おおきい君とちいさな僕 (ちっさい背中なのになぁ……) ネクストバッターサークルに腰を下ろしながら、花井はバッターボックスに立つ小さな巨人の背中を見つめた。 下ろしたバットを2度振ってから垂直に持ちなおし、自分の打球を飛ばす場所に目算をつけている相手は、何がそんなに嬉しいのか余裕の笑みを口元に刻み、立てていたバットを引き寄せて構えると、ピッチャーを誘うように真直ぐに見つめる。 あの目で見られると、どんなにいやらしい場所を突いて投げても打たれそうだと思う。 練習中、バッティングピッチャーを務めているときですらそう感じるのなら、試合中の相手ピッチャーはかなりのプレッシャーだろうな、と花井は内心で軽く同情を覚えた。 そんな花井の感慨を余所に、見つめる先に佇む相手は予想通り初球から快音を響かせ、二塁側にかなり寄っていたショートの脇でバウンドした球は、そのまま前進していたレフトの前に転がって行った。 これで先に出塁していた巣山が二塁へと進み、小さな巨人、こと田島が一塁へと出る。 三塁側にある自分達のベンチの中から歓声とナイバッチの掛け声が上がる中、立ち上がった花井はゆっくりとボックスに向かって歩き出した。 (あいつにゃこんな気持ち、わかんねぇだろうな) グリップを強く握り、そのまま体を解すために伸びあがりながら、胃の辺りに湧いた不快感に口元が歪む。 四番に居る確率の高い田島と、田島に次ぐバッターとして、その次に四番に座る事の多い自分の間には、野球に関してかなり大きな隔たりがあるのを認められるようになって久しいが、自分の中の嫉妬を押し込める間も無く、大きな期待を寄せられる重圧── その混ざり合った不快感が、うねりながら全身を内側から侵食していく感覚など、田島には分からないだろうし、分からなくて良いとも思う。 田島はあの小さな体で四番という重責を背負い続けている。 本人に言わせてみれば、打てるのだから四番に居るのは当たり前といったところだろうが、花井からしてみれば、そう口に出して言える程の自信を持つまでに重ねた努力には素直に感嘆するのだ。 素質を持っていても磨かなければただの原石に過ぎない。 彼はそれを輝くまで磨き続けたのだと思うと、自分も負けていられないと気負う一方、明らかな憧憬も覚える。 田島に初球を打たれたショックからか、花井への初球は枠をはずれてボールになった。 微動だにせずピッチャーを見据えたまま見送ったが、審判のコールの間に一度緊張を解いて足元を均すと、鋭く息を吸って構える。 今のボールでピッチャーが気持ちを切り替えられたなら次はストライクが来る筈だし、立て直せていなければ再びボールになる確率もある。 ベンチ指示もボールを良く見ろ、とだけだったため、花井は相手ピッチャーを睨みつけるような勢いで見つめた。 (やっぱでけぇよなぁ) 一塁コーチャーに入っている水谷の掛け声と自分の判断に任せて、一塁ベースから少し離れた場所で腰を落とすようにして構えた田島は、バッターボックスでバットを構える花井の姿を見つめていた。 すらりと伸びた伸びやかな手足に大きな上背。 野球をプレイする人間にとって、あの恵まれた体格は本当に羨ましい・ もちろん、花井が持って生まれたものだけに頼っている訳ではないのは知っているが、自分にあの体があればもっと素晴らしい、思うとおりの野球がプレイできるのだろうと思うと切なくなる。 両親はそれほどでもないが、兄弟達を見ていると自分にももう少し身長の伸びしろはあるはずなのだから、焦らずに待てば良いと分かっていても、今この時に花井のような体躯があればという思いを持つ事は少なくなく、田島はぶるりと体を震わせた。 やはり羨ましい。 無い物ねだりと分かっていても、時折溜息を吐きたくなる気持ちは抑えられない。 今も、調子を崩したらしい投手の様子を良く見ていて、枠外に逃げたボールを余裕の視線で見送り、ぞくぞくするような綺麗な視線を相手投手に向けている。 花井がバッティングピッチャーを務めている時にあの目で見られると、足の先から頭のてっぺんまで痺れるような感覚に襲われ、球を打ち返すのが惜しくなる。 再び振りかぶった相手投手の球はストライクゾーンに何とか収まるポイントに入り、審判はストライクコールを放った。 一度構えを解き、ヘルメットの位置を直した花井は再び投手に向き直った。 遠目に見ても、とても澄んだ、けれど激しい熱情を秘めた視線。 (欲しいよなー) 小さく覗かせた舌で唇を湿すと、田島は臨戦態勢に入った。 それを視線の端で確認したのか、花井の気配に僅かな気迫が混じる。 声の無い会話は終わりだ。 投手が力を込めて振りかぶった球は金属の澄んだ音と共に空へ舞い上がり、田島は地面を思い切り蹴った。 その日の練習試合は花井が放った走者一掃のホームランが決定打となり、格上の学校相手の試合ではあったが見事な勝利をつかみ、解散後自然と足の向かった近くのコンビニでは皆一様にテンションが高かった。 「ホント、気持ちよかったよねあのホームラン!さすがキャプテン!」 「んなの運が良かっただけだってーの。他の客に迷惑だから声小さくしろって水谷!」 練習試合の後、クールダウンも兼ねた軽い練習をこなしていたため、花井以外のメンバーが手にしたアイスや飲物を掲げて今日のヒーローをたたえると、花井は照れ隠しに一番に声を上げた水谷をたしなめた。 その様子を少し離れた場所で見ていた田島は、じゃれ合うような花井と水谷の様子に口をへの字にゆがめた。 時折湧き上がるこの不快感の正体に、田島は心当たりがなかったが、自分のライバルになってくれるかも知れない相手が怪我でもしたらどうするつもりなのだ、という心配の所為なのだろうと自分を納得させていた。 普段学校に居る時にも時折顔を覗かせる気持ちに後押しされて、田島は側に居た三橋に言い置く事もせずに花井達に近付いた。 のらりくらりと身をかわしつつ、まだ花井をからかっていた水谷がこちらに気付いて身を強張らせた事にも気付かず、ずいと花井に詰め寄った田島は、まだかなり高い位置にある彼の顔を見上げた。 「どーした?」 水谷の様子から田島の存在に気付いたらしい花井が、高い位置から問い掛けて来るのを見た瞬間、大きく跳ねた鼓動に突き上げられるようにして、田島は口を開いた。 「なぁ花井」 「んぁ?」 「俺に背中、見せんなよ?」 転がり出た言葉に、花井は射抜かれたような顔をした後小さく眉根を寄せた。 「どういう意味だよ」 低められた声に花井が反発を覚えている事を感じながらも、田島は小さく息を吸い込んで花井の目を見つめた。 本当は言葉でちゃんと伝えるべきなのだろうが、うまく自分の気持ちを伝えられる自信が無かった。 世の中には凄い選手がそれこそ星の数ほどいる。 けれど、自分の目の前に立ってくれる相手はきっとその中の一握りだけで、ライバルと呼べるような相手に出会うのは奇跡に近い。 ボーイズにいる頃から、チームメイトに一線を引かれる事があった身としては、同じ立場に立って競い合ってくれる相手がいるだけでも本当に嬉しい。 だからこそ、花井には諦めて欲しくないし、諦めたくない。 どこまでも進みたいと願う自分と、同じようにはるかな高みまで一緒に進みたいと思う。 そう思える相手だから、自分に背中を見せて違う道を選んで欲しくないと願い、それが言葉になって表れたのだが、花井はそんな田島の心情を知らずにか、口元を小さくゆがめた。 「いつか見せるに決まってんだろ?」 呆れ半分といった様子の言葉に、田島の心は深く沈んだ。 少し離れたところで二人のやり取りを見守っていた水谷を、花井は犬でも追いやるようにして遠ざけると、花井はもう一度田島に向き直り、その大きな手を田島の頭の上に乗せた。 まるで子供のような扱いにくしゃりと顔を歪めて俯くと、花井の失笑が頭上から降り注いだ。 「一回しか言わねぇから、しっかり聞いとけよな」 そう宣言した花井は、一呼吸ほどの間を置いて手に力を込めた。 「俺の今の目標は、お前以上の選手になることなんだよ」 花井らしい気負いの滲んだ声音に、田島は俯いたまま目を瞠った。 顔を上げようとしたが、それを封じるように花井の手に更に力が込められ、頭を動かす事もままならなかった。 「だから、絶対ぇいつかお前に俺の背中を拝ませてやるかんな!」 鋭く切られた語尾と共に頭を解放されたが、顔を上げた瞬間にはもう花井はその場を離れていて、阿部や栄口たちの居る集団に向かって歩き出していた。 「……いつかって、いつだよ!」 去って行く背中に向かって叫ぶと、花井は肩越しに振り返って渋面を作った。 「知らねーよ!」 少し怒った様に返事を返した花井の耳が、遠目にも分かるほど赤くなっているのを見つけて嬉しくなり、田島は相好を崩した。 「んじゃ俺、花井とは一生もんの付き合いだな!」 からからと笑いながら言うと、花井は「はぁ?!」と大声を張り上げたが、田島はそそくさと元いた場所に戻り、三橋と共に食べ残していたパンに齧りついた。 「た、じま君、うれしそう、だね」 気弱なクラスメートであり、大事なエースでもある三橋が途切れがちに言うのを聞いて、田島は満面の笑みで頷いた。 「おう!だって一生もんだもんな!」 口の中のパンを飲み下して言うと、それで三橋も納得してくれたのか「おお」と顔を輝かせた。 お互い顔を見合わせて笑いあうともう別の話題になってしまったが、田島は胸の内にある温かいものが満ちるのを感じた。 きっとこれが充足感というものだろうと思いながら、ふつふつと花開く心地良い感情に、その日笑顔が消える事は無かった。 ちらりと耳をかすめた言葉に田島を振り返った花井は、その言葉を噛み締めて小さく笑った。 言葉を交わしている間には理解できなかったが、きっと田島は自分の事をしっかりと認めてくれている。 だからこそ自分に背中を見せて逃げ出すような事をするな、と言いたかったのだと思うと、喜びと共に身が引き締まるような気持ちになった。 自分に田島を追い越せるような力があるのかどうかなど、結果がはっきりとでるまで分からない。 ならば、どこまでも自分を信じて進み続ければ田島も共に高みへと進む事が出来るだろう。 そう考えると、まるで自分もヒーローになったような気がしてきた。 「一生もん、か」 花井は笑みを深くして拳を握りこんだ。 まだ見えない先、花井は田島が隣に在る事を願った── (2009.10.24) ’09田誕参加作品。色々ごたついて書き上げるのが遅くなりましたが、田島、誕生日おめでとう! 田島を喜ばせようと思うと、どうしても花井と一緒に在る未来を贈りたくて仕方がなくなります(^^;) |