プラヤフォンテ まだまだ風は冷たいけれど、それでも一月前に比べれば大分温かくなり始めた三月の土曜日、一日入っていたバイトを終えてアパートに戻ると、浜田は信じられないものを見て、手にしていた食材を足元に落とした。 「い、泉……?」 今、彼の目の前には据え膳、否、いつもは自分が使っている布団に包まり、規則正しい呼吸を繰り返す同性の恋人が眠っていた。 今、自分がここに帰ってきたとき、確かに玄関の扉は閉まっていた筈だ。 あ、でも合鍵を誕生日にプレゼントしたから、入れて当然だわ。と思ってみたり、渡したときの泉の驚いた顔は可愛かったよなぁと思い出して笑ってみたりしていると、自分が点けた明かりが眩しかったのか、眠っていた泉が身じろぎした。 起こしてしまったか?と身を竦ませたが、そうではなかったらしく、可愛い恋人は赤ん坊のように体を丸めて、再び眠りを堪能し始めた。 その様子を見て、浜田は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。 今日の昼間も、泉が所属している野球部は厳しい練習があったのだろうから、疲れているのだろう。 中学時代には、自分も朝から晩まで野球付けの生活を送っていたから、その厳しさも、多少なら理解する事が出来る。 どこかあどけなさの残る寝顔に名残惜しさを感じながらも、買ってきた食糧を片付け、夕食にありつく為に浜田は踵を返した。 小さな頃から大好きだった野球を諦めなければならなくなった自分を受け入れる為に、時間を必要としていた時の自分を、この可愛い後輩に見せなくてすんだ事は本当にありがたかった。 一人暮らしを始めることになった時、まさか彼の家の近くに部屋を借りる事になるとは思わなくて、そこは少し驚いたけれど、昔から邪な思いを抱いていた自分にとっては、神様からか悪魔からかは分からないプレゼントのようで、内心小さくガッツポーズをしていた。 けれど、まさか同じ高校の、同じクラスになるとは思わず、入学式でのクラス分けの発表を見たときには心底悩んだ。 一年のブランクがあるとはいえ、昔の自分を知っている以上、また一緒に野球をやろうと言い出す事はわかっていたし、出来ないという事を説明しなければならないという事実が、気分をとても重たいものにした。 幸い、友人には恵まれたお陰で、一人で自分の気持ちを抱え込む事は無かったが、それでも、欲しくてたまらない人を目の前に、まだ癒えていない傷を晒すような真似をしてしまえば、その辛さに、相手に縋ってしまいそうだった。 それ程、愛しい人にも、他人の体温にも飢えていた。 一人暮らしの大変さ、というのは、全てを自分でやらなければならない事以上に、一人で過ごす時間に慣れる事を言っているんだろうな、といつも思っていた。 例えば今日のように、バイトで嫌なことがあった時など、むしゃくしゃした気分で一人でいると、どうにも堪らない。 暗い思考が渦を巻き始めて、同じところをぐるぐると巡り続けて自家中毒を起こしそうになる。 ゲームでもして気を紛らわせれば良いのかも知れないが、暖房費がかさむ昨今、節約できるところは節約したかった。 自分の考えに、貧乏くさいよなぁと思いつつ、あまり音を立てないように気をつけながら、食事を準備する。 といっても、今日は作る気になれなくて、レトルトのカレーを温める為にお湯を沸かし始める。 電子レンジで温めても良いのだが、鍋で時間が掛かっても温めたほうが旨い気がするので、レトルトの時はいつもそうだった。 まだ眠っている泉の姿を横目にしながら、浜田は黙々と料理を食べ、汚れ物を片付け終わると、音量を落としたテレビを点けた。 けれど、どのチャンネルを回しても、興味を持てる番組が無くて、浜田は盛大な溜息を吐くと、本当は目を背けていたかった恋人の姿を見つめた。 起こさないと、自分が寝る布団は無い。 季節がら、コタツがあるにはあるが、この大きな体を押し込めるのは苦しいし、コタツで寝て風邪を引くような事はしたくなかった。 もしそんな事になれば、口ではいつも強気な事を言う可愛い恋人は、絶対に気にしてしまう。 浜田はコタツの側に敷かれた布団から覗く、泉の前髪にそっと手を伸ばした。 それなら一緒に寝るか?という選択肢を選びたくなかった。 今日は自分の機嫌が悪い。 そんな時に一緒に寝てしまえば、この自分より小柄な相手の体に、その気分をぶつけてしまう。 それがどれ程相手の負担になる行為かは分かっているが、それでも、入学式のあったあの日、自分の腕の中に飛び込んで来てくれた彼を、とても大事に思っているという事と、押さえ切れない欲望とが常にせめぎあっている自分を、今は制御できるとは思わなかった。 再び溜息を吐くと、浜田は立ち上がり、着替えを用意して風呂に向かった。 早く泉を起こして、嫌な事を忘れるためにも眠りにつきたいが、可愛い恋人の寝顔ももう少し見ていたい気持ちも、寝かせておいてやりたい気持ちもあって、自分の気持ちを落ち着かせ、さっぱりするべきだという結論に辿り着いて、熱めのシャワーに身を晒した。 乱暴に頭の先からつま先まで身を清めると、パジャマ代わりのスウェットを着込んで、居間へと戻った。 余程熟睡しているのか、先程とは体勢が違い、こちらに背中を向けているが、まだ起きているような気配は無く、布団から覗いた肩が、ゆっくりと上下していた。 触れたい。 掻き抱いてしまいたい。 直接肌を触れ合わせて、全てを飲み込んで、包み込んで貰いたい。 浜田は伸ばしかけた手を引っ込めて、三度大きく息を吐き出した。 例え今の自分を癒して貰えなくても、ここに彼が居てくれるだけで、慰められている自分がいるのも事実だった。 同じ空間の中に他人が、可愛い恋人が居てくれるだけでささくれ立った気持ちも、いくらかは治まっている。 今日はこたつで寝るしかないかと思い、布団の側で座り込んだ矢先、背中を向けていた泉が、寝返りを打った。 驚いて振り向いた瞬間、大きな目を半眼にした泉と、ばっちり目が合った。 「お、おはよう、起きたのか?」 あまりの驚きに、煩いほどの鼓動を刻む心臓に手を当てながら言うと、泉は不満そうに鼻を鳴らした。 「お前が飯食ってる時からな」 睨みつけるような目で言われ、浜田は蛇に睨まれた蛙の気分を味わい怯んだ。 「起きてるなら、声掛けてくれりゃ良いのに」 「るっせぇよヘタレ」 いつもの切り返しに、普段なら明るく返せるのに、今日はどういう訳かそれが気に障った。 「んだよ、泉だって黙って俺の布団で寝てんじゃん。そろそろ俺寝たいんですけど」 声に、込めるつもりの無かった不機嫌が現れてしまって、無意識に口元を手で隠した。 けれど、泉はそんな事など気が付かなかったかのように身を起こすと、浜田を正面から見据えた。 「だからてめぇはヘタレってんだ」 力強くそう言い放たれた途端、泉の体が浜田に向かって踊りかかった。 小柄とはいえ、勢いの付いた体を不意打ちでぶつけられて受け止めきれず、そのまま押し倒されると、背中を床に押し付けられた。 「いず……!」 抗議の声を上げようとした途端、泉の顔が自分に迫ってきて、唇に温かな感触が触れた。 それが泉の唇だという事は、考えなくても分かるほどに重ねているが、今日のこの展開に、頭は一瞬にして真っ白になり、思わずのしかかる泉の肩を押し退けた。 「い、泉?!」 自分でも情けなくなるほどのひっくり返った声に、まるでこれから獲物を喰らうかのような表情を見せた泉は、酷く扇情的な仕草で、ちらりと覗かせた舌で唇を舐めた。 「てめぇ、俺を舐めてんじゃねぇぞ?」 「はい?」 「どんなお前でも受け入れる気があるから、こんなトコで据え膳やってんだっての」 男らしくそう言い放った泉は、再び浜田の唇に自分のそれを重ね、思う様貪り始めた。 それに驚きながらも、浜田は自分の理性が歯止めを吹き飛ばしたのを自覚して、泉の背中に腕を回すと、ごろりと体勢を入れ替えた。 「泉……」 唇を離すと、目尻に朱を刷いた泉が目を潤ませて、浜田の顔を見上げた。 「何だよ……」 「俺、今日はあんまり優しく出来ないかも」 言外に、嫌だったら、という意味を乗せて呟くと、丸い顔の眉間に、小さく皺が寄った。 「しつけぇぞ。バカハマダ」 言ってにかっと笑った恋人の優しさに浜田は涙が滲みそうになって、慌てて泉の肩口に顔を埋め、彼の香りを堪能しつつまだ細い首筋に、自分の唇を這わせた。 亨さん6000キリリク。タジハナかハマイズでいちゃいちゃ、とのリクエストだったのですが、ハマイズ不足だったのでハマイズに。あまりいちゃいちゃしてませんね……(−−;) たまにはハマちゃんも機嫌が悪い時もあるだろうと思って。男前泉の襲い受けも、書いててちょっと楽しかったです。 大変遅くなって申し訳ありませんでしたー! |