precious
- side 高岡 -



「・・・実くん。いつも・・・ありがとう。」

そう言って、三橋先輩は、オレの手をとった。

「え・・・オレ。」

オレは・・・心臓が飛び出そうなほど、びっくりして、三橋先輩を見る。

オレよりも小柄で、上目遣いにオレを、熱っぽい瞳で見つめて。

うわあっ。オ オレ・・・・

三橋先輩の頬に手を添える。

三橋先輩は、ちょっとビクッとしたけど、すぐに、あの、ふわっとした笑顔に戻った。

そして、栗色の長い睫毛をぱさ、と伏せた。

オレはそおっと顔を近づけて・・・・



「実!起きなさい!!」

・・・・そこで、叩き起こされた。

ベッドの上で、頭をガシガシッと掻く。なんつー夢を見ているんだ、オレは。



「行ってきます!」

家から一歩出ると、氷を含んだように冷たい風が、頬を掠めていく。

うわっ。今日もさみーな。

サドルには、霜がついていた。荷物をカゴに入れ、それを、手袋で軽く払う。

埼玉って、結構寒いんだな。

スタンドをはずすと、ガシャン、と、金属の鈍い音が響いた。

サドルに跨って、ペダルを踏み込む足に、グイッと力を入れる。すうっと深呼吸。

・・・・今日も、頑張ろう。

自転車をこぐと、頬に刺す風は先ほどよりもさらに冷たく感じたが、

血液が循環しはじめたのか、体の内側から温かくなってきて、さほど気にならなくなった。

あの角を曲がると・・・・あ、タカヤさんだ。

まだシャッターの降りたままの店先で、タカヤさんが自転車を止めて立っていた。

理由は、知っている。あの人を待っているんだ。

タカヤさんを、変えた ひと。





オレは中学のときに、長野から埼玉に引っ越してきた。

そしてシニアに入り、モトキさんと、タカヤさんに出会った。



タカヤさんは、人前であまり騒ぐことをしない。どちらかというと、寡黙だ。

で、人に厳しく、自分にも厳しく、曲がったことが大嫌いで、先輩に対しても、意見をバンバンと言うんだ。

だから、オレと同期のヤツラは、タカヤさんのことをぶっきらぼうで怖い・・・などと言っている人もいた。

オレも、最初はそう思っていた。



モトキさんはすでに「スゴイ投手」として、注目を集めていた。

そして、その捕手をやっていたのが、タカヤさんだ。

最初の半年は、捕球できなくて痣だらけになっていた、と他の先輩から聞いた。

タカヤさんは、モトキさんの球を捕るのに必死で、毎日毎日練習に励んでいた。

モトキさんについていきたい、そう感じさせる、気迫のこもって瞳で。

そんな二人の関係をオレは、ちょっとだけ、うらやましいと思った。

             


モトキさんとタカヤさんは、似たもの同士だ。

タカヤさんが、モトキさんのことを「オレ様な性格」って言っているのを聞いたことがあるが

オレから見れば、タカヤさんだって・・・そう見えるときがある。

だから、お互い我が強いから、ものすごく反発しあうんだ。



シニアの練習は、リトルに比べものにならないほど厳しく、そして時間も長い。

オレは予備のアンダーシャツが草臥れてきたので、買いに行きたかったんだが、

どこで買ったらいいのか分からなくてタカヤさんに聞くことにした。

「タカヤさん。あの、アンダーとか、いろいろと揃えたいんだけど、みんなどのお店で買っているんすか?」

「あー、オマエ、引っ越してきたから、知らないのか。

 このあたりだと・・・安いのは、隣の駅の石田スポーツだな。場所、知ってるか?」

「あ・・・知りません。」

「すぐ必要なのか?」

「もう、替えのがないから、すぐに買いに行きたいんだけど・・。」

「しょーがねーな。明日、練習後に、付き合ってやるよ。」

「えっ?いいんですか?」

「だって、店の場所、わかんねーだろ?近所の商店街にもスポーツ用品店あるけどさ。そこよりも石井の方が安いし。」

「でも・・・練習後、疲れているんじゃ・・・」

「いーよ。オレも、ストック切れているものあるかもしれないし。」



・・・やさしい、人だ。

そう、タカヤさんは、面倒見がいいんだ。

世話焼きではないが、困っている人を見て見ぬフリができない。

そんな性格がみんなにも分かってきて、タカヤさんは、後輩にも慕われるようになった。

オレも、その中の一人 だ。
それからオレは、いつもタカヤさんの後をくっついていった。

「タカヤさん!一緒に帰りましょうよっ。」

「タカヤさん!今度の休みの日、買い物に行きましょうよっ。」

「タカヤさん!勉強教えてくださいよっ。」

そんなオレに、タカヤさんはちょっと面倒くさそうにしていたけど、ちゃんと付き合ってくれた。

そんなオレたちを、シニアのヤツは、「ミノルはタカヤの弟か?ずいぶんと懐いているよな。」

なんてからかったが、オレはそれが逆にうれしかった。

オレは一人っ子だから、タカヤさんみたいな人が兄貴だったらよかったな、と思ったこともある。

・・・・タカヤさんは、「弟二人もいらねーよ!」って言ってたけどな。

                  



でも、ここで新たな問題が浮上した。

オレがタカヤさんを誘うと、モトキさんも一緒についてくるようになったんだ。

オレ、タカヤさんしか誘っていないのに・・・。

モトキさんのこと、嫌いじゃないけどさ。

けどさ。3人で出かけると、必ずモトキさんとタカヤさんが言い合いして、で、結局オレが蚊帳の外状態。

タカヤさんは真剣に言い返しているけど、モトキさんは、なんか、あしらっているような。

これも、兄弟げんかっぽんだよな。

モトキさんは全然本気にしていなくて、からかっているだけ、だし。

結局、仲いいんじゃん。

・・・・それがなんか、さみしかった。



5月の、とても陽気のいい日。

「タカヤ、ジャンケンしようぜ。」

モトキさんがタカヤさんに、いたずらっぽい目で話しかけた。

「はぁ?なんでですか?」

「いーから、ホラ。ジャンケンポン!」

ニヤッとする、モトキさん。

「やーりーっ!オレの勝ち!じゃ、よろしく。」

そう言って、タカヤさんの自転車の前カゴに荷物を載せた。

「はぁ?何やってんすか?」

「あ?ウチまで送ってよ。」

「なんで?!」

「今、ジャンケン負けたじゃん。」

「なんだよっ。そんなこと決めるジャンケンだなんて、言ってねーじゃんっ!!」

「いーから、いーから。ほれ、帰るぞ!」

「モトキさん、自分のチャリはどーしたんすか?」

「ああ。今日さ、間に合いそうになかったから、車で送ってもらったんだ。」

「じゃあ、歩いて帰れば。オレ、イヤっすよ。」

「おまえなー。先輩の頼みは、ちゃんと聞かなきゃいけねーんだぞ。」

「こういうのはワガママつーんです。だから、聞く必要なし。って、勝手に後ろに乗らないでください!!

 オマケに、後ろですか?オレがこぐんすか?冗談じゃねーよっ!!」

「おー、筋トレに、いーぞー。」

「はー・・・もう、いいっす。こんなことで言い争っているのも、アホらしい。」

タカヤさんは、しぶしぶ自転車に跨り、こぎだした。

「行きますよ。ちょっ・・・腰、触んなっ。くすぐってーだろ!!」

二人の姿が遠く見えなくなるまで、その喧騒は続いていた。

オレはそれをただ、呆然と見ていた。

いつもギャーギャー言い合っているけど、傍から見ると、仲・・・いいんだよな。

オレは、そんな二人の間には、入り込めなかった。

    


                    

しかし、モトキさんが引退するころには、いつの間にか、そんなじゃれあいはなくなっていた。

モトキさんに変化は、なかった気がする。

どちらかというと、タカヤさんのモトキさんを見る目が変わったんだ。

モトキさんたちの送別会の日、タカヤさんは相変わらずモトキさんに近づこうとしない。

そんなタカヤさんを見たモトキさんが、オレに漏らした言葉。

「タカヤとさ、もう一度、ちゃんとしたバッテリーになりたかった・・・な。」

モトキさんは、とても寂しそうな目をしていた。

そして、タカヤさんも、そんなモトキさんを遠くから見ていた。



モトキさんが引退し、タカヤさんも引退し、オレも受験生になった。

西浦高校に受かることだけを考えて、必死で勉強した。

それは、タカヤさんと一緒に、もう一度野球をしたいから。

クリスマスの直前に、偶然、街でタカヤさんに出会った。

隣には・・・今、タカヤさんが組んでいる投手、三橋先輩がいた。

その時のタカヤさんの笑顔に、オレは驚いた。

こんなタカヤさん、見たこと・・・ない。

タカヤさんのこの笑顔がどうして生まれたのかは、このときはまだ分からなかった。

とにかく、勉強だ。西浦に行かないと、何も始まらない。



念願かなって、西浦高校に合格し、入学式の日。

野球部に向かう途中で、タカヤさんと三橋先輩が一緒にいるところを目撃した。

タカヤさんの三橋先輩を見るその眼差しに、やさしい表情に、ふたたび驚いた。

でも、一緒に練習していくうちに、オレはタカヤさんの変化に気づいた。

投手に尽くす、タカヤさん。

シニアでは見られなかった姿だ。

そして、そうやってタカヤさんを変えたのは、三橋先輩・・・だ。



あっ、タカヤさんが、オレに気づいた。

「阿部先輩、おはようございます!」

ブレーキの音が、閑散とした街中に響く。

「おお、おっす。」

「まだ、来ないんですか?」

「ああ・・・って、来たか?コラっ。急ぐなよ!転ぶなよ!!」

タカヤさんの視線の先には、顔を真っ赤にして、慌てふためいている三橋先輩がいた。

頭の中は、三橋先輩のことでいっぱいなんだろうなあ。

あの、はにゃ、とした笑顔に、今朝方見た夢を思い出し、思わず顔が赤くなる。

そんなオレを、タカヤさんが不審そうに見ている。

「どうした、高岡?」

「いえ、なんでもないっす。」

そして、三橋先輩に目を向けると、はにかんだような、うれしそうな笑顔をしていた。

不覚にも、また鼓動が一段と早くなるのがわかった。

うわっ。タカヤさんに気づかれないようにしなくちゃ。

あの笑顔は・・・・オレに向けられているんじゃない、そんなことは分かっている。

「じゃ、オレ、先に行きますね。」

「ああ、またな。」

・・・・本当に不思議な人だよ。三橋先輩は。



タカヤさんが変わったのと同じように、

モトキさんも今の高校で、尊敬する先輩を見つけ、すっかりチームにとけ込んでいた。

たまに会うと、性格も少し丸くなったな、と思う。



タカヤさんもモトキさんも、それぞれ、自分を変えてくれる人に出会えた。

そしていつの日か、シニアでの出来事を、笑って語り合える日がくればいい、と思う。








(2008.10.31)
頂いていたテキストがなにやらおかしな事に……!ユエさん申し訳ありません!!(><)