視線 -7-




−Side sakaeguti−

隣を歩きながら、水谷が凄く緊張しているのが手にとるように分かった。

普段より少ない口数、合わない視線。
軽いとはいえ、貧血を起こしてた水谷に無理をさせて申し訳なかったけど、練習に支障をきたすような心配事を抱えさせてた事の方が申し訳なくて、俺はせめてゆっくり座れる場所でって考えて、レンタルショップの近くの公園を提案した。
そこなら座れる所もあるし、水谷の家に近くて俺も場所を知ってる。
そこに向かう道々では、お互い殆ど何も喋らないで公園に入って、自転車を停めた。
途中で何か飲み物でも買ってくれば良かったけど、後悔先に立たず。水谷を残してわざわざ買いに行くのも、と思って、俺は用事を早く済ませる事にした。

あー凄く緊張する。
自分が隠していた気持ちを口にするなんて、やった事無いけどバンジージャンプより怖い気がする。
けど、大事なチームメイトに心配と迷惑を掛ける事を考えれば、ここで竦んでしまうことは許されない。
「水谷、体平気?」
「うん。栄口こそ、疲れてんのにこんな遠回りして平気?」
俺の問い掛けに、いつもの笑顔を浮かべた水谷だったけど、やっぱり顔色が悪い気がするし、どことなくぎこちない感じもする。
「うん、俺は大丈夫」
やっぱ水谷も良い奴なんだな。
もうちょっと、倒れちゃったりする自分の心配しろよ。

公園の中にあったベンチに並んで座ると、半袖から覗く腕に、風が冷たかった。
「今日もホント暑かったねぇ」
「うん、そうだね」
どこかのんびりと水谷が呟いた言葉にそう返すと、お互い何を言って良いのかって感じで、二人共口を噤んだ。

沈黙って、居たたまれなくなるんだな。
でも、いつまでもこうしている訳にも行かない。
俺は小さく息を吸うと、意を決した。
「ねぇ、水谷」

俺の呼び掛けに水谷がこっちを向いた気配がした。
けど俺は、恥ずかしさからどうしても水谷の顔を見る事は出来なかった。
「この間はゴメン、俺、何か気が立ってたみたいでさ……」
水谷の顔を見れなくて、じっと足元の地面を見つめながら、俺は言いたい事を簡潔にまとめようと必死になった。
言いたい事は凄く簡単な事のはずなのに、なんだか酷く話し難くて、俺はもう一度謝った。
「俺さ、自分で自分の気持ちが分からなくなって……混乱して……それを水谷に見透かされて、すっごい吃驚したんだ、多分」

喋りながら、だんだん胸が熱くなってきた。
今まで口に出していなかった自分の気持ちを声に出す事で、なんだか整理されていくような感じだった。
けれど、それと同時に今まで培われてきた倫理観みたいなものが、急に俺自身を異端者に仕立て上げてきて、自分自身に対する不快感が熱くなった胸に沸き起こってきた。
けど、それでも……
「ははっホント、自分でも訳が分かんないよ。相手は男なのにさ……ずっと一緒に居たくて、支えてやりたくて……いつの間に、こんなにってくらい……」
忌避感と希求感。
その間に挟まれて、俺はもう限界だった。

昂ぶった感情が、自身を鎮めるために涙を流す事を促したけど、唇を震わせてそれを堪えると、俺はじっと俺を見守ってくれてる水谷を振り返った。
「俺、三橋の事が凄く、凄く好きだ」
その瞬間、水谷の目が僅かに見開かれた。
「これでこの間の詫び、貰ったから、もう忘れてくれて良いよ」
「へ?」
変な声を出していつもの顔に戻った水谷を見てたら、つい俺は笑いが込上げてきて咽の奥で笑った。
「自分の中でさ、もうこの気持ちが爆発しちゃいそうだったんだよね。でも、水谷に聞いて貰えて少しすっきりした。なんか、気持ちの再確認?みたいなのが出来てさ……でも、水谷からしてみたら、男が男の事を好きになった、なんて話、改めて聞かされるのは良い気持ちしないだろ?だから、俺の話を聞いてくれた事が詫び」

凄く久し振りに落ち着いた気持ちになりながら、俺は立ち上がって水谷の正面に立った。
「ごめんな、水谷。こんな事に気付かせちゃって……買い被りなのかも知れないけど、その所為で、お前にも心配掛けて悪かった。巣山にも言われたよ。水谷が何か問題を抱えてるみたいだから、話を聞いてやってくれって。問題って……俺の事だろ?」
本当に自意識過剰なのかもしれないと思ったけど、ちらりと見えた水谷の視線と、項垂れ伏せられた顔は「そうだよ」と告げていて、胸に小さな痛みが走った。

「なぁ、水谷……」
きっと凄く心配してくれていたんだろうな……辛い思いをさせてゴメン。
「……何?栄口」
自分が嫌う自分を曝け出す恐怖は声を震わせて、俺は眉間に力を込めた。
ゆっくりと俺の呼び掛けに顔を上げた水谷の目を見ながら、俺は込上げる嫌悪感を押さえ込んで呟いた。
「こんな奴がチームメイトで、ごめんな?」

その瞬間、水谷の目が僅かに見開かれた。
やっぱり俺はどっかおかしいよな。
本当に、いろいろとごめんな、水谷……
自分の気持ちばかりで、チームメイト……っていうより、友達に心配掛けさせちゃって、本当にごめんな。こんな言葉一つで伝わるかどうか分からないけど、今の俺には精一杯の言葉だった。

「んなっ!そんなの、誰も悪く無いって!」
水谷が凄い勢いで立ち上がって驚いていると、水谷の手が俺の手を夫々握った。
握ってくれた水谷の手も少しひやりとした感じだったけど、知らない間に強く握り込んでいた俺の手は、もっと冷たくなってた。
「人が人を好きになるって、絶対悪い事じゃないよ!俺はそう思う。それに、栄口みたいに真剣に誰かの事を想えるのって、俺、すげぇ羨ましい」
必死に。
そう、必死にそう言ってくれた水谷の目元が赤味を帯びて、目が少し潤み始めた。
何でお前の方が泣きそうなんだよ……こっちが……こっちがつられて……

「俺でよければ、話くらいいつでも聞くよ?今まで一人で溜め込んでたから、辛かったんでしょ?だからさ、俺の事頼ってくれていいよ」
そんな事言うなよ……今日までだって、お前の事苦しめて、ないがしろにしてたのに、俺、調子に乗っちゃうじゃん……
涙が込上げてきて少し顔をしかめた瞬間、水谷の手が俺の手を強く引いた。
不意を突かれて前のめりになると、俺の手を掴んでた手が離れて肩に回って抱きとめられた。

「大丈夫だよ栄口。俺に出来る事なら何でもやるよ。だから、我慢なんかすんなよ……俺等……」
お前こそ、無理しなくていいよ水谷。
理解できないだろ?こんな奴……理解しようとしなくていいよ。だって、自分でも分 かんないし、そんなことしようとしたら、きっとまたお前に心配や迷惑かけちゃう。
水谷が僅かに口篭もった間、俺はそんな事を思いながらも、水谷の腕を振り解けなかった。
他人の体温って、凄く気持ちの良いものなんだな……
夜とはいえ、ちょっと運動すると汗が出るような季節なのに、俺は心地よさに目を閉じた。
「俺等、チームメイトだろ?内野のフォローは外野の仕事だよ?」

水谷が俺の耳元でそう囁いた瞬間、俺の中にあった重たい何かが、音を立てて落ちた気がした。
うっわ、反則だ!
「み、ず……たに……」
茶化したような口調でも、この言葉が冗談なんかじゃないって事は分かる。
落ちた何かが塞き止めていた涙が、みるみるうちに込上げて来るのが我慢できなくて、俺は情けないくらい声を震わせた。
そうしたら水谷の奴、子供をあやすみたいに俺の背中を叩いてきて、「子供扱いするな」って言ったら、いかにも泣いてます、みたいな鼻声になって恥ずかしかった。
なんか今日はいろいろ恥ずかしい。
自分のいたらなさ、情けなさ、子供っぽさ。そんなものが色々ぐちゃぐちゃになって、暫くぶりに流した涙と水谷のお陰で、俺の気持ちは大分軽くなった。

別れ際、水谷にもう一度謝って、それから感謝も伝えながら笑った。
泣くのも久し振りだったけど、普通に笑うのも、なんだか物凄く久し振りに思えてちょっと戸惑った。
だけど、俺の心の内の全部を見られた水谷になら、どんなに変な顔でも笑って受け入れてもらえそうで、俺は無様な笑いを浮かべた。

水谷と別れてすぐ、俺は巣山にメールを打った。
巣山には背中を押してもらったもんな。
俺は簡単に水谷とちゃんと話し合ったこと、それからもう問題は解決した事を書いた後、一言だけ礼を言って送信した。
そしたらすぐに返事が返ってきて驚いた。
やっぱ、巣山も気にしてくれたんだな。でなきゃこんなに早く返事が帰ってくるとは思えないもん。
自転車を押して歩きながら、俺はメールを開いて見た。
そこには心配させんな?ってお叱りと、早く帰って寝ろ、って事。それから少しは人を頼れって書かれてて、申し訳ないけどちょっと吹き出した。

「皆良い奴だよなぁ……」
俺は鼻を鳴らすと、携帯を片付けた。
ああ、遅い時間で良かった。でなきゃ、泣きながら歩いてる男子高校生ってきっと何か変だ。
こんな自分本位の奴に、皆優しい。優しすぎるよ。
俺は頬を伝った涙を乱暴に拭うと、自転車に跨って漕ぎ始めた。
もう後数日で俺達にとって初めての公式戦、夏の初戦だ。
最初の相手からとんでもないところだけど、それでも俺達が出せる全てを出して闘おう。そして勝つんだ。

そんな決意を胸に家に帰り、諸々の用事を済ませると、俺は久し振りに深い深い眠りに落ちて、凄く幸せな安心を得た。



翌日、朝練の為にグラウンドに直行すると、もう全員が集まっていて、俺が一番最後だった。
「おせーぞ栄口」
「皆が早いんだよ」
まだベンチで着替えていた巣山が開口一番からかってきて、俺は苦笑いを浮かべた。
これでも練習開始十五分前だ。皆気合い入ってるよな。
「あ、そだ、巣山」
「何?」
トレーナーの下に着込んでたらしいアンダー姿の巣山が、鞄からズボンを取り出しながら顔を上げた。

「昨日、いろいろありがとな」
エナメルバッグやデイバッグをベンチに下ろしながら礼を言うと、巣山はきょとんとした顔をしたけど、すぐに何の事か分かったみたいで、ああ、と唸った。
「俺はそんな大した事できて無ぇだろ。礼を言うなら水谷にじゃねぇの?何か今日、レバー山ほど食わされる夢見たとかで目ぇ腫らしてて、それ気にしてるみたいだから、そこには触れてやんなよ?」
「はぁ?」
ニヤリと笑った巣山に、俺は眉を歪めた。
今朝、一番にグラウンドに来ていた水谷を見つけた田島が盛大にからかい、ちょっと機嫌が悪いと聞いた俺は小さく笑った。
そういや、当の水谷はどこなんだろ?
巣山に言われたからって訳じゃないけど、ちゃんと水谷にももう一度礼を言いたい。

「田島って、野球やってるときは凄いと思うけど、時々やること小学生だよね」
まぁでも、今は準備をしなきゃね。でないとモモカンに頭握られちゃうよ。あれすっげぇ痛そうだもんなぁ……
「あ?俺がなんだよ栄口」
「うはっ!」
急に背中から声を掛けられて、着替えの手を止めて巣山と二人で振り返ると、三橋と肩を組んだ田島が全開の笑顔で立っていた。
「おっす!栄口」
「おはよー田島。朝から元気一杯って感じだね」
「おう!野球できんだから元気一杯、やる気もいっぱいだぞ。なぁ三橋!」
肩を組まれたまま、そう声を掛けられた三橋は、田島に向かって小刻みに頷いた後、俺と巣山を振り向いた。
「お、おは、おはよう、栄、口、君。巣山、君!」

今日も一日晴れ渡りそうな天気の朝、俺の心臓は突然の衝撃に大きく跳ねた。
「おはよう、三橋!」
ありがとな、水谷。
俺、お前のお陰で三橋のこと、真直ぐ見られるようになった気がするよ。
俺は三橋から向けられた笑顔に、とびきりの笑顔で挨拶を返した。









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(2008.5.31)
ちょっと一区切り感。