嘘つきな唇




ひらひら

はらはら


どちらがより似合う表現だろう、と考えながら、阿部は待ち合わせに指定した場所の頭上、この辺りで一番の桜の巨木の下で、ぼんやりと視界の中に舞い散る薄紅色の欠片を見遣った。
高台に上る、人や二輪車が行き交える程の幅しかないその道の脇に、この巨木はある。
割合知っている者の多い木なのだが、近くにシートを広げられるような場所が無い為、ここにわざわざ花見に現れるような人はいない。
だから待ち合わせ場所にした。

けれど、来るわけは無い。

阿部は右手に持った携帯の背面ディスプレイに視線を落とすと、そこに表示された時間を見て、小さく鼻で笑った。
4月1日、午後11時25分。
もしここに相手が現れれば、こってりと叱り付けてやるつもりだった。

ご丁寧に置かれたガードレールに腰を据え、左ポケットに忍ばせたカイロ代わりのホットコーヒーを握り込みながら、天を仰いだ阿部は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
どうしても会いたい、という衝動に駆られた。
けれど、こんな時間に呼び出すのは非常識だという事は、充分に分かっている。
だから、ちょっとした悪戯をしよう、と考えてしまった。

阿部は視線を再び携帯に落とすと、今度は二つ折りのそれを広げ、メインディスプレイの灯りだけを頼りに、自分の指には扱い辛い大きさのボタンを弄くった。
メールの送信済みボックスの中、最上段にあるそれを、もう一度確認する為に開く。

『大桜のとこに11時45分。会いたい』

その3行ほど下。
打ってしまった内容に、少し後ろめたさのようなものを感じたから。



『なんて嘘』



これを送ってしまった自分が呪わしかった。

なんてメールを送ってしまったのだろうと、頭を抱えたくなる。
昼間、自分と同じように練習をこなしていた相手が、これを見る事無く眠ってしまっている事を願った。

けれど、もしかしたら着信音で目を覚まし、鈍い頭を回転させて色々と考え、結局来てしまうかもしれない相手のことをおもんばかって、阿部は家人に適当な嘘を吐いて家を出た。

エイプリルフール。

一年に一度、嘘を吐く事を許された日。

桜を背に、息が白くなるほどではないが、それでも足元から寒さが忍び寄ってくる状況と、らしくなく落ち込んでいる自分に。阿部は深々と項垂れた。

原因なんて分かりはしない。
あえて言えば、疲れているのかもしれない。
一年の三学期も終り、中学を卒業して西浦に入ることが決まっている何人かが、一年前の自分と栄口のように、春休みの間から練習に参加しに来ているこの頃、副主将の片割れとして、阿部にも前以上に雑務の幾つかが回って来て、練習だけに集中する事が難しくなっていた。

自分一人が忙しいわけではないと言う事は分かっているが、捕手である自分とバッテリーを組む投手であり、恋人というポジションにも立っていてくれる、愛しい愛しい相手、三橋と充分なコミュニケーションを取る事が難しいと言う事態に、思いのほか参ってしまった。

一日の内、かなりの時間を共に過ごしているし、投球練習も優先して組んでいる。おまけにメールや電話でもやり取りをしているのだが、それでも足りない。
もっと顔を合わせたいし、もっと話したい。
そして──

もっと触れ合いたい。

自分ではもっと自制が利く人間だと思っていたが、全く違ったらしい。
恋人同士として触れれば触れるほど、相手を求める気持ちが膨らんで、ともすればそれはおかしな衝動をもたらすほどだった。

大事にしたい。笑わせたい。気持ち良くしてやりたい。
そう思うのと同時に、壊してしまえば自分だけのものだ、泣いて縋って求めて欲しい、という暗く、決して口には出来ない、心の奥底の欲望を自覚させ、自己嫌悪の泥沼に足を取られた。

出会ってもうすぐ一年。
大博打で入った学校で見つけた、理想の投手であり、誰よりも、何よりも信頼できる相棒。
それから数ヶ月後には、自分の中で全てにおいて優先される、大切な存在となった。

最初は自分でもイカれていると思った。
相手は男だし、自分も男だ。
けれど、どこで得たのか定かでない余計な知識は、それがマイノリティであってもありえる同性同士の関係定義なのだと教えていて、自分の気持ちを持て余した。

ほぼ毎日、四六時中と言っても過言ではない濃密な時間を過ごす相手に、そんな劣情を抱いた自分を何とか誤魔化し、悔しかった夏大、そして新人戦を終えた頃、踏み外してはならない道を踏み外した。

練習を終えた後、一時の気の迷いから三橋に触れた。

大切な三橋の右手、そこに口付けながら、眠っていると思った相手に、思いを吐露してしまった。

知らず知らず、おそらく当人も何も分かってはいなかっただろうが、自分を信頼し、対等な相手としてみてくれた事によって、中学時代の嫌な思い出を癒された事を感謝したくて礼を言った時、自分の想いを伝える言葉をも囁いてしまった。

そして、眠っているとばかり思っていた三橋に、それは伝わってしまった。

自分の気持ちを、直接告げる勇気の無かった自分と違い、三橋はきっかけを得られた事で躊躇いは無かった。
三橋の方から仕掛けられたキスに呆然としながらも、また受け入れてもらえた自分の気持ちに涙が出そうになりながら、箍を外した自分の欲望は、そのまま三橋を貪った。

お互いに初めてで、辛い目に合わせてしまっただろうに、三橋は嬉しいと言って泣き、幸せだと言って笑った。
それからはもう、何度も肌を重ねた。
お互い飢えたように体を交わしながら、積み重なっていく愛しさに心も体も満たされた。
だからもう、彼無しでは生きて行けないと思う。
自分という人間を成す全てなのだ。

けれど、彼にも自分にも、自分達以外の人間とのかかわりがある。
やがて後輩になるであろう新入生にも、いつだったか言われた。
『阿部先輩と三橋先輩、何だか友達同士って言う以上に仲良いッすね』
周囲の客観的な言葉に、冷水を浴びせられた気分だった。

何の悪意も無い言葉だということは分かっていたから、その場は「バッテリーだから」と納得させた。
だが、僅か数日しか一緒に居なかった者ですらそう思えるほどに、自分達が特別な関係を築いていることを見透かされている以上、これまでのようにいくとは到底思えなかった。

思った以上にショックを受けていたらしい後輩の言葉を思い出して、自分の気落ちの原因に辿り着いた阿部は、深々と溜息を吐きながら、もう一度時間を確認しようと、コートのポケットに手と一緒に突っ込んだ携帯を取り出そうとした。
もう約束した時間は過ぎただろうと思っていた。
三橋の体も大事だが、怪我をしないという約束を守れなかった以上、せめて病気はしないという約束は守らねばならない。
そのためには自分もこんなところに長居は出来ない。
春先の冷え込みを侮って風邪を引いたりしたら、きっと三橋を悲しませてしまうだろう。

小さく鼻をすすって、時間を確認しようとした時、甲高いブレーキ音が響いて、阿部は弾かれたように顔を上げた。
「阿部、君!」
きっと必死で自転車を漕いで来たのだろう。
マフラーから覗いた耳と頬は赤くなり、上昇した体温で暖められた息が、次々と白いもやとなって口元から零れる。
その満面に、驚きと喜びとを浮かべた三橋の様子に、もし来たら叱り付ける、と決めていた決意はあっさりと瓦解してしまった。

「三橋、お前……」
もう寝ているはずの時間じゃないのか?と続けようと思った言葉は、坂道の下に自転車を止め、こちらに向かって登ってくる三橋の足音に飲み込まれた。
「やっぱり、ウソ、だった」
目の前に立った三橋の言葉に、阿部は即座に「は?」と聞き返した。
すると、三橋は得意げに笑った。

「会いたい、って書いてあった、下に、ウソ、ってあった、から。今日、エイプリルフール、だし、ウソなんだ、って思った、んだ」



ああ、何て自分はお手軽なんだろう。
こうして自分の大好きな人の微笑み一つで、散々悩んでいたこと等全てが消え去った。
自分を理解してくれる相手に出会える事は、何と幸せな事なのだろう。
もっともっと、自分も三橋を理解してやりたい。
そのために人にどう思われようが、もうどうでもよくなった。

「凄ぇな三橋。お前やっぱ凄ぇ。んで、頭良いわ」
恋人からの言葉の衝撃に、数秒停止した思考が復帰して、すぐにはじき出した正直な感想を言葉にしながら、しっかりと着込んだ所為で着膨れした三橋の体を、ガードレ−ルに座ったまま抱き寄せると、三橋から不満げな声が漏れた。
何事かと顔を見上げると、太い眉を困らせた三橋が真直ぐに自分を見下ろしていた。

「阿部、君……エイプリルフール、だか、ら……?」

理解してくれると思った途端のこの言葉に、阿部は笑顔に青筋を浮かべると、握りこぶしを三橋のこめかみにあてがった。






8000hitリク、アミ様リクエスト。三橋の事を想うあまり、気弱になる阿部。
何だかただの欲求不m……ゲフッ煤i`д´;)
いつもリクエストを頂き、ありがとうございます!アミ様のみDLFですv