シャンソン 5 






*以下のテキストには暴力表現を含みます。そういった表現が苦手だという方は御一考下さいませ。
 読まれた後でご不快になられても、当方は一切の責任を負いかねますので宜しくお願いいたします。





シャンソン4のあらすじ
浜田が、自分の昔の知り合いである事を隠している事を知った泉は、それを契機に失っていた記憶の全てを取り戻すが、潜入捜査を命じられたCSS社に潜入し、それを理由に浜田と会わなくなる。
しかし、CSS社側に潜入捜査官である事を調べ上げられ、泉は拉致されてしまう。







就業時間を終え、昨今の不況の所為で残業をしないよう勧められているビルの中は、何かの気配を孕んだ沈黙の中に沈んでいた。
このビルが建てられてまだ二十年にもなっていないはずなのに、幽霊騒ぎがよく起こっているのも頷ける。
おそらくビルの中ではこういった事が頻繁に行われているのだろう。
ここの社員だけでなく、関係会社の人間も数人、このビルを最後の足取りに姿を消している。
CSS社の知ってはならない事を知ってしまったためか、見てはならないものを見てしまった為、今の自分と同じように痛めつけられた後、始末されたのだろうと思いながら、泉は唯一自由に動かせる頭をゆっくりと上げた。

「まだ元気そうだ、な」
言葉尻と共に、大きくはだけられた胸元に火の付いたタバコが押し当てられ、泉は声にならない悲鳴を上げた。
明りはつけられておらず、窓の無い倉庫部屋の中にあっては、相手の顔を細かく認識するのは難しかったが、それでも自分にタバコを押し付けてきた相手が笑っているのは感じ取れる。

書類が詰め込まれたダンボールが、整然と並べられたラックに陳列されている部屋の中は独特の臭気が鼻に付き大きく息を吸い込めば、多量の埃も吸い込むような錯覚を覚える。
けれど、それが防音材代わりになり、部屋の最奥にいる自分達の声は掻き消されている。
声を上げれば相手が興に乗ってくるのはそれまでの経過で理解していた泉は、苦痛を逃す為に詰めていた息を吐き出すと、再び頭を垂れた。
「気を失ったか?」
「いや、まだだ。しぶといな」
少し離れたところからする声に、拷問担当の男が応じると、向こうの男は諦めの溜息を吐いた。
「そろそろ時間切れだ。引渡し場所で、ついでにこいつもくれてやろう」

苛立ちを滲ませた声がそう言うと、拷問担当の男はそれを了解したらしく静かにその場に立ち上がった。
「テープはどこに置いたっけ?」
「椅子に縛り付けたのはお前だろ?自分で思い出せよ」
笑い交じりに茶化され、拷問担当の男は憮然としたようだったが、椅子に泉の体を縛り付ける為に使ったガムテープをすぐに見つけ出したようで、テープを引っ張る音が耳を打った。

「目と両手足、しっかり縛っとけよ」
「分かってるっての。それより、所持品検査は良いのか?」
拷問係の男がそう尋ねると、もう一人の男の気配が変わった。
「おっまえ……ほんとスキモンだよな……そんなとうが立ったような奴でも平気かよ」
侮蔑交じりの言葉に、拷問係の男は薄い笑い声を上げ、泉は身を強張らせた。

「野郎の締め上げには結構有効なんだよ。何か吐けばめっけもんだし、俺も満足できて一挙両得って奴だろ?」
「気が知れ無ぇ」
離れた場所に立っている男が吐き捨てるようにいうと、それを了承と受け取ったのか、拷問係の男は椅子の背中側に回してテープで拘束していた泉の腕を強引に引き剥がし、同じく拘束していた太もものテープをカッターか何かで切り裂いた。

「腕が邪魔。どけろ」
鬱陶し気に呟かれた言葉と共に、泉の腕はあらぬ方向に押しやられ、左肩から固いものが擦り合わさるような大きな音が響き、同時に焼けるような痛みが全身を走った。
「っぁ……!」
「ありゃ?外れたか?なぁ、別に肩くらい外れてても良いよな?」
堪えきれずにこぼした小さな悲鳴に、男は泉の体をうつぶせの状態で床に組み伏せながら、もう一人の男に声を掛けたが、辺りは静かなままだった。
暗闇の中、朧げなシルエットでしか姿を判別できない相手は、楽しそうに喉の奥で笑いながら、腰だけを高く上げた状態で、後ろ手に縛られたままの泉の耳元に顔を寄せた。

「全身のあちこちをバラされて、どっかの金持ち連中の臓器に収まる前に、俺を楽しませてくれよな」
身の毛もよだつほどの嫌悪と、無遠慮に踏みにじられるプライドに対する怒り、そして、体に刻み込まれている拭い難い恐怖に体が熱くなるのを感じながら、泉は震える唇を必死になって動かした。
たとえシルエットであっても、相手の姿をしっかりと記憶に焼付け、必ず逮捕してやると心に決めながら、横目で相手を睨みつける。
「ざ、っけんな……ヘンタイ野郎……」
奥歯を数本抜かれ、鉄の味が口の中一杯に広がっているが、ありったけの嫌悪を込めて囁いてやると、相手の動きが止まった次の瞬間、容赦ない拳が頬骨の辺りに炸裂し、泉は意識を失った。



視界が悪い中、男は相棒の男が相手を殴りつけたのだと思われる音を聞きつけ、ジャケットの内ポケットに仕舞い込んでいたタバコを取り出した。
社屋内では、決められた場所以外での喫煙は厳しく制限されていたが、窓が無く、紙と埃、そして鉄のにおいの充満する部屋の中、さらに嗅ぎたくも無い匂いを嗅ぐ気にはなれず、けれどこの場を離れる訳にもいかないため、あまり好きではないそれを一本取り出した。

白地に印象的な赤い円を描いたロゴマークのそれは、幾つか試した銘柄の中で一番気に入っているものではあったが、自分でも知らないうちに嫌煙ブームに乗っているのか、普段はそう吸いたいとは思わない。
無意識に溜息を吐きながら、男は中から一本取り出し、共に内ポケットに仕舞い込んでいたはずのライターを探した。

昔付き合っていた女から贈られたジッポで、百合の紋章のデコレーションが印象的だった。
初めはそのデコレーションが百合の紋章だなどとは知らなかったが、贈られた時に聞いて以来忘れられない。
女々しいとは思いつつも、五年前に組織の内情を知ってしまい、冬の港で消されてしまった女の唯一の形見として、どうしても手放す事は出来なかった。

丁寧に手入れをし、ずっと使い続けているそれをポケットの奥から探し当てたその時、かすかな物音が男の耳を打った。
聞き違いかと思うのと同時に、これまでの経験が男に周囲への警戒を促す。
そういった設備なのか、節電の為なのか、ダウンライトすら点灯していない倉庫室の中は無明の闇だが、随分と長い間ここにいるせいか、目は闇に慣れていた。

相棒は、まだ捕らえたインフォーマーにご執心といった様子だったが、こちらの気配が変わった事を感じたのか、動く気配を感じさせなかった。
何度と無く足を引っ張ってくれているが、役に立つ時は立ってくれている相棒の事はとりあえず捨て置き、男は倉庫室内に通じる唯一の扉に向かって歩を進めた。

2ブロック分をぶち抜いて作られた部屋は、パーテーションや整理用ラックで細かく区切られていて視界が悪い。
いくら闇に慣れているといっても、これでは状況を把握しきれないと思い、まずは照明スイッチのある扉に向けて進むべきだろうと考え、背中を壁に預けるように心掛けながら狭い通路を進んでいたその時、ふと風が動いた気配を感じた。

換気用ダクトからの風かと思う間も無く、並び置かれたラックの間に設けられた通路、進行方向である横にばかり気を取られていた自分を咎めるように、そこに佇んでいた人影が素早い動きで腕を伸ばした。
闇の中の影に佇む相手は、明るい色の髪の隙間から鋭い視線をこちらにくれていて、呼吸を遮るためにこちらの口と鼻を手で塞ぎながら、酷薄な笑みを浮かべた。

「死にたくないだろ?だったらこっちに付きな」
見かけから判断するなら年下なのだが、それをマイナスに感じさせない威圧感が男に沈黙を促し、抵抗する気持ちを萎えさせた。
普段の自分なら、こんな事を言われて黙って引き下がるような事はしないのに、呼吸がし辛く、苦しくなるばかりの体が脳にひれ伏す事を促す所為なのか、男は小刻みに頷いた。

それを確認して、相手は皮の手袋を嵌めた手を口元から外し、そのまま男の胸倉を掴み上げた。
身長は相手の方が僅かに高い。
左腕だけで踵が浮くほど持ち上げられて小さく呻くと、幾分鋭さが薄くなった目がこちらを見据えた。
「あんた、良い道を選んだぜ」
静かにそう囁かれた瞬間、掴まれていた胸倉は解放され、酸素不足から乱れていた呼吸を整えようと視線を僅かに外した刹那に、相手の姿は再び闇の中に紛れ込んでしまい、もうその気配を窺う事は出来なかった。

呼吸が整うに従って、全身から冷たい汗が一気に噴出し、男はその場から動く事も、相棒に声を掛けることも出来なかった。
自分以上に無謀な相棒が、浅はかな判断を下さない事を頭の片隅で願ってやりながら、男はまだ左手の中に握ったままだったジッポが、優しい温もりを放っているのを感じた。



部屋の中の空気がどこか変わった事を感じながら、男は組み敷いた男が気を失ったままである事を確認して、足首に仕込んだベルトで装備したナイフに手を掛けた。
本当は銃の方が好みなのだが、このビルの中での使用は自分達の雇い主に禁じられている。
相棒の男が、この空気の変化を探りに行っているとは思うが、かすかな物音だけが響く事が不安と警戒心を掻き立てる。
闇に慣れた目を必死に凝らして辺りを探るが、変化点を探りあてる事は難しかった。

この場に留まっている限り、状況を打破できないと判断して、男は自分も相棒の元へ向かおうと立ち上がりかけたその時、すぐ近くで何かが動く気配を感じ、無意識に背後を振り返った。

刹那、それを待ち構えていたように何者かの拳が空を裂き、頬骨を強打した。
視界に火花が散り、立ち上がりかけた不安定な姿勢の所為で体が大きく傾ぐ。
襲撃者はそれを見過ごさず、後ろ襟を取られると胸に膝がめり込み、息を詰まらせたところで床に引き倒された。
打たれた側の頬だけでなく、化繊のじゅうたんが無遠慮に反対側の頬をいたぶるのを不快に思い、腕を突っ張って体を起こそうとするより早く、背中に襲撃者の膝が乗り、動きを封じられる。

「誰だ……!」
誰何の声を上げてはみたが、相手は氷のように静かな気配のまま、何か硬質のものをこちらの脇腹に押し当てた。
それが、自分もよく扱っているスタンガンだと理解するより早く、破裂音と共に意識を失った。





「もう良い。電気点けてくれ」
浜田がそう言うと、スイッチ近くで待機していた西広は指示されたとおりに明りを点け、足早に奥に居る浜田の元へとやってきた。
「泉は無事ですか?」
気を失ったままの泉の体を抱き起こした浜田の顔を窺い尋ねる彼に、浜田は誤魔化すような笑みを浮かべるのが精一杯だった。

泉の怪我の様子を調べつつ、汗で額に張り付いた前髪を除けてやりながら、やっと少しばかり落ち着きを取り戻した浜田は、泉より先にこの会社に潜入していた昔馴染みを振り仰いだ。
「ありがとな、西広。お陰で助かった」
「力になれて良かったです。いつもお世話になっていたから」
そう言って穏やかに笑ったかと思うと、西広は不意に表情を固くした。

「俺は向こうの男から情報を取ってきます。浜田さんは泉を連れてビルを出て下さい。来た経路を辿ってもらえば大丈夫ですから」
「けど、お前だってばれたらあぶねぇだろ。泉は手当てすれば……」
「なら、少しでも早く手当てが出来る場所に運ぶべきです。俺なら大丈夫ですよ」
西広の顔に浮かぶアルカイックスマイルに、浜田は苦笑するしかなかった。

公安に所属する彼は、浜田達と同じく、高校時代から繋がりのある三橋達とも懇意で、浜田とはお互いの立場でしか知りえない情報のやり取り等のつながりがあった。
今回も、たまたま泉が二人組みの男に連行されたのを目撃していた社員から情報を得た西広に連絡を貰い、こうして泉を助ける事が出来たのだが、一見穏やかで頭の良い彼が、結構怖い人物だというのは浜田も良く知っていた。
「分かった。そんじゃとりあえず泉を知り合いに預けてくる。この借りはまた何かで返すな」
「気にしないで下さい。そろそろ潜入も潮時ですから、三橋達への手土産を用意したらすぐに退散しますよ」

昔馴染みの優しい提案に感謝を述べると、浜田は力を失った泉の肩を小さく揺すった。
それに反応を返し、小さく呻きながら意識を取り戻し始めた泉を立たせると、浜田は西広を一人残し、その場を後にした。

西広の手配により、監視カメラには偽装した映像が流れ続けている為、人に会わないようにだけ注意しながら非常口から外に出て、ゆっくりと階段を下りた。
ふらつきながらも、何とか車を停めていた駐車場まで辿り着き、苦労しながら泉の体を助手席に納めると、再び力なくうなだれた泉の頬に手を添えた。
数ヶ月ぶりに直接目にする愛しい人は、またも血を流している。
はだけた胸元に認めたタバコによるものと思われる火傷跡に、命までは奪わなかった相手に対し、燃えるような憎しみがつのる。

しかし、それを押さえ込んでしまうと、浜田は火傷跡に一度口付けて体を離した。
梶山と梅谷からの連絡で、全て任せてしまった仕事の方も無事に済んでいる事も知っているため、今は一刻も早く泉に治療を施すべきだと自分を戒める。
一度激しく降った後、雲間から星を覗かせるほど回復した空から、針のような雨が再び零れ落ち始めて、浜田は体を小さく震わせた。
「これから、だよな」

誰にともない呟きは、白い吐息と共に夜の中に滲み消えた。









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(2009.07.27)
段々自分で方向を見失っていくような気がします(汗)