シャンソン 4 










シャンソン3のあらすじ

高校三年の冬、出かけた先で人身売買組織の犯罪現場に遭遇してしまった泉、浜田、梶山、梅谷の四人は、組織の人間に痛めつけられ、浜田は重傷を負う。
その暴行が原因で記憶を失ってしまった泉は、不穏な世界から遠のかせようと、浜田は助けてくれたアンリという男の助言もあり、梶山、梅谷と共にフランスに渡り、外人部隊で訓練を積み、組織の壊滅を目指すアンリの手伝いをする為に日本に戻る。
再会した泉が穏やかに眠る姿を見て決意も新たに、日本での活動を再開した組織への牽制行動のために出かけていく浜田。
目覚めた泉は、浜田のクローゼットの中にしまいこまれていた学ランの内ポケットからみつけた写真に、高校時代の自分と共に写る浜田の姿を目にしてしまう。

















地上からどれ程の高さがあるのか、ビル街の一角、CSS社日本支社ビル十五階の休憩室から、灰色に煙って見える空を見るとは無しに見ていた泉は、手にしていたプラスチックカップの中にまだ残っていた、冷めたコーヒーを一口すすった。
不味いわけではないのに味気無い物に思えて、飲む度に眉間に皺が寄ってしまい、同僚から不味いのなら飲むなと言われる。が、ここではコーヒー以外の物を飲む気にはなれなかった。

警察OBが設立した身辺警護会社を経由し、日本支社のCEO付きボディーガードとして潜り込んで半年近い時間が過ぎた。
最後に浜田の家を訪れた日の夜、このCEOを狙ったと思われる襲撃事件があった。
その日、歓迎レセプションが開かれる会場であるホテルに向かった彼が居ない隙に、支社ビルの社長室に侵入者があった。
ビルの最上階にある社長室に入り込んだ賊は、そこからアメリカにある本社のシステムに潜り込み、何らかのデータを収集した後、一枚のメモを残して退散したらしい。

らしい、というのは、それ以上の情報を、他の誰もが知らないからだ。
保安上、どういった手口でビルに侵入し、幾つかあるセキュリティをパスして社長室まで辿り着いたのか教えて欲しいと、警護会社を通じてだけでなく、直接会社側にも尋ねてはみたが、返って来る答えは無かった。
それは泉と同じく社長の警護に付いている同僚や側近も同じらしく、今の警護計画は社長の懐刀である秘書からもたらされる情報のみを頼りに立てられている。

冬の入り口に立ち、冷え込みも厳しくなり始めた世界を見遣りながら、泉はそうとは気取られないように小さな溜息を吐いた。
この空模様では、雨が降るかもしれない。
天気予報では、午後の降水確率は30パーセント程度だったと思ったが、予報は外れそうな気配だ。
雨が降る気配が、どうにも耐えられなくなった原因を思い出して、泉は体を震わせた。

浜田と最後に会ったあの日、クローゼットの中で見つけた学ランの内ポケットに仕舞い込まれていた一枚の写真……
それがきっかけで、この半年の時間をかけて少しずつ思い出していた。
小学校の頃から高校三年までの間、どれほど浜田に憧れ、焦がれていたのか。
そして、三年の冬に起こった、思いもかけない事件……

思い出すたび、昔からからかわれていた自分の顔立ちの事が恨めしく思えてしまう。
子供の頃から、自分の性格に似合わぬ女顔によって嫌な思いをする事があったが、まさかレイプまでされるとは思わなかった。
あの夜の港で、自分の事を浜田達から引き離した男達はそちらの趣味があったのか、それともただ単に興奮していただけなのか、こちらの首を絞めながら行為に及んだ。

高校に上がってすぐ、些細なきっかけから浜田と同性同士でありながら恋人として付き合うようになり、体を重ねる事は何度もあった。
浜田の優しさに満ちたものとはまったく違う、痛めつける事が目的のようなそれに恐怖し、汚される嫌悪感に意識を手放した。
そうして、自分は浜田に関する記憶の一切を封じ込めてしまったのだろう。
取り戻した記憶の確認の為に訪れた、旧友の三橋と阿部の表情を見て確信した。

まるで下手なドラマのようだと思う。
自分が記憶を取り戻した事を話し、その間の浜田の様子を二人に尋ねながら、笑い出したくなるのをこらえるのが大変だった。
あれは事故のようなものだというのに、浜田はきっと自分の事を責めているのだろう。
わざわざフランスにまで、それも梶山や梅谷までも巻き込んで体を鍛え、このCSS社が影で行っているという人身売買の実態を暴こうとしている。
それが、浜田自身の人生を狂わせた相手に対する報復なのだとしても、きっとそこには自分の事も含まれている。
なんという遠回りな愛情表現だろう。

けれど、それを止める事はできなかった。

記憶を取り戻した自分がすぐにでも浜田の元に行くことができないように、浜田もまた身を投じてしまった戦いから身を引く事はできないだろう。
優しく、義理人情に弱い彼らしいといえばそうなのかもしれない。
けれど、そんな彼だからこそ、こうして自分はいつも、いつまでも彼の事を思っている。

「我ながら、なんか呆れる……」
苦笑と共に零れ落ちた独り言は、誰かが休憩室の扉を開ける音に紛れた。
分煙の為に区切られた空間の中、タバコを吸いもしないのに閉じこもっている自分の事を見て、相手は表情を和らげた。
「ここに居たのかよ泉……お前、あちこちの休憩室をうろちょろすんのやめろよな」
「俺の勝手だろ。何か用か?俺の仕事時間までまだあるだろ」

同じ警護会社から出向している同僚で、同い年だという相手にすげなく言うと、相手は泉の態度には何の反応も返さないまま、懐からタバコを一箱取り出した。
隙間に無理やり差し込んでいたらしいライターを取り出した後、箱ごと揺すって一本だけを取り出すとそれを咥え込んだ。
泉にも勧める為に差し向けたが、泉が手を振って断ると、意にも介した様子も無く、箱をジャケットの内ポケットに仕舞い込んだ。

「あーあ。愛煙家は肩身が狭いなぁ」
「うっせ。話さ無ぇなら行くぞ」
白い煙を吐き出しながらぼやく同僚に冷たく言い放ち、扉に向かって歩き始めると、さすがにあわてたらしい相手は、煙に目を細めた。
「今夜の予定は変更で、俺達は八時までで切り上げらしい。それ以降の護衛は不要だって通達があった」
同僚の言葉に泉は首を傾げた。

「今朝までの予定じゃ、八時からのフラック社の社長との会食までだっただろ?キャンセルにでもなったのか?」
空になったプラスチックカップのレフィールを専用のゴミ箱に放り込み、タバコの先の火を赤く燃え上がらせた同僚は肩をすくめて見せた。
「さぁね。あのいかつい秘書がそう言ってきた。で、俺達はその会食会場出発まででお役御免だってさ」
おどけたように言った同僚に鼻を鳴らして答えると、泉はもう一度窓の外を振り返った後、扉に向かって踵を返した。

「外、何かあんのか?」
再び煙を吐き出した同僚が、仕事の事を訪ねる口調で訊いて来るのに泉は首を横に振った。
「雨が降りそうだと思ってさ。仕事が早く切り上がるなら、濡れなくて済む」
その言葉に同意を示して笑いながら、同僚は話は終わったとばかりに、犬でも追い払うように泉を扉の向こうに送り出した。
そっけない見送りに答える事もせず、泉はコーヒーメーカーの側に、持っていたカップ受けを置くと、休憩室を後にした。





一キロ以上離れたビルの屋上、CSS社の支社ビルを監視していた一人が、溜息交じりに覗き込んでいたスコープを取り付けたライフルを下ろした。
「相変わらず、元気そうだな」
足元に置いていた、カモフラージュ用の楽器ケースにライフルを仕舞い込んだ梶山の言葉に、すぐ隣に座り込んでいた浜田は、足元に下ろした視線を上げる事もせずに息を吐いた。

梶山に言われるまでも無く、泉が元気に敵側の懐に居るのは知っている。
晩春の雨の日、早朝に突然ビルを訪れてきた日を最後に、泉が浜田を訪れる事は無くなった。
普段から、こちら側から連絡を取る事はしていなかった為、以来ずっと声を聞く事はしていない。
共通の友人である阿部と三橋から、その後彼等の元を訪ねた事は聞き知り、自分達の調査の過程でCSS社に潜入捜査官として入り込んだ事を知った。

もともと、泉がCSS社が関わっているとされている人身売買組織を追っていた事は知っている。
何か動きがあれば、率先して動こうとする事も理解できる。
だから、潜入捜査員として観察しているビルで泉の姿を目にする事も、もちろん必然だ。
けれど、毎日場所を変えてはいるものの、その姿を目にしやすい場所を選び、窓際で休憩を取っている姿を見るのは寂しかった。
まるであの日のように、もう二度と手の届かない場所に居られるような感覚を覚える。

「しけた面してんじゃねぇよリーダー」
言葉と共に、頭に硬いものをぶつけられ、恨めしげな目を向けると、いつもと変わらず感情を伺わせない目を、眼鏡の下で眇めた。
「今夜の取引き現場へは、やっぱお前来るな」
「は?んな訳には行か無ぇだろ!フォワードは俺だぜ?」
誰よりも信頼している人物の一人の言葉に、思わず語気を強めて言うと、ケースを背負って歩き出した梶山は、自分の後を追って立ち上がった浜田を振り返った。

「それなら、ちゃんと気持ちの整理をつけて来いよ」
叱り付けるような言葉に、自分でも驚くほど身がすくんだ。
「お前分かりやすすぎんだよ……泉クン不足だって顔してずーっと辛気臭ぇ。ちゃんと理由、聞いて来いよ。作戦開始時間までにはまだ余裕あるし、こんなギリギリまで我慢してやった俺等の為にも、ケリをつけてきやがれ」
梶山が淡々と言う言葉に、浜田はどう答えれば良いのか分からなかった。

仕事の為だけであれば、これほどまでに泉がこちらを避けると思わないのは、どうも梶山達も同じらしい。
さすが腐れ縁だけはある。
そんな事を思いながら、こちらを振り返ったまま、足を止めてしまった梶山を見遣った。
「梶……」
「お前……捨て犬みたいな顔すんな」
呼び掛けた途端、呆れた様子で呟いた梶山は、楽器ケースを提げていない右腕を振りかぶると、握りこんだ拳を浜田めがけて繰り出してきた。

あまりに突然の事で避ける事もできず、まともに頬を打ち据えられる。
その衝撃と、口中に広がる鉄の味に、理不尽とも思える暴力を振るった相手をにらみつけると、広げた拳を痛そうに振った梶山がにやりと笑った。
「そうそう、そうやってしゃきっとした目ぇしてろ。じゃ、また後でな」
言い捨て、踵を返した梶山の背中を見送りながら、浜田はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
浜田一人を残し、この場を去った梶山の優しさに、心の中で小さく礼をもらす。

同性を恋人に持った自分の事を許容し、無謀な自分に付き合ってくれる奇特な友人の激励に、眠っていたなけなしの勇気がやっと目を覚ましたようだった。
浜田はもう一度背後を振り返り、大事な人が居るはずのビルを見つめた。
今夜、CSSの日本CEOとフラック社の社長との会食があり、その場で直接幾つかの書類のやり取りがあるという情報を掴んでいる。
その現場に潜り込み、現場の写真を撮る事と、書類のコピーを入手するのが今回の作戦だ。
それを警察に持ち込んで捜査の手を更に深く入れさせつつ、日本でのマーケットを潰すのが目的なのだが、どうやら先が見えてきそうな気配だ。
全てが終わった後、どうすべきなのかがまだ分からなかったが、梶山に言われるまでも無く、泉に合いたかった。
たとえそれが最後の機会になったとしても、否、最後の機会であれば、もう一度だけ彼の存在を感じたかった。
「泉……」
呼び掛ける声は、低く轟き始めた雷鳴に飲み込まれた。





予定通り、八時までで仕事は切り上げられ、泉は社員用の出入り口からビルを出て、この潜入捜査を始めてから移ったマンションへと向かう為の道ではなく、タクシーを拾おうと大通りに向かおうとしたが、それを阻むかのように少し遠くに立ちはだかった人影に、定時連絡のために使っていた携帯を握りこむと、伏せた視線を相手に向けて上げた。
上げながら、なぜか相手の事を知っているような気がした。
人気の少なくなったビルの谷間、街灯の明かりを背中に受けて顔の見えない相手は、こちらの動きを伺っているようだった。

その様子に、思わず苦笑が漏れる。
こういう事をしそうな知り合いは、覚えのある中に一人しかいない。辺りに溢れているサラリーマン風の服は見慣れないが、その相手だという思い込みが、警戒心を緩める。
「誰だ?俺に何か用か?」

面白がるように泉が誰何した瞬間、相手の気配が嘲るような物に一変した。
「やっぱりそうだ。覚えがある。こいつだぜ」
言うなり背後を振り返った男の影から、もう一人の人影が姿を現した。
相手の変わりようと新たな人影に、流石に警戒信号が危険を知らせ始める。
「へぇ、ぼろぼろにしてやったって話なのに、まだ探りを入れて来やがったか」
相手に呼応した新たな気配に、泉は全身に緊張を漲らせて構えた。

「誰だ」
先ほどよりも鋭さを増した泉の声に、相手はこちらを侮る気配を色濃くしながら歩み寄ってきた。
「それはこっちの科白だぜ?警察か別のかは知らねぇが、どこかのインフォーマーか?」
後から現れた方の人影が一歩進み出て尋ねて来るのを、最初に立ちはだかっていた相手が、外見に似合わない下卑た笑い声を洩らした。
「これからゆっくり聞いてみりゃ良いでしょ。あの時は邪魔が入って訊き出せなかったこと、色々吐かせてみせますよ」
言いながら、男がコートのポケットに入れたままだった拳を取り出した瞬間、銀色に煌く金属をそこに認めて距離を取ろうとしたが、相手の動きの方が素早かった。

あっという間に間を詰められ、硬いものがぶつかり合う音と共に左の頬から頭に衝撃が走り、視界に星が散る。
急所であるこめかみや顎をかわしたものの、バランスを崩して膝を着きかけた瞬間、狙い済ましたように腹にもう一人の膝がめり込んで、泉は激しく咳き込んだ。
「さぁ、色々吐いてもらおうか」
楽しげな声と共に、空がこぼし始めた涙が泉の頬を濡らし始めた。











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(2009.02.22)
泉に怪我をさせてばかり……次は早くにUPできるように頑張ります!(><)