睦言fight



-side abe-

まずい、と思う。



「ど、どう、ぞー」
「ん」
我ながら我が物顔だ、と思いながら、阿部は三橋家の玄関を潜り、物怖じせずに上がり込むや二階に向けて足を進めた。

三橋から、泊まりにこないかという提案があるのはそう珍しい事ではない。
両親共働きの三橋家では、一人息子を置いて揃って出払う事は少なくなく、同性でありながら恋人同士という立場にある阿部は、頻繁にその隙を突くようにして誘われる。
そして、それを受ける。

三橋は一人で居る事をあまり苦にしない。
それは一人っ子の性質なのか、三橋の中学時代の経験がそう仕立ててしまったのか、阿部には判断できない。
なのに、寂しいから泊まりに来て欲しいと誘われ、お互いの両親にもそう説明している。
もしこれが三橋の計算の上でのことであれば、阿部は三橋に対する認識を改めざるを得ないと思う。
こいつはしたたかだ。と──

「飲み物、取って、来る」
「ああ、俺も行く」
部屋に上がり、荷物を置くなり踵を返した恋人を追って、阿部も部屋の引き戸へと向かうと、立ち止まって振り返った三橋が怯えたような顔をした。
「あ、ああああの、あべっ、阿部君、は、座ってて……お客、様……」
「んな他人行儀なこと言うのか?この口は!」
「ひぶっ!ほへん、ひゃ、ひゃい……ぃ!」
柔らかい頬を左右に引っ張ると、どこまでも伸びそうなそれは確かに思いの外伸びて、阿部は相好を崩した。
「練習で疲れてんのはお互い様だろーが。気ィ使うな。それよか飯、さっさと食っちまおうぜ、腹減った」
「うん!今日、ピザあるって、言ってた!」
嬉しそうな恋人にそうか、と答えながら、カロリーと腹持ちが反比例しているなと考えた阿部は、もし米が炊かれていなければ炊こうと心に決めた。



米は炊かれていなかったが、三橋が冷凍庫から冷凍ピラフを二袋見つけ出し、阿部は遠慮なく一袋二人前のそれを、一人一袋づつ割り当てた。
というより割り当てさせられた。
阿部がちょっと目を離した隙に、三橋は二袋共を開けてフライパンに投入したのだ。
油を敷き、熱したフライパンにいきなり凍ったままのピラフを投入したのを目にして、慌てて電子レンジでやれと怒鳴ると、フライパンでしたほうが旨いから、と抵抗された。

大きなフライパンに目一杯入ったそれを見て、盛大な溜息を吐いた後、投入してしまったものは仕方が無い、と、阿部は三橋の手からフライ返しを奪い取り、冷凍ピラフの調理(?)に取り掛かった。
その最中、三橋にじっと背中から見つめられていた為、何か言いたい事があるのかと振り返ると、三橋は視線を逸らし、何でもないという風に装ったが、更に睨みを利かせると、観念して「阿部君、料理して、るの、似合う」と言い放ち、阿部は危うく持っていたピラフ入りフライパンを取り落とすところだった。

リビングのテーブルに着き、向かい合っていながら黙々とピラフを食べつつ、阿部は考えを巡らせた。
どうもイニシアチブを奪われている気がするのだ。
好きだと告白したのはこちらだ。
手を繋ぐのも、キスを仕掛けるのもこちらなのに、どうにも拭えない違和感のようなものを覚える。
違和感?違う。

今の自分の気持ちを的確に言い表す言葉に辿り着いた阿部は、思わず拳をテーブルに叩きつけた。
阿部の突然のその行動に、三橋がテーブルの反対側の席で大きく肩を跳ねさせ、次いでがたがたと涙目で震え始めた事にも気付かず、阿部はその屈辱的な言葉を磨り潰そうと、奥歯を噛み締めた。

「冗談じゃねぇ……」
「ヒッ!」

地を這うような声に、三橋は悲鳴を上げた。





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-side mihasi-





阿部と一緒に居るのは楽しい。
幸せだ。
二人だけになる時、実はちょっとパニックになるが、すぐにそれは過ぎ去って、心がふわりと温かくなる。

阿部と出会ってから三橋の世界は大きく変化した。
チームメイトとして、自分に勝利の気持ちよさを感じさせてくれる凄い人。
ダメピである自分を気に掛けてくれて、重ねてきた努力を認めてくれた人。
そして誰でもない、今のありのままの自分を好きだと、欲しいと言ってくれる恋人──

阿部は優しい。
いつも自分の事を気に掛けてくれて、世話を焼いてくれる。
弟が居るから、そういう事が気にならないのかと思って尋ねた時、お前だから、好きな相手の事だから何をしていても苦にならないと言われ、人間嬉しさでも死ねるのではないだろうかと思った。
そして二人だけでいるときに、躊躇いがちに触れてくる手。
まるで壊れ物に触れるかのように、そっと頬に添えられる手の温もりは、家族にも感じた事の無いような安心を与えてくれて、三橋は何よりもいとおしいと思う。

自分にこれだけの幸せと喜びを与えてくれた相手に、いつもできるだけその気持ちを伝えられるようにと、三橋は最近、思った事や自分の想いを口に上らせるようにしている。
それは阿部に、「思ったことは言え」と言われたからという事もある。
黙っていては、何を考えているのか分からない。
バッテリーには相互理解が必要だ。
お前の事を、もっと教えて欲しい。
そんな事を言ってくれる相手に、自分を曝け出さないのはきっととても失礼だ。
だから、三橋は思ったことを素直に口にする。

「阿部君、料理して、るの、似合う」

そして──





怒らせた。

三橋の頭の中ではそのひらがな五文字が無数に渦を巻いて、呼吸と涙を流す以外の行動を制限していた。
三橋は料理(と言っても冷凍食品を調理したり、母親が作ってくれていたものを温めるくらい)をするのは苦にならない。ご飯を炊くくらいのこともできる。
けれど、阿部にとってそれは誉め言葉にはならなかったのかも知れない。
昔父親から、その昔の人は、男子厨房に入らずという言葉があったくらい、男は料理をするものではないと思っていた人達が居たという事を聞いた事がある。

父や三橋は、そんな事を露ほどにも思ったことが無いので分からないが、学校の調理実習で、同じクラスの男の子がそんな事を言って居たりしたのも耳にしたことがあったので、阿部もそういう人だったのかもしれないと思い、自分の迂闊さに涙が止まらなかった。

「あ?何泣いて……調子悪くでもなったのか?!」
以前、桐青戦の後見舞いに来てくれた皆と一緒に食事を摂ったリビングのテーブルに着きながら、こちらの様子に気付いた阿部が、突然殴りつけたテーブルに手を付いて身を乗り出した。
「ちが、くて……ゴメン、ナサイ……」

「はぁ?!」

阿部の怒りゲージがまた上昇したと思い、三橋は更に涙を溢れさせた。
すると暫く渋い顔をしていた阿部は、頭をがしがしと掻くとテーブルを回り込み、三橋の横にどっかりと座り込むと、逃げ出そうにも腰が抜けてしまったかのように動けなくなっていた三橋の肩を掴んで振り向かせた。
「でかい声だしてゴメン。で?何が悪ぃって思ったんだ?つか言っとくけど、さっきの冗談じゃねぇはお前の事じゃ無ぇからな」
漸く涙を止められた三橋は、じっと自分の目を見つめる阿部に、物問いた気な目を向けた。
ここで自分が本当に?と問い掛けると、少し下がった阿部の怒りゲージが再び上昇する事をもう理解している三橋は、口にする代わりに視線に「では何故?」という問いを乗せた。
阿部はそれを感じ取ったらしく、眉間に寄せていたしわを取ると、少し困ったように笑った。
「やっぱお前には敵わねぇよなぁ……三橋、弁当付いてんぞ?」

何を言われているのか分からず小首を傾げると、えもいわれぬ優しい目をした阿部が、ついと顔を寄せた。
今の状況を理解できないまま、涙が伝った頬をぺろりと舐められて、三橋は座り込んだまま飛び上がったような錯覚を覚えるほど驚いた。
「ゥあっ、あっべっ、くっ……!」
「……んだよ。んな可愛い顔すんな。襲うぞ」
照れもせずにさらりと言ってのけられて、三橋は顔が瞬く間に茹で上がるのを感じた。胸を突き破って飛び出してきそうな心臓を静めようと胸元を押えると、三橋は嬉し涙が滲んだ目を阿部に向けた。

「阿部君、ひどい、よ……」
「あぁ?何が」
この流れで何故自分が非難されるのか分からない阿部は、額に小さな青筋をうかべつつ、顔には笑顔を浮かべた。
他の野球部員が見れば、それは阿部がキレ出す10秒前の顔だと分かっただろうが、僅かに視線を伏せた三橋の目に青筋は見えていなかった。

「何が酷いんだよ」
冷静を装った怒りが滲んだ声も、鼓動が煩い三橋の耳にはそのまま届きはしなかった。
「阿部君は、俺を殺す気だ」
「はぁぁっ?!」
突然の物騒な言葉に、阿部がウメボシを繰り出す構えを取ろうと腰を上げた瞬間、三橋が涙で目一杯潤ませた目を、赤く上気した頬とまなじりで彩らせて向けた。
「お、れ、阿部君に、そんな事言われ、たら、嬉しくて、心臓いた、い」

たっぷり一分は固まった後、阿部は三橋に向かって倒れこんだ。
その体を受け止めながら、阿部の突然の変調に声にならない悲鳴を上げ、慌てふためいている三橋を落ち着ける為に彼の背中に手を回し、阿部はゆっくりと優しい仕草ではたいた。

「落ち着けよ、三橋」
「ぅあ、阿部く、ん、あ、べ君……おれ、また変、なこと……」
「いや、変な事じゃねぇし」
肩に置かれた阿部の頭が、彼が喉の奥で笑うのに合せて小刻みに揺れると、硬い髪が首筋や耳朶をくすぐって、三橋はもぞりと体を揺らした。
阿部もその理由が分かったのだろう、ぴたりと笑いを止めて顔を上げると、涙を浮かべた所為で潤み、眦に朱を刷いた三橋の目を見つめ、その目に獣の光を宿したのを三橋ははっきりと感じ取った。

「阿部君、ごは、ん……」
「お前はもう全部食っただろ?俺はまた後で食う」
ゆっくりと、意志を持って顔を寄せられながら三橋は確認を取り、阿部から欲しかった言質を取って、嬉しさに頬を緩ませた。
「……うまそう」
不意に阿部が呟いた言葉に、三橋は目を何度も瞬かせた。
「ふへ?」
もう後僅かで触れ合うところまで唇を寄せられながら首を傾げると、阿部の顔に不敵な笑みが浮かんだ。

「食う前にはこれ、言っとかなきゃな」

そう言うが早いか、三橋の唇にかぶりつくように食らいついた阿部の手技に、三橋の意志は欲望に屈服した。


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-side abe-


ベッドの上、生まれたままの姿で意識を飛ばしてしまった恋人を見ながら、阿部は乱れた呼吸を整える為と、認めたくないことを認めるために、深々と溜息を吐いた。
阿部は三橋の事が好きだ。
それを伝えることをおろそかにしているつもりは無いのだが、三橋に旨く伝わっていない気がする。
いや、伝わってはいるのだろうが、三橋から返される自分に対する愛情表現の言葉はいつも直球で、きっと阿部から三橋へ送る言葉以上に、阿部の心を真直ぐに打ち抜く。
「負けねぇからな、三橋……」

もっともっと、自分がどれだけ三橋の事を大事に思い、いとおしく思っているのかを分からせてやるためにはどうすればいいか考えながら、阿部はこの三橋との勝負に決着がつく日はこないだろうとも思い、小さく笑った。


(2008.6.1)
バカップル……