんでお前スク水なんだ?」
田島が言いながら、視線を下に向けた瞬間。
『たぁじまぁっ!三橋から離れろつってんだろが!見るなぁっ!』
どこにあったのか、拡声器を手にした阿部が絶叫し、慌てた花井がプールから飛び出すようにして上がり、阿部の手から拡声器を取り上げた。

花井が拡声器を取り上げ、阿部に向かってなにやら怒鳴りつけ始めた様子を心配そうな顔で見ていた廉は、答えを待っている田島、泉、浜田の無言の圧力に屈したように、顔を伏せた。
「み、水、着は、別の、あるんだ、けど、阿部君、が……」
「なんだ、阿部の趣味か!あいつ結構マニアックな趣味なんだな!」
廉の小さな呟きを聞きつけた田島が、納得して声を上げた瞬間、泉は吹き出した。
「ま、何でもいーから遊ぼうぜ、三橋。田島も行くぞ」
「おう!誰かビーチボール持って来てたよな」
「あの、ちが……」
廉の上げた抗議の声は水音に掻き消され、嬉しそうに水をかき、他のメンバーが騒いでいる輪の中へと戻る三人を見送りながら、浜田は阿部の方を見たまま顔を引きつらせていた。

「あいつら、後でなんにもなきゃ良いけど……」
浜田の視線の先には、水に濡れない様離れた場所に置かれているパラソルの下、双眼鏡を手にして廉の動きをマークしている阿部が、背中にどす黒い妖気を纏っている姿があった。





「行くぞ、三橋―!」
「ふえっ?っひゃ!」
田島がトスしてよこしたビーチーボールを額で受けた廉の隣にいた泉が、どこかへ飛んでいくボールには目もくれず、近付くと廉の額に手をやった。
「大丈夫か?三橋」
顔を覗きこんできた泉に向かって小さく頷くと、廉は最近良く見せるようになった、周りに花が飛びそうな笑顔を浮かべた。
「う、うん。大丈夫、だよ!」

「そっか、それなら良かった。田島も、三橋が受けやすいように渡してやれよ」
その廉の笑顔に釣られるように、泉も彼にしては珍しい全開の笑顔を浮かべ、廉の濡れた髪を梳いてやると、田島の方を振り返った。
「ん。わりぃ三橋。不意打ちだったか?」
「ううん、ちゃんと、田島君、声掛けて、くれてたし……私が、どんくさい、だけ。次は、ちゃんとする、よ!」
泉の言葉に、素直に頷いた田島がそう言って廉に問いかけると、廉は田島にも笑顔を向けて答えた。
「よっしゃ!んじゃ、もっかいやろーぜー!」
「うん!」
心配そうな顔をしていた田島も、廉のその笑顔を目にして安心したのか、嬉しそうに笑うと、再び廉の肩を抱き寄せ,廉もまた大きく頷いて答えた。

三人のそんな様子を見ていた沖、栄口、巣山、水谷が、顔に乾いた笑みを張り付かせた。
「何だか、ちょっと後が心配になってくるよね……」
「でもまぁ、あいつら同じクラスだし、もともと仲良かったから……」
「にしても、田島も泉も、普段はあそこまでスキンシップしねぇよな?」
「わざとじゃないのぉ?俺、そんな気がする……」
阿部から離れたプールサイドに足を投げ出して座り込み、一年生に勝負を挑まれて見事な泳ぎを披露している花井や、応援団とチアの二人、それに西広と篠岡達も加わって遊んでいる様子に視線を移した後、四人は一斉に捕手が座っているであろう場所に視線を向けた。

そして見てしまった。

阿部が手にした双眼鏡を握りつぶさんばかりに握りこみながら、背中に背負ったどす黒い妖気を、田島と泉の方へと向けている様を……
先程拡声器を取り上げられた際、花井から一歩でも動いたら今日一日廉から遠ざけると宣言されている事を聞き知っていた四人は、阿部の限界がそろそろ近いのではないだろうかと身震いした。
「……ねぇ、そろそろ泉達を止めた方が良くない?」
「そうだね……八つ当たりされたりしたら大変だもんね……」
栄口と沖がそう言って顔を見合わせたとき、プールの方を見ていた水谷と巣山が鋭い声を上げた。

二人がプールの方を振り向くと、再び遠くに飛んでしまったビーチボールを追って、廉が泳いで取りに行こうとしたのか、泉と田島から少し離れたところで沈み込んでしまった姿が目に入った。
「ええ?!」
「うっそ、溺れてる?!」
栄口と水谷が声を上げるより早く、泉と田島も慌てた様子で廉が沈んだ場所に向かおうと水を掻き始め、阿部が顔を青くして立ち上がった。
雰囲気がおかしい事に気付いた一年生達が、泳いでいた花井にも声を掛けた瞬間、廉が沈み込んだ場所から大きな人影が浮かび上がり、全員が息を呑んだ。



浮かび上がった人影──廉を横抱きにした浜田は、咳き込む廉の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?!三橋!」
「……ん、大、じょ……ぶ……」
何度も咳き込みながら答えた廉は、浜田の顔を見上げて答えて、次いで寄ってきた全員の顔を見渡すと、今にも泣き出しそうな程に眉を歪めた。
「あ、あの、皆、ご、ごめ……」
どうやら無事らしい様子に安心したように息を吐いた泉は、少し不満らしい田島の頭を小突くと、廉に向かって浜田の向こう側を指差した。
「俺等は良いから、あそこの捕手、何とか宥めてくれっか?」
その言葉にプールサイドに目を向けた廉は、そこで椅子から立ち上がった姿勢のまま凝り固まってこちらを見つめている阿部の姿を認めて、顔を強張らせた。

浜田にそのまま運ばれ、プールから上がった廉は、少し足を引きずるようにしながら阿部の元に向かった。もうどっかりと椅子に腰を下ろしていた阿部の横に立つと、何と言って声を掛ければ良いのか分からず、廉は涙が溢れそうになるのを止められなかった。
「あの、あ、の……阿部、く、ん……ゴメン、ね?心配、かけて……」
「別にあやまんなくていーし。怒ってる訳じゃねぇよ」
そう言いながらも不機嫌そうな阿部の表情に、廉が溢れさせた涙をこぼしそうになっていると、阿部は大きく息を吐き、頭をがしがしと掻いた。
「だから、お前が悪いんじゃなくて、助けに行ってやれなかった俺に、俺が腹立ててるだけだから気にすんな!」
照れ隠しの為か、大きな声を張り上げた阿部を見つめると、廉は何度も瞬きを繰り返した。

言い終えるやそっぽを向いてしまった阿部の耳は、日に焼けたわけでも無いのに真っ赤になっていて、廉は胸にわいた嬉しさに、複雑な表情を浮かべた。
阿部の言葉がとても嬉しかったのだが、それを素直に口にしても良いか分からず、心配をかけてしまった事への申し訳なさもあって、眉は下がっているのに、口元には笑みが浮かんだ。
「……なんだよ……」
沈黙に耐えかねた阿部が、廉から視線を逸らしたまま呟き、廉は零れそうになる笑いを押し込めると、ささやかなお礼をするために阿部の手を取った。
「阿部君、ちょっと場所、変えよ?」
いつもは奥手な彼女の言葉に、阿部は言葉を失ってまじまじと廉の顔を見つめた。



あまり遠くへの移動は、というと、すぐ側にあった、古いベンチを指差された。
「阿部君も、顔色悪い、から、あっち行こ?」
顔色が悪いのは廉が沈んだ時の驚きの為で、体調が悪いわけでは無い、と言おうとするより早く、廉が阿部の腕を引いてせっついた。
いつに無い積極的な様子にかえって動揺しながら、阿部は廉の促すままに後を付いて歩いた。

膝を痛めている阿部を気遣ってゆっくりと歩いた廉はベンチの端に腰掛けると、少し離れた場所を可愛らしい仕草で叩いて、阿部の場所だと示した。
一体何がしたいのか、さっぱり分からなかった阿部だったが、折角の誘いに乗らない手も無く、大人しく示された場所に座り、廉が何をしようとしているのかを問いただそうと振り向こうとした瞬間、シャツの肩口を強く引っ張られ、バランスを崩してしまった。

何が起こったのかとか、何をする気だとかを問いただそうとするより先に、顔の側面に触れた、少し水気を帯びた柔らかい感触に、阿部は全身を緊張に固まらせた。
「ゆ、ゆっくり、してて、ね」
プールに向けた視線をピクリとも動かせない阿部の頭上から、廉の僅かに躊躇った声が降り注いだ。
「阿部君、と選んだ水着、は、一緒に泳げるまで、とっとく、ね」
とりあえず、「ん」とだけ声を出して答えると、阿部は必死になって頭を回転させ始めた。
何か別の事を考えなければならない。
でないと、起き上がった時、変な体勢で歩かねばならなくなる。
それだけは、他のメンバーや後輩達の手前、どうしても回避しなければならない。

突然ふって沸いた幸運も、こんな衆人環視の場所では阿部にとって拷問以外の何物でもなかった。



「ちぇ!最近阿部が三橋を独り占めしてっから、ちょっと意地悪してやろうと思ってたのに!」
プールサイドのベンチに座り、中睦まじい様子を見せている二人を見て田島が不服そうに言うと、傍らで同じく二人を見ていた泉は、諦めたような溜息を吐いた。
「しゃーねーだろ、あんだけ三橋からいちゃついてんだから。俺等としてはもう、阿部があんまり暴走しねぇように見守るしかねぇだろ」
泉のその言葉にしぶしぶながら頷いた田島だったが、すぐに何かを思い立ったらしく、表情を変えた。
「なぁ泉!」
「あ?何だよ」
一年前とは視線を向ける位置の変わった相手を見ながら泉が問い返すと、田島は意地悪気な笑みを浮かべた。
「阿部、前かがみになるか賭けねぇ?他の連中にも聞いてみようぜ」
田島の提案に、泉もまた企みを秘めた笑みを浮かべた。



黒耳さくら様リクエスト。スク水ミハ子に絡む田島、泉と溺れたミハ子を助ける浜ちゃん。そしてそれを双眼鏡で遠くから見つめる阿部。
詰め込んでみました!すみません。詰め込みすぎて大暴走……最後の膝枕は別テキストのリベンジです(笑)