surmise



その日、三橋の両親は揃って不在で、前々から泊まりに来ないかと誘われていた。
もちろん、一も二も無く頷いた阿部は、我ながら浮かれていると自覚しながら、約束の日までの数日を過ごした。

西浦のエースであり、自分の大事な恋人でもある三橋とそういう関係になってから、どれ程の時が経っただろうか。
部活も引退し、夫々の進学も決まって、至極落ち着いた気持ちで居られる事を嬉しく思いながら、阿部は傍らに座る三橋を見つめた。

三橋は自分の視線には気付いていない。
彼の視線の先には、自分の家にあるものよりも大きなサイズのテレビが鎮座し、そこではアメリカのドラマが流れている。
たまたまテレビを点けた時に流れ始めたのだが、二人揃って見入ってしまった。

「結構面白いな、これ」
「うん……」
三橋はよほど集中しているのか、声を掛けても上の空の返事しかかえってこなかった。
FBIのプロファイラーチームが、連続殺人を解決するというシリーズ物のようだが、予備知識は全く無くても見られる。
おまけに、間にCMが入らない所為で余計な事を考えずに済み、阿部もまた意識の大半はそちらに持っていかれていた。

けれど、集中は全く出来なかった。

三橋と二人だけで居ると、いまだに心拍数は上昇する。
野球の試合に臨む時とは全く違う興奮が、体の奥底でざわざわとさざめき、三橋の体のどこかに触れたいと切に願う心が、脳幹から体の支配権を奪う。
そうしたいと思うより先に動いた手は、風呂上りにドライヤーをかけてやった所為でふわふわと揺れる、三橋の髪に触れた。

触れながら、本当に猫の毛のようだと思う。
細く、染めているわけでもないのに薄い色をした柔らかい感触が、阿部はとても好きだ。
キスをしながら、形の良い頭に手を添えたとき、ふと指先をくすぐる感触にいつも嬉しくなる。
そこに指を滑り込ませ、さらに自分の方に引き寄せると、もう頭の中は三橋を感じる事だけに集中する。

テレビを見ている三橋の邪魔にならないようにと、あまり深くまで指を差し入れないようにしながら、指が耳をかすめたのを機会に、耳の形をなぞる。
これは行き過ぎか?と思った途端、三橋が少しばかり恨めしげな目でこちらを振り返った。
「……あべ、くん……」
「わり。もうやめる」
咎めるような声に素直に謝って手を離すと、三橋はそれで納得してくれたようで、再び視線をテレビに戻した。

テレビにヤキモチを焼きそうになっている自分に苦笑しつつ、自分もテレビに視線を向けると、捜査している警察側が、犯人がどんな人間なのだと想像し、徐々にその姿を浮かび上がらせようとしている。
自分達の思いも、そんな風に形を与える事が出来るだろうかと考えて、阿部はこのところずっと考え、三橋に相談しようと思っていた事を思い出した。

付き合い始めてかなりの時間も経ち、これからもずっと一緒に居たいと願っている。
別の大学に通う事は決まっているが、そんな事で不安になりたくないし、させたくもない。
だから、高校を卒業したら一緒に住む事を考えてもらえないかと言いたかった。

今日も、持って来た荷物の中に賃貸雑誌もあったりするのだが、いざその話を切り出そうとすると、ためらう自分も居た。
三橋がずっと自分と一緒に居たいと願ってくれなかった時、自分はどうなってしまうのだろうかと想像すると、とんでもなく恐ろしい。

自分の事を振り向いて欲しいと願った相手に振り向いてもらい、差し伸べた手を取ってもらえた歓びは、何物にも変え難い幸せを教えてくれた。
それを手放す事を自分は望まなくても、相手の事を考えるなら離すべきなのかもしれないと、数え切れないほどに考え、打ち消してきた。

じっと三橋の横顔に見入り続けながら、阿部は目を細めた。
何かが出会わせてくれた、この大事で大切な恋人を信じ、勇気を振り絞る事に異存は無いが、もう少しだけ時間が欲しかった。
だから、ドラマが終わるまでは沈黙を守ろうと決めると、阿部は頭を三橋の左肩に預けた。

右肩に負担を掛けるような事は今までも、これからもする事は出来ない。
三橋は大学に進んでも野球を続ける事を決めている。
自分もまた同じく野球を続ける。
今からもう三橋と対戦する時の事が楽しみで仕方が無い。

付き合い始めた頃なら、こんな風に甘えた仕草をしようものなら、ガチガチに体を緊張させていた三橋も、今ではそれは当然といった様子で、むしろそうした仕草を見せると雰囲気を和らげて受け入れてくれる。
今日もそんな三橋に体を預けるようにしながら目を閉じると、三橋はテレビから意識を逸らせたのか、彼のすぐ右脇においてあったラックから、新聞か何かを取り出そうとしているのか、がさがさと漁り始めた。

「三橋?」
まだドラマは終わっていないのに、何をしたいのかと問いかけようと顔を上げると、三橋はびくりと肩を震わせた。
「阿部君、お、起きた?」
「んじゃ無ぇよ。んなすぐに寝れっか。それより、何してんだ?」
訪ねながら三橋の手元を覗きこむと、ラックに向かって差し伸ばされた手の中に、一冊の雑誌が握られているのが目に入った。

「何?テレビ雑誌?」
「ち、がう……」
見つめた目が、きょろきょろと不審な動きを見せる事に眉間に皺を寄せると、その顔から僅かに血の気が引く。
こういう顔を見せるのは、大概何か隠し事をしている時だと理解している為、沈黙を守りながら上目遣いに睨みつけると、観念した三橋がその雑誌を手元に引き寄せて見せた。

その表紙に、阿部は驚いて目を瞠ると、開きかけた三橋の口を慌てて手のひらで塞いだ。
三橋の目が大きく見開かれたが、自分も自分の行動に驚いてしまい、阿部は動揺を隠しきれないまま雑誌を持つ三橋の手に、彼の口元から下ろした手を重ねた。

「待て三橋、まだ何も言うなよ?」
自分を落ち着かせようと、何度か深呼吸を繰り返すが、そうしている間にも小さく頷く三橋の大きな目には涙が溜まり始めている。
また何か悪い方向に考えを巡らせているのだろうと推測しながらも、阿部は自分を奮い立たせた。

「あのさ、三橋……高校卒業した後の事なんだけどさ……」
そこまで呟くと心臓が情けないほどに跳ね始め、早まった鼓動が呼吸をしにくくしているようだった。
しかし、ここで詰まってしまうわけにはいかない、と、何度か口が動く事を確かめる様にぱくつかせてから、搾り出すように囁いた。
「お、俺と一緒に……住まねぇか?」

どもってしまった自分に恥じ入りながら、三橋の目を見つめていられなくなって顔を背けると、手に何か温かいものが滴り落ちた。
慌てて視線を三橋に戻すと、目が溶けそうな勢いで涙を流す三橋が、声も無く顔を伏せた。

「お、オレ、怖かった、んだ……」
何が、と問い掛ける事はしなかった。
重ねた手の下で、雑誌を握りしめる彼の手に篭った力が、その不安の大きさを語るようだった。
「大学、別々で、いっしょ、居る事、できなくなりそうで……そしたら、阿部君、俺の事わ、忘れ……」

訥々と語られる言葉に居た堪れなくなって、阿部は重ねた手を解くと、強く三橋の体を抱きすくめた。
「もういいよ、三橋。不安にさせて悪かった」
相変わらず白い首筋に顔を埋めるようにして言うと、三橋の両手が縋るように背中に回され、パジャマ代わりのトレーナーを引き絞るようにかきむしった。

自分の意思を表す事が苦手だった彼が、これ程までに自分の事を思ってくれているのだと知って、涙が出そうだった。
他の人間の入れ知恵なのかも知れないが、自ら行動を起こす事に抵抗を覚えている三橋が、自分で雑誌まで準備して備えていたと思うと、ぎりぎりまでためらっていた自分の不甲斐なさが情けなくて仕方が無かった。

「ごめん、三橋。言うのが遅くなって……」
「ううん。良いんだ。俺、阿部君から、言ってくれて、す、ごい、嬉しかった」
鼻声になりながら、ふへと笑った恋人に、自分も小さな笑みをこぼすと、阿部は腕の力を少し緩め、三橋の頬に小さなキスを落とした。

「ドラマ、終わってから相談すっか?」
「今、する!」
突然声を張り上げた相手に驚いていると、三橋は涙でぐしゃぐしゃになっている顔を綻ばせた。
「これ、再放送、するから、また今度見る」

その満開の笑顔に、自分が気になるから見たいという言葉を飲み込んだ阿部は、三橋の手を取ってソファから立ち上がった。




(2009.2.1)
なんだか無性に書きたくなった甘々アベミハ。
書いていて胸焼けしそうでした(笑)結局阿部は三橋に甘そうだなぁと。
推測するばかりでは何も進まないので、行動し、確認するのが一番良い方法だよね、と某犯罪捜査ドラマを見ていて思ったので。