Two shall be one






夜とはいえ、まだ深夜というには早い時間に違いないが、マンションの部屋の中は静かだった。
その効果も鑑みて選んだ一室ではあったが、花井はその中に広げた出迎えの準備が滞りない事を確認して、満足と沈静の為の吐息を吐いた。

待ち人が、もうすぐ帰ってくることは分かっている。
長い生活の中で、相手の行動を読むことにも慣れ、事前の連絡がなくてもおおよその見当が付く。
そして、その考えを裏付けるように、玄関のチャイムが鳴らされた事に気付いて、花井は出迎えの為に玄関へと向かった。

いつもなら、自分が玄関にたどり着く頃を見計らって扉を開ける相手だが、今日は事前に頼んでいた為、自分が開けるまで待ってくれている。
スコープで相手を確認した後、もう一度小さく深呼吸をしてからドアノブに手を掛けた花井は、ゆっくりと扉を開けて待ち人──扉の向こうで佇む人影に向かって笑顔を向けた。

「お帰り、悠」
「ただいま、あず」

間髪入れずに応じた相手が伸ばした腕に、自分も迎えるように腕を広げ、そのがっしりとした体を抱きしめる。
シャワーを浴びてから帰って来ているため、汗の匂いは酷く薄い。
けれど、彼の体から立ち上る体臭からそれを探るように、花井は肩口に埋めた鼻先から、大きく息を吸い込んだ。

「お疲れ、悠……」
深い感慨と共に囁くと、自分の体を抱きとめた田島の大きな手が、緩く波を描く髪の中に差し入れられ、その感触を楽しむかのように、何度も上下に動かされた。
相手が、自分と同じようにこの瞬間を堪能している事を感じて、花井は目頭が熱を帯びるのを感じ、慌てて洟を鳴らして体を離した。
そして、もう一度改めて笑みを浮かべると、田島の頬に唇を添えた。

普段、自分から進んではしない行動に相手は少し驚いた様子だったが、それに構わず、花井は口を開いた。
「今日までのプロ生活、本当にお疲れさん」
「梓こそ、俺のフォロー、今までずっとあんがとな」
知り合った頃から変わらない、子供のように輝く笑顔は、その年輪を刻んだ目元だけが少し変わっていた。





二人で暮らすマンションの中に入ると、荷物を下ろすなり、田島は花井が用意していた食事をあっさりと平らげてみせて、一緒に食事を摂っていた花井は笑いが零れるのを押さえ切れなかった。
「ん?なに?」
「いや、相変わらず良い食いっぷりだなって思って」
「だって、あずの飯、すっげぇ旨いもん。いくらでも入っちまうって」
そう言うや、急に眉を寄せた田島の様子に花井が首を傾げると、田島は少し困ったように笑った。
「でも、もうあんまり食わないようにしないと、今まで通り食ってたら、あっちゅう間に太鼓腹だよなぁ」
お互い年だし、と続けた田島の言葉に、花井も苦笑いが浮かぶ。
「本当に長かったもんな……」
応じた花井もまた、今までの事に思いを馳せて目を細めた。

田島と初めて出会ってから数十年。
高校球児なら誰もが目指す甲子園の土を踏み、共に野球を愛し続けていたが為なのか、互いに唯一無二の存在として、側にある事を望み、望まれた。
それをお互いに確認し合い、自分に無い物を得ようとでもするかのように求め合い、傷つけあい、真正面からぶつかり合って、漸く自分達の歪さを認めた頃には、その孤独感に震えた。

それでも、野球という存在を介さなくても繋いだ手を離すことが出来ず、二人で共にその孤独と立ち向かう事を決め、社会人になって数年後、二人でそこから先の人生を共にする事を決めた。
その時の互いの両親や、周囲の人々の反応を思い出すと、未だに肝が冷える思いをする事がある。
受け入れてくれる人が少ない事は覚悟していたが、それでも、昔の仲間から変わらない友情を示してもらえた時、初めて二人揃って泣いた。

大学を卒業後、プロ野球の世界に飛び込んだ田島は、初めこそ記録に残るような成績は残せなかったものの、FA権を取得する頃には世間の強い注目を浴びる選手に成長し、年間MVPに輝くようにもなっていた。
そんな田島を支える事を決め、野球から一歩退いた花井は一度商社に就職したものの、在宅で出来る仕事を求めて元々得意だった英語の翻訳業に落ち着いている。
最初は中々仕事を得られなかったものの、丁寧な仕事を褒められ、今も幾つか大きな仕事を抱えているが、今夜はそんな事を考えていたくは無かった。

すっかり綺麗になってしまった食事の皿を片付け、以前から何かの記念に飲もうと決めて、二人で買ったワインを、その一本の為だけに買った小さなワインセラーから取り出し、ローテーブルの上に載せると、事前に心得ていたらしい田島が、二人分のワイングラスを持ってキッチンから現れた。
「なぁ、ホントに開けんの?」
グラスをテーブルに置きながら、田島が問い掛けてくる声に、花井は穏やかに微笑んだ。
「開けんの。今日みたいな日が、これから先あるかどうかわかんねぇんだから、良いきっかけじゃねぇか」
少しばかりたしなめるような口調にか、田島は少し不満そうだったが、花井は取り合わなかった。

適度に冷やされていたワインは、外に出された事で少しばかり汗をかいていたが、その冷たさを心地よく思いながら、花井はオープナーの先をコルクの中にねじ込んでいった。
そのワインは、二人が出合った年に作られたもので、偶々出かけた先で勧められて購入した。
今日という日──
田島がプロの世界から引退し、新しい人生を歩み始める記念日の夜に開けようと、実は密かに決めていた。

軽快な音と共に、芳醇な香が鼻腔をくすぐって、思わずそれを深く吸い込む。
体を気遣い、あまり酒をたしなまない田島に付き合っている所為で、それほどワインを飲みつけているわけではないが、それでも、その香には強く興味を引かれる。
「あ、オレ今日コンビニでつまみ買って来たんだった!」
香に意識を奪われた花井の横で、田島がそう声を上げるなり、リビングの脇に置き去りにしていた荷物を漁り始めたのをみて、花井もそっと自分のズボンのポケットに手を添えた。

そこには金属の硬い感触が二つ。
今まで、マスコミに露出する事も多く、プレイの邪魔になるのではと思って渡せなかったものがある。
それを渡す勇気を奮い立たせようと、花井はポケットからそれを取り出し、掌の中に握りこんだ。

左手で握りこんだその硬い感触を確かめながら、花井はグラスの中にワインを少しずつ注ぎいれ、コンビニの袋を片手に戻った田島が、いつもの定位置に腰を下ろすのを待った。
決めていたのはこのタイミング。
花井は、掌の中の物を渡そうと口を開いた。

『あのさ』

期せずして重なった相手の声──
お互い、驚いた顔で見詰め合っているのは分かっている。
が、何となく次の言葉を続けるタイミングを逃してしまい、固まっていると、田島が少し申し訳無さそうに、けれど、照れ臭そうに頭を掻いた。

「あのさ、あず。お願いがあんだよ」
「お、ねがい……?」
田島らしからぬ言葉に声を詰まらせると、ボックスに立った時のような真剣な眼差しをこちらに向けた田島は、コンビニの袋の中から小さな何かを取り出した。

抓むようにして持ち上げたものが、一瞬電気の光を反射するのを見た瞬間、花井は慌てて田島の手を制していた。
「あず……?」
「いや、そのな?嫌とかじゃなくて、ちょっと待ってくれ……」
あまりに素早い手の動きに自分でも驚いてしまったが、大きく眼を見開いたまま固まった田島を目の前に、花井は動揺する自分の心臓を何とか落ち着けると、ずっと握ったままだった左の掌を、田島の目の前で広げて見せた。

中にあったものを目にした瞬間、田島も本当に驚いたのだろう、無言のまま口がどんどんと大きく開いていって、こちらの緊張が少し解けたようだった。
「やっぱ、二十年も一緒にいると、考える事は似通ってくるんだな」
言いながら、花井は制していた田島の手に握られたものを確認する為に、自分の手を離した。
そこには、自分と同じように事前に用意したのだろう銀色のリングが輝いている。

漸く金縛りが解けたらしい田島の顔に、ゆっくりと笑みが広がっていく。
「愛してるよ、花井……だからさ、そろそろおんなじ苗字になろ?」
まるで子供が何かをねだるかのように、小首を傾げながら囁く田島に、花井は小さく頷き返した。
「どっちの苗字になるかは、要相談だけどな」
お互い、微笑んだ口元や目尻には加齢による皺が刻まれているが、きっとこれから先、どれ程しわくちゃになっても、胸の内の想いは変わらず、積み重なり続けるだろうと確信しながら、花井はそっと唇を寄せて行った。

「俺も愛してるよ、田島……」
滅多に自分からは言わない言葉だというのに、いつもはその言葉をねだる田島によって、今夜は一度しか紡ぐ事を許されなかった。



「これ、何て書いてあんの?」
リビングから移動したベッドの中、お互いに用意したリングを薬指に二つとも嵌めてみた田島の問い掛けに、花井は小さく呻いた。
年齢がかさんだとはいえ、田島を相手にする為に体を鍛える事を疎かにした覚えは無かったが、それでも最後にはぐったりしてしまう自分と違い、まだ余力を残しているらしい相手に微かな嫉妬を覚えながら、田島の視線の先にあるもの──自分が送った指輪に掘り込まれた一文を思い起こした花井はそらんじてみせた。

「Two shall be one、always protect、always trusuts、always love」
思っていたより流暢な発音が出来て悦に入っていると、田島が動物の鳴き真似のような音を発した。
「それくらいの英語は読めるって」
「じゃあ、それくらいの英文、訳してみせろよ」
寝返りを打ち、傍らの田島の方を向いた花井の一言に、田島は頬を大きく膨らませた。
「だって、花井から聞きてぇんだもん」
どこの子供だ、と半ば呆れながらも、花井はしょうがないと小さく呟くと、布団の中から引き上げた自分の手にも嵌っている同じ指輪を見つめた。

「二つは一つ。常に守り、常に信じ、常に愛する」
「あ、間違えた」
隣から上がった楽しげな声に、花井は眉間に力を込めた。
「は?間違ってねぇし」
少しむっとなって言うと、田島の笑みが更に深くなった。
「いーや!間違えた」
その場ではしゃぎ出しそうな勢いで言い張る田島は、不機嫌を隠そうともしない花井の体に腕を回すと、喉の奥で笑いながら口元を花井の耳に寄せた。

「“二つ”じゃなくて、“二人”、だろ?」

指摘されたささいな違いに少々憮然としてしまいながらも、花井もまた田島の体に腕を回して擦り寄った。
「じゃあ、“一つ”になんなきゃな」
二人一緒に眠る為に買った大きなベッドの中、少ししか口に出来なかったワインの香を求めるかのように、どちらからとも無く唇を重ね合わせた。






(2009.6.1)
VARIOUS*STOREの葉良さんから無理矢理もぎ取った57006hitキリリク「砂を吐く程甘いタジハナ」(^^;)
甘く出来たのかどうか、まったく自信がありません。球団でもっとお祝いとかあるだろう!とか思いつつ、田島にはさっさと花井の元に帰ってもらいました(笑)
アラフォーすら通り越したような二人を書いてしまってすみません(汗)
葉良さん、リク頂き、ありがとうございました!