あいせるものならあいしてみろ






プロ野球の選手というのは、なかなかに大変な職業だと、田島をすぐ傍で見ている花井は思う。
勿論、大変ではない仕事などないし、それぞれに人に言えない苦労や努力が必要なものだが。

一流の選手になればなるほど、まるで芸能人よろしく勝手に祭り上げられ、勝手にちやほやされ、そして勝手に嫌われる。
結果が数字としてはっきりと知れるから、余計に好奇心や冷やかしや嫉みの対象になりやすいということもあろう。
期待に沿う結果を残さなければ、これでもかと叩かれ、蔑まれる。
好きなだけで野球をやっていた高校の頃とはわけが違うのだ。

勿論、一般の人から見れば莫大な報酬を受け取り名声を得ているのだから、当然なのかもしれないが。

けれど、それが果たして幸せなのかというと、素直に頷けないのはなぜなのか。
人並み以上の何かを手に入れたいのなら、その分だけ人並みの何かを捨てなくてはいけない―――世の中はそんな風に出来ているとしか思えない。


「田島?」

ダイニングテーブルでノートパソコンを弄っていた花井は、部屋が静かなのに気づいて顔を上げ、メガネを外しながら声をかける。
田島は珍しくステレオの前に座り込んだまま、動かない。

「田島、どうした?」

もう一度声をかけながら歩み寄ってみると、田島は紙の箱を探り、MDを取り出したところだった。
その箱は少し高級な和菓子でも入っていそうな、しっかりした造りの綺麗な箱だけれど、年代ものらしく少し古びている。
また、せっかく和風の美しい模様であるのに、表面に『捨てるな!』なんてマジックで書かれていて台無しだ。

「これ、懐かしくね?」

田島の手にあるMDには、見慣れた文字で書かれたラベルが貼ってある。
それが自分の字であると気づいて、花井は何かを思い出した。

「まだそれ持ってたのかよ、俺がやったやつじゃねえか。うっわ、なつかしー・・・。高校1年だったか?」

今から15年以上昔、田島が気に入った曲を花井がMDに落として渡してやったものだ。
物惜しみをせず、なんでもよく捨ててしまう(もしくは失くしてしまう)田島が、よくこれを今まで持っていたと感心してしまう。

(というか、箱の捨てるなっていう文字は、自分に言い聞かせてんのかも)

田島なら大切なものでもころっと忘れて捨ててしまうとか、十分にありうる・・・なんてちょっと失礼なことを考えている花井をよそに、田島はそのMDをステレオにセットした。

スピーカーから流れ出したのは、40年も昔の曲。
けれど歌声にも楽曲にも古さを感じさせないのは、名曲である所以だろうか。

特徴的なベースの出だしに重なる、独特のスキャット。
楽器のように伸びる声に、ハスキーで色気のある声が重なって歌は始まる。


  Pressure pushing down on me
  (プレッシャーが僕を押し潰す)

 Pressing down on you no man ask for
  (君をも押さえつけようとするんだ、誰も頼んでやしないのにね)


15年前と同じ歌詞、同じ歌い方、・・・当たり前だ。
なのにあの頃と違う歌に聞こえるのは、自分が大人になったからなのだろうか。
歳をとることが大人だなんて思ってはいないけれど。

あの頃は田島こそが、花井にとってプレッシャーを与える存在だった。
田島こそが花井を支配し、時に押し潰されそうに感じて。
いつか自分が田島を苦しめるほどの存在になりたいと願っていた。


 It's the terror of knowing what the world is about
 (世間なんてそんなもんだって、知ることが怖い)

 Watching some good friends
 (味方を待ってるんだ)

 Screaming 'Let me out' Pray tomorrow - gets me higher
 (ここから出してと叫び、明日へ祈るんだ・・・より高い場所へ行こうと)

 Chippin' around - kick my brains around the floor
 (全身ぼろぼろになりながら、床の上で転がる)

 These are the days it never rains but it pours
 (最近はこんなことばっかりだよ)


田島を野球の神様に愛された子だと言っていたのは果たして誰だっただろう。
むしろ花井が自分でそう思っていたのかもしれない。

けれど、大人になった今、思う。

野球の神様に愛された分だけ、彼は他の部分に欠けている。
田島は野球選手にはなれても、それ以外にはなれない。
そして だからこそ彼は野球以外のものを捨て、そして愛する野球の中でもたくさんのものを捨てている。

日本の恵まれた環境を捨て、より高いレベルでの野球を目指して言葉も通じないアメリカへと渡ってきた。
180cmに満たない体では、メジャーではホームランを打てないから長打も捨てた。
そうなると打率、出塁率が鍵となるのに、球審の判定が田島にだけ厳しいなんてこともざらだ。
アメリカのスポーツ界における東洋人の立場の低さなんて、今更語ることでもないが。


「この曲、こんな歌だったんだな」

ヒアリングもそこそこ出来るようになった田島が、床に座り込んだまま、曲に耳を傾ける。
それを邪魔せぬよう、花井は黙ったまま寄り添うだけ。

田島はあの頃と変わらず、自分を追い込む。
自分にプレッシャーをかけ続けるのだ、より高みに上るために。
躊躇わず、己を疑わずに―――。


「はない?」

突然に前触れもなく抱き締められ、花井の腕の中で田島は少し驚いて見上げてくる。
田島の高校の頃より大人びた顔、少しだけ薄くなったソバカス、変わらないくしゃくしゃの髪、それらの一つ一つにあの頃の影を重ねながら、花井は口付けていく。
その柔らかなキスに田島はくすぐったそうに笑い、そして自分からも腕を回した。

「どしたの、急に」
「・・・・この歌、好きか」
「おう、好き。すげー声してる」

変わらない田島の言い方に、花井は思わず声に出して笑った。

そしてそれでいいのだと、納得する。

田島に欠けた部分があるならば、花井が補えばいいだけのことだと。
田島をより高みに引き上げるために、花井はいる。
そしてそれが出来る存在であれと、田島は花井にプレッシャーをかけてくるのだ。

(同じ曲なのに、な)

あの頃、確かに感じていた痛みはもうない。

それはひどく幸せなことだと、花井はちゃんと理解していた。








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