パシエンシア! -3-


二月十四日の放課後、練習中のナインをグラウンドに残して、マネージャーの二人は、顧問の志賀に預けていたチョコケーキを受け取ると、その出来栄えに二人揃って満足そうに頷いた。
「じゃ、廉ちゃん。一個ずつ持っていこうか」
「う、ん!」
昨日廉の家で瑠里にも手伝ってもらって二つ準備したそれは、不慣れな人間の手による物です、とありありと語る形をしていたが、生クリームで円の淵を飾り、ちょっと贅沢をしてイチゴを飾り付け、色とりどりのチョコチップを散らしたそれに、二人は充分満足していた。
ただ、この後、それを欲しがっていたメンバーに見せるのには、少々勇気が要る。

「皆、喜んでくれる、かな」
「どうだろうね〜。でも、食べてくれるよきっと」
阿部が。
という言葉を飲み込んで、篠岡は傍らを歩く廉を振り返って笑った。

今日、廉は阿部にチョコレートを渡して告白するつもりなのだ。

昨日、ケーキを作りながら廉から聞き出した話に、篠岡は心底阿部のヘタレ具合に呆れた。

廉がバッティングピッチャーを務めるようになってから、阿部の視線が時々廉に注がれている事は、篠岡も良く知っていた。
何よりも野球が大好きな男だと知っていた為、女の子であれだけ投げられる人に興味があるのだろうか?と最初は考えていたが、それだけではない事はすぐに知れた。
廉を見る目に、だんだんと甘さが加わったからだ。

けれど、阿部がいつまでたっても行動に出る様子が無かったし、夏大、秋大もあったり、また自分の事でも忙しかったため、今日まで余計なお節介を焼くような真似はしなかった。
大体、頼まれてもいないのに、男の子の恋愛に手を貸してやる義理は無い。
廉の気持ちも分からなかったから──

しかし、廉によると阿部は阿部で姑息に動いていたらしい。
ナインの間で篠岡派、三橋派が出来ているのは小耳に挟んで知っていたため、阿部も迷わず三橋派だろうと踏んでいたのに、我関せずを装いながら一人でちゃっかり廉と彼女の家でデートを重ねていたらしい。
策士らしいといえばらしいのだが、行動力があるのか無いのか、まだ阿部からは何のアプローチは無いのだという。
そこまでしていて何をためらっているのだろう。

「ち、千代ちゃん?」
「へ?何?」
「ケーキの箱、つぶ、れ……」
「あ」
廉の声に手元を見ると、ケーキを入れいている箱を持つ手に力が入っていたらしく、箱が僅かにひしゃげていた。
「あは、ゴメンゴメン。ちょっと考え事してて……廉ちゃんの今日の作戦、上手く行くかなって」

少し意地悪気な視線と共にそう言うと、廉の顔が一気に上気し、廉の持つ箱の方こそ一気にひしゃげて、篠岡は慌てて箱を取り上げなければならなかった。



「さて、では勇者は田島という事で」
「おう!任せろ!」
部室でこの話し合いを仕切っていた栄口の言葉に田島が答えると、メンバーの幾人かは喝采を返し、残りの者は微妙な顔で小さく拍手を返していた。

勇者……
そのネーミングセンスに溜息を吐きながらも、阿部はその使命を見事に果たしてくれる事を祈らずには居られなかった。
先週末、廉を家に送り届けた時に確信した情報を、水谷に報告するが早いかすぐに水谷は部員にメールを送ったらしく、たちまち栄口と泉から阿部の携帯にメールが入った。

そこから連絡を取り合って、廉が本命チョコを送るような心当たりが無いかどうか、全員に当たってみたが、答えは得られず、今日、学校で廉の様子を窺っていた泉にも判断がつかなかったらしい。
そして、放課後の今になるまで、誰かに何かを渡した形跡の無い廉に、直接問いただしてしまおうと栄口が提案し、誰が聞き出すかとなった時に、同じクラスである田島が名乗り出たのだ。

「……なぁ、お前等なんでそこまであいつらの事気にすんだよ」
乗り気になっていないメンバーの一人、花井が、どうやって廉だけに話を聞きだすか頭を寄せ合って相談している阿部、泉、栄口、田島、水谷の様子を見ながら、半ば呆れ気味に問いかけ、同じく乗り気ではない沖、巣山、西広達共々乗り気のメンバーに睨みつけられた。
「お前は気になんねぇのかよ、花井。俺等の大事なマネジだぞ?」
「そうそう。変な奴が相手で、部を辞められても困るしねぇ」
泉と栄口がそう切り返すと、花井も黙ってしまった。

誰だって、ただでさえむさくるしい野球部に、好き好んでマネージャーとして入ってくれた二人が居なくなるなどとは考えたくない。
しかし……
「確かに困るけどさ、なんで三橋だけなんだ?篠岡だって本命チョコを用意してるかも知れねぇじゃねぇか」
花井のその言葉に、乗り気のグループは全員顔を見合わせ、深々と溜息を吐いた。

「気が付いてなかったのか……」
「花井はけってーてきな事があるまでわかんないんだな!」
「そうだねぇ……でも、何だか当人も分かってないみたいだよ?」
「えー?ホントに?結構分かりやすかったけどなぁ俺」
「ま、早けりゃ今日にでも本人には分かるだろ。ほっとけ」

阿部、田島、栄口、水谷、泉の言葉に、残りのメンバーは何の事やら分からずにお互いに顔を見合わせた。
「何かあったの?」
沖の問いかけに田島が答えようとした時、部室の扉がノックされ練習開始時間が過ぎている事を告げに篠岡が現れた事で、その話は打ち切りとなった。



寒い時期であり、グラウンドが全面使えない事や、モモ監が不在という事もあって、その日の練習は室内での筋トレがメインだった。
階段ランニングや、縄跳びなどの練習をこなしていると、あっという間に日は傾き、花井の号令でその日の練習はしめられた。

「じゃあ皆、お待ち兼ねのケーキだよー」
場所が無いため、部室にケーキと紙皿などを持ち込んだメンバーは、篠岡の言葉に全員顔を輝かせた。
あまりおいしくないプロテインの後だけに、口直しになるものは全員大歓迎だったし、何より、マネジの二人が約束を守ってくれた事が嬉しかったため、ケーキは全員が素直に喜んだ。
「形は、悪いかもしれない、けど……」
廉がそう言って、百均で購入した箱を開けて出してきた小ぶりのケーキに、全員が声を上げた。

「すっげ、うまそう!これ二人で作ったのか?」
「生クリームだー!」
泉と水谷が詰め寄り、廉が小さく頷いた。
「ちゃんと、千代ちゃんと、作ったよ。私の従姉も、手伝ってくれたけど……」
「ああ、昨日見たあの子だろ?髪の毛三つ編みにした」
田島の言葉に、瑠里からコンビニで篠岡と共に田島と会った事を聞いていた廉は、ふにゃりと笑った。

「うん、そう。しゅうちゃ……叶君とかに上げるカップケーキも、一緒に作ったんだ」
廉の可愛らしい笑顔に和みかけた空気が、一瞬にしてびしりと固いものに変わり、乗り気だったメンバーは視線を交わした。

意外な伏兵の存在を忘れていた。
叶は、この西浦野球部、最初の練習試合の相手だった三星学園野球部のエースで、その時はまだ経験不足から試合に出られなかった西広の代わりに試合に出た廉に、三星に帰って来るよう声を掛けた相手であった。

阿部は畳の上に座り込み、マネジの二人が器用に切り分けてくれたケーキを紙皿ごと受け取りながら、その時の相手の真剣な様子を思い出して歯軋りした。
あの時の力強い言葉と目。そして幼馴染という立場!
廉がそういう感情を抱いてもおかしくは無い相手だ。

「阿部、君。どうか、した?」
「うおわっ」
プラスチックのフォークを配っていた廉が、顔を覗き込んできた事に不意を突かれて声を上げると、廉の方が余計に驚いて、体を固くした。
「ごめん、ちょっと考え事してた。悪ぃな」
誤魔化すように言うと、廉は半泣きになっていた目を細めて微笑んだ後、何故か顔を赤くして視線を逸らせた。

「じゃあ、皆ケーキ行った?」
「おう。フォークもあるぜ」
篠岡の問い掛けに泉が答え、全員が頷いたのを確認して、花井は背筋を伸ばした。
「おし、んじゃ、マネジ二人に感謝して。うまそう!」
『うまそう!』

ゴールデンウィークの合宿以来、何かを食べる時の恒例になった号令をかけて食べ始めると、もともと型が小さかったために大きく作れなかったチョコケーキは、あっという間にナインの胃袋に収まってしまった。
「うまかったぁ!」
「家の手作りケーキよりうまかった」
「えへへ〜ありがと、水谷君、巣山君。頑張った甲斐があったね、廉ちゃん」
「う、うん!」
マネジの二人で顔を見合わせて笑ったとき、廉の隣に座り込んでいた田島が、ふと廉の顔を覗きこんだ。

「なぁ、三橋。三橋は本命チョコ用意したのか?」
「え?」
確かにその役を任せたとはいえ、あまりに唐突な質問の仕方に、廉だけでなくナイン全員が凍りついた。
廉の普段のキョドリを知っているメンバーとしては、廉がリラックスした状態で話を聞きだせるようにするつもりだったのだが、確かに帰る時間も迫っていて、ここで聞かなければもう聞き出せないだろう。

「なぁ、教えてくんない?」
田島の言葉に、廉はきょろきょろと視線をさ迷わせ、助けを求めるように対角線上に座った篠岡に涙の浮かんだ目を向けた。
「田島君……廉ちゃん困ってるよ?」
「分かってっけど、俺等、ってか、俺が知りたいんだもん」
自分の欲求に素直な言葉に、廉も思わず傍らの田島に視線を移した。
「なん、で……?」

おどおどと問われた言葉に、田島はいつもの笑顔を浮かべた。
「だっておれ、三橋の事好きだもんね」



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