視線 -1- - Side-Sakaeguti - いつもその背中は視界の中にあった。 春休み中から来ていたグラウンド、その中心に立っている背中には、練習着の時はチームメイトの書いた手書きの、公式試合のときにはプリントされた布を縫い付けたもので、必ず「1」と記されていて、俺はそれを見ただけで、つい口角が緩む。 その背番号の持ち主、三橋は、凄い選手だと思う。 初めて会ったのは、四月。入学式の後だった。 同じ中学出身で、シニアでの顔見知りだった阿部と、一緒に手入れをしていたグラウンドに現れた三橋は、最初、とても投手には見えなかった。 物凄く臆病で、泣き虫で、群馬の中学から来た奴。 阿部に促されてピッチングを見せた三橋の球は、自分で申告していた通り、確かに遅い印象だった。 でも、シニアでレギュラー入りしていた阿部が、何球も投げさせるのを見て、俺は首を傾げた。 言っちゃあ何だけど、阿部はあんまり性格が良くない。 付き合ってみると、慣れられるけど、あの垂れ目なのにきつい印象の目で見られると、それだけで気の弱い奴なら逃げ出すと思う。 言いたい事も、ズバズバ言っちゃうし、駄目だと思えばすぐ切り捨てる、そんなタイプだった。 その阿部が、目を輝かせながらベースを離れ、三橋のいるマウンドに行くや、球種を尋ねたりするのを見て、俺はちょっとした可能性に気が付いた。 その可能性というのは、三橋がいい投手だという可能性だった。 阿部が、入部を止めると言い出した花井に、三打席勝負を吹っ掛けた時、それはちょっとした確信に代わる。阿部の性格を知ってる俺は、自分から勝てないかもしれない勝負を挑む奴じゃ無い事を知っていたから、勝負が始まって、内野の守備に入った俺は、三橋の球がどんな物なのか、じっくりと見た。 見ている感じでは、それ程早い球では無いのは、最初の印象通りだ。でも、阿部の構えたミットに吸い込まれた球に、違和感を覚えて、今度はミットも見る。 そして、違和感の正体に気付いて、俺はちょっと驚いた。 ミットが微動だにしないんだ。 どんな奴でも、ボールを投げて、同じ所に何度も命中させるのは難しい。 昔テレビでよくやってたストラックアウトでも、2回はあっても、3回は無かった筈だ。それに、シニアの試合でも、プロの試合でも、普通は構えた所から僅かに修正したところで、キャッチャーは受けている。 凄くコントロールの上手い奴なんだと関心しているうちに、勝負も終わって、俺は三橋の凄さを知った。 九分割?実際に見なかったら信じられないよな。 でも、監督のケツバットにはもっと驚いた。怖ぇっ! ゴールデンウィークに入ると、野球部は合宿をした。 野球っていう共通項がある所為か、半月とちょっとの付き合いしかないけど、部の皆とはそれなりに仲良くなってたし、練習も楽しかった。 でも一つだけ気になったのが、三橋の様子だった。 合宿の仕上げに組まれた、西浦硬式野球部最初の練習試合。その相手に監督が選んだ、三橋が一番会いたくないだろう人達のいる三星学園。合宿前に聞いた時、既に三橋はびびって泣いてたけど、合宿に入る頃には、大きな目の下に薄く隈を作っていて、見ていて心配になった。 でも、三橋は俺達にすらまだ馴染めないのか、声を掛けるだけで肩を大きく竦め、会話をするのは困難だった。 そんな三橋に、苛々しながらも付き合う阿部も大変だろうなと思いながら、俺は俺の練習をこなしていた。 「しっかし、あんなピッチャーで、試合大丈夫かな」 夕方、ピッチング練習の為に、三橋と阿部が分かれて、夕飯にする為の山菜取りに出掛けると、花井がそうポツリと零した。 皆、一瞬言葉に詰まる。 それは誰もが考えていたんだろう。合宿の間も、自分から人の輪の中に入ろうとはせず、自由時間の間も、廊下の隅っこで座り込んだりしているエースに、確かに不安はあった。 「でもさ、阿部の話だと、スピードもかなりアップさせてんだろ?それに、まがりなりにもエースナンバー背負ってた奴なんだから、ある程度はやると思うけど?」 そう言ったのは水谷だった。 水谷は花井と阿部の二人と同じクラスで、物怖じしない性格だ。俺は水谷の意見に小さく頷いた。 「そうだよね。もし打たれても、俺達でカバーしてやれば良いんじゃないの?ちょっと体調悪そうだけど、打たせて取るって方法もあるしね」 「おお!サードは俺に任せろ!」 チームで一番元気のいい田島がそう言うと、他のメンバーも強張った顔を緩ませ、花井もそれ以上何も言わなかった。 そして試合の日、三橋は朝からいつも以上に挙動不審で、阿部以外のメンバーは本当に大丈夫なのか?と、顔を見合わせた。 そしたら案の定、ブルペンでの投球練習中に、相手チームの姿を見た三橋は、ありえないくらいの速さで逃げ出し、阿部を置いてどこかへ走り去ってしまった。 ベンチから見ていた俺たち全員が驚いて、追いかけようとしたけど、監督に止められた。 バッテリー二人で解決してもらわないと困るから、という事だったけど、俺は阿部に誰かを説得させるのは無理じゃないかと思った。脅迫は得意そうだけどね。 でも、俺の心配をよそに、暫くして戻ってきた二人は、もういつも通り、いや、いつもより打ち解けたような気がした。 それを見て安心した反面、なぜか胸にちくりとした痛みが走った。 気のせいか?とも思う痛みで、その時の俺は確かにすぐに忘れた。 それが狂おしい想いをもたらすとは、その時の俺には分からなかったから。 ゴールデンウィークも終わって、夏の予選抽選会の前、三橋の家に皆でお邪魔する事になった。 赤点回避の為の勉強会という事で集まって、吃驚するくらい広い家に入らせてもらうと、その日が丁度誕生日だという三橋のお祝いをする事になった。 三橋のおばさんが用意してくれた、かなり大量の食べ物も、十人もの高校生にかかればあっという間に無くなり、水谷と二人、勝ち取ったケーキを分けていると、阿部が皆を呼び出して、三橋の家の庭に行く事になった。 おばさんは、仕事に戻らないといけなかったから、見ていなかったけど、三橋がそこで見せてくれた、九分割は、ホントに凄かった。 それに、田島の「甲子園に行こうな!」に、「行きたい」と答えた三橋が、何だか凄く誇らしくなった。 三橋がどんだけ頑張ってきたのか、この二ヶ月ずっと見てきた。 自分の誕生日も、素直にいえないくらい引込み思案の奴が、自分から行きたいといえるくらい、打ち解けていた事も嬉しくて、俺はその日、ずっと笑顔を浮かべていた。 「何か幸せそうだね、栄口」 そう言ったのは水谷だった。 三橋の家からの帰り道、同じ方面に帰っていたメンバーが一人減り、二人減りして、今は二人だけになっていた。 「そう?久しぶりにケーキ食べたからかな。一個半も」 俺は記憶の中だけになってしまったケーキの味を思い出し、水谷に笑い掛けた。 「久しぶりに食べた気がるすなぁ……水谷は?」 「俺も。生クリーム大好きなんだよね」 そう言った水谷も笑い返してくれて、俺は歩調を緩めた。 「三橋、ホントに変わったよねぇ……セカンドから見てても、三星戦の時から比べて、マウンドの上でビクつかなくなったし、今日だって、自分から声掛けてきて、皆を呼んだり。ちょっと前からは想像できないよねぇ」 「栄口、三橋の話しばっか」 小さく噴き出した水谷の言葉に、俺は一瞬言葉に詰まった。 「え、そう?」 「うん。ま、三橋の成長を見守っている栄口としては、気になるの分かるしね」 そう言った水谷の横顔を見ると、俺の視線に気付いて、ちょっと困ったような顔をで笑った。 「えー?だってさぁ、栄口だけじゃん?阿部を宥められるのって。んで、三橋があんまり落ち込まないようにフォローしてさ、俺いつも凄いよなぁって思いながら見てんだけど」 「っああ、まぁ確かにね。だってさ、阿部って言葉キツイし。あんまり言い過ぎると、三橋のおどおど病がひどくなりそうで心配しちゃうんだよね」 言葉に詰まった事を、上手く誤魔化せたかどうかは分からなかった。 自分でも、何で三橋を見ている事を突っ込まれただけで、言葉が出なくなったのか分からなかったし、何だか後ろめたいような気持ちにもなっていたから…… 「それにしても、俺そんなに三橋の事見てたかな……何か変な人っぽい?」 冗談ぽく、照れ笑いをしながら言うと、水谷は「そんな事無いよぉ」と言いながら、顔の前で左手をひらひらと振った。 「だって、栄口。三橋の事好きでしょ?」 水谷の口から飛び出した、とんでもない言葉に、俺は思わず絶句した。 「へっ?」 絶句ついでに飛び出した変な声に、思わず足が止まってしまう。 俺達以外の人影の無い、住宅街の細い路地、俺の隣で同じように足を止めた水谷は、至極真面目な顔でもう一度口を開いた。 「気付いて無かった?栄口が三橋を見てるみたいに、俺は栄口の事、見てたよ」 穏やかな言葉に、驚いたと同時に、羞恥心が一気に湧き出してくる。 「な、何だよそれー!何か水谷の言い方だと、変な意味で俺が三橋の事好きみたいに聞こえる」 おどけてから笑いすると、俺は自転車に跨った。 「ほら、冗談言ってないで早く帰ろうぜ。まだ肌寒いんだから、風邪引いてテスト受けらんないなんて事になったら、試合出られないよ!」 俺は段々耳が熱くなるのを無視して、水谷を促した。 水谷は、一瞬顔を伏せると、次の瞬間にはいつもの笑顔を浮かべて頷いた。 「そうだよね。監督、ホントに出してくれなさそうだもんなぁ」 明るい声にほっとしながら、俺達は自転車を漕ぎ始め、暫く行ったところで分かれるまで、さっきの事にはお互い触れなかった。 NEXT→ この後の水谷君視線を書きたくて書いたSS。 栄口君は自分の気持ちに気付く事を、わざと避けるタイプと見込んで(←ちょっと用法が違うかも)書いてみた。 クロエの頭の中では、大分先までプランがあるので、ちょこちょこ書きます。 |