シャンソン 3 





        caution!



        以下のテキストは暴力シーンの描写を含みます。また、怪我等の描写も含むため、
             これ等のものが苦手と仰る方は、閲覧をご遠慮下さい
          それでも読んでやっても良いよ、とおっしゃって下さる方は、
               御自分の決断に責任を持ってください。






















梶山と梅谷との打ち合わせを終え、元々少ない客も今日は無いだろうと店を閉めて自分の寝室に入ると、布団に包まった泉が、目を閉じて規則正しい呼吸を繰り返していた。
ずぶ濡れになった服を洗濯している間、下着だけは自分の持っていた新しい物を貸したのだが、服のほうはサイズが合わず、洗濯と乾燥が済むまで布団に包まっているように指示していた。
「言う事守るなんて、相変わらずかわいーとこあんなぁ……」
大きな黒目がちな目を閉じ、胎児のような姿勢で眠る姿に、浜田は目を細めた。

小学生の頃から、家が近所であった為に良く知っていた。
中学では同じ部活、野球部に所属し、仲の良い先輩後輩として共に汗を流した。
けれど、自分が中学三年の頃、騙し騙し使ってきた右ひじがとうとう音を上げ、投手を勤められなくなった頃から、泉の態度は少しづつ変わっていった。
病院に行き、治療をすれば治ると分かっていながら行かない自分を責め、やがては口も利いてもらえなくなった。

そんな状態のまま中学を卒業し、高校での最初の一年間、学生の本分である勉強以外の事に意識を向けていた自分は、同じクラスだった梶山や梅谷とは別れて、もう一度高校一年生をする事になった。
学校でもかなり久し振りに出た留年生だとからかわれたが、そんな事は耳に入らなくなるような幸運にめまいがしそうだった。
もう一度過ごす高校一年生。
それは、懐かしい後輩との楽しい学校生活の始まりだった。

中学の頃から、たとえ一生野球が出来なくなっても、一分一秒でも長く泉と共に部活をする事を望むほど、彼の事を想っていた自分に与えられた幸運。
それを大事にするべきだと分かっていたのに、自分の想いを彼に告げ、手に入れてしまった。

自分とは違い、高校でも野球を続ける彼の為に、共にプレイする事は出来なくてもせめて応援は、と応援団を結成したり、普段の練習に手を貸したりもした。
その合間に重ねる、同性でありながら恋人として過ごした時間は、今でも心の中できらきらと輝きを放ちながら、奥底で眠っている。

同年代の梶山達とは一年遅れて、恋人である泉とは共に高校生活を終え、四人で遊びに出かけた晩冬の夜。
中古車を購入したばかりの梶山の運転で、海を見に行こうという話しになった。
海の無い県で過ごした者にとって、それはかなりの冒険だった。
ナビもついていないような軽自動車で、大の男が四人、ああでもないこうでもないと言い合いながら何とか海に近づいたのは良いが、辿り着いたのは真夜中の埠頭の片隅で、運転に疲れたという梶山の提案で休憩を取る事になった。

曇天の夜、月の光も、町の明りも届かないうらびれた埠頭のはずれには、使われなくなっているらしいコンテナが錆をまとって放置され、海を渡って吹き付ける冷たい風に身を晒した四人の姿を、車ごと周囲から隠していた。
けれど、その風に乗って異質な音が鼓膜を震わせたのを聞きとがめた梅谷が、その音の発生源を突き止めようと言い出したのが始まりだった。

まさか自分達以外にも、深夜近い時間にこんな場所に人が居るとは思っていなかったが、音がする方を見に行くと、数人の人影が、地面に膝を突いた一人を取り囲んで立っていた。
その場に漂う空気の異質さを言葉に表すのは難しい。
けれど、生存本能のようなものが警告を発した時には既に手遅れだった。

立っていた人影の仲間が、放置されたコンテナの陰に居た自分達を見つけ、仲間の下へと引きずり出した。
年格好はばらばらだったが、膝を突いた女を取り囲んで立っていた男達は、その時は何故か分からなかったが、品定めをするような目で自分達の事を見た後、暴力を振るい始めた。
何故か泉一人を男達のうちの二人が羽交い絞めにして立たせ、それまでに痛めつけられていた女が悲鳴を上げそうになった時、何かが潰れる湿った音がして女は沈黙し、その場に倒れ伏した。

目の前で起こったことが理解できないまま、繰り出される拳や足が与える苦痛に何度か意識を飛ばしそうになり、抵抗する事も、声を上げる事も出来なくなった頃、近くに泉の姿が無い事に気付いた。
二人に羽交い締めにされたまま、どこかに連れて行かれたのかと、切れた額から流れた血が視界を狭くしている中、必死になって首を巡らせていると、信じられない光景が目に入ってきた。
男達が聞きなれない外国語で会話を繰り返す中、必死になって泉の元へと駆けつけようとした。
それを見咎められ、梶山と梅谷の悲痛な声がした瞬間、脇腹に感じた事のない熱を帯びた痛みを感じた。

そのあまりの苦しさに息が詰まり、その場に倒れ込んだ瞬間、それまで優位に立っていた男達の様子が一変した。
はっきりとは覚えていないが、今住居としているビルのオーナーである男──自分達は爺さんと呼んでいる男に助けられたらしい。
梶山や梅谷と同様、さんざん痛めつけられ、さらには脇腹にナイフを突き立てられたまま、浜田は泉の元に向う事だけを考えて、立てない足で歩く事を諦め、腕の力だけで進み続けた。

雷を伴って降り始めた雨に打たれながら、泉の元から彼を羽交い締めにしていた男達が逃げ去るのに目もくれず、悲鳴を上げる体を何とか起こしてみると、首にありありと締め付けられた後をつけた泉の、血の気の失せた顔が目に入った。
何度も何度も泉の名前を呼び、冷たくなり始めた体を掻き抱いて熱を与えようとした。
けれど、何の反応も返して来ない彼の胸に顔を伏せたところで、記憶は途切れた。



その次に意識を取り戻したのは、このビルの中の一室だった。
起こそうとしても起き上がれない体をどうにかして動かすと、同じ部屋の中に梶山と梅谷の姿があった。
二人共、まるで病院の一室のような部屋の中で、隣り合うベッドに横たわっていたが、泉の姿を見つけられず、浜田は最悪の事態を想起して悲鳴を上げた。
その声を聞きつけた爺さんことアンリと、今も変わらない黒縁眼鏡をかけた肥満医師が部屋に飛び込んで来て、浜田は安静を言い渡された。

ナイフを抜かなかったこと、冬の雨と寒さのお陰で筋肉が収縮し、出血が抑えられた幸運によって助かったことを聞かされながらも、浜田は泉のことしか考えられず、二人に食ってかかった。
そして、痛めつけられた自分達とは違い、応急処置で意識を取り戻した彼が簡単な治療の後、別室に移されたと聞き、生きている事に安堵しつつも、記憶の一部に欠損があること、自分や梶山達に関わることの全てを忘れているという事を聞かされて言葉を失った。

にわかには信じられなかったが、三橋コーポレーションとつながりがあったアンリを通じて、高校時代同じクラスで過ごしたことのある三橋廉が、共通の友人である数人と共に泉の見舞いに訪れた時、それがわかったのだと医師だけでなく、三橋やその友人連中から聞かされて、疑うことなど出来なかった。
嘘のつけない性格の三橋が、ぼろぼろと泣きながら伝えてくれる言葉を聞きながら、やり場のない怒りが込み上げてきたが、動く事も難しい体を引き摺って会いに行くこともできず、ある程度回復した泉が、三橋を通じて家族の下に戻るのを、なすすべなく見送った。

それから数日、ベッドの上でじっとしている事を強要されていると、全てを忘れている泉に関わって、彼が全てを思い出すようなことにならないよう、離れるべきだというアンリから提案され、それを受け入れた。
泉の家族だけでなく、知る限り共通の友人全てにそれを依頼しなが、一時でも彼を手に入れたと思っていた自分への罰だと思った。
三年もの間、ずっと幸せに浸っていた自分に、その資格が無いのだと言われた気がして、忘れる為にも遠くへと離れる事を決めた。

自分達を痛めつけた連中を追っているというアンリから、彼等が人身売買組織の人間で、痛めつけられた三人は、臓器売買に回される予定だったのだろうと言われた。
そして、一人連れ出された泉は、別の目的で連れて行かれたのだろうとも。
それを聞いた瞬間の怒りは、今でも自分の芯で燃えている。
翌日の新聞に、梶山の車が燃やされ、その中に鈍器で殴られた女の焼死体があったという報道がされて、物理的にも状況的にも身動きできなくなった三人は、国外への逃亡を勧められた。

その時既に五十台後半だったアンリは、その組織を追い続けるには人出が欲しい、自分達三人にその協力を頼みたいと依頼してきた。
三人それぞれの家族には無事を伝える事を約束しつつ、怪我が回復するまでの間にフランス語を仕込み、外人部隊に入隊するように言ってきたのだ。
被害者であるにも関わらず、逃げる事に抵抗が無かった訳ではなかったが、自分達三人の証言だけで、車の事や死体の事で無実を証明できると思えず、また、下手な行動をすれば泉の記憶が戻ってしまうかも知れないという恐怖が、それを了承させた。

梶山と梅谷は泉と関わらずに居る事も出来るだろうと思い、留まるように諭したが、共に海外に渡る事を決め、二ヵ月後、アンリが用意したパスポートを手にフランスに向った。
何とか覚えた片言のフランス語を駆使し、まだ完治していない傷を引き摺っての訓練はかなりの苦痛だったが、自分の不甲斐なさに打ちのめされていたその時の自分には、丁度いいものだった。
そうして五年──

梶山と梅谷は伍長、自分は軍曹になったところで部隊を退役し、日本に戻った。
それまでも密に連絡を取り、休暇で日本に戻っている間世話になっていたアンリに、彼の持ち物だったビルを譲り渡されたのを機に彼の仕事を引き継ぎ、裏社会での顔役と武器、情報の流通も請け負う何でも屋として活動を始めながら、部隊にいた頃に作ったコネクションや仲間も頼り、アンリが追っていた組織を追うことになった。

時折ふらりと戻るアンリや、彼の昔馴染みの軍人や傭兵達と共に、ビルの地下に作られている射撃場や格技場で実践的な訓練を重ねつつ、あの時自分達の運命を変えてしまった組織に迫り、彼等を壊滅する事に執念を燃やしていた矢先、組織の取引き現場で泉と再会を果たした。

五年前の自分達を彷彿とさせる、ぼろぼろに痛めつけられた姿を目にした時、まず頭に血が上った。
泉が刑事になったことは、三橋やアンリからの連絡で知っていた。
自分達の事は何も思い出さないまま、その後平凡に日常を過ごしていた泉の元気そうな様子に胸を撫で下ろしていたが、その日、組織の取引があること、それを日本の警察も知って網を張っていること、そして、その現場に泉が向っている事を知った瞬間、全てを放り投げて走り出していた。

タレコミの情報を元に、数人の警官が張っていたらしいのだが、泉以外の警官は見当違いの場所に配置されていて、一人現場の近くに立っていた泉だけが仲間を呼ぶ間も無く捕まり、手ひどい暴力を加えられていた。
何度も殴られ、蹴り付けられ、ぼろぼろになった泉を目にした瞬間、浜田は梶山や梅谷の制止も聞かずに飛び出し、組織の人間を蹴散らした。
そして、ぼろぼろになった泉を抱えて昔自分達も世話になったあの医師の下に運び、入院設備の無い医師の病院に置けなくてビルに連れ込む事になった。

梶山と梅谷のフォローのお陰で、組織からの追跡も避けられ、泉が意識をはっきりと取り戻すまでの間、ずっと世話をし続けた。
無事に回復する事を祈りながら、胸に堆積していく寂しさに涙が出そうになった。
三橋を通じて警察の方にもフォローを入れ、泉が動けるようになり、ここを去る日が来た時、もうつながりを絶つべきだと分かっていたのに、また来るといってくれた泉の言葉が嬉しくて、彼にそれを許した。

梶山たちも呆れながらそれを許し、今に到るのだが、酷く遠い記憶のように感じて、浜田は苦笑を浮かべた。
軍隊に参加している間に、自分達の手は汚れてしまった。
それがその時の仕事であったし、自分の身を守る為にはしなければならないことだったが、今はもう泉の側に居る事も、触れることも許されない気がした。
けれど、もう一度触れた手を放す事は難しく、今もこうして腕の中に囲ってしまおうと考えている。

少し跳ねている髪を手で撫でつけ、額にそっとキスを落とすと、浜田は起こさないように気遣いながら、クローゼットを開け、万が一にも見つからないよう奥に隠しこんでいる道具を取り出した。
リボルバーとオートマチックの銃に、アーミーやダガーといったナイフ。
弾倉に弾を手際よく込めると、手に馴染んだそれらの道具をホルスターに装備していく。
使わずに済めば良いが、自分の身を守る為には必要になるかもしれない。
その用心のための道具を身につけると、自分の中のスイッチが切り替わる。
再び見つからないようにケース類を片付けた浜田は上着を羽織り、泉の眠るベッドの枕元に、メモ用紙に走り書きした置手紙を置いた。

手紙には、すぐに戻るので、帰るなら鍵を掛けるようにという依頼だけを書き付けてある。
書き終えた後、それにキスをしたのは小さな秘密だ。
誰かに見咎められれば、バカにされる事請け合いの行動でも、今も昔も変わらない想いを寄せている相手への、精一杯の表現だ。
決して気付かれてはならない想い──

それを断ち切るように、そっと目を閉じた浜田は再び目を開けると、鋭く冷たい目を泉から逸らし、寝室の扉を開けて部屋を後にした。





目を覚ますと、電気の点いていない部屋の中は暗くなっていて、泉は慌てて身を起こした。
枕元においていた筈の携帯を探して時間を確認すると、もう夜の七時を回っていて、非番の一日がもうすぐ終わりを告げる事を示していた。

部屋の主と、彼が洗濯をしてくれていた筈の服を求めるため、寒さ除けに布団を体に巻きつけて立ち上がろうとすると、手を付いたところで何かがかさりと音を立てたことに気付いて、泉は目を凝らしてそれを手に取った。
カーテンが開け放たれているとはいえ、夜目では読み取れないそれを見るため、部屋の明りを灯そうと布団を引き摺って移動し、スイッチを入れた途端に白く瞬いた明りに目を細めた。
ようやく光に慣れた目を手元に落とすと、小さなメモ用紙に書き付けられていたのは部屋の主、浜田からのメッセージで、それを読み終えて眉間に小さな皺を寄せた。

一体いつ頃出て行ったのかは知らないが、出る時に声の一つも掛けてくれればよかったのにと思う。
そんな事で機嫌を損ねたりはしないし、世話になった礼もちゃんと言いたい。
なのに放置されてしまったのだという事実が、泉のプライドを傷つけた。
「馬鹿浜田……」
小さく呟いたその言葉が、まだ降り続く雨の音に吸い込まれる。
体に巻きつけた布団からの匂いは、随分と自分の体臭が移ってしまったのか、浜田の匂いを嗅ぎ分けるのが難しくなっていた。

雨のもたらす冷たさにくしゃみが一つ零れて、泉は鼻をすすり上げると、おそらく乾燥機に入っているであろう自分の服を取りに行こうとしたが、布団を巻きつけたままである事に抵抗を覚えて、ベッドに布団を戻し、悪いと思いながらも浜田のクローゼットに入っている服を拝借しようと、扉に手を掛けた。
夜になってまた冷え込み始めたのか、下着一枚でうろつくような気温ではなく、シャツの一枚でも借りられればとあけたそこは、それなりに綺麗に仕分けされていて、探し物をするのに時間は掛からなかった。

サイズの合わない、大きなスウェットの上下をまとい息をつくと、ちょっとした悪戯心が起こって、泉はクローゼットの中にかかっていた服を、順繰りに見た。
殆どが店に出ている時に着ているカッターや黒のスラックスだったのだが、一番扉から遠いところにかかっていたそれに、泉は手を掛けたまま動けなくなった。
そこにかかっていたのは、一揃いの学ランだった。
彼のおおよその年齢を考えると、それをまとっていたのはもうかなり昔の筈なのに、丁寧に手入れをされたそれは、僅かに色あせた程度にしか見えなかった。

自分達が高校生だった頃には、もう目にする事も少なくなっていた学ラン、それも長ランという古い世代のヤンキーが着ていそうなものを、浜田が大事そうに仕舞っているのが気になった。
心の中で小さく詫びながら、泉は学ランを取り出して電気の明りの下でそれを眺めた。
浜田がそれをまとっている姿を想像してみるが、何故だか上手く行かなかった。
こんな物を着ていたような男が、何故フランスに行き、そして今のような仕事をしているのだろうと、興味は尽きないが、泉の中ではそれを凌駕する違和感が表情を固まらせた。

見覚えがある気がするのだ。
否、見覚えがある。
何故か確信を持てるその感覚を信じ、泉は学ランのポケットをまさぐった。
何かが、泉の中の後ろめたさを説き伏せ、ズボンや上着のポケットを漁らせ、そして最後に内ポケットに手を差し入れた時に指先に触れたものを、恐る恐るそれを引き出させた。
二つに折られた紙のそれは、一枚の写真だった。
何のためらいも無く開いたそこに写っていたのは、学ランをまとい、今よりも随分と子供じみた笑顔を浮かべる浜田と、その少し離れた背後を呆れたような視線を浮かべながら通り過ぎる自分の姿だった。
高校時代に所属していた野球部のユニフォームをまとった自分の姿を、見間違える筈は無い。

不意に目にした、どう捉えれば良いのかわからない現実に、泉は頭の中身がくらりと揺れた気がした。
浮かんでくるのは何故ばかりだ。
自覚するほど血の気を失った頭を支えるように額に手を添えると、泉はその場に座り込んだ。
ぐらぐらと揺れる頭は、酷い吐き気を伴った。
そういえば朝からろくに食べていないと考えてみても、気持ちを紛らわせることなど出来なかった。

雨の音が、酷く不快だった。







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(2008.08.16)
全く容赦の無い内容に、下げる頭を地面に埋め込みたい勢いです。次は、できるだけこれを読まなくても分かる内容で続きを書きます(土下座)