視線 -3- - Side-Sakaeguti - 「だって、栄口。三橋の事好きでしょ?」 水谷にそんな事を言われてから数日、俺は一人でぐるぐる考えてしまって、睡眠不足になってしまった。 中間テストも無事に終わったある日の休憩時間中、教室で大きな欠伸をしていると、巣山が珍しいものを見るような顔で寄って来た。 「どうした、栄口。まだ一時間目終わったトコだぞ?」 「んー……最近ちょっと寝つきが悪くて……」 上手い言い訳が思いつかなくてそう言うと、巣山は変な顔をした。 そうだよねぇ、あれだけへとへとになるまで練習してるのに、帰って寝られないなんて事、普通は無いよねぇ…… 夏大の抽選会を控えて、毎日練習はハードになってきている。 照明施設の無いグラウンドでは、太陽の光が頼りだけど、日に日に遅くなる日没のお陰で、長い間白球を追える分、練習時間も長くなってきて、体力的にはきつい。けど、それに付いていける自分に驚いたりもしていて、それは苦痛ではなかった。 「何か悩み事か?」 気遣うような巣山の問い掛けに、俺は慌てて笑った。 「いやぁ、ほら、もうすぐ抽選じゃん?どこと当るのかなぁ、なんて考えちゃうだけ」 説得力の薄い理由だけど、眉尻を下げていつもの笑顔を浮かべると、巣山は少し訝しげな顔をしたものの納得してくれたのか、そのまま引き下がってくれた。 巣山って良い奴だよなぁ。 でも、さすがに俺の悩み事を相談は出来ない。 チャイムが鳴り始めて、自分の席に戻る巣山を見送りながら、俺は小さく溜息を吐いた。 男の俺が、男の三橋に恋をしました、なんて。 確かに気になってた。それは認める。 でも、それは友人として、同じ野球をプレイする人への興味だと思ってた。 あんなに人に対して怯える高校生なんて、滅多にいないよねぇ?なのに、あの口の悪い阿部とバッテリーを組む事になって心配してた。 うん、それも認める。 合宿が終わってから、少しづつ俺達にも馴染み始めてくれて、自分から声を掛けて来てくれた時なんかは、結構嬉しかった。 それから、毎日の練習や、週末の練習試合なんかで、阿部とのやり取りで三橋が傷つかないか心配になって気を配るようになったよ。うん。 そこまで考えた時、俺は深々と溜息を吐いた。 ようするに、それくらい前から三橋の事が気になって、見てたんだよな…… 次の授業の担当教師が教室に入ってきて、慌てて教科書を準備しながらも、俺はまだその事を考え続けていた。 それがいつ、恋心に変わったかなんて事は、どれだけ考えても分かりはしない。 相手の事が気になっている事を自覚する、その瞬間が恋に落ちた瞬間なのかも知れない。 だって一目惚れでは絶対に無い。最初に会った時なんて、ただのピッチャー候補と外野手ってだけだ。同じクラスでもなかったから気にも留めてなかったし、友達になろうとしていたかどうかも怪しいよ。 けど、今はこうして相手──三橋の事が気になって、会いたくて、触れたい。 何でこんな欲求を持つようになっちゃったんだろう…… 俺、そんな嗜好があったの?いや、確かに三橋は男にしては線が細いし、可愛い顔してる。それに、頼りなげな感じがどうしても庇ってあげなくちゃって気にさせる。 なのに、ピッチングに関しては凄い技術を持っていて、あれでスピードがつけば、それこそ榛名さんなんか目じゃないピッチャーになれるはずだよ。 予選開始までもう少し。その間に体を鍛えていけば、持久力も増すはずだし、田島や花井がいれば、それこそ阿部が顔合わせ初日に言ったみたいに、俺達は甲子園にいけるはずだ。 俺は、三橋を甲子園に連れて行ってやりたい。 中学時代の辛い経験を乗り越えて、あんなに怯えながらでも一所懸命頑張っているあいつを、皆に見てもらいたい。そして、皆で野球をする楽しさを、存分に味わってもらいたい。 でも、そこにこんな気持ちを持ち込んで言い訳は無いはずだよね。 もう何度目か分からない溜息を吐きながら、俺はちっとも内容が頭に入らない授業の板書きを、のろのろとノートに書き写し始めた。 その日の練習は、グラウンドに出来てしまった水溜りの処理からだった。 まだもう少し梅雨には早い筈だけど、少しづつ雨の降る日が多くなってきてる。 俺達はタオルとバケツを持ち出して、水溜りの水をタオルに沁みこませ、それをバケツに搾り出す、っていう作業を続けた。 「田島!遊んでんな!早くやんねぇと練習できねぇだろうが!」 「えー?ちゃんとやってっぜー?」 花井の怒鳴り声に悪びれる様子も無く、三橋と一緒に何か話し込んでいて、作業が疎かになっていた田島は、手にしていたタオルを振り回しながらその場に立ち上がり、三橋を振り返ると笑った。 「花井の奴、溜まってんのかな」 ぶっ! 田島って何でこんな事平気で大きな声で言えるんだろ。凄いとは思うけど真似は出来ないよなぁ…… 聞こえた俺が噴出したのを聞きとがめた花井が、鋭い視線を田島に向けた。あ、ちょっとマズイ? 「田島ぁ、テメェまた何か変なこと言ってただろ……」 「えー?健全な高校生としては、変じゃないと思うけど?」 鬼の形相で詰め寄る花井に、あっけらかんとそう言った田島に、花井の血管か堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた気がした。 「お前なぁ!自由過ぎんのもいい加減にしろよな!」 「うおっ!花井が怒った!」 「うひっ!」 田島の言葉に、三橋までびくついてその場に立ち上がった。 でもそのタイミングが悪かった。 田島に突進していた花井が突然の三橋の行動に驚いて、立ち止まりかけたけど間に合わず、勢いは削がれていたもののあのでかい体でぶつかってしまった。 俺は三橋が怒られた訳じゃないぞ、と声をかけようとしていたところで対応が遅れた。 ぶつかった勢いでよろよろとバランスを崩した三橋は、体勢を立て直せなくて、そのままベンチに向かってダイブしかけた。 「危ない!」 沖の声が響いて、近くにいた俺と水谷が、何とかつかめそうだった三橋の足に手を伸ばした時、もう一人の手が三橋の体を正面から支えて、周囲は一瞬緊張に満ちた沈黙に支配された。 そして── 「た〜じ〜まぁ〜てんめぇ〜!」 三橋の足と腰を支えた俺と水谷の頭の上から、恐ろしく低い声が徐々にテンションを上げつつ響いて、名前を呼ばれた本人だけでなく、俺たち残りのメンバーと支えられた本人も、思い切り肩を跳ね上げた。 「ええ!?悪いの俺?!」 「ったりめぇだろ!花井も!田島につられてんじゃねぇ!予選不参加のつもりか!」 三橋をちゃんと立たせてやりながら、部内一の声量を誇る阿部が叫ぶと、主将である花井も黙ってしまう。 「まぁまぁ、阿部。ちょっと落ち着いて……三橋が固まっちゃってるよ?」 俺がそう言って場をとりなすと、一声叫んで少し落ち着いたらしい阿部は、大事な投手に怪我が無いか問診し始めた。そしてそれが済むと、田島と花井に向かって行ってもう一声叱り飛ばしていた。 ホント、阿部って世話女房だよねぇ……カカア天下だけど。 なんて事を考えながら、俺と水谷も三橋の側で阿部、田島、花井の様子を見て遠巻きに笑っていた。 けれど、俺の心の中はもっと違う事で一杯になっていた。 頭と心は別物ってホントなんだね。 触れたくて仕方が無かった人に触れられる感触は、例え相手が同性であっても、固い筋肉質の体をしていても、忘れられないものだった。 緊急措置だから、触れる事に問題は無いよね? 「三橋に怪我が無くて良かったよ。もしベンチに突っ込んでたら、ただじゃ済まないもんね」 水谷の声に、三橋はまだ怒られ続けている田島と花井を心配そうに見つめていた顔を水谷に振り向けた。 「み、水谷、君、ありが、とう」 まだ何かびっくりしてんのかな?いや、また人に話し掛けるのに緊張してるってだけかな。 どもりがちな三橋の言葉に、俺はそんな分析をしながら、水谷にちょっとした嫉妬を感じてた。なんでお前の方が先なんだよ。 「栄口君も、ありが、とう!」 大きな目を、今度は俺に向けた三橋の声に、俺の心臓は飛び出さんばかりに跳ねて、俺は三橋にその音がきこえるんじゃないだろうかと心配になった。 「どういたしまして〜三橋もやっと自分から声掛けてくれるようになったねぇ」 「ウヒ」 水谷の言葉に、三橋は頬を染めて武蔵野戦を見ながら阿部が指導していたあの変な笑顔を浮かべ、俺と水谷は声を上げて笑い始めた。 その時、首筋にちりちりとした視線を感じた気がして、その気配を辿った。水谷も気がついたのか、急に笑うのを止め、作業している西広や巣山の所に戻った。そして、俺は── 「阿部?どうかした?」 「あ?何でもねぇよ。それよか三橋、昨日渡した書類、持ってきたか」 「持って、来た!けど……」 最初、勢い良く叫んだ三橋の言葉尻が段々と萎んでいく。 ああ、どっかに置いてきたか何かしたんだな、と思ってる冷静な俺と共存しているもう一人の俺は、阿部が俺と水谷に向けてきていた視線の意味に気付いて、阿部に対して激しい敵愾心を燃やした。 「ほら三橋、とりあえず落ち着け?阿部は怒って無いから、書類、取ってきなよ」 「う、ん……」 小さく頷きながらも、怯えた上目遣いで阿部を見遣った三橋に向かって、阿部は小さく息を吐きながら頷き返してやる。 「怒ってねぇから、打ち合わせに使いたいし、さっさと取って来いよ」 阿部のその言葉を聞いた途端、三橋の顔から怯えの色が消えた。 「はいっ!す、ぐ!」 「慌てなくて良い!走るなよ!」 返事を返すや、すぐに部室に向けて走り出した三橋の背中に向かって阿部が叫ぶと、三橋はその場で立ち止まり、ぎこちない動きでそこからは歩き出した。 でも気持ちが焦ってるんだろう、回転数が早い。 「何なんだあいつは……」 「はは、面白いよね〜」 何気ない風に応じながら、俺は阿部に歩み寄った。 「んで?俺に何かあった?」 敵愾心をたぎらせる俺を表に出さないよう、いつもの笑顔を浮かべると、阿部の眉間に小さなしわが寄った。 「あ?何の話だよ」 「何って、俺と水谷に、さっき凄い視線くれてたじゃん。だから、俺が何かしたかなって思ったんだけど」 すらすらと出てくる言葉に、俺自身驚いた。 俺、こんなに言葉繰り上手かったんだ。 「……別に、何も無ぇよ。お前の勘違いだろ」 阿部はぶっきらぼうにそう言うと、さっさと自分の作業場所へと戻って行った。 結構、嘘吐くの下手だったんだな。 阿部の背中を見送りながら、敵愾心と一緒に沸きあがってきた奇妙なおかしさに、顔を歪めた。 俺だけじゃないんだ、っていう安心感と、一緒に手に入れた敵対心。 野球の上では俺と阿部はこのチームで対等だけど、三橋に対しては、普通に友達として付き合える俺の方が少しリードしてるよな。 そう考えて、酷薄な笑みを浮かべながら、俺も自分の作業に戻った。 俺は三橋が欲しい。 きっと阿部も同じ事を考えてる。けど、譲れない。 バッテリーとして、普段あれだけ一緒にいる二人を見て、俺だって落ち着いてなんかいられない。 人の心の内を読み取るのが仕事の阿部の事だから、きっとさっきの俺の言葉で、何が言いたかったのか分かった筈だ。 「宣戦布告?」 突然掛けられた声に驚いて顔を上げると、水谷が俺の前に立ちふさがっていた。 「何?」 今、水谷は何て言った? 俺の問い掛けに、水谷はいつものふにゃりとした笑顔を浮かべた。 「俺、分かってるよ。栄口が誰の事を好きなのか。だから、阿部に宣戦布告したんでしょ?」 どこかとぼけたような普段の印象を覆す水谷の言葉に、俺は絶句した。 「水谷、お前、まさか……」 最初から知ってたのか?っていうか、テスト前の言葉は、それを知っての上での言葉だったの? 俺は自分よりも先に、他人に心を読まれていた事が急に恥ずかしくなって、顔が熱くなった。 恥ずかしさと一緒に、人の悪い水谷の行動に、抑えきれない怒りが湧き上がってくる。 けど、水谷はふと顔から表情を消すと、俺の目を真直ぐに見ながら、口元を微かに撓めた。 「俺は、全然偏見ないから、誰にも言ってないよ?」 至極真面目に呟かれた言葉に、俺は頭に血が上った。 こいつ、こんな悪趣味だったの?! 「そんな事、どうでも良いよ……」 さっきの阿部と似たり寄ったりの低い声で言うと、水谷の顔に、微かな緊張が見えた。 「この悪趣味の詫びは、きっちり貰うからね」 人の恋愛を高みで見るような真似をして、したり顔でちょっかいを出してくるなんて最低だよ。 でも、手を出してきた以上、しっかり利用はさせてもらう。 俺は水谷の体を押しのけると、阿部に怒られて小さくなっていた田島と花井の所に行き、いつものごとくフォローを始めた。 普段通り、笑顔で二人を宥めすかしていると、戻ってきたらしい三橋の声が聞こえた。 けれど振り向かなかった。 多分、阿部が出迎えている筈だ。そんなムカツク場面なんか見たくない。 その日、俺はずっとむしゃくしゃしたままで、ハードな練習で疲れ果てていても、また深い眠りに落ちることは出来なかった。 ←BACK 栄口が黒い……次はフミキターンです。 |