進路希望




高校卒業後の進路など、考えるのはまだまだ先で充分だとこちら側は思っていても、教師達の立場になると違うらしい。
学年末テストの前に配られた進路調査用紙に見入りながら、泉はそっとため息を吐いた。

もう少しで進級というこの時期、テストも心配ではあるが、所属している野球部の活動も忙しくなってくる。
実力的には難しいセンバツ大会に、21世紀枠で引っかからないかと仲間内では冗談を交わしているが、春の大会が始まればあっという間にまた暑い夏がやってくる。
この四月に入ってくる新入生から、何人野球部に入ってくれるかどうかも気になるし、去年をしのぐであろう練習や周囲の期待にかすかな不安も覚える。
そんな時に、更にこちらを気鬱にさせる問題を提起しなくても、ともう一度ため息を洩らしながら、肩越しに教室の後ろの方の席を振り返った。

そこには、今年は何とか無事進級を果たせそうである中学時代の先輩であり、今は頼もしい応援団の団長であり、そして泉の恋人でもある浜田が、さっきまでの自分と同じように進路調査用紙を見つめている。
いつになく真剣な様子だが、調査用紙の事を説明している教師の言葉は届いていないようだった。
自分と同じ事を考えていれば良いのに、と考えてしまう自分の思考に恥ずかしくなりながら、泉は前に向き直った。

長く続いて欲しい時間ほど、あっという間に過ぎていくと言ったのは誰だっただろう。
心の中で同意を示しながら、泉はまた手元の用紙へと視線を落とした。





「あの進路希望、泉はどうするか考えた?」
恋人の直球ストレートな言葉に、泉は絶句したまま真正面に立つ浜田の顔を見上げた。
無遠慮というか不躾というか、何にしろ玄関扉を開けた途端の言葉にストレートすぎるだろうと内心悪態を吐きたくなるが、この貴重な時間を無駄にしたくなくて、泉は訪れた浜田のアパートに無言のまま上がりこみ、リビングに置かれたコタツにもぐりこんだ。
「あれ?何か不機嫌?」
「うっせぇ。それよか茶ぁくらい出せ」

昔からの馴染みの心安さと、恋人としての無遠慮さのブレンドされたぞんざいな口を聞きながら、前もって温められていたらしいコタツの温もりに少し和んだ泉は、文句を言いながらも台所に向かった浜田の背中を見遣った。
2年前の今頃、中学の校門で見送った背中がこんなにも近くにある事が嬉しい。
自分で思っていた以上に浜田に想いを寄せていた事を自覚し、認識し、それを受け入れてもらえた時の喜びは、どんな宝物とも比べ物にならない。
けれど、いつまで続くとも知れないこの関係に、自分だけが不安を覚えているようで悔しくもある。

テーブルに突っ伏し、何も考えていないのか鼻歌混じりにコーヒーを用意しているらしい浜田に向かって溜息を一つ吐くと、泉は瞼を閉じた。
かすかな生活音に耳を澄ませ、この部屋の中には自分達しか居ないのだという幸福感に、もっともっと満たされたいと思う。
今日は部活もなく、テスト勉強の為と親には言い訳して、浜田の家に泊まりこむ事になっている。
お互い、普段は部活やバイトなどで時間を取られ、二人きりで居られる時間は皆無であるだけに、数少ないチャンスを物にしたいと、自分ひとりが焦っているかのような浜田の暢気な様子に沸々と怒りが湧き上がってくる。
けれど正直なところ、浜田に飢えてしまっていると自覚している。

男同士で付き合う場合でも肉体的な繋がりを持てるという事を、泉はネットと浜田から教えられた。
自分の嗜好に気付いた時に調べまくった知識と、もう何度も浜田と体を重ねた経験から、その心地良さの虜になっているといっても過言ではないかも知れない。
何度も夢想の中の浜田に抱かれながら、どうしても届かない快楽に不満を覚えるほどの自分に驚きながら、この数日を過ごしているというのに、相手の余裕を見せる態度に、泉はまた溜息を吐いた。

「いずみー。あんまり溜息吐くと、幸せが逃げてっちまうぞー?」
興味を引かれる香りと穏やかな声に顔を上げると、普段からよく使っているマグカップにコーヒーを満たした浜田が、自分のすぐ隣のコーナーに腰を下ろしながら、泉の顔の側にカップを置いた。
短く礼を言いながら、何も言わなくても自分好みに仕上げられたコーヒーに手を伸ばし、両手で包み込むようにしてカップを持つと、その温もりが心地良かった。
さっきまで外に居た所為か、それとも緊張しているのか、手が冷えてしまっていたらしい。

「進路なんて、まだ全然考えてねぇよ。ガッコ卒業した後より、取り敢えずは次の春大とか夏大のが先」
突き放すように言うと、浜田は口の端を上げて小さく笑った。
「そーだよなぁ。健全な高校球児の目標は、甲子園が一番だよな」
右手でカップを持ったまま、空いた左手を泉の頭の上に乗せた浜田は、子供をあやすように頭をはたいた。

普段なら、子ども扱いをするなとその手を払いのけるところなのだが、今日はどうもナーバスになっているのか、そんな気力も湧いては来なかった。
不機嫌な顔をして見せるだけにしてコーヒーを一口すすると、頭に置かれていた手が髪を優しく髪を撫でつけ始め、泉は横目で浜田を見遣った。
「俺も、人に言える目標はお前等が甲子園に行ける様に、全力で応援する事と、もう留年しないこと」

半分茶化したような口調だったが、それが浜田の本心であるのは泉にも分かった。
けれど、それで終りでは無い事も分かって、泉もだらしの無い姿勢でコーヒーを一口すすった。
自分の好みどおり、ミルクも砂糖も控えめにされたそれを飲み下すと、いとおしむように頭を撫で続けていた手に込められた意味合いが少し変わった。

髪を指に絡め、その感触を楽しむようにゆっくりと動く手に、体の奥をくすぐられるような感覚を覚える。
「泉にしか言えない進路希望は、一つあるよ」
続いた言葉に、何故か固まってしまった体を必死に動かして振り向くと、浜田の優しい視線とぶつかって、頬がかすかな熱を帯びた。
「……何だよ、それ」
照れ隠しに、ぶっきらぼうに言い放っても、浜田は変わらない優しさを湛えた瞳を僅かに細めただけで、更に言葉を続けた。

「泉はどんな仕事してっかなー……美容師とか似合いそうだし、警察官とかも似合いそうだけど、フツーのサラリーマンってのは、何か想像つかねぇな。あ、ラーメン屋の兄ちゃんとかも似合うかも」
「なんだそれ」
次々と自分の将来像を述べてみせる相手に呆れ顔で呟いてみたが、浜田は気にする様子も無く笑みを深くした。
「俺も、サラリーマンは似合いそうにないから、飲み屋の店員とか、コンビニ店員とかしてっだろうけど、確実な事は一つだけあんだよね」

頭から滑り落ちた手が首裏を撫で、肩に移ったかと思うと、壊れ物を扱う丁寧さで抱き寄せられて泉は目を瞠った。
「泉を好きだって思う気持ちは変わんねぇ。だから、俺は絶対泉の側に居る」
はっきりと、力強く言い放たれた言葉の力に、肩にのしかかっていた不安が一気に落ちて行くのを感じるのと同時に、突然緩んだ涙腺が目頭を熱くさせ、泉は慌てて顔を伏せた。

「もし俺が、お前なんか要らないとか言ったらどうすんだ……」
「う……言われない自信は無ぇけど、でも今はそんな事言わないだろ?」
窺うように首を傾げる気配に、泉は頬を緩めた。
「そうだな、今は言わ無ぇ」
まだコーヒーの残っていたカップを遠くに押しやると、泉は顔を上げ、上半身を伸び上がらせた。

自分から重ねあわせた唇から舌先を覗かせ、浜田の薄い唇を割り開こうとすると、更に体を強く引き寄せられて舌を絡ませられた。
静かな部屋の中に、二人の息遣いと絡み合う舌の立てる淫靡な音だけが響き、火の灯った欲望が身の内で燃え上がり始める。
もう温まった手を浜田の首筋に添え、くすぐるように指先を動かしてみると、浜田は堪えきれない熱を逃がすように鼻を鳴らした。

「今日、ここでも良い?」
艶を増した唇を離し、泉の目を覗き込んできた浜田は、上着の裾からいつの間にか忍ばせていた手で肌をまさぐり、探り当てた小さな突起を爪先で転がすように戯れ始めた。
それだけでもう頭が働かなくなり始めているのに、布団に移動する時間など与えるつもりは無かった。
もう一度自分から唇を重ねながら、泉は自分も浜田の服の隙間から手を忍ばせた。

「いちいち聞くな」
触れた物の昂ぶりと、浜田が見せた反応が面白くて、泉は口元を綻ばせた。
「俺も、ずっと浜田と一緒に居てぇから。忘れんな?」
言い聞かせるような甘い囁きに、一瞬だけ驚きに目を瞠った浜田だったが、すぐに身の内に隠している獣の獰猛さをあらわにして、泉を貪り始めた。

その力強さと熱に翻弄され、抱え上げられた膝の上で揺さぶられながら、泉は愛しくてならない男の体を抱きしめた。
そして、誰にとも無く胸の中でそっと叫んだ。



“こいつは、俺のだ”



(2010.2.15)
70000hit記念リク、ハマイズなら何でも!という事でしたが裏部分は書いておりません(^▽^;)
やた様、リクエストを下さりありがとうございました!
この二人は同棲していなくても、ずっと近くに居てくれそうです(^^)