視線 -4-




失敗……だったかなぁ……
俺は田島と花井のところに向かって行った栄口の背中を見送りながら、小さく溜息を吐いた。

でも、俺だって無い知恵絞って一所懸命考えてんだもん。もしこれで怒られて、嫌われても平気かな。だって、それくらい栄口にイカれちゃった。
「何してんだ、水谷。忙しい奴だな」
「んー?栄口に言おうと思ってた事を言い忘れてたからさぁ」
阿部の痛い視線から逃げ出した時に寄って行った巣山が、雑巾片手に近寄ってきた。
巣山越しに向こうを見ると、西広も何だか心配そうな顔をしながらこっちを見てる。

西広に向かって、笑顔で手を振ってやりながら、俺はまだ返事を待っている巣山を振り返った。
今ので納得してヨ……
「栄口さぁ、何だか調子悪そうなんだよねー。だから、何か心配事でもあんのかなって思っただけ」
「あ、やっぱりお前もそう思った?」
へ?
思わずいつもの水谷スマイルの代わりにびっくり顔を浮かべると、巣山が腕を組みながらうんうん頷いた。
「俺もさぁ、教室で聞いてみたんだけど、誤魔化すだけなんだ。授業もあんまり聞いてないみたいだし……何か知ってる?」
真直ぐな目で見られて、俺は素直に小さく縦に頭を振った。

「うん、まあね……でも、プライバシーなので、栄口の了解無しに喋れません」
そう言って俺が口にチャックする真似をすると、巣山が吹き出して、話はそこまでになった。
巣山もいい奴だよね。でも、ゴメン。そんなお前にちょっと嫉妬しました。
そうだよなー同じクラスだもんなーだから授業中の事も知ってて当たり前なんだけどさー……

「おーし、もういいだろ。手の空いた奴はトンボ取りに行ってくれ」
阿部に叱り飛ばされて凹んでしまったものの、どうにか復活したらしい花井の声に、あちこちから同意の声が上がって、俺と巣山も返事を返すと、揃ってトンボを取りに倉庫に向かった。
「ま、栄口に何かあったら、お前に連絡するようにするわ」
「俺に?」
隣を歩く巣山の顔を振り返ると、巣山はきょとんとした顔でこちらを振り返った。

「だってお前、プライベートな相談されるくらい仲良いんだろ?だったら、俺が栄口に聞くよりも良いかなって思ったんだけど、何、何かマズイ?」
「へ?いやいや、マズくはないよ?」
俺は驚いて、笑顔のまま顔を固まらせた。
すやま〜〜〜!!
お前、何ていい奴なんだ!俺、ちょっと感動した!
「巣山〜お前はいつまでも良い奴で居てくれ〜!」
「うあっっぶねぇ!」
目を潤ませながら巣山に飛びつくように抱きつくと、転びかけた巣山が体勢を立て直しながら叫び、俺はその坊主頭に頬を摺り寄せてやった。



そんなこんなで日が暮れて、やがて抽選会の日を迎え、俺達は色々驚いた。
いきなり去年の甲子園出場校ってどういう事?!
花井ぃ、やっぱりお前阿部の言うとおり、くじ運無いわ……
同時に言い渡された練習時間の増量に、俺達はげんなりしつつも、阿部やモモ監の力強い言葉にやる気を出していた。

でも、俺の頭の中にはそれよりも大きな比率を占めている事があって、夏の暑さよりも何よりも、その事を考えるのが辛かった。
俺を苦しめるんだけど、同時に痛い喜びをもたらす事。
それはもちろん栄口の事だった。

あの三橋ダイブ事件からこっち、栄口は俺に何も言ってこない。
それが凄く不気味だった。
見た感じはいつも通りだし、練習でペアを組んだりしても特に何かを言われたりすることは無い。
教室での様子も、それとなく巣山に聞いてみたりもしたけど、睡眠不足以外は変わり無いらしい。
睡眠不足はきっと練習の所為だよなぁ……

でもねぇ、栄口。
俺は、こんな状況も楽しめちゃうような奴デスヨ?
だってさ、どうやって俺の事を使おうかとか、時々は考えてくれてるんだろ?だったらさ、いつもは三橋に向けている時間の内、幾らかが俺に向けられてるって事でしょ?それってちょっと嬉しい。
あーあ、俺、いつからこんなに病んじゃったんだろ。
何だか体が重い所為かな、考え方が段々くらーい方向に向いちゃう。

「何だ?水谷まで溜息吐いて」
「へあ?」
日が落ちて、ジャングルジム氷鬼をやり終わった俺が、上がった息を整える振りして、その辺に座って軽い自己嫌悪に溜息を吐いたのを、目敏く見つけたらしい巣山が俺の横に座り込むと、声を落として話し掛けてきた。
「あり?ばれた?」
巣山はホントにいい奴だからなーあんまり嘘や誤魔化しをしたくない。だから冗談をいうような感じで笑いながらでも、目は本心を喋ってる時仕様にした。

そしたら、巣山は分かってくれたみたいで、持ってたタオルで汗を拭う振りをしながら口元を隠した。
「力になれる事か?」
す、すやま!ホントにお前はいい奴だよ!
あの大魔王阿部とかに、その爪のアカを飲ませてやりたいよ!
どっちも嫌がるだろうけどね。(笑)

「んーん。俺が自分で何とかするしかない事だからね。でもサンキュ!」
多少強がりなのは自覚してるけど、心配してくれる奴が居てくれるってだけで、大分心強い。
「何だお前等、悪巧みでもしてんのか?」
不意に頭の上の方から泉の声がして、俺と巣山は思いっ切り驚いて肩を跳ね上げた。
「うおーびびったー」
「もーびっくりするじゃん泉ー」
「後ろめたい事があるからびっくりすんだよ。で?なんかあったのか?」
面白がるような目で俺達の前に腰を下ろした泉に、俺はちょっとパニくった。
だって、こういう目をしたときの泉って自分が納得するまで食い下がるんだもん!
俺がどうやってこの場を切り抜けようかと考えてると、俺と巣山の前に座っていた泉越しに、栄口が立っているのが見えた。

俺達から少し離れた所に立っている栄口は、今ジャングルジムに取り付いている阿部、三橋、沖の様子を見ている。



ああ、くそっ!気付かなきゃ良かった。



三橋に向けられた、どこまでも優しい視線。



そして──



栄口がこっちを向いた瞬間に切り替わった、とりつくしまもないような、表情の消えた目。

「水谷?」
泉の声が呼び掛けてきたのは分かったけど、何を言ったら良いのか、何をしたら良いのかなんて、何にも分からなかった。
駄目だよ……嫌だよ栄口……

俺はいきなり襲ってきた強い脱力感と、視界に下りてきた真っ黒いカーテンみたいな物の所為で、座っている事も辛くなって、隣の巣山の肩に凭れ掛った。
「水谷!?」
巣山が耳元で叫ぶような声がした気がしたけど、もうそれに答える気力も無くなってた俺は、そのまま暫く動かなかった。
っていうか動けなかった。

貧血なんて最悪……
か弱い女の子じゃあるまいし。
周りに皆が集まって来た気配がして、俺はその場に寝かされた。
でも、その人垣の一番外、それも少し離れた所から、栄口が動かないのは分かった気がした。

嫌だ、栄口。
栄口を傷つけちゃった俺を嫌いになったのは分かる。
結構プライド高いモンね?なのに、自分の気持ちを俺みたいな奴に言い当てられて、腹が立つのは理解できるし、そこは確かに俺も失敗した。
でもね?あんな三橋以外は敵、みたいな目をしたら駄目だよ。俺達皆で甲子園目指すんでしょ?
だから、俺の事は嫌いでいいから、せめて他の皆の事はちゃんと信頼してよ。

横になってた所為か、少しづつ視界が戻ってきた来た気がして瞼を開けたら、巣山と泉の顔がまず目に入って、その周りに他のメンバーの心配そうな顔が覗いてた。
「大丈夫か?水谷」
「調子悪いなら言えよなー」
花井と田島が声を揃えて窺って来たけど、声を出すのも億劫で、俺は肘から先だけ持ち上げた右手を、ひらひらと振って答えた。
やっぱ、栄口の顔は見えないや……

「ちょっと良い?」

柔らかい声がして、人垣が割れると、ひょっこりと栄口が顔を現した。

いつもの笑顔の栄口にあんまり驚いて声も出せずにいると、一瞬栄口の眉がピクリと動いたけど、それ以外の変化は何も無くて、何か言われるのかと思ったら、持ち上げてた右手に小さな四角いものが幾つか乗せられた。
何かと思って見たら、それはいろんな色の包装紙で包まれたチョコだった。

「とりあえずこれ、食べなよ」
「何だよ栄口、用意良いじゃねぇか」
泉が感心したみたいに言うと、栄口は手をうちわみたいに上下に振った。
「後で皆に配ろうと思って持ってたんだよ。姉貴がアソートカップ買って来たは良いけど、ちょっと食べたら飽きた、とか言い出して。弟は別のお菓子押し付けられてさぁ……」
そんな話をしている栄口の顔を見ながら、俺は嬉しいやら苦々しいやら大変だった。

そんな嘘、言わなくて良いよ。
そんなの絶対、三橋にあげる為の物でしょ?
でも、それでも、チョコ貰えて、声を掛けて貰って嬉しい自分がとんでもなく馬鹿みたいに思えて、泣いて良いのか笑って良いのか分からなくなって、おでこに変な力が入っちゃた時、目元にいきなりタオルが降って来た。

「チョコ食べて、暫くそうしてろよ水谷。家の人に迎えに来てもらうか?」
俺の頭の真上にいた巣山の声だった。
「……ううん。もうちょっとしたら復活できるだろうからへーき。巣山も栄口もサンキュー」
お礼を言いながら、俺はタオルを広げて顔全体を覆うと、滲んできた涙の所為でわななく口元を隠した。
あーもう、本当に巣山には感謝だよ。きっと凄く心配してくれてんだろうな。だから、俺が泣くのを我慢できなくなってきてたの分かってくれたんだろうな……

「おし、んじゃあ他の奴らは続きだ。次、俺と栄口と西広な!」
花井の号令がして、俺の周りから人の気配が消えていくと、ちょっと回りが涼しくなった。人垣って、結構風を遮るんだね。
「水谷」
ただ一人、俺の側にまだ残ってくれていた一人の気配が、頭の方から呼び掛けてきた。
「何?すやま」
泣いた所為でちょっと震える声で答えると、少し長い沈黙が降りた。

「……その……」
沈黙の後の言葉は、何だか困惑してるように聞こえた。
「桐青戦、頑張ろうな」
本当は、もっと色々聞きたいんだろうなぁ……でも、我慢してくれてんだ……
そう思うとまた涙が出てきて、俺は小さく頷くしかできなかった。



まだちょっとふらつくけど何とか歩けるようになって、体調を気遣われて先に一人練習を上がり、着替え終わっていた俺の視界に、巣山と栄口が、ベンチの隅で何か話してる姿が映った。
その途端、俺は慌てて目を瞑って顔を逸らした。
うーダメダメ。見ない見ない!
見たら気になっちゃうけど、今日はもう無理。頭一杯。何も考えられません。
「水谷」
ああ、優しい声で栄口が呼んでる声が聞こえる気がするけど、幻聴幻聴。

「水谷ってば」
呼びかけと一緒に肩を掴まれて、俺はその腕に引き寄せられるようにして振り向いた。
「大丈夫か?」
「ぅわあっ!」
あんまりびっくりしちゃって、声を上げて後ろに身を引いた瞬間、栄口は一瞬だけ、掠めるように凄く険しい、でも、傷ついた、みたいな顔をした。

「どーした、水谷」
花井の声に我に返ると、俺と栄口に皆の視線が集中してた。
「ご、ごめん!ちょっと考え事してて……」
「大丈夫かぁ?」
「うん、大丈夫大丈夫……ホントに……」

花井が確認してきた言葉にそう答えると、俺はいつもの笑顔を浮かべた。
「んで、ごめん栄口。何?」
もう一度振り返った俺に、栄口は眉根を寄せたけど、「何でもない」とだけ言い残して自分の荷物の所へと戻って行った。
……なんだろう、凄く気になるんだけど……
俺は荷物から携帯を取り出した栄口が、それを弄くっているんだろう背中を見つめていた。

もっと知りたいな、栄口の事。
だってさ、俺が栄口に対して色々考えてる事って言うのは、俺の頭の中で自分なりに考えた事だ。きっと、っていうか当然当っている事も、外れている事もある。
もちろん、全部が全部分かる訳じゃないのは良く分かってる。だけど、──だけどさ、もっともっと栄口の事を分かって上げられて、いつも栄口が笑っていられるようにしてあげたい。
い、今は怒らせちゃってるけど、ね。

俺は皆に心配かけると悪いし、と思って、まだ着替えてるメンバーを待つために、ベンチに座り込んだ。
そして目を閉じようとした瞬間、ズボンのポケットに入れてた携帯が震えて驚いた。
練習中に鳴るのはまずいと思ってマナーモードにしてたの、戻すの忘れてた。
二つ折りのそれを開くと、新着メールが一件入ってる事を知らせるディスプレイが出てて、着信ボックスを開いた俺は、驚いて目を丸くした。

メールを送ってきた相手は、栄口だった。


←BACK   NEXT→








中途半端になってしまった気が……すみません(汗)予想GUYが活躍しました(笑)