caution!



以下のテキストは、タジハナは絶対共白髪になるまで、元気に幸せに暮らしていると信じて疑わない方は
                    ご遠慮下さい。
  それでも読んでやっても良いよ、とおっしゃって下さる方は、御自分の決断に責任を持ってください。















































秋雨





彼の好きな夏が終わってすぐだった。
いつもと同じように仲間と共に野球をしていたある日、珍しく風邪をこじらせたらしい彼は、いつものコンビニにも付き合わず、早々に自宅に戻ると言った。
「馬鹿は風邪引かないはずなのにな」とからかう自分に、いつものように「ひでー!」と言って笑いながらも、血の気の失せた顔色が気になって、自宅まで送ろうと言うと、疲れさせたり、移したりすると悪いからと断られた。

何故、この時一緒に居てやらなかったのだろう。
何故、強引にでも付いて行ってやらなかったのだろう。
何故──





翌日、いつもの練習開始時間になっても姿を現さず、連絡も寄越してこない彼に電話をかけると、彼の家族が動揺しきった声で応じてくれた。
事情を聴いた瞬間、まず冗談だと思った。

人をからかうにしても酷い冗談だ。

そう非難しようとした瞬間、遠くからけたたましい音をさせた白い車が、赤色灯を点灯させてグラウンド脇の道を通り過ぎ、件の人物の家のある方向へと消えていった。

冗談にしても手が込んでいる。
そう思いながらも、力の抜けた全身の内側で、どくりどくりと大きく鼓動を刻む心臓が、不安によってきりきりと絞り上げられた。
共にグラウンドに居た仲間や監督の顔にも、まさかという表情が浮かぶ。
手から力が抜け、取り落とした携帯が足元でがしゃりと音を立てたとき、それを合図に走り出していた。

ぐんぐん遠くなる背後、制止する声が聞こえてはいたが、止まる事は出来なかった。
自分の足の動きの鈍さに焦れながら、全力で目的の場所に向けて走った。
サイレンの音が止み、目的の家の前で家人や灰色の制服を纏った人がせわしなく出入りするのが遠くに見えたとき、どうか別の人物であってくれと祈らずにはいられなかった。

嘘だと信じたいことが真実だと現実に突きつけられたくなくて、花井は悲鳴を上げる体に鞭打って、更に足を速めて目的の場所へと向った。
けれど、辿り着いたその時、既に家の前には近所から集まった人々が人垣を作っていて、大きな体を利用しても、中々最前列に躍り出る事は出来なかった。
「通してください!」
焦れて叫びながら、何とか身を捩って人垣を割ると、丁度家から担架に乗せられた誰かが、車から運び出されたストレッチャーに乗せられるところだった。

派手な色合いの担架に乗せられていたのは、見覚えのある小柄な体。
いつもはバットを振り回している腕が、ストレッチャーの上から力なく垂れていた。
肺を引き絞られ、喉が笛のように鳴った。
「ご家族の方、どなたか同乗して下さい!」
「お兄ちゃん乗って!後からお父さんの車で追いかけるから!」
いつもは物静かな彼の母親の、困惑に荒れる声が震えていた。

何とか声を上げようとした時、自分の後から自転車で追いかけてきたらしいチームメイトの声と、耳障りなブレーキの音が背後で鼓膜を震わせたその瞬間、垂れた腕が、まるで自分達に別れを告げるかのように左右に振れた。
錯覚かと思うほどのかすかなその動きに気を取られている間に、ストレッチャーは車の中に収められてしまい、再びけたたましい音をさせて車はその場から走り去ってしまった。
その後を追いかけて、他の家人が乗り合わせた車も出払ってしまい、集まっていた近所の人達も、三々五々散って行った。

「おい……しっかりしろ……」
いつも不機嫌そうな表情のクラスメイトの副主将が、肩に手を置いて振り向かせようとしたらしいが、まるで石にでもなったかのように動けなかった。
その様子に、他のメンバーも心配して周りに集まってきたが、そこから先の記憶は無い。

次にある記憶は、すすり泣く人々の声と強い香の匂い。



同じチームの中で、誰よりも明るかった田島悠一郎は、運ばれた日から丁度一月後、病院で静かに息を引き取った。





しとしとと雨が降る中、花井は墓前にじっと立ち尽くしていた。
あれから二十年以上の時間が過ぎた。
西浦のトップ選手であった田島を欠いた後、メンバー全員が一丸となって誰よりも行きたいと望んでいた田島を思って奮起し、西浦は無事甲子園の土を踏んだ。

優勝こそ出来なかったものの、最後の夏にはベスト8にまで進む事ができ、以後、監督の指導力もあるのだろうが、公立の勇と呼ばれるようにまでなった。
その後、大学野球にも何人か進み、今でも野球に携わっている者は多い。
花井もその一人で、大学卒業後、下位指名ながらプロからの誘いを受けられ、つい先日まで何度か球団を移りながらも、プロとして野球を続けてきた。

しかし、数年前に痛めた膝が悲鳴を上げ、一軍定着が難しいとなった時、花井は引退を決意した。
周囲からはまだもう少し、と言われもしたが、手術をし、その回復を図ってもう一度、という気力は、どう奮い立たせても淡雪のように消えた。
「お前なら、どう言っただろうな」
口元を引き上げて静かな笑みを浮かべると、花井はそう墓前に問い掛けた。
まだやれると言うかと思ってみたり、お前が納得してんなら、と言うと思ってみたり。
花井はもうずっとそんな風に、田島が居ればと考えながら生きてきた。

彼を失った時の年齢の倍以上の時間を過ごして尚、花井の頭の中から田島の影が消える事は無かった。
きらきらと目を輝かせ、誰よりも野球を愛していていたチームメイト。
彼にライバル心を抱き、ずっと競い合っていけると思っていたのに、神様は自分の前からさっさと彼を奪い去ってしまった。

田島を失ってからも野球を続けていたのは、ずっと田島のようなライバルを求めていたからだが、ついにそんな相手にめぐり合うことは出来なかった。
田島だけが特別だった。
彼だけが、自分を焦がれさせた。
どんなに時間が経とうとも、この心を掴んで離さなかった。

ついに追いつけなかった相手の事を想い、花井は涙した。
失ってからずっと田島に会いたいと思いながらも、葬儀の日以来、田島の家に近づかなかった。
墓前に立つのも今日が初めてだ。
彼の家に行き、不在を確認するのは嫌だった。
墓前に立ち、側面に刻まれた彼の名前を目にするのも怖かった。
こんなに卑小な自分に、いつも田島は挑むような言葉を掛けてくれた事を思い出す。

傘の先から滴り落ちた雨粒が、供えた花の上に落ちたのを見て、花井はその場にしゃがみこんだ。
色とりどりの菊が組み合わされた束の中に、花井は墓地の近くで見つけた白い彼岸花を差し入れていた。
物珍しさから手折ったそれは、花井の好きな花でもあった。
情熱的な赤はよく見かけるが、白いものは突然変異種である所為か、なかなか目にする事は無い。
その特殊さが、田島という存在とぶれて見えた。

あいにくの天気の所為で線香のひとつも立てられないが、他に墓参りに訪れる人も無いという利点を生かし、花井は止まる事を忘れたかのように流れ続ける涙を、止めようとは思わなかった。
「ずっと、会いに来なくて悪かったな、田島……」
墓石を見つめながら、持っていた傘を取り落とすと、花井は冷たい雨に打たれるそれに手を添えた。
かなり古くからあるのであろうそれは、でこぼことした手触りだった。
そこには、田島であった肉体の一部だけが納められていると分かっていたが、花井は基部に視線を落とした。

ずっと、田島が倒れる前日の夜に手を離したことを後悔していた。
あの時、頭を掠めたのは自分の中の感情を隠す為の保身だった。
チームメイトで友人で、最高のライバルであったはずの彼に、いつの間にか抱いていた劣情に、あの時の自分は怯んでいた。
その為、本当に心から心配すると同時に、勘の良い彼に気づかれてしまう事を恐れた。
田島が今も生きていたら、決して口に出来ない感情ではあったが、誰も聞いていないこの場所で、この世に居ない人に向かって懺悔も込めて告白したかった。

「田島……」

手を放した事への後悔を重ねてきたが、それと同じだけの感謝も重ねてきた事を伝えたかった。
田島と出会えた事で、今の自分があるのは明白だ。
家族や友人の支えがあったのも分かっているが、一番の支えになったのは、彼と過ごしたわずかな時間だった。
雨に濡れた髪から伝い落ちた水滴が、頬を流れる涙と重なる。
気が付けば服もしとどに濡れていたが、もう雨は止みかけていて、遠くの雲間からは太陽の光が光線のように延びていた。

「あいしてる」

今までも、今も、これからも、ずっと──
万感の思いを込め、噛み締めるように呟いた言葉は、周囲の湿り気に吸い取られた。
ようやく口に出来た想いに、安堵に似た感傷に浸っていると、何かに叱咤された気持ちになって花井は顔を上げた。
もちろん周囲に人影は無い。
けれど、誰かに声を掛けられたような気配に妙な確信があり、花井は辺りを見回した。

まだ上空の風は強いのだろう、雲がせわしなく動き、雲間から差す光も、次々と照らす場所を変える。
視線を巡らせた花井が無意識に空を見上げた時、まるでそれを待っていたかのように、光は花井を照らし出した。
低く垂れ込めた雲の下、あまりのまぶしさに目を閉じた花井の脳裏に、懐かしい声が響いた。
「田島……」

眩しさに眩んだ所為で止まっていた涙が、再び溢れ出した。
「お前に、会いてぇよ、田島……っ」
顔を上げたまま目を閉じ、花井ははるか上空に向って手を両手を差し伸べた。
その手を、肉刺だらけの懐かしい感触が取った気がしたのは錯覚だったろうか──





肌寒い午後、雨の上がった空にはくっきりとした虹が浮かび、誰も居ない静かな墓地に、どこかに繋がる橋を架けていた。











(2008.10.7)
色々と全部ひっくるめて申し訳ございません。(土下座)
mementoの逆バージョンです。mementoの時に、花井は何とか乗り越えて生きて行きそう、と思った事に変わりは無いのですが、弱ってしまった時とか、綺麗な思い出だけだった場合だったらどうなのだろう?と……思いついてしまって、なおかつUPして申し訳ありません。
でも書きたかったのです(><)わがままですみません……orz