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夏休みの終盤、俺は浜田と出掛ける事になって、今から思えば少し浮かれていた。

入学式の夜の告白から約四ヶ月、俺は野球部の練習、浜田はバイトと、援団の両方で、二人だけで会う機会は、殆どと言って良いほど無くなって、欲求不満に陥りかけていた。それでも、夏大優勝を掲げて、野球部全員で頑張っている間は、我慢していたから、大会が終わった後、浜田から誘われた時、小さなガッツポーズを心の中でしていた。



八月も後半になっていると言うのに、まだまだ猛暑日が続くある日の午前中、俺は不機嫌の極みに立っていた。
約束の日、二十分も前に待ち合わせの場所に到着していた俺は、既に三十分も立ち尽くし、そろそろ倒れるかも、と頭の片隅で思い始めていた。

俺がここに着くや否や、浜田からメールが入って、待ち合わせに遅れるという事は分かっていたけど、何となく、待ち合わせの場所から動くのが面倒で、ずっと待ってた。
頭の中で、顔を見たらまず殴る。そして、何かを奢らせる。それから……と、浜田への報復を考えながら、携帯を弄くりつつ時間を潰していると、だんだん気分が悪くなり始め、やばいと思った時には遅かった。

部活の時は帽子を被っていたり、時々日陰に入るからなんとも無いんだけど、つい、それと同じ感覚で、日の当る駅前の時計の下に立ち尽くしていた所為で、軽い熱中症を起こしたらしく、俺は携帯をズボンのポケットに仕舞い込むと、近くにあった煉瓦で設えられた花壇の淵に座り込んだ。

ぐらぐらする頭を持て余して、建物の影に入るそこで、あしたのジョーよろしく俯いてじっとしていると、遠くで呼ばれた気がした。
幻聴かもと思ったけど、確認しようと顔を上げると、駅の改札からこっちに向かって、珍しくキャップを被った浜田が、一所懸命走って来るのが見えて、俺は肩の力が抜けた。

「大丈夫か泉!」
俺よりも顔を青くしてんじゃないかと思うくらい、日に焼けた顔から血の気が引いた浜田が、俺の前に跪くみたいにして肩を掴むと顔を覗き込んできた。
ああ、浜田だと思った時には、俺は弱々しい拳骨を、浜田の頭に振り下ろしていた。

「遅ぇよ浜田。意識失うかと思った」
半分冗談で言ったのに、浜田は本気にしてしまったんだろう、「ゴメン」とだけ言うと、神妙な顔で俺から視線を外した。俺は冗談だと言う代わりに、浜田の頬を抓り、こっちを向かせると、その肩に顔を乗せた。

ここは、俺達の最寄駅から二つほど来た場所で、知り合いなんか誰もいない。だから普段は絶対しないこんな事も、俺は全然平気だった。
「い、泉?」
慌てた声で俺を気遣う浜田に嬉しくなって、俺はくつくつと笑いながら、「どっか涼しいとこ行きたい」と呟いた。



何か口にすると吐きそうだった俺は、長時間ゆっくり出来そうな映画館で涼む事にして、その時よくCMが流れていた映画を見る事にした。

待ち合わせの駅の目の前にある映画館に入ると、朝一番の上映にも関わらず、客の姿はまばらで、俺達はすんなりと中に入ると、さっさと見やすい席に座り込んだ。
「ほら、水分はしっかり採れよ」
そう言った浜田は、映画館に入る前に立ち寄ったコンビにで買ったスポーツドリンクを俺の前に差し出した。結局それしかおごらせる事は出来なかったけど、俺は素直にそれを受け取り、冷たすぎるように感じるそれを、半分以上一気に飲み干した。

「あー生き返った。サンキュ」
500Mのペットの口を閉めると、浜田がまた謝った。

何の事か分からずに、俺がきょとんとしてると、浜田は俺の隣のシートに腰を下ろしながら、頭を掻いた。
「どっか店の中で待ち合わせすれば良かったな」
「んなの気にすんじゃねぇよ。俺が好きで立ってたんだ。ほっとけ。帽子被って来んの忘れた俺も悪いんだからな」
笑ってそう言うと、さっきまでの気分の悪さも薄れて、浜田も安心したように笑った。

その後、特に予定を決めずに居た俺達は、映画が始まるまで今日の予定を二人で組み、照明を落とされ、CMが終わるまで、色々と話し続けた。
そして、手の込んだCGが売りのアクション映画が、長いCMの後にやっと始まり出したとき、俺は肘置きに置いていた右手に、何かが触れたのに気付いて、スクリーンから目を離した。
それに浜田が気付くと、慌てて手を下ろし、不自然な顔で俺の手からあさっての方向に視線を向けた。

何だ?

不自然なのはいつもの事だと思って、俺がスクリーンを注視すると、暫くして、また右手に触れるもの──浜田の手が伸びて来ていて、俺は声を潜めて問いかけた。

「何?俺の手邪魔?」
「い、いや、ちがうんだ。何でも無い、ごめん」
また慌ててそう言うと、浜田はスクリーンを見ようともせず、どっか遠くを見た。

……めちゃくちゃ怪しいんすけど。

俺は眉間に皺を寄せて、浜田の顔を見つめたけど、浜田は俺が見ている間は絶対にスクリーンも俺の方も見ようとはしなくて、飽きた俺はまたスクリーンに目を戻すと、今度は腕組みをして考え込んだ。
映画を見ながら何かを食うのは好きじゃない俺は、何も浜田が欲しがりそうな物は持っていないし、飲み物が欲しいのなら、一言言えばすぐに渡す。一体浜田は何をしたいんだろ?

映画がだんだんクライマックスに近づき、両サイドからうるさいくらいに響く音響に頭が痛くなりそうだとか考えながら、ふと手元に目を遣ると、さっきまで俺が手を置いていた肘置きに、浜田が手を乗せていた。
俺の腕よりも太いのに、手先が器用で縫い物が得意という浜田の手は、俺よりもやっぱり厳つい感じがする手だった。

俺の手は、さすがに女の手よりはごつごつした感じだけど、指は細くて、兄貴に馬鹿にされる事もある、男らしさに欠ける手だった。

俺は無意識に浜田の手に、自分のそれを伸ばした。

四月の桜吹雪の中、俺の両腕に痣を残すほど強い力を秘めているのに、いつもは優しいものを生み出すその手が、俺は好きだった。ってか、浜田の全部が好きだ。

何かそれを口にしてしまうと悔しいから、絶対に言ってやらないと心に誓っているけど、それを行動に示す事に、俺はあんまりためらいは無かった。
浜田の大きな手に自分の手を重ね、上から多い被せるように、浜田の指の間に自分の指を滑り込ませて握りこむと、浜田の全身に緊張が走るのが分かった。

好きだ、と何度も告げるより、時にはこうした行動の方が気持ちが伝わるんじゃないかな。
俺は自分でやってるのに、何だか照れくさくなって、俺の手の熱が浜田に移るのを感じた後、手を離そうとした。
その途端。

それまで体を固くしていた浜田は、俺の手のひらと自分の手のひらを合わせると、指をしっかりと絡ませた。

驚いたのなんのって!

俺達は大体、地元で会うから、こういったスキンシップははっきり言ってなかった。
自分で仕掛けておいてなんだけど、俺は恥ずかしさと嬉しさで頭に血が上って、首から上だけ体温が上昇したのをはっきり感じた。そして、俺は見た。

スクリーンの光に照らし出された浜田の、達成感に満ちた顔を。

さっきからの浜田の挙動不審は、これが目的だったのか?
俺はもう映画を見ていられなくなって、込みあがってくる笑いを堪えるのに必死になった。お陰で、クライマックス辺りの話は全然覚えていない。
ああ、でも、DVD借りてきても、きっと今日のこれを思い出して見れない。
馬鹿浜田め。これ結構チェックしてたんだぞ!
最後の三十分ほどを、何とか声を出さない事に費やしていると、いつの間にかエンディングテロップが流れていて、俺達は手を繋いだまま、映画館を後にした。



「なーんか俺、色々考えてた計画、全部ふっとんじまった」
明るい陽射しの中に出て、浜田は手を繋いだままそう言った。

俺も同じ気持ちだった。
映画館を出て、遅めの昼食を食べようと誘われて、俺達はずいぶんと人出の増えた道を、肩を並べて歩いた。
今見た映画の事を少し話した後、お互いイントロの辺りの事しか覚えていなくて、声を出して笑っていると、不意に浜田が被っていたキャップを俺の頭に被せた。
「また倒れちまうと駄目だからな。ハニーは大事にしないと」

冗談めかしてそう言った浜田に、俺がキャップのツバの下から誰がハニーだとツッコミを入れようとしたその時、俺の唇を浜田の唇が音を立てて掠めた。その時、どっかで聞き覚えのある声がしたような気もしたけど、そんな事よりも、今何が起こった?

何が起こったのか理解できなかった俺が、呆然と浜田を見ると、奴はいつもの笑顔を浮かべた。
「さっきの不意打ちの仕返し」
もうその時の俺は大混乱だった。
いくら知り合いは居ないだろう場所でも、人通りの多いこんなところで、そんな事をされて、しかも不意打ちだ。おまけにこんなとこで手なんか繋いでるし!

「ば……っ馬鹿ハマダ!!」

許容限界を超えた俺の頭は、暑さにやられた後遺症もあったのか真っ白になって、気が付いたら浜田に向かってパンチを繰り出していた。
見事にクリーンヒットしたせいで、繋いだ手は離れてしまったけれど、吹飛んだ浜田に向かってもっと怒りや恥ずかしい気持ちをぶつけようとした時、聞き覚えのある滞りまくった声がした気がして、俺は声のする方を振り返った。

「み、みは……三橋ぃ!?」
「い、いい、泉、君……こ、こんにち……は……」

いつもの三橋のお株を奪うようなどもりっぷりで俺が声を上げると、駅前のスポーツ用品店の袋を持った三橋が、蒼白になった顔で、俺と視線を合わせようとせずに挨拶をしてきた。

その後の俺の必死さを笑う奴がいたら、嬲り倒してやる。

激しく動揺する三橋と俺を見て笑う浜田に、また一撃を食らわして黙らせた後、阿部が三橋と一緒に居ない事を確認すると、三人でその辺のサ店に転がり込み、俺と浜田の事を黙っててもらえるように頼み込んだ後、ナイーブなピッチャーが、そのプレイに支障を来たさないようフォローするのに、俺はかなり長い間気を使う羽目になった。

あのタレ目のキャッチャーがあそこまでうるさくなければ、俺も少しは楽だったのに……

その後、俺は秘密を話せる奴が出来た事で、少し肩の荷が下りた気がした。
けれど、もうその駅には近寄っていない。
二度とあんな思いはしたくねぇっての!






WAKE UP でフラグの立った話。書きたかったのは、三橋君に見つかって動揺する泉君より、浜田が泉に吹き飛ばされる様でした。(笑)