接触









「いつから気付いてた?」
星明りだけの部屋の中、月の光を反射している阿部の目が細められて三橋は小さく息を呑んだ。





それを違和感というのか勘というのか、自分でも分からなかったが、いつからか阿部は自分と同類なのだと三橋は感じていた。
しかし、素晴らしい捕手で勉強もできて、人とのコミュニケーションに苦労することなど無い阿部の何が自分とどこが同じなのだろうと思うと、あてもない答えを求めて首をかしげるばかりだった。

決定的に違う事なら、すぐに幾つでも思い浮かぶが、その最たるものが性的な嗜好だった。
三橋は、女性相手に性的な興味を覚えない。
かわいらしい。守ってあげなければならない存在という認識が強い所為か、それとも同い年の従妹と過ごした時間の所為か、そういう対象に見る事も無かった。
友人を作るという所からつまずいてばかりの人付き合いの中、そういったものに触れてこなかったのも原因のひとつかも知れないが、三橋が初めて衝動を覚えた相手は同性だった。

しかも相手は阿部だ。

最初に衝動を感じた時、それが性的なものだとは考え付かなかった。
ただ、その日の夜に見てしまった夢が三橋に衝動の正体を教え、熱い感覚は迸ったものと共に酷い罪悪感を植えつけた。

自分に勝利の感覚を教えてくれる素晴らしい捕手で、憧れに近い感覚を抱きつつも、バッテリーとして対等でありたいと望んでいたはずの相手なのに、更に欲深で罪深い願望を抱いてしまった。
そう気付いた瞬間から、三橋は毎日のように欲望が見せる夢にうなされるようになった。

クラスメイトであり、チームメイトでもある田島が持参してくる数々の雑誌を貪るように読み、自分が抱いてしまった気持ちはいけないものなのだ、本当は女性に対して感じるものなのだと念じてみたりしたが、全て効果は無く、毎日のように顔を合わせる阿部に見惚れたり、白昼夢でも見るかのように夜に見た夢を反芻したりするようになった頃、もう三橋は自分に諦めを付けた。

自分の気持ちは絶対に誰にもばれてはいけないものなのだから、ずっと口をつぐんでおけば良い。
時折話題になってしまう猥談には、適当に話を合わせておけば乗り切れるのも分かっている。
せめて阿部の傍に居て、バッテリーとして無事に過ごしていけるようにと願っていたある日、ふと阿部の何気ない仕草が気になった。

「三橋、肩にゴミついでんぞ」
練習後、部室を後にしようとする背後からそう声を掛けてきた阿部が腕を伸ばし、三橋の肩にそっと触れた。
自分でも肩を掃おうと手を伸ばした三橋は、入れ違いに去って行く阿部の手に触れそうで触れられなかった。
あまり無い機会だったのに、と脳裏で溜息が閃きかけた瞬間、引込められかけた阿部の指先が項をかすかにくすぐった。
間違いかと思うほどのかすかな感覚。
けれど、敏感に感じ取った三橋は心臓が止まるかと思うほどの驚きを覚えながらも、隠しておかなければならない感情を表に出さない為に必死になって息を詰め、短い礼を言うとその場を去った。

それからというもの、そういった微妙な接触が増えた。

練習で手を繋いだり、試合で手の温度からお互いの状態を確認したりという事は普通にしているのに、時折阿部の指先が頬や項をかすめるたび、折角眠らせようとしている衝動を掻き起こされてしまい、三橋は困り果てていた。
直接阿部に何故触れるのかと聞けばいいのかも知れない。
しかし、そうすることで阿部に嫌われてしまったら?と考えるだけで目の前が真っ暗になり、自分とバッテリーを組んでくれなくなったら?と思えば足元の地面が崩れ落ちそうな感覚に陥る。

阿部によって救われた事を自覚している自分にとって、それらは恐怖以外何物でもない。
だから、阿部の接触について三橋から触れることは無かったのに、チーム内で一番目の良い田島がふとしたきっかけで気付いたらしく、ある日たまたま9組の教室を訪れていた阿部に面と向かって「手つきがヤラシー」と笑った。

怪訝な顔をする阿部と泉、そして慌てる三橋を余所に田島は言葉を続けた。
「この頃お前、三橋に触る時なんかヤラシーな」
「何だそれ」
「別に普通だろ。それよかさっさと練習行くぞ」

泉は笑い飛ばし、阿部はそう軽く受け流して一人先に教室を出て行ってしまった。
他愛も無い雑談で済ませられるかも知れないが、きっと阿部は嫌な思いをしてしまっただろうと慌てて後を追いかけてみると、眉間に深い皺を寄せながら廊下を曲がって行く姿が見えて、それだけでもう足は竦んでしまった。
後から追いついてきた田島と泉は、立ち竦んでしまった自分を追い立てるようにして練習に連れて行ってくれたが、結局その日の練習は身が入らず、普段なら阿部からウメボシを食らってしまうような出来だったにも関わらず、阿部はどこかよそよそしい態度で注意を促すだけだった。

そして、その日から接触も途絶えた。

一日目は、たまたま機会が無かったからだろうと思った。
二日目にも同じ事を考えかけたが、違和感を覚えた。
そして三日目、注意して阿部の行動を観察してみると、チャンスがあっても行動に出ていないのだと知れて不安になった。

阿部が、田島に指摘を受けて三橋に触れなくなったのは明白だった。
それが何を意味するのかと考えていた時、脳裏に閃いた突拍子も無い答えに三橋は慌てふためいた。

いつからか感じていた阿部との共通感。
その正体が自分と同じ嗜好だったら?と思った瞬間、それまでの阿部が触れてきた時の感触が温度を増し、ぞくぞくと背中を伝い上った。

それからというもの、まさかともしかしてという思いが交互に三橋をさいなんだ。
毎日毎日、バッテリーとして接触する機会も多く、傍にいてくれるのが当たり前になっている阿部相手だからこそ、事実を確かめる事が怖ろしい。
しかし、封じ込めようとしていた感情と衝動はそれをきっかけにさらに勢いを増し、時を追う毎に膨れ上がった気持ちはある日弾けてしまった。

何気ない日常の風景である筈なのに、ある日7組の教室を訪ねた三橋は、マネージャーの篠岡と一緒に楽しそうに談笑している阿部の姿を目にしてしまった。
同じクラスであるはずの花井や水谷の姿が無かった事が、余計に二人の姿を際立たせ、三橋に見せつけられているように感じられたその瞬間、膨れ上がった感情はどす黒いものに覆われた。

教室のドアを潜る事も出来ないまま踵を返すと、三橋は携帯を取り出してメールをしたため始めた。
これほどの行動力が自分にあったのかと驚いたが、阿部宛のメールを送信し終えると、咽喉につかえていたものが取れたような解放感に息を洩らした。

阿部を奪われたくない。

その感情だけが、不安に揺れる三橋を支えていた。



夜の練習後の帰り道、事前にメールで頼んでいた通り、阿部は共に三橋の家に向かってくれた。
田島もまたいつも通りすぐ近くまで一緒に来ていたのだが、正直に阿部と二人で話したい事があるのだと言うと素直に受け入れ、それ以上の事は聞いてこなかった。
おそらくバッテリー同士としての話なのだとでも思ってくれたのだろうと思いながらも、阿部と共に自転車で疾走する帰途は、常に無い緊張を強いた。

阿部もまた沈黙を守ったまま、何の話があるのかと尋ねもせず、家が近付く度に緊張が増す。
とうとう家に帰り着いてしまった時、三橋は我慢しきれずに門を潜ったところで阿部を振り返った。
「あ、べくっ、は、俺の事好き、ですか?」

あぁもっと色々、遠まわしな尋ね方を考えていたのにと後悔があふれ出し、練習後の熱った体を更に熱くさせる。
自転車を門の脇に停め、こちらを見遣ったばかりの阿部の目が大きく瞠られ、重い沈黙が空気の密度を高くさせた。
早鐘を打つ鼓動が息をする事も難しくさせる中、酸素を求めて口を開くとまたも言葉が零れた。

「オレは、男の……阿部君が好き、だ。阿部君もオレと同じ、だから、触んなくなった、でしょ?」
確信の無い、全くの思い込みなのかもしれない。
しかし、阿部を繋ぎとめたくて三橋は更に言葉を重ねた。
「阿部君は、オレの事好きだ」

なんと傲慢な言い様だろう。
けれど、強い自己嫌悪に目を閉じるより早く、阿部の小さな溜息が鼓膜を震わせて三橋はその場で固まった。

「三橋」
大好きな、太く穏やかな声に呼びかけられて背筋が再び震えた。
「兎に角中に入れ。話はそれからだ」
命令ではあるが決して怒っているようではない声音に、三橋は素直に従って阿部を家の中へと導いた。

両親は揃って帰宅が遅くなっているらしく、家の中には誰も居なかった。
防犯対策にと、家に誰かがいる深夜帯以外はずっと付けっぱなしになっている玄関の明りが届く範囲を抜けると、途端に夜の暗闇が広がるが、まだ光に慣れていない目にはそちらの方が良く見えたし、自分の部屋まではすぐだ。
阿部も時折訪れている所為か、何の迷いも無く暗闇の中を進み、三橋の部屋の扉を潜った。
そして後から入った阿部が後ろ手に扉を閉めた瞬間、阿部の纏う雰囲気が一変した。

「いつから気付いてた?」
星明りだけの部屋の中、月の光を反射している阿部の目が細められて三橋は小さく息を呑んだ。
「な、に……」
明りをつけようとスイッチに伸ばしかけていた手を引っ込めると、三橋は阿部と正面から向き合った。
「俺が、お前と同じ……お前の事好きだってことに、いつから気付いてた?」
少し苛立たしげに尋ねられる言葉に柔らかな安堵が広がっていくのを感じて、三橋は全身の緊張を解いた。

「ずっと……まさか、って思ってた、けど、オレ、阿部君の事、いつも見てた、から……」
悔しげな唸りと共に頭を乱暴に掻いた阿部が、夜目にも分かるほど顔を赤く染め上げるのを目にして、とうとう三橋は嬉しさに頬を緩めた。
「オレ、阿部君の事好きだ」
言い含めるような言葉と共に、三橋は一歩阿部に近付いた。

「こっち来んな。何すっかわかんねぇ」
「じゃ、あ、こっちから、する」
そう宣言すると、三橋は一気に阿部との距離を詰め、僅かに上にある阿部の唇に自分のそれを重ねた。

触れるだけの拙い口付けだったが、その場で浮かび上がってしまいそうなほどの歓喜に包まれる。
もしかしたら、阿部はこういう事を望んでいないかも知れないという考えは無かった。
出会ってまだ数ヶ月とはいえ、阿部とはチーム内の誰よりも分かりあえているはず。
そんな自信が、どこからか芽生えていた。

「好きだよ、阿部君」
顔を離し、吐息が重なり合う距離で囁くと、阿部の力強い腕が抱きしめてくれた。









(2011.7.3)
もしも三橋がゲ/イだったら。というところから作成スタート。
でもいざ書き上がってみると三橋の嗜好がどうであろうと関係の無さそうな話しになってしまいました(^^;)
でも少しばかり三橋が強気な気がしますねぇ……この辺が遠征以降の強気を目にした後の違いでしょうか?