パシエンシア! -4-



思いがけず投下された爆弾発言に、言った本人以外の全員が凝り固まり、田島を注視した。
その瞬間を待っていたかのように、田島は全開の笑顔を浮かべた。

「って阿部が!」

凍りついた空気を一掃するかのようなはつらつとした田島の声に、阿部は何かを思うより先に頭に上ってきた熱で、顔を真っ赤に茹で上げ、膝立ちになって田島に飛びかかろうとした。
「ってめぇっ!田島ぁ!」
「取り押さえろ!」

阿部が怒鳴ると同時に花井が号令を発して、両脇を固めていた泉と栄口が阿部の腕を掴み、背後に回りこんだ水谷が羽交い絞めにしてきた。
「何だ!放せよ!」
阿部が叫ぶと、廉以外のメンバー全員がにやりと笑った。

「しのーか隊長。大成功です!」
「みんなありがとーv約束のものは後でね」
阿部の背後から水谷が声を掛けると、篠岡はしてやったりという顔で笑った。
「篠岡!?」
「ふふ。阿部君がいつまでもぐずぐずしてるのが悪いんだよ。女の子を待たしたりしたら駄目だよ?」
「ち、千代ちゃん?」
廉も何が起こったのか分からなかったのだろう、動揺する阿部と微笑む篠岡の顔を青い顔で、順に何度も振り向いた。

「お前等一体何なんだよ!」
「そりゃあこっちの科白だよな」
阿部が吼えると、巣山が呆れた様子で呟いた。
「うんうん。あれだけ三橋の事見ててさ、他の奴がちょっとでも三橋の事を目で追ってたら、もの凄い顔で睨んでさぁ……もろバレだってのに本人バレてないつもりなんだもん、こっちもいい加減疲れるよ」
「そうだよねぇ、俺もクラスの奴から色々言われてさぁ……」
「んじゃ、三橋」
沖と西広も加わって、和気藹々と喋っているメンバーを睨みつけている阿部を無視して、花井が廉を振り返った。

「阿部に渡すモンあんだろ?早く渡してやれよ」
「ふへ!?」
まさか花井から促されるとは思っていなかった廉は、心底驚いて勢い良く肩を跳ね上げて花井を振り返った。
「そうそう!早く早く!」
田島も加わって、篠岡が部室に持ち込んでいたマネジ二人の荷物を取り出すと、廉は顔を真っ赤にして篠岡を振り向いた。
「ち、千代ちゃん……」

廉が聞かされていた作戦は、皆でケーキを食べた後、片付けを阿部に手伝わせて、廉と二人だけになれるように仕向ける、というものだった。
「えへへ、ごめんね?敵を欺くにはってヤツで、廉ちゃんには何も言わずに、他の皆に協力してもらったんだ」
阿部は自分が一番何も知らされずに居た事を悟って、怒りに目の前が真っ暗になった。

「ってこたぁ何だ……全員で俺を騙してたわけか?」
どす黒い気配を背負うと、阿部を捕まえていた三人が怯んだ。
「それだけお前が鈍感だっただけだよ」
「うん。だから俺等は悪くありません!」
栄口と水谷はそう言いながら手を離し、泉も掴んでいた手を開放すると、阿部の肩を励ますように叩いた。
「ほれ、ちゃんと男見せろよ」

阿部は解放されると、計画が上手く行って満足そうに笑うメンバーを見渡した後、最後に廉を見た。
廉は僅かに怯んだ様子を見せたが、鞄の中から小さな箱を一つ取り出すと、阿部に向かって震える両手でそれを差し出した。

「あ、の!阿部君!……好きっ、です!」

必死にそう言い切る廉を見て、阿部は目が熱くなるのを感じて思わず右手で目元を隠した。

衆人環視だとは分かっているのだが、熱くなった目には涙が滲み、それを何とか押さえ込むと、深呼吸を一つ吐いて落ち着きをより戻すと、両手で廉が差し出した箱を受け取った。
「すげえ嬉しい。俺も好きだ」

「ひょー!」
「はっずかしー!」
「よっしゃ、ムービーばっちり!」

恥ずかしさと嬉しさとで一杯の阿部と廉を放置して騒ぎ始めたほかのメンバーに、直後特大雷が落ちたのは言うまでも無く、携帯で撮られたムービーも、あえなくその場で消去させられた。
だが、この恥ずかしい告白劇は翌日には学年全体に広がっていて、阿部と廉の二人は、一番有名なカップルとなるのだが、それはもう少し後の話だ。



「んじゃ、皆のご協力感謝します!」
「どう致しまして〜こっちこそチョコ、サンキュ!」
篠岡が協力の報酬に配ったチョコを受け取って、阿部と廉を除いたメンバーは、すっきりとした顔で夫々の自転車を押し始めた。

「じゃあ、巣山君、辰太郎君、今日も駅までよろしくね」
「あ、悪ぃ、俺今日はちょっと寄るとこあっから。西広だけで頼むわ」
「うん、いいよ」
笑顔の篠岡の言葉に、巣山は申し訳無さそうに西広を振り返った。
「そうなんだ。じゃあ、仕方ないね。行こっか」
「うん、じゃ、皆、また明日」

「おう、またな!」
「明日ねー」

どことなく緊張しながらも嬉しそうな篠岡と、普段どおりの西広の背中を見送りながら、残ったメンバーは含み笑いを漏らした。
「なあ、上手く行くと思う?」
水谷が栄口を振り返る。
「しのーかも、ばっちり準備してたし、行くと思うよ?」
「そうそう」
「そうかぁ……篠岡は西広だったのか……」
泉の相槌に、花井がなにやら寂しげに呟いたのを聞きとがめた田島が、その首に腕をかけた。

「何だ、花井。ちょっとしのーかに惚れてた?」
「いや、そういう訳じゃ……んーでも、何か寂しい?みたいな」
「確かにねー」
苦笑を洩らしながら応じた沖は、もう一組が、それこそ結婚式でも挙げたかのような盛大な見送りを受けながら帰った方向を見遣った。
「でさ、阿部は送り狼になると思う?」

その問い掛けに、花井は一気に青くなり、残りのメンバーはにんまりと笑った。
「流石に一気には行かないと思うなー」
「でも阿部だぞ?OKが出たら突っ走りそうだよね」
水谷と栄口のやり取りに、主将の血の気はどんどん引いていく。

「阿部はどーてーかな」
「知るかよんなもん。それより田島、そろそろ花井放してやれよ。倒れそうだぞ?」
「うわっ顔色悪っ!」
「青いっていうより、白い?」
泉、巣山、沖の言葉に、田島が隣に立つ花井の顔を見上げると、白を通り越して土気色に近い顔色をした花井が、半ば田島に寄りかかるようにしてかろうじて立っていた。

「大丈夫かー?」
「全然大丈夫じゃない……甲子園が遠のいていく……」
ぼそぼそと、振り絞るように呟いた花井の言葉に、残りの全員が笑いかけてやめた微妙な顔を見合わせた。
「もし、突っ走った阿部が子供でも作ってみろ、最悪学校辞めさせられる事だってあるじゃねぇか。そうしたら、新入部員が入ってきても、すぐには使えねぇだろ。それから次の夏だって……」

(花井、考え過ぎ……)
全員がそう思ったが、心配性の主将はそのまま悩ませておく事にして、大事な要の捕手を失わないで済むように、アイコンタクとを交わすと頷きあいお互いの意思を確認し合った。
胃の弱そうな主将を守る為にも、阿部には引退するまで紳士で居てもらおう、と。
すでに胃痛を感じていそうな花井を見ながら、全員決意を固めた。



「っくしゅっ!」
「阿部君、風邪、引いた?」
「いや、絶対あいつ等だ」
洟をすすりながら、阿部はさっきからずっと涙で潤んでいる目をしばたかせた。
嵌められたのは悔しいが、今はそんな事を考えていたくは無い。
心配そうにこちらを見上げてくる、漸く手に入れた可愛い彼女を見て、阿部は口元を緩めた。

「他の連中が俺等をエサに騒いでんだろ。大丈夫だよ」
「ホント、に?」
確認するように言い募る廉に、阿部は口元を緩めると、こちらを見上げる彼女の唇に、触れるだけのキスを落とす。
ついこの間、甘いものは苦手か、と確認してきた時にもやりたかった事だが、こんなに早く許可を得られた事に心が躍り、学校からここまでの短い距離で、実はもう三度目だ。

「阿部く、ん!」
流石に家の近くになり、誰かに見咎められたら、と廉が怒る様子にすら嬉しくなって、阿部は目を細めた。
「好きだ、三橋……」
こちらはもう何度言ったか分からない程紡いだ。けれど、どれだけ重ねても、自分の中の気持ちを伝えきれていない気がして、阿部は自転車を片手で支えたまま、隣に立つ廉の体を抱き寄せた。
「好きだ、……廉……」

抱きしめたお互いの体全体に篭っていた力が、ふわりと溶けるように消えて、廉はおずおずと阿部の背中に、彼の自転車を間に挟んだまま手を伸ばした。
「私も……隆、也……くん」
恥ずかしげに、訥々と耳元に囁かれた名前に、阿部は頭の中で必死に一つの言葉を唱えた。

我慢、と。





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パシエンシアとはスペイン語で我慢です。タイトルが思い浮かばなくて苦肉の策……
雪月さんのバレンタイン企画参加テキスト。これをもってウチの阿部はキス魔の称号を手に入れました(笑)三回もやってりゃそうですよねー……暴走車阿部。彼はこの後どこまで突っ走ったのか……