線香花火

細い紙縒りに仕込まれた火薬に火を着けると、徐々に華やかな火花が散り始めた。
それを見て、三橋は目を細めた。
派手な手持ち花火や、打ち上げ花火も綺麗だけれど、花火の中で一番心に残るのはこの線香花火だと思う。
暫し激しく火花を散らした花火が、少し勢いを落とし始め、散らす火花も小さくなる。
やがて散る間隔も間遠になり、赤く結実した玉が、自分が掴む紙にしがみつこうと必死に震える感覚を指先に伝える。

両親が留守の夏の夜、机の引き出しの奥底に仕舞いこまれていたそれを見つけた。
投球練習場でもある庭先で、リビングの明りを背中に背負いながら一人で、しかも線香花火だけをする寂しさを感じないでは無かったけれど、今の自分にはふさわしいような気がしていた。

この夏、決して口に出来ない恋をした。
友達を作ることすらおぼつかない自分には、とても過ぎた感情と相手。
火薬のつんとした匂いに鼻を鳴らすと、堪えていた涙が込み上げてきてしまい、慌てて左手で目元を擦ると、その振動で線香花火はぽとりとその実を落とした。

水を張ったバケツの上から落ちたそれは、小さな音を立てて沈み込んでしまい、一抹の寂しさを感じさせる。
自分の中のこの感情も、こうして殺してしまわなければならない。
儀式を続ける為、三橋は新たな花火を手に取ると、花火と一緒に仕舞われていたロウソクから火を移した。

自分の投げる球一つで、こちらの調子だけでなく感情すら読み取る捕手。
それが、三橋が恋した相手だった。
とても優しい彼が、好きになった。
こんなに弱虫で、泣いてばかりで、人に迷惑を掛けてばかりの自分の事を、良い投手だと言ってくれたり、自身の世話すらままならない自分の為に、何くれと無く世話を焼いてくれる親切な人。

いつから始まったのかなどわからないこの恋は、けれど消さなければならない想いだった。

自分だけを見て、自分だけに笑顔を向けて、自分の事だけを考えていて欲しい。
彼の全てを与えてもらいたい。

同性にそんな感情を向けられて、彼が良い顔をするはずが無いというのは分かっていた。
それに、そんな事を考えながら野球に集中できるとも思えなかった。
マウンドに立てば、見えるのはどっしりと構えた彼の姿。
彼が指示するとおりの場所に投げれば与えられる快感は、もう病みつきになっている。
だから、彼から唯一大手を振ってもらえるそれを追う為に、何よりも大切にしたいこの感情を殺してしまおうと思った。

再び花火は終わりを迎えてしまい、バケツの中に焼けるような音を立てて落ちる。
もう一度、もっとと思って傍らの花火に手を伸ばしかけた時、不意に人の気配を感じて三橋は表情を強張らせた。
そこには愛しい人。
玄関から庭に続く小路の途中、やや離れた場所に、少し呆れたような顔をして立っていた彼は、首筋を汗でも伝ったのか、その手を首に当てながらこちらを見ていた。

「明り点いてんのに、呼び鈴鳴らしても返事無ぇし、携帯も出無ぇし、もしかしてこっちかと思って来たんだけど……お前、何やってんの?」
何故か目を逸らし、言い訳のように聞こえる言葉を紡ぎながら、最後に再び自分に視線を向けてくれた彼に、三橋は花火とだけ答えた。
「そりゃ見りゃ分かるっての。何でそんな事してんのかって……あー、もういいや。ちょっと話しあんだけど、良いか?」
その言葉に頷いて、三橋はその場に立った。

何故彼が今ここに居るのか分からない。
どこかで聞いた劇の名前のようだと思いながら、その場から動こうとしない彼に近づき、正面に立った。
胸と頭の中は、思ってもいない場所で彼に会えた歓びで一杯で、今の状況を理解できていない。
ただ話しがあるという彼の要望に答える為、彼の言葉を待つ。

それがどんな内容でも構わない。
彼と向かい合えるだけで良い。
ただそれだけで、充分に幸せになれる。

「ど、どうした、の?」
彼のまとう雰囲気が、常に無く緊張を孕んでいる事を感じて問い掛けると、彼は困ったように眉間に皺を寄せながらも、自分から視線を外さなかった。
「あの、さ……三橋……俺、お前の事好きなんだ」
懐かしい言葉。
三星戦の前、怯んだ自分を励ましてくれた言葉。
優しい彼が、意気地なしの自分の事を思って言ってくれた言葉。

「うん。三星の時、言ってくれた……」
小さく頷きながら言った自分に、何故か彼はそれを否定するような表情を浮かべた。
そして、何かを言おうと口を動かしたが、それは言葉にはならず、やがて何かを決意したように口を引き結ぶと、彼は三橋に向って腕を伸ばした。
一瞬、体が竦むのが分かった。
自分はいつも人をいらだたせてしまう為、今も答えた言葉の何かが、彼をいらつかせてしまったのかも知れない。

彼が人に暴力を振るうような人物ではないと分かっているけれど、条件反射のように縮こまった体は、気付けば熱い抱擁の虜になっていた。
なんなのだろう。
胸の中の歓びが、期待という萌芽を芽生えさせる。
けれど、理性はそれを押し留めようとし、経験が摘み取ろうとする。

「それとはもっと違う意味で、俺はお前の事が好きなんだ。三橋……」
耳元で囁かれた言葉が耳朶をくすぐり、背筋を電流が走った。
「お前が俺の事、そう思ってくれてるみたいに」
続けざまに放たれた言葉に、頭の先から冷水を浴びせられた気がした。
「そ、れ、どういう……!俺、は……!」
「俺をなめんなよ三橋。お前の事、球を一球受けたら殆ど分かる……好きだ、三橋。お前は?」

面白そうにくすくすと笑いながらも、自分の体を抱きすくめた腕が震えているのを感じて、三橋は芽生えた期待が、理性と経験を押し退けるのを感じた。

母の趣味で沢山植えられた庭木のお陰で、周囲からは目隠しをされているこの小路で、三橋はおずおずと彼の背中に腕を回した。
ぎゅっと彼のシャツを握り締め、肩に顔を埋めると、彼の汗の匂いが鼻腔をくすぐった。
それと同時に、引込んでいた涙が涙腺を押し広げ、溢れたそれは頬を伝った。

溢れる涙の所為で言葉も出ない自分の肩や頭を、彼の大きな手が優しく撫で付ける。
「好きだ、三橋……」
再び囁かれた言葉に、三橋は彼の背中に回した手に、更に力を込めた。
「俺も……阿部君の事……」
殺そうと思った感情を表す言葉は、恋した相手がその唇で吸い取ってしまった。




(2008.8.14)
SNSのお題参加作品。線香花火は実を結ぶんだよ、というお話。