テリトリーサイン がやがやと騒がしい教室の中でも、浅い眠りを得ることにいつの間にやら慣れてしまった。 「野球部、気持ちよさそーだよねぇ」 「三人ともね」 「熟睡してんのかな?」 「んー……どうだろ?」 自分達が寝ている机の周りを取り囲むように、クラスの女子達の声がすることに、泉は組んだ腕の上に伏せた眉間にシワを寄せた。 食後すぐの午睡は胃に悪い。 それでも欲しい貴重な睡眠時間なのに、彼女達のわずらわしい喋り声で沈みかけていた意識が浮上し始めた。 折角の寝入りばなに騒がれ、文句を言ってやろうかと思った矢先、長く鋭く息を吐き出す音が聞こえて、周囲の女子達の雰囲気が変わった。 「ほらほら、こいつ等だって疲れてんだよ。昼くらい、ゆっくり休ましてやって?」 「浜田君、お帰りぃ」 「委員会お疲れ様」 女子達の上げた出迎えの声に、泉は彼女達に対して持った不快感を更に増大させた。 馴れ馴れしい。寄るな。触るな。近付くな。 (俺のだ) 最後の一言を口の中で唱えながら、泉は小さく身じろぎした。 「ほら、起きたりしたら機嫌悪ぃから。近寄っちゃ駄目だぜ〜」 きっといつもの軽い笑顔を浮かべているのだろう浜田の声に、女子達の気配が名残惜しそうに去っていくのが感じられた瞬間。 「前髪じゃまそうだから」 語尾にハートマークでも浮いていそうな声がして、自分の前髪が持ち上げられた。 慣れた手つきで持ち上げた前髪をくるりと一度捻ると、相手はヘアピンで泉の前髪を頭頂部に縫い付けた。 確かに少し鬱陶しいと思っていた前髪が無くなり、風通しが良くなった。 「かわいー!」 「為されるがままって感じ?」 押し殺した笑いを含む潜められた声に、泉は怒りを通り越して呆れた。 かわいいなんて言われて喜ぶのは水谷くらいじゃないのか?そりゃ寝てるんだから、されるままだろう。三橋にこんなことをすればきっと泣き出す。田島も、寝ている間にこんなことをされれば不平の一つでも言うだろう。 いっそ起きて文句の一つも言ってやろうかと思った時、誰かの手がヘアピンを抜き取り、持ち上げられていた前髪が下りてくる気配がした。 優しい仕草で取られたそれに、すぐに相手は検討がつく。 「だから駄目だって。寝てる奴にいたずらなんてさぁ」 「えー?でも邪魔そうじゃない?」 不満そうな女子の声と気配。 けれど、続いた浜田の声は明るかった。 「だからさ、ちゃんと起きてる時に聞いて、許可が出たらやったらいいじゃん。な?」 そっと促すような拒絶に女子達も引き下がり、自分達の周りが静かになった。 浜田のフォローに満足すると、浮上していた意識が再び沈み始め、泉は溜息に似た吐息を吐きながらその流れに身を任せた。 後どれ程の休息が得られるかは分からないが、少しでも体と意識を休ませたい。 存在感のある気配が手近にあった椅子を引き寄せ、眠っている自分達の番人ででもあるかのように座り込むのを感じて、泉はくすぐったい喜びに口元を奇妙に歪めた。 浜田とて、学生の本業である勉強以外に、バイトや一人暮らしの家事などで疲れているだろうに、こうして守ろうとしてくれる事が嬉しかった。 窓から吹き込んできた風と同じような心地よさに、泉は意識を手放した。 そんな昼の感動を返せ。 そんなことを思いながら、夜、練習が終わってから訪れた浜田のアパートで、玄関を開けるなり髪を弄らせてくれと頼んできた浜田に向かって、泉は溜息を吐いた。 「で?何がしたいわけ?」 「いやぁ〜その、大したことじゃ無いんだけど、ね?」 180センチを越している大きな体を小さくするように背中を曲げ、人差し指の先を突き合わせている姿を見ると、何故こんな男に惚れてしまったのかと情けなさのような感情が込上げてくるが、それはとりあえず横に追いやる。 しどろもどろになりながら、触ってみたいだとかなんとか言っている姿を見て、練習疲れから苛々とし始めた泉は、浜田の手首を掴むとそのまま部屋の中へと上がり込み、浜田を居間の床に直接座らせると、その足の間に自分も座り、一見薄いのだが結構な厚みのある胸に自分の背中を預けた。 「あ、あの?」 「おら。好きなだけ好きなようにしやがれ」 昼間、クラスの女子が触っていたのを見て、自分も触りたくなったのだろうと判断した泉は目を閉じた。 別に頼まなくても、浜田が触りたいときに触れば良いと思うし、場所さえ考えてくれれば触って構わないのだが、浜田はいつもどこかで泉に遠慮していて、時々それがどうにももどかしくなる。 付き合い始めの頃は、お互いがどうしていいか分からないせいで喧嘩になったこともある。 最近は、たくさんの時間を重ねて見つけ出した互いが居心地の良い場所で、穏やかに寄り添っていられることも多いが、やはり泉が主導権を取って行動する方がまだ多い。 偶には浜田からの強引な誘いを受けてみたいと思いながら座っていると、後頭部から忍び笑いが聞こえてきて、泉は顔を不機嫌に歪めて肩越しに背中を振り返った。 「…………何だよ……」 「いや、あいかーらず、泉って男前だと思ってつい……ゴメン」 言い訳をしながらも笑いを零していた浜田が、背中から自分のことを抱きしめてくるに任せて、泉は再び顔を合わせないように前を向いた。 少し落ち着きを取り戻すまで、振り返ることなんか出来はしなかった。 心臓が耳のすぐ近くで鳴っているような気がするくらい、動悸が激しく、顔が熱かった。 「あー泉の匂いだ」 こちらの動揺など気付いてもいないのか、浜田は触れたいと言っていた髪に口元を寄せると、深く息を吸い込みながらそう呟いた。 何かを言い返してやりたいのだが、良い言葉が思い浮かばない。 けれど心の中では、ちゃんと風呂に入ってから来て良かった、とか、背中に感じる浜田の体温が気持ち良いとか、絶対口に出してなど言えない言葉が渦巻いて、泉は眉間に力を込めた。 「……ばーか……」 「うん。分かってる」 全てを見透かすような浜田の言葉に、泉は頬を赤らめた。 浜田の腕の中の心地よさと練習の疲れから、全身から余計な力が抜けたと思った瞬間、抗い難い衝動に駆られ、泉は瞼を半分ほど落としかけた。 けれど、一番心地よかったのは自分に触れてくる浜田の指先だった。 結局、目に入って邪魔だった前髪を切りたかったらしい浜田は、一度道具を取りに立ち上がり、正面に向き直って前髪を僅かに切り揃えた。 真剣に手元を見つめながら、割合慣れた手つきで髪を切る浜田の顔に見惚れていた泉だったが、多少ばらつきがあっても大して気にならない前髪のカットは、あっという間に終わってしまった。 もう少し、浜田の真剣な様子を見ていたかったが、じっと見ているとこちらの心臓がもたないと思い、片付けを済ませるとその場に立ち、帰ろうと思った。 これ以上ここに居れば、浜田を求めてしまう。 けれど、明日もまた激しい練習があるし、学校の授業もある。 それに、今日ここを訪れたことも、かなり自分を甘やかしているのだ。 自分自身を甘やかし過ぎるのは良くない。 だが、浜田がそんな自分の腕を捕らえ、もう一度座るように言われた途端、固い決意は甘い誘惑に無条件降伏した。 もう一度、背中から捕らえられた体から力が抜け、心地よさと安心がもたらす眠気に負けそうになるが、今日は泊まるわけには行かない。 練習着や勉強道具を持って来ては居ない為、明日の朝、いつも以上に早起きをする羽目になる。 だが、それだと浜田に迷惑を掛けてしまうことになる。 何も話さず、ずっと自分の頭を撫でていた浜だが、不意に頭にキスを落とした。 半ばぼやけ始めた意識を何とか奮い立たせ、浜田を振り返ろうとするが、捕らえられた体があまり言う事をきかず、顔を見ることはできなかった。 「眠っちゃっても良いぜ?明日は俺も朝練に参加するから、一緒に学校行こう」 「……そういうことは、早く言えよな……」 降って沸いた喜びに、自ら緊張を課していた体から、最後の枷が外れた。 その途端に意識が沈み、泉は愛しい男の腕に自分の全てを預けた。 腕の中の恋人が眠りに落ちたのを感じて、浜田は柔らかい微笑を浮かべた。 体勢をずらし、泉の顔を見られるようにして、満足気に目を細める。 やはり昼間の寝顔とは違う。 ハードな練習をこなしている疲れを、少しでも癒そうとする学校での眠りが、心身ともにリラックスしたものではないのは分かっている。 いつもはそんな眠りでも守ってやりたくて側に居る。 何しろ泉は女子にモテるのだ。 今日はどうしても行かねばならなかった委員会の打ち合わせに席を外してしまった為、その隙を突いた一団に泉に触れられてしまった。 泉の髪に触れられた瞬間、かっとなって怒鳴ってしまいたくなったのを堪えた自分を褒めてやりたい。 けれど、それが出来たのは泉のお陰だ。 自分しか知らない顔、声、仕草。 そんなものを幾つも見せてくれて、声にならない言葉を紡いでくれる。 「お前の事が好きだ」 そのまま声に出しては滅多に聞かれない言葉だが、泉の行動の端々、頻繁に向けられる「ばーか」の幾つ物バリエーションが、それを感じさせてくれる。 そして、今のように安心しきった様子で、止めを刺してくるのだ。 「狼の目の前で寝ちゃう羊……いや、猫?」 向けられた信頼に応える為、浜田は泉の体を一度抱きしめると、咎められないのを良いことにその首筋に何度もキスを降らせた。 そして、背中側の首筋に一枚だけ赤い花弁を遺した。 何度か体を重ねてはいるが、痕を残すことはしたくなかったし対外的にも許されなかった。 自分の歪んだ心と欲求に答えてくれた、愛しい可愛い人。 彼にも男としての矜持があるだろうし、万が一にも自分達のことが露見して、側に居られなくなるのは嫌だった。 けれど、隠しているからといって誰にでも触れられたりするのも嫌だ。 我侭だし、理不尽だという事も良く分かっている。 ただ同時に許して欲しいとも思う。 中学時代から、自分がどれほどまでに腕の中の相手に執着を持っていたか、語り始めればきりがない。 その想いが熱量を持つなら、きっと自分の体などあっという間に跡形も無く燃やし尽くす。 出来はしないが、このままずっと腕の中に閉じ込めておきたくなる衝動を堪えながら、その代わりのしるしを残すことに生じる、少しの後ろめたさを封じ込める。 「好きだよ、いずみ……」 自分も、いつもは正面から決して言えない言葉を紡ぎながら、寝入ってしまった恋人の体を抱き上げ、少し場所を空ける。 もう遅い時間でもあるし、ゆっくりと静かな時間を堪能したい。 自分が普段使っている一組の布団を整えると、泉の体をそっと横たえた。 泉の家にも連絡を入れ、ここに泊める事を連絡した。 これで、朝までずっと一緒に居られる筈だ。 自分も準備を整え、起こさないようにゆっくりと泉の傍らに体を滑り込ませる。 「ん……」 小さく身じろぎした泉が声を上げたことに慄いて動きを止めると、寝返りを打った泉が、その腕を浜田に絡めた。 突然のことに驚いて声を上げそうになったが、次の瞬間に泉の顔に浮かんだ微笑に、浜田は言葉を失った。が、すぐに気を取り直すと、その額にキスを落とす。 「おやすみ、いずみ」 自分の体に回された腕に、言いようの無い歓びを覚えながら、浜田は部屋の電気を落とした。 その時── 「すき……はまだ……せんぱ…… 聞き間違いかとも思える微かな声で囁かれた言葉に、浜田は絶句した。 いろいろな種類の歓びが溢れて、頭の中が弾けた。 自分を落ち着ける為にゆっくりと息を吐きながら、泉の体を抱き寄せた。 「もう絶対手放せ無ぇよ……」 全身を駆け巡る、きらきらと光を放つ言葉を何度も反芻しながら、浜田は目を閉じた。 翌日、放課後の練習に向かおうと終礼が終わり、ざわめく教室の中で立ち上がった泉は、四人の女子に呼び止められた。 今日の昼間も、自分の事を構いに来たのになぜかすぐに退いていった連中だと思いつつ、その言い澱む様に眉根を寄せながら何か用かと問いかけると、一枚の絆創膏を差し出された。 可愛らしい絵柄のプリントされたそれを受け取りながら、何故と問いかけると、暫く誰が口を開くのかと擦り付け合いをしていた四人のうちの一人が、おずおずと口を開いた。 「あ、あのね?右の肩の後ろの方にその、……キスマークが……」 「マジで?ワリィな」 四人が泣き笑いのような顔で見送ってくれるのに笑って応えながら、泉はまだ席に座ったままだった浜田の席の傍らに立った。 「浜田。ちょっと話があんだけど」 笑顔と裏腹の恐ろしい気配に、浜田は脂汗を浮かべた。 「な、にかなぁ?」 視線を合わせずに薄笑いを浮かべた浜田に、泉は極上の笑みを向けた。 「俺、白々しいこと言う奴って嫌いなんだけど」 夕べの可愛らしさとは裏腹の恐ろしさに、浜田は神様が時間を巻き戻して、夕べに戻らないかと真剣に祈った。 (2006.6.15) まこと様16000hitキリリク。浜田と泉の日常。平凡な日常こそが一番の幸せという素敵なリクでしたv このCPは浜田の家で思う存分、という事が出来るのですが、きっと浜田が躊躇するのだろうな、と思います。 浜田は泉をとても大切に思っていて、思いすぎて泉はちょっと欲求不満で。でも泉も大事に思われていることも分かっててあまり我侭も言えない。想い合いスパイラルがハマイズの醍醐味かと(笑) これで日常になったかどうかは分かりませんが、こ、これでどうでしょうか……(汗)いつも温かいコメントを頂いてありがたく思っております。まこと様のみDLFですvありがとうございました!(^▽^) |