視線 -9-




本誌のネタバレが含まれております。コミックス派の方は御一考下さいませ。





































- Side-Sakaeguti -


それを目にした瞬間の事は、実はあまり覚えていない。
もちろん試合中だって言う事もあったからだけど、自分の中心を冷たい物が貫いていって、大事に温めていた物を奪われた気分で、何も考えられなかった。

阿部が怪我をした瞬間、頭をよぎったのは阿部の心配。それから試合の事だけだ。
ベンチに下がって、監督に食って掛かる阿部を見ながらも、俺は三橋の事が心配で盗み見てた。

三橋が阿部の事を心から信頼している事は、もちろんよく分かってる。
俺だって、同じプレーヤーとして阿部の事は昔から知ってたし、同中出身って事で阿部にしては仲良くしてくれてるから、友達として普通に接してる。
そんな阿部の心配と同時に、俺は表情を無くした三橋の事が、もっと心配になっていた。

三橋は、中学時代の思い出の所為で、阿部に対してすごく慎重だ。
いじめられていた経験からなのか、中学時代の捕手との記憶の所為なのか、阿部に対しては俺達に対するとき以上に神経を使ってる。
多分、嫌われたら球を捕ってもらえなくなると思っているんだろう。

阿部が捕らなくても、控え捕手になった田島も捕ってくれると分かっていても、正捕手である阿部に嫌われれば、エースを下ろされるかもしれないっていう恐怖があるんだろうな……
三橋がそこまで投手に固執する理由を考えた時の恐怖は、まだしっかり覚えてる。
それでも投げ続けた三橋の強さに、俺は素直に感動してたから……

悔しげにうなだれた阿部に右手を掴まれ、呆然とした様子だった三橋が我を取り戻し、阿部に向かってアウトを取って来るって呟いたとき、俺もやっと自分を取り戻したような気分だった。
試合は結局負けちゃったけど、きっと俺達には必要な敗戦だったんだと思う。
このままずっと勝ち続けるとは、さすがに思えなかったしね。
だから、戻ってすぐの目標設定の話になった時、俺は実現可能なんだろう目標ひとつひとつを書き連ねた。
でも、自分なりに考えた結果ではあったけど、どこかで物足りなさみたいなものを感じてた。

だってさ、今年のこの結果を見ても、来年はもっと上を目指せるかも知れないじゃない?
この西浦に集まったメンバーで、どこまでも上を目指したい。
そんな思いは強くて、皆で話し合って尻込みしたりしている間も、やっぱり俺の中では色んな思いが錯綜して、なんだか心だけが体から離れて自分を遠くから見ているような気分だった。

結局その日のミーティングでは目標決定はせず、翌日、もう一度一晩考えた結果を明日言おうって事になって解散した。
けど、三橋が他のメンバーに促されて阿部の見舞いに行くってなったとき、乖離していた俺の心と体はあっという間に一緒になって、自然に阿部の家まで案内する事を提案していた。
三橋が、こういった提案を断れないのを知っていての行動だ。
俺、結構黒いんだな、って自覚してるけど、これくらいは可愛いもんだよね?

阿部に話があるって言う田島も一緒に来る事になったときも、会話が苦手な三橋が阿部と対決する時に助け舟を出してくれるよなと思いながら、同時に邪魔しないで欲しいと思った事は内緒。
けど、水谷にはばれたみたいだった。
俺達を見遣った水谷の顔に、しょうがないよって苦笑が浮かんでた。



意外に元気そうな阿部の様子に少し安心したのと同時に、家で弟を一人待たせてしまっている俺は、三橋と田島を置いて、この場を離れなければならないっていう現実に歯噛みした。
阿部の家と俺の家は結構近い。
でも、弟の夕飯を用意した後、また戻ってきたとしても、きっと三橋も田島も帰った後だ。
それに、阿部と阿部の弟しかいないところにお邪魔するのも気が引ける。
三橋が、阿部とどんな話しをするにしても、それを聞きたかったけど、それは無理な相談だ。

家へと急ぎながらも、頭の中では二人がどんな事を話し、お互いを分かり合おうとするのか気がかりだった。
このチームの中で、三橋の事を一番分かってやれるのは俺でありたかった。
そりゃクラス違うし、時々三橋の言いたい事をすぐに分かってやれないこともあるけど、それでも俺なりに頑張ってるし、その効果はちゃんと上がってる。
日を追うごとに、三橋が俺達に笑顔を見せてくれることが多くなった事に、どれだけの奴が気付いてるだろう。

多分、本人も無自覚なんだろうけど、同じクラスの泉や田島に引き入れられて、皆との会話の輪の中に入ったとき、三橋は本当に時々だけど、凄く綺麗な微笑を浮かべる。
きっと、アレが三橋の本当の笑顔の一つだ。
人は、たとえ笑顔でも心の底からのものと、それほどでもない時のもの、その場をしのぐ為の愛想笑いみたいなものみたいに、色々と使い分けてる。
もちろんそれは悪い事じゃない。
人と正面切ってぶつかりあうだけが、最良の付き合い方っていう訳じゃ無いよ……

家に帰り着き、自分と弟の食事の準備や、今日の試合の汚れ物の片付け、風呂の支度や諸々の用事を済ませると、俺は自分の部屋でゲームのコントローラーを握った。
全部すっきり片付けて、明日の練習に備えて本当なら寝るのが一番なんだろうけど、頭の中ではまだ三橋と阿部の事を考えてた。
それだけでなく、今日の試合を振り返って自分なりの反省点を探してみたり、明日改めてとなった目標の事も頭をよぎる。
その所為なのかな、ゲームをしてても集中できなくて、俺はある程度きりの良いところでスイッチを切った。

無理矢理にでも集中できない理由なんて分かってる。
阿部が、俺達には引き出せない三橋の表情を、今まさに引き出しているかもしれないっていう嫉妬で、ずっと胸の内が苦しいからだ。

阿部は、三橋の神様の一人だ。

自分の事を認めてくれて、確かに存在している人間として扱ってくれて、尚且つ、何よりも大事な野球で、甘美な勝利を与えてくれる大事な捕手だ。
野球の試合は、投手と捕手だけで成り立っているわけじゃないって事くらい、三橋にだって分かっているけれど、投手である三橋にとって、その球を捕ってくれる存在は無くてはならないものだ。
そんな捕手である阿部が怪我をして、暫くは一緒に練習する事も出来ないなんていう状況なんだから、今はきっと凄く不安になってるだろう。

俺は、側に置いておいた携帯に手を伸ばした。

その中には、チームメイトの携帯番号が全員分入ってる。
ボタンを少し操作すれば、すぐに三橋の携帯番号を呼び出すことも、電話を掛ける事も出来ると分かっているけれど、俺の指はブルブル震えるだけで、一向に動こうとはしなかった。
その原因はただ一つ。

昼間の三橋を見て気が付いてしまった事実を、自分の中の何かが認めてしまったからだ。

こんな事に、気付かなければ良かった。
そんな風に思う事を、人はどれだけ飲み込んで大人になっていくんだろう。
飲み込むくらいなら、全部吐き出してしまいくらい苦しい思いに、俺は頭を抱えた。





翌日からの3日間、試合が組まれていないだけで、大会中と何ら変わらない練習が始まった。
その後には合宿が控えてる。
阿部が不在だというのに、俺は三橋に近づくことも出来ずに、遠くから見ているので精一杯だった。
本当は、あの夜阿部と何を話したのかとか、もっと周りの事も見てくれとか、色々と言いたい事はあったんだけど、一度それを口にしてしまうと、自分の中でわだかまっている思い全てを三橋にぶつけてしまうような気がしてたから、三橋に近づかないことで、俺は自分に歯止めをかけていた。

勝手に片思いをしていて、それを打ち明けられない不満を誰かにぶつけるなんて事、したくは無かったのに、あいつはいつものように緩い空気を纏って、昼食後の昼寝の為に挌技場に向かう道すがら、俺の傍らに立った。
「さーかえーぐちー?」
「何、水谷」
ただ歩いているだけでも吹き出る汗を、首にかけたタオルで拭いながら尋ねると、なんだか不満そうな顔をした水谷が俺の顔を覗きこんできた。

入学してからも少し身長が伸びたらしい水谷は、最近よくこうして俺の顔を覗きこむ。
「なんだかさ、顔、強張ってるよ?」
いつものへらりとした笑顔ではなく、俺の事を心配しているんだっていう薄い笑みに、俺は言葉に詰まった。
俺が三橋の事を好きだという事を水谷に告白してから、水谷は俺の事を良く見てくれているみたいで、時々こうして指摘してくれる。
最初の頃は、そんな事は無いだろうと思っていたけど、鏡を見てみたら本当に凄い怖い顔をしていたから、それ以来、言われた時には顔の筋肉を緩めるように努めてる。

「午後の練習の事とか、合宿の事とか考えてたんだよ」
ぎこちないだろうけど、俺は口を撓めた。
おためごかしの嘘でも、誰に聞かれるか分からない今のような状況の時は仕方ないよね。
副主将の一人である阿部が練習に来られなくて、俺と花井の二人に負担がかかってるのも事実だったから、まるっきりの嘘、ってわけでもないし、と思ってると、水谷は悲しそうな笑顔になった。

あれ?なんで……

「栄口……俺はそんなに頼れマセンカ?」
悲しげな笑顔なんて無かったみたいに、可愛らしい仕草で唇を突き出した水谷は、俺の肩を軽く叩いた。
「前にも言ったっしょ?話すだけでも、大分違うよ?」
そう言って、水谷は俺の答えを待ってくれた。
夏大前のあの夜、水谷に自分の気持ちを打ち明けた時から、確かに水谷には何度か話そうと思ったんだけど、練習量がハンパなくなってきたり、テストがあったりでちっとも落ち着かなくて、結局今までこの事について話した事は無かった。

「信じてもらえるかどうかわかんないけどさ、俺他言はしないよ?」
「それは……!」
する訳ないって分かってる。
もし水谷がそんな事をするような奴なら、もうとっくに俺の事を面白おかしく誰かに喋っててもおかしくない。
けど、俺はまだ異端者を見るような視線で見られたことは無い。
それはひとえに、水谷が俺の事を黙ってくれているからだ。

建物の影を歩きながら息を吐くと、俺はほんの僅かな間だけ考えた。
水谷に喋ってしまって、三橋が阿部にしかこだわりを持っていない、っていう考えを否定してもらいたい気持ちはある。
けれど、もし肯定されてしまったりしたらと考えると、俺はそれこそ耐えられないかもしれない。
道は二つに一つ。



「栄口?」



労わるような声が、ささくれた心に優しかった。
「水谷が口外しないって言うのは分かってる」
その場に足を止めて言うと、水谷も俺に倣って足を止めた。
「でも、今回はゴメン」
顔を合わせられなくて、俺は自分達の足元に目線を落とした。

「また次の機会にね」

それだけ言い残すと、俺は先行してしまっていた残りのメンバーを追って走った。
大した距離を離されていたわけではなかったからすぐに追いつく事ができて、最後尾についていた泉と一緒に、他愛無い話を次々と繰り返した。

俺の前には、田島と並んで笑顔の三橋が歩いている。
言葉を交わしたわけでもないのに、たったそれだけで、重かった心は少し軽くなった。
三橋が笑っていられる事。

それが、俺が一番大事にしなきゃならない事なんだね──



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(2008.12.10)
中々進展しなくて申し訳ありません!(><)