バースディキャロル

二年目の夏と秋が終わりを迎えた頃、田島は自分の誕生日が近くに迫った日曜日を心待ちにしていた。
同級生でチームメイトであり、何よりも大切なライバルで恋人である花井から、誕生日も近いその日、タイミングよく休息日に当たるからとデートに誘われた。
照れ隠しにそっぽを向き、耳を赤くしながらそう切り出してきたときの花井の可愛さを何と言えば良いだろう。
もう言葉にするのが勿体無いほどに可愛い様子に、その場で抱き潰してしまいたくなった。

二年生になり、身長も体重も去年に比べればかなり伸びている為、花井を抱き潰す事も本当に出来そうなので自重したが、同性同士でありながら付き合い始めて一年近く、いつも世間体を気にしている花井が一所懸命考えてくれたプレゼントに、小躍りしながら快諾し、毎日カレンダーを睨みつけながらその日を待ち続けた。

行き先は花井にお任せで、待ち合わせはお互いの家の中間付近にある駅。
前日の夜は眠れなくなると困ると思うほど興奮していたが、習慣というものは恐ろしいもので、準備をしっかりと整えた後、枕に頭を乗せた途端深い眠りに落ちていて、セットした目覚ましが鳴る頃にはしっかりと起き出していた。

休みの日に早起きした事を家族に珍しがられながら家を出て、待ち合せの時間十五分前に待ち合せ場所に辿り着いたが、三分前になっても花井の姿は無かった。
律儀な彼は五分前行動が当たり前だし、待ち合せの時間に遅れそうな場合、必死になって走りながら携帯に連絡をくれるのは、考えるまでも無い。
そうなるともう悪い事だけが頭の中を駆け巡る。

「どーしたんだよ花井……」
一人不安を誤魔化すように呟きながら、手の中に握りこんだ携帯電話を見つめるが、それは一向に鳴る気配は無く、兎に角時間まで待ってみて、それでも連絡がなければこちらから連絡を取ってみようと決めた時、目の前に誰かが立つ気配を感じて、田島は待ち人が来たのかと伏せていた顔を上げた。

ここで「花井」と呼びかけなかった自分を少し褒めてやりたくなりながらも、田島は目の前の人物を見て言葉を失った。
それは相手も御同様なのか、色の薄い、ほんの少し眦の吊り上がった目をこれでもかと瞠りながら、こちらに向けて右の人差し指を向けていた。
「たじ、ま……?」

緩いウェーブを描く短い髪、整った顔立ち、肌理の細かそうな、少し日に焼けた肌、待ち人より少しだけ高い身長。
無言のまま相手に見入ってしまっていた事に気付いて、田島は自分に相手が呼びかけていた事を思い出して小さく頷いた。
「田島ですけど……何か?」
警戒ではなく、純粋な驚きに言葉が短くなった。

相手は田島のその言葉で我に返ったのか、はっとすると片手で目元を隠しながら天を仰ぎ、何かをぶつぶつと呟き始めた。
「何だこれ?!…………俺、確か……えっと……」
一人で絶え間なく言葉をつむいでいた相手は、ある程度ぼやいた後、何かに気が付いたのか不意に動きを止め、目を覆っていた手を離して田島を振り返ると、少し血の気の引いた顔に無理矢理笑顔を浮かべた。
「あー……俺は梓の親戚。あいつ、今日急な用事で身動きできなくなってさ、本当に申し訳無いけど、一日俺が代理を仰せつかったんだ」

本人が呼ばれる事を嫌っている名前をあっさりと口にする相手に、田島は胸に何かがつかえた。
「花井に何かあったんスか?」
花井に似た彼の言葉に、田島は何か悪い事でも起こったのかと眉根を寄せ、体を強張らせたが、相手は花井と同じような仕草で眉を困らせた。
「いや、大丈夫。ちょっと妹達が熱出してるだけ。梓はその看病してるんだ」
相手のその言葉に、花井が今日は両親が不在だと言っていた事を思い出した。
その事を見透かしたように、目の前の男は優しい笑顔を浮かべると、田島の肩を励ますように叩いた。

「夕方には合流できるから安心して良いよ。さ、それじゃあ行こうか」
「は?あの!?」
花井と一緒でなければ意味が無いというのに、強引に連れて行こうとする相手に田島が抵抗を示すと、相手は少し困ったような笑みを浮かべた。
「君を楽しませないと、俺が梓に叱られるんだ。だから頼む」
真面目そうな彼の焦るような言葉に、田島は頭の中で忙しく考えた。

花井は妹達の事をとても可愛がっているため、確かに熱が出ているのであれば看病するだろう。
そして、そちらに手がかかって電話が出来ないという事もあるかも知れない。しかし、だからと言って目の前の人物をいきなり花井からの紹介も無しに信用して良いという訳でも無い。
けれど、何故だか目の前の人物に対して、警戒心を抱くことは出来なかった。
それはあまりに花井に似ている風貌の所為かもしれない。
「じゃあ、花井にちょっとメール送ります。花井に頼まれたんなら、ちゃんと合流出来た事、言っとかなきゃでしょ?」
田島の言葉に穏やかな笑った笑顔は、田島の良く知る花井の物と本当に良く似ていた。





花井の従兄弟だと自己紹介した花井似の男は、その日一日田島の事を連れまわして過ごした。
田島好みの映画を見た後、ファミレスで昼食を奢ってもらい、色々な店を冷やかして歩いた後、バッティングセンターに向った。
最初のうちこそ、初対面の相手に少しばかり緊張したが、何故か相手は田島の好みをよく知っていて、映画も食事も、見て回った店も全てが楽しくて、気が付けば時間を忘れて遊びまわっていた。

バッティングセンターに向かうと、相手も当然やると思っていたのに、ブースに入ったのは自分だけで、田島は訝しげに首を傾げた。
「花井さんはやらないんすか?」
金属バットを肩に担ぐようにして持ちながら尋ねると、彼はなにやら嬉しそうに笑った。
一日一緒にいる間、野球に関してかなり詳しい人物である事は分かっていた分、余計にブースに入らないのが不思議だった。
「田島君のバッティングが見たいんだ。見せてくれないか?」
言葉の優しさと好きな笑顔にほだされたわけではないが、田島は無理強いする事も無いだろうと、とりあえず鼻を鳴らして、ボックスの中で構えた。

この所、自他共にらしからぬと思うスランプに陥っていた。
急激に伸びた身長が原因で、以前とは僅かだが違う視線や腕の振り位置に、どうしようもない違和感を覚えているのだ。
ボックスに立ち、構えてみれば確かに以前とそう変わらない打率を叩き出せるのだが、いつもどこかに不要な力が篭っている気がして、その違和感が歯痒い。

マシンから放たれた白球を捉えれば、それは小気味良い音をさせてマシン側のネットを揺らす。
自分の背中側のネットの向こうからは、静かにこちらを見つめる視線が真直ぐに注がれている。
それを感じながら、田島は試合中に花井が向ける視線に似ていると思い、無意識に歯を食いしばった。
田島が四番を打ち、花井が五番を打つ。
その打順は今でも変わりは無い。

きっと花井には自分以上に、今のスランプを歯痒く思われているだろう。
そう感じさせる言動が最近続いていて、腫れ物に触れるようなその扱いが少しばかり嫌だった。
今日も本当は誕生日にかこつけて、野球から少し離れて羽を伸ばそうという意図が含まれていたのかもしれない。
「くそっ!」
小さく毒づいて、やはり思うところより僅かにぶれる打球に苛立ちを覚えていると、視線の先にある隣のブースに、誰かが入るのが見えた。

その大きな体躯は、今日一日を一緒に過ごしていた相手だという事はすぐに分かった。
気付いている事を分かっているらしい相手は、こちらに向かって見ていろと言うかのように、バットを両手で持つとそれを背中側に垂らし、大きく体を伸び上がらせた。
それは花井と同じ癖だ。
無駄な力みも無く、自然に構えた彼は素振りもせずに、マシンから球が吐き出されるのをじっと見据えた。
自分が使っている台と同じく、130キロ台に付いた彼は、初球からネットに掲げられた、古ぼけたホームランプレートに当てた。

「あんまり考えんな」
「へ?」
次の球が吐き出されるまでの僅かな合間に、彼は田島に向かって言い放った。
「俺の知り合いの言葉」
木製バットで再びホームランパネルに当てた彼は、構えを解いて田島と向かい合った。
「そいつは野球馬鹿で、すげぇ天才って周りには騒がれてるけど、実は物凄い努力家なんだ」
プロなんだと笑った彼の笑顔は、何故かとても誇らしげだった。

「そいつが、大学で野球やってた時にスランプになった俺に、そう言ってただバットを楽しい気分で振れ、って言ったんだ」
再び放たれた球を打ち返した相手は、もう一度田島を振り返った。
「そしたら、確かに俺はスランプから脱してた」
「……でも……」
自分を励ましてくれる相手の言葉に、田島はもう規定の球を吐き出し終えたマシンが止まっているのを確認するかのように、そちらを睨みつけた。

「自分の体に付いていけ無ぇのは、それとはまた別の話なんじゃねぇの?」
言いながら、打てない悔しさに眉間に力が篭るのを感じて、田島は自分の格好悪さにグリップを握る手に力を込めた。
すると、相手は声を上げて笑い始めてしまい、気分を害した田島が膨れ面で彼を振り返ると、慈しむような視線で見つめ返された。
「そういう事を考えるな、っていう事だよ。のびのびプレイする事を楽しめなきゃ、誰も本当の力を出せないんだから」

静かに言い含めるようでいて、とても良く自分の事を理解してくれているような相手の言葉に、田島は動けなくなった。
「花井さんは、花井から俺の事って良く聞くんスか?なんか……俺より俺の事分かってるみたいな感じっすね」
だとしたら少し傷付いた。
花井が誰に自分の事を話していても構わないが、あんな風に見透かした事を直接ではなく、人を介して言われるのは、何だか遠慮されているようで寂しい。
男同士でありながら付き合い始めて結構な時間も経っているし、チームメイトとして、ライバルとして、お互いにそんな遠慮など無いと思っていたのに……
そう思っていたのは自分だけだという事なのだろうか?

そう考えた途端、不覚にも目頭が熱くなって顔を伏せた瞬間、再び快音が響いてホームランパネルが良い音をさせた。
「今のお前の事は、お前自身から聞いたんだよ田島。それからさっきのアドバイスも」
突然呼び捨てになった相手は、弾かれたように顔を上げた田島と視線を合わせると、口の端を小さく引き上げた。
「高校生のお前も、結構悩んでたんだな」
「は?」
訳が分からずに首を傾げると、相手は最後の球を綺麗なフォームで打ち返し、自分のブースを出て田島の立つブースへと入ってきた。

「なぁ田島、クリスマスキャロルって知ってっか?」
まるで普段の花井のように話し始めた相手に面食らいながら、とりあえず質問に首を横に振ると、相手はだろうなという風に頷いた。
「また今度調べとけ。最後に現れる奴の正体が俺だって思って良い」
「花井さん?」
「本当は隠しとくべきなんだろうけど、お前に誕生日プレゼントをやる。この先色々あるけど、お前は欲しいと思ったものの殆どをちゃんと手に入れる。だから、今は焦らずに来年の春を待て。その頃にはもうお前の思うとおりに打てるから」

急に訳の分からない事を良い始めた相手に、田島が困惑の色を濃くしていると、相手はまるで逃がすまいとでもいうかのように田島の両肩を掴んだ。
「この先、お前はずっと野球をやり続ける。俺は途中でリタイヤしちまったけど、その分もちゃんとお前は背負ってくれた。だから、お前は自信を持って進んで良い。俺はそんなお前が……」
「田島!!」
相手の言葉尻に重なって、聞き覚えのある声が田島を呼んだ。

声のした背後の方を振り返った田島は、出入り口の辺りからぜいぜいと呼吸を乱し、よたよたとした足取りで向かってくる花井の姿を認めて、鼓動が一気に強さを増したのを感じた。
「花井!」
無意識に手を振り上げ、ぶんぶんと振っていたその時、肩に触れていた筈の手が無い事に気付いて、田島はつい今しがたまで人が立っていたはずの自分の正面に、誰の姿も無い事を認めて言葉を失った。
ブースの扉は開いていないし、辺りを見回してみても、飛び込んできた花井を見ている人か、そんな騒ぎを無視して、自分のマシンに向かっている人達ばかりだ。

「悪ぃ田島……妹達が急に熱出して、看病する羽目になって……で、連絡しようとしたら、携帯水没するし…………」
かなり走り回っていたのか、ブースに入る為の扉に体を預けるようにして、中々息を整えられずに居た花井に、田島は再び視線を移した。
「なぁ花井?」
「……っわりぃ……折角誘ったのに、……」
心底悔しく申し訳ないと全身で語って視線を伏せている恋人に、田島は一つの疑惑を確かめる為に口を開いた。

「花井、顔上げて?」
「……何?」
訝しげに顔を上げた花井の顔をじっと見つめて、田島は納得した。
今まで自分の直感で感じた事に外れは無い。
「なぁ花井!クリスマスキャロルって知ってっか?」
「はぁ?何でクリスマスなんだよ……っつか、なんか過去とか未来から何か来るってくらいしか知ら無ぇけど?」
元気良く問い掛けると花井が眉を困らせ、困惑しながらも生真面目に答え、今日一日、自分をとても楽しませてくれ、最後にはアドバイスまで残してくれた人の姿を重ね合わせて、田島は花井の背中を大きな音がするほどに叩いた。

「ちぇっ!やっぱ俺よりでかいのかな?」
「って〜〜〜〜〜っ!何すんだ!」
眦に涙を浮かべて叫ぶ花井に、田島は満面の笑みを浮かべてブースを出た。
「見てろよ花井。俺は絶対お前が目ぇ離せないくらいのスゲェ男になるからな!
「はぁっ?!訳わかんねぇ!それよりお、怒って無ぇのかよ……」
初めは勢い良く叫んだ花井だったが、段々と言葉尻を濁し、用具を片付ける田島の背中に向かって問い掛けてきた。

ピタリと足を止め、背後に居た花井を振り返ると、田島は怒っていないと言って手を差し伸べた。
「花井は気にし過ぎなんだよ。じじょーがあったんだし、今日も会えたから、俺は良いよ。それよりさ、ほら、手!」
「う、あ、ちょっ!」
花井が伸ばしかけていた手を強引に掴むと、田島はそのままバッティングセンターを後にし、暗くなった道をそのまま歩き続けた。

「花井、チャリとかで来たのか?」
「いや……ここ、結構近いから、走ってきた……」
既に暗くなっている所為か、街灯の少ない住宅街の道を、手を繋いだまま歩いている事に抵抗を示さない花井に嬉しくなりながら、田島は温かいその手を握る手に力を込めた。

『欲しいと思ったものの殆どをちゃんと手に入れる。』

先ほど聞いたばかりの言葉が、耳の奥で何度も鳴り響いているようだった。
「ぜってぇ全部手に入れるもんね。ゲンミツに!」
「静かにしろよ!住宅街だぞ?!」
自分も少し声が大きくなってしまった事に慌てる花井の様子に笑いながら、田島はその手を引っ張って走り出した。





「ただいまぁ」
「あずっ?!」
玄関を開けるなり、部屋の中から慌てふためいた声が聞こえ、それと同時に飛び出してきた人影の太い腕に抱きすくめられて、花井は息を詰まらせた。
「てめっ!苦しいだろうが!」
「どこ行ってたんだよ一日!携帯も繋がんねぇから、ケーサツに連絡するとこだった!」
しかりつける自分を無視しして、不安そうに声を張り上げるパートナーに、花井は吐息のような笑いを漏らすと、自分を放すようにと合図する為に相手の背中を軽く叩いた。

「ちょっと懐かしいところに行って来たんだよ」
「懐かしいところ?」
体を離すと、本当に心配をかけたのだろう、珍しく目を潤ませた相手がおうむ返しに尋ねてきた。
花井は少し緩められただけで、決して解放はされていない体を捩って持っていた携帯を取り出すと、暫く弄くって呼び出した画面を相手の顔の前に差し出した。
「読んでみろよ、これ」
悪戯を仕掛けるように言うと、暫く画面に見入っていた相手──田島の顔に、みるみるうちに驚きの表情が浮かび、次いで安心と嬉しさが入り混じった幸せそうな笑みが浮かんだ。

「そっかぁ……今日のあずだったんだな……」
「そうらしいな。俺も最初は驚いた。普通に駅に行ったらさ、16の時のお前が居るんだぜ?」
くすくす笑いながら、今日一日を一緒に過ごした田島が、あの頃から今日まで、ずっと重ね続けた努力の結晶である分厚い体をしっかりと抱きしめた。
「誕生日おめでとう、悠一郎」
ありったけの気持ちを込めて言祝ぐと、抱きしめられる腕に少し力が込められた。
「あんがとな、梓……あの時も今日も」
顎髭を蓄えた田島が、頬を摺り寄せながら耳元で囁き、耳と首筋をくすぐるものに花井は更に押し殺した笑いを洩らした。

「さ、出かける準備しようぜ。良いホテル予約してあるんだから」
「梓の誕生日プレゼントはいつも豪勢だよなー」
自分と同じように笑いながら、頬に音を立ててキスをした田島は、花井の腰に腕を回すと彼を誘って部屋を奥へと進んだ。


(2008.10.16)
田誕参加作品。この時はこれで精一杯だったのですが、今見ると直したいところ山盛りです(−−;)