夏の夜 2 - SIDE-T - その日は最悪だった。 一年の夏大。俺達はかなりの快進撃で突き進んでいったけど、その日の相手はめちゃくちゃ強かった。 俺達の事を良く調べて来てたのか、どっちも点が取れずに延長戦になって、最後に相手チームの四番が打った決勝ソロホームランで、試合と俺達西浦の夏は幕を下ろした。 バットの芯で捕らえられた打球は、聞いてて気持ち良いだろうなぁと思うほどの快音を響かせて、俺達内野の頭の上を飛び越え、花井達の外野すら飛び越えて、バックスクリーンの向こうに消えた。 サードから見ていて、絶対ぇ捕れないと思った打球を、花井が必死になって追いかけ、飛び上がって手を伸ばした上を通り過ぎた後、相手チームの応援団が何かが爆発したみたいな歓声を上げ、四番の選手が誇らしげに腕を突き上げながら、順にベースを踏んで行くのを、俺は見るとは無しに見送った。 マウンドの上では三橋が呆然と立ち尽くしているし、ホームでは、阿部が邪魔にならないように一歩下がったところで、相手選手をにらみ付けていた。 グラウンドを見渡すと、皆顔を伏せて、泣いているみたいだったけど、俺はどうすればいいのか、何をしたらいいのか、良く分からなくなってた。 泉と水谷と一緒に戻ってきた花井を見たとき、その強張った顔を見て、ああ、花井も一緒だ、と考えた事を最後に、頭ん中は悔しさで一杯になって、何も考えられなくなった。 俺の夢は甲子園に行って、優勝する事。 それに花井と、っていう注釈が付いたのは、夏大が始まった頃だと思う。 練習試合をこなしている頃、何度かバッテリーを組んでいるうちに、だんだん花井を意識し始めているのに気が付いた。 阿部に「捕手はピッチャーを気遣いつつ、上手く使うのが仕事」と言われて、組む事の多かった花井を見るようになっただけかと思っていたけど、その内に、色々違う事を考えている事が多くなった。 阿部は、三橋の事なら本人よりもピッチングの癖やフォームに詳しかったけど、初顔合わせから四ヶ月くらい経った今でも、「あいつを理解できねぇ」とぼやいていたから、俺が通訳してやったりしているうちに、色々とキャッチャーとしての心得みたいなものを教えてくれるようになった。 んで、言われた通りに色々実践しているうちに、俺は三橋や沖以上に、花井に意識を奪われるようになって、気付けばいつも花井を見ているようになった。 俺よりも20センチ近く高い身長、細長い指と大きな手。 中間のテスト週間の時、花井に英語を教わる為に背中に張り付かれたりすると、そんなのが全部気になって、心臓が耳障りなくらいの音でドキドキした。でも、俺も花井も、今は野球に集中するべき時だということは充分解っていたから、なるべく考えないようにしていた。 練習試合も終わって、後は夏大の予選を待つとなった頃、恐ろしく早い朝錬に一番乗りをしようと張り切ってグラウンドに行くと、まだ薄暗い時間になのに、誰か先客があった。 少し目を眇めて、見えにくい相手を確かめると、バッターボックスに立ち、バットを構えた姿で、花井だと分かった。 練習着に着替えて、メットを被った花井は、まるでマウンドの上にピッチャーが立っているみたいに、まっすぐに顔を上げ、タイミングを計ってバットを振っていた。 金網越しにその姿を見た俺は、背筋が震えた。 俺と同じ、野球が大好きで、野球をするのが楽しい。でも、克服できないものも抱えてる奴だと思った。 俺はホームランがなかなか打てない。 小学生の頃、年下のピッチャー相手に打ったくらいだ。 シニアに入ると全然打てなくなったけど、ヒットは打てたから、塁に出る為のヒッティングは凄ぇ練習した。でも、打率が良くなって、四番の背番号を貰うと、塁には出られても、ホームに帰れる数は少なくなった。 そんな俺をホームに返す為に、花井はバットを振っている。 そう感じた瞬間、俺は何で花井を追っていたか分かった。 花井が好きなんだ。 入部の時、俺と同じ四番だったと言った花井が、五番に控えてくれている事で、敬遠される事が少なくなったし、何より、俺が打てなかった時も、花井が打ってくれるっていう安心があった。 ちょっと敵わねぇなと思う。 ピッチャーはプライドの塊だと阿部は言ってたけど、四番バッターもそうだ。 そうすると、ピッチャーもやってる元四番の花井は、がちがちのプライドでできてんのか?とか思いながら、俺は花井のかげの努力を見なかったことにして、グラウンドの扉の前で、大声で挨拶してから入った。 そうだよ、この時から花井と甲子園に行って優勝する、ゲンミツに、と思ったんだ。 それなのに、優勝する事無く終わってしまった事や、自分の力の足りなさに、腹立たしさで一杯になった時、花井が俺に声をかけて来た。 「田島……」 球場で挨拶をした頃からの記憶が飛んでいた俺は、花井のその声で正気を取り戻した。 「何だ、花井」 急に声を掛けられて、俺はぶっきらぼうに答えちまった。 「いや、その……今日の最後の球……捕れなくて、すまなかった」 本当に申し訳なさそうに、でも、何を言おうか迷っているのか、目線をあちこちに向けながら、花井は口篭もった。 「何で?花井はすっげぇ頑張ってたじゃね?サードから見てたけど、あんなの、身長2メートルあっても捕れねぇよ。相手の四番の……実力だ」 多分、世話好きの花井は、落ち込んでる俺を慰めようとしてるんだろう。でも、好きな奴に、こんな慰められ方をするなんて最悪のサイアクだ。俺は喋りながら、だんだん目が熱くなって気がして、おでこに力を込めた。 皆の、花井の前で泣くなんて、ゲンミツに我慢できねぇ! 「いやっ、でも……!」 まだ何かを言おうとした花井が顔を上げた瞬間、俺はついに我慢できなくなって、出てきそうになる涙を誤魔化すために、握った拳に力を込めた。 「俺もお前も、皆も頑張った。でも負けた。それだけだ……違うかよ!」 そうだ、俺達は皆で頑張ったんだ。 だから──全部お前のせいみたいな事、言わなくて良い。 「今日の試合でも、俺にお前みたいなガタイがあったら、あれくらいの球、バックスクリーンどころか、場外まで飛ばしてた!」 今日負けたのは、四番の仕事を果たせなかった俺の所為だ。 自分でもらしくねぇと思うくらい大きな声で叫んだ後、皆に見られていた事に気付いて、恥ずかしくなった俺は、目を腕で何度も擦って一息吸うと、いつもの挨拶をして、その場から逃げ出した。 背中の向こうから、花井が俺を呼び止めたけど、振り返ることなんてできなかった。 逃げ出してきたのは良かったけど、家に帰ったら帰ったで、全員で慰めにかかってくる家族がいる事を思い出して、俺は自転車置き場を通り過ぎ、そこから少し離れた所にある、スロープの側の植え込みの影に隠れた。 スロープからは一段高くなっているそこは、夏の暑さに負けずにでっかくなってる植え込みが座り込んだ俺を丁度隠してくれて、自転車置き場の方から来る奴からは見えなくしてくれる事は知っていた。 練習の休憩時間に野球部員でかくれんぼをした時、外壁沿いに並んで植えられた生垣から、直角に伸びている植え込みの影に隠れていると、誰も俺を見つけられず、鬼だった巣山は、罰ゲームにマヅいプロテインを飲まされた。 昼間はさすがに暑かったけど、夜になって少し涼しくなった小っちゃい芝生スペースに座り込むと、やっと俺は涙を我慢せずに流した。 体育座りをして、両肘を反対の腕で掴んだ輪の中に頭を突っ込み、声を出さずに泣いていると、誰かが来る気配がして、俺は体を硬くした。 気付かずに行っちまえ! 「田島!」 今一番聞きたくない、でも一番好きな声に呼びかけられて、俺はビクっと体を震わせた。 きっとまた、何て言って俺を慰めようかと考えているんだろう、少しの間、何も言わなかった花井は、何だか吹き出したみたいだった。 「田島……三橋みたいだぞ?」 三橋?って何……ああ確かに、三星戦の時の三橋も、こんな感じでベンチに帰らずに座り込んでたっけ。 そんな事を考えたりしながら、やっと収まり始めた涙に安心したけど、花井に泣き顔なんか見せたくなかった俺は、顔を上げなかった。 花井はしばらく迷ったみたいだったけど、俺に向かって歩いて来ると、俺の隣に座り込んだ。そして、小さく深呼吸すると、口を開いた。 「あのさぁ、田島……さっきは悪かった」 そう言った花井は、少し間を空けて続けた。 「俺の中のごちゃごちゃしたもんが、勝手に出てきちまった感じだったんだ。何にも考えず、お前の顔を見たら、その……考えるより先に、喋ってた」 俺の顔?俺、そんなにひどい顔をしてたのかな。 花井は世話好きだし、子供とか動物とか絶対構っちまうもんな。って、俺は動物でも子供でも無いっての。 「……負けた悔しさとか、弱音を……吐いちまったんだ」 弱音? さっきのは弱音だったか? 「お前だって負けた悔しさを、我慢してたのに……俺って情けねぇな」 俺は顔を上げて、隣の花井の顔を横目で見た。 少し困ったように笑いながら、鼻の頭を掻いた花井を見たら、今まで我慢していたもんを、我慢しなくて良いって言われた気がして、気付いたら花井に謝ってた。 「花井……俺こそ、ゴメンな」 自分で思っていたよりも細い声に、自分でびっくりしたけど、正直な気持ちを言えた気がした。 ほんとは、甲子園で優勝旗を持ったお前が見たかったんだ、という言葉は飲み込んだけどな。 「な、何が?」 急に喋りかけたからかな?どもった花井が、なぜか耳を赤くしていた。 「何か、お前が悪い事でも言ったみたいに逃げ出して来た」 何とか笑顔を浮かべようとしたけど、うまくできなかった。でも、花井は何も言わずにいてくれた。 きっと物凄ぇ変な顔だったと思う。 無意識に鼻をすすり上げて、もう一回涙が出てこないようにダメ押しで腕で顔を拭くと、もう大丈夫だと思った。 「俺って格好悪ぃな」 そう言って、今度はいつもの、普段どおりの笑顔を浮かべて花井を振り返ると、花井は何だか怒ったみたいだった。 「そんなこと……言うなよ……」 そんな事って何だ?今日の俺はゲンミツに格好悪いぞ? 「田島は格好良いよ……!俺は、お前と同じチームで野球が出来る事が楽しい。一緒にプレイして、一緒に飯食ったりしてるのに、俺の打てない球をどんどん打っちまう……そんなお前を見て、俺ももっと頑張んなきゃって思うし、気持ちよく打ってるお前を見るのが、凄い好きだ。それに、キャッチャーやってくれてるときも、阿部のキャッチよりやりやすい。ほんと、何でもやれるお前が、羨ましくて、俺……」 一気に喋った花井の言葉を聞きながら、俺はびっくりし過ぎて心臓が止まるかと思った。 今、花井は何て言った? 俺が格好良い? もう一度聞きたくて、ホントかどうか確かめたくて、俺はさっきの俺みたく顔を伏せた花井の腕にしがみついた。 「田島……?」 「今言った事、もう一回言ってくれ」 聞き間違いなんかじゃなけりゃ、今、花井は俺の事を好きだと言ってくれた。 「い、今?もう一回?」 俺が顔を近づけた所為か、顔を赤くした花井がどもった。 「俺の事好きってホントか?」 嘘だとは言われねぇだろと思ったけど、確認したかった。 もし好きだと言って貰えたりしたら、もう最高だ! 「俺も、花井の事好きだ」 ホントは優勝したら言うつもりだったけど、このチャンスをわざわざ見逃す手は無ぇよな?ってか、見逃したら男じゃねぇ。 「ちょっ、田島、近い!」 花井の答えが聞きたくて顔を近づけたら、そう言って掴んでいないほうの手で押しのけられそうになったけど、その手は、そんなに力を込めてはいなかった。 でも多分、頭の中では色々考えているんだろう、首筋は赤いのに、顔は何だか血の気が引いているし、目は泳いでる。 「花井」 あんまり考える時間をやると、変に冷静になって、男同士だとか何とか言い出しそうだなと思った俺は、花井の顔をちゃんと見たかったから、一瞬迷ったけど、花井のほっぺたに手を伸ばして、こっち向けた。 その時、背中の植え込みの向こう側で、誰かが小さく息を呑んだのが聞こえた。 多分、三橋だと思うけど、俺は聞かれてるなんて事に構ってる余裕無くて、花井の顔に触れてる手が、嬉しさで震えそうになるのを我慢してた。 「返事が聞きたいんだけど」 「返事って?!」 ちょっと泣きの入ってきた花井に、駄目押しの一言を入れてやる。 「今の。あいのこくはくの」 予想を上回る効果を上げる一言だったらしい。 花井は湯気でも噴き出すんじゃないかって勢いで真っ赤になると、ノックアウトされたボクサーみたいに動かなくなった。 「花井?」 こんな反応を見せられたんじゃ、答えはわかったようなもんだけど、ちゃんと花井の口から聞きたくて、俺はとっときの顔をして見せた。 可愛がられる末っ子の秘密兵器だ。 ちょっと困ったような顔で、上目遣いになるように首を傾ける。 雑誌のグラビアアイドルの真似だけど、爺ちゃんに試したらお菓子の横取りをデコピンで勘弁してもらえた。いつもなら拳骨鉄拳が降って来る。 花井は、がっくりと頭を垂れると、下を向いたまま、話し始めた。 「……俺も……多分、お前が……」 おおっ!多分は余計な気もするけど、その辺は譲歩する。だって、花井にしてみりゃ、せーてんのへきれきってやつだもんな。 「好「あ、いたいたぁ」 なんだぁぁっ?! 水谷の能天気な声がして、俺と花井は暢気に手を振りながら来る水谷を見た。 「皆で探したんだぜぇ?二人とも自転車置いてあるのに、その辺に居ないみたいだったから、心配して……って、どうかした?」 花井は今日の試合の時みたいに、地面に手をついて落ち込んじまった。ちぇっ、もうちょっとだったのに。後で覚えとけよ水谷。 「どうもしねぇよ。な、花井」 でも、あの時たしかに花井は「す」と言いかけていた。だからかなり手応えはあったんだ。楽しみは取っておこう。 俺は立ち上がると、植え込みの向こっ側の奴の事を思い出した。 三橋が居るって事は、阿部も一緒だろうと思った。 俺の告白中、ずっと静かにしてくれてたんだから、礼を言わなくちゃな。 「後で他の奴等にも礼を言っとかなきゃな。ほら、花井も立てよ」 俺は花井に手を差し出した。その手を掴もうとした花井が立ちかけた時、花井の顔に冷や汗が突然噴き出した。 「あ、阿部、泉、栄口に三橋ィっ?!」 おお、そんなに居たのか。 「ちっ、後少し……」 「全く、空気読めよなぁ」 「……」 「う、あ……ご、ごめ……」 隠れて聞いてた四人に気付いた花井は、青くなってた 。 「お、お前等……、い、いつ、いつから……」 「こんなとこに居たのかよ。お前等皆こっちに来たはずなのに居ねぇなと思ったら……」 水谷が拗ねたみたいに文句を言ったけど、文句言いたいのはこっちだっての。 ま、今はここまでだろ。これ以上花井を追い詰めのは良くない。なにせ半泣きだ。 「んな事よりさぁ、腹減らね?コンビニ行こうぜ、コンビニ!」 いつもの調子で叫ぶと、三橋が「行く」って答えて、栄口は「他の三人も呼ばなきゃ」とか言いながら携帯をカバンから出して掛け始めた。 皆良い奴だよな。 「ほら、はーなーい!」 また固まっちまった花井の手首を掴んで引っ張ると、結構勢いがついて、花井が前のめりになった。ホントは手を繋ぎたかったんだけど、水谷の見てる前じゃ、多分花井は断固拒否る。だから手首を掴んだんだけど、思いがけず、花井の頭が俺の顔の近くに来たから、最後にもう一回だけ、駄目押しの為に花井の耳元で小さな声で言った。 「返事、今度聞かせろよ」 俺の言葉に、花井はパニックが少し収まったみたいで、ちょっと気が抜けたような顔になった。それからちょっと怒ったような声で、水谷を振り返った。 「水谷、お前アイスおごれ!」 「えーっ!何で!」 「お、いいね。俺スイカの奴な」 「じゃあ俺はダッツのクリスピーサンド。三橋は何が良い?」 照れ隠しか?顔をちょっと赤くした花井が、水谷にそういうと、泉も阿部も一緒になってたかり始めた。 でも花井が冗談だよといって水谷を慰めている間、俺は絶対水谷にゲンミツにおごらせてやると決めた。 んでもって、花井に近づくなよな、水谷! 「ほら、行こうぜー花井―」 俺は花井の腕を引っ張って、どんどん自転車置き場に向かって歩き始めた。 今日は最悪だったけど、もうその事を考えてる余裕は無かった。 野球の事は、明日になってから考える。 今はもう、大好きな奴の体温を燃料に、手のひらがポンプになって心臓を動かしてんのかってなくらいどきどきして、花井の事しか考えられない。 いつもみたいに、ちょっと困ったような笑顔で俺を見た花井も、昼間の強張った感じは無くなってた。 「わぁったよ」 いつもの口癖の「しょーがねーなぁ」って言いながら、花井が付いてきてくれているのが嬉しかった。 花井が後ろにいてくれるって安心は、俺にしか分からねぇし、分からせたくない。 だから来年こそは、甲子園に行って、花井に優勝旗を持たせてやるんだ。 ゲンミツに! 二作目のSS。シメ吉に「長い」と言われた。……切れないんだもん。 これを書きながら、試合を見に行った西浦ーぜ達をDVDで見ていたら、水谷君が花井君の腕にしがみ付いていたのを見つけて、田島様の様子が知りたくなった私はおお振り中毒でしょうか?(笑) |