忘れじの花

それを知ったのは偶然。
家から一番近い花屋の大きなウインドウに、小さな写真が幾つも並んだポスターがあって、それを見て知った。
そのポスターは一年間、一日づつの誕生花を写真付きで紹介しているポスターで、見たことの無いような花の写真も沢山あった。

こんだけ花の写真が並んでると、結構圧巻、ってやつだな。
「うわぁ……兄ちゃんの誕生花の花言葉、すっごい笑える……」
母の日のカーネーションを買いに一緒に来た弟が、隣に立ってポスターを覗き込みながら、偶々目に入ったらしい俺の誕生花の言葉に、不満とも呆れとも取れる感嘆の声を上げた。
「ああ?んだよ、何が書いてあんだ?」

「ここ、ほら。派手な花だね」
指さされたところを見ると、どっかで見た事のある気がする花の写真だった。
緑色の茎から、オレンジやら紫やらの角が飛び出したような派手な……葉っぱ?じゃねぇよな、やっぱ。花だよな、うん。の写真があった。名前は……
「スト、レ?チレア?」
「兄ちゃん、三橋さんみたい」
「良い度胸だシュン」
俺がすかさずウメボシを食らわせようとしながら言うと、シュンはそそくさと花で溢れ返ってる店の中へと逃げて行った。

鼻を鳴らしてそれを見送ると、俺は改めてそれに見入った。
寛容・気取った恋?
…………こんな見てくれでそんな花言葉かよ…………
ど派手な花の癖に。
もっとこう、偉大とか風格とかなんとか良い言葉があるだろ……

そこでふと思い立って、俺はある日付けの誕生花を見た。
月と日付けを辿って見ると、知りたかった日付けの欄には紫色の、凛とした印象の花の写真。
こっちもなんか違うな。
花の名前は紫蘭?見たまんまの名前じゃねーか。
「兄ちゃん、花貰って来た……って、どうしたの?」
「あ?」
小さな鉢植えの赤いカーネーションをラッピングしたものを受け取ってきたシュンが、変なものでも見たような顔をしやがった。

「顔、なんかにやけてる」

う、ヤベ。
「なんでも無ぇよ。それよか、さっさと帰るぞ。飯の前にランニング行きてぇんだから」
俺はそう言って誤魔化すと、そそくさと家へ向かうほうに足を向けて歩き出した。
「ちょっと兄ちゃん待ってよ!ってかこれ、俺が持つの?!」
「ったりめぇだろ。出資率は俺のほうが高ぇんだ。足りない分は体で補え」
「ひでぇー!」
俺はシュンの悲鳴を聞き流して、どんどん先を歩いた。





「なぁ、三橋」
「なに?阿部、君……」
ある大事な日の前日、試験週間に入って練習の無い俺は、大事な投手が赤点を取らないようにと、三橋を家に呼び、小さな折り畳みテーブルで差し向かいになりながらテスト勉強を見てやっていた。
一年の間に5回もテスト勉強の面倒を見ていたから、最近は俺も要領が分かってきて、三橋が分かりやすいように教えてやる事ができるようになった。

人に教えるってのは結構自分の勉強にもなる。
ちゃんと分かってねぇと、全然教えらんねぇもん。
三橋は大きな目を何度も瞬かせて、俺の次の言葉を待っていた。
あーくそ。
去年一年、モモカンのキツイ練習に耐えてきて筋肉も付いたし、身長も伸びて、前みたいに華奢な感じは薄くなってんのに、こいつってなんでこんなに可愛いんだ?
いやいや、今、俺が三橋に言いたいのはそんな事じゃ無ぇ。

「あのさ、お前、覚えてるか?去年の夏大終わった後、二人で決めた事」
俺は、心の中で小さく「よし」と呟いて覚悟を決めてから切り出した。
「決めた、こと?」
うっわ、もしかして忘れてるのか?
「二人で力を合わせて強くなろうって、あれ」
俺の言葉に、三橋は一瞬の間を置いて頷いた。
どうやら忘れてた訳ではなかった見てぇだな。
俺はちょっとほっとしながら口を開いた。

俺と三橋は、バッテリーという関係だけでなく、他の誰にも口外できない関係──所謂恋人どうしでもある。
いつもいつも、先の見えない恐怖を抱えながら、僅かな隙を突いて重ねる逢瀬には、奇妙な切迫感があって気が急く。
けど、去年の夏の約束だけじゃなく、今、俺が三橋に対して持っている親愛と情愛を忘れたく無ぇから、今日、改めて言いたい事があった。

「じゃあさ、これやる」
言いながら、机の陰になって三橋の位置からは見えないところに置いていた花を取り出し、テーブルを回り込んで三橋の横に膝を付いた。
「何?これ……?」
「見りゃ分かんだろ。花だよ花。シランって言う花」
今三橋が受け取った紫色の花を2,3付けた細い茎の先に、幾つか蕾をつけた花を探すのに実はすっげぇ苦労した。
なんで売ってねぇんだ!とか思って少ねぇ時間を目一杯使って探したら、ランニングで通りかかった河川敷の日陰に咲いてやがった。
絶対にこの花でなきゃ駄目だったからな……まぁ見つかってホント良かったぜ。

俺は何で自分に向けて、俺が花なんか差し出してくるのか分かんねぇって顔をした三橋の顔を、真正面から見つめて言った。
「ちょっと早いけど誕生日、おめでとう三橋。それから、ありがとな」
本当はもっと、バッテリー組んでくれてありがとうとか、生まれて来てくれて、西浦を選んでくれて、俺を……俺と一緒に歩いてくれる事を選んでくれてありがとうとか、礼をいう理由を一杯並べたかったけど、それをすると三橋がパンクしちまいそうだったし、俺も噛みそうだった。
言えなかった理由の分、気持ちを込めてありがとうというと、三橋はでかい目をもっと大きくしながら俺の事をじっと見つめた。
何だよ、おい……くそ、照れるっつの!

「あ、あべ、く、ん……」
「うぁ!何だ、どうしたんだよ!」
急に三橋が大粒の涙をこぼし始めたのに慌ててティッシュを差し出すと、三橋は遠慮なく取り出して涙を拭った。
「お、おれ、すごく、うれしい!これ、俺の誕生日の、花、だ!」
何ぃ?!知ってたのかよ!
「何だお前、それ知ってたのかよ」
冷静を装いつつ、実は動揺していた俺は、次の瞬間に三橋が見せた笑顔に固まった。

「ちっちゃい時、お母さん、が、教えてくれた。俺の花だ、って」
あーそうか。三橋のおばさん、花好きだもんな。家に温室作ってるくらいだもんな。知っててもおかしかねぇか……ちぇ。
でも、三橋のこんな可愛い笑顔見れたんだ、良しとすっか。
くあー!もうたまんねぇよ!
「じゃあ、花言葉は知ってっか?」
俺は三橋の顔に自分の顔を近づけながら、唇の片端だけを小さく吊り上げた。
三橋は急に迫ってきた俺の顔に驚いたのか、言葉も無くぶんぶんと頭を横に振った。
こら、あんまり振んな。折角覚えさせた数学の公式が零れる。

「“互いに忘れない”ってんだってさ。だから、俺とお前の間の約束を、お互いに忘れ無ぇように」
せっかく採ってきた花をつぶさ無ぇように三橋の手から取って、俺は一段と顔を近づけた。
俺が何をしたいかなんて、もういちいち三橋に言う必要は無ぇ。
三橋は目を閉じると、俺がそっと顔を近づけるのを受け入れた。
唇が触れる直前に閉じた瞼の裏には、ほんのりと頬を染めて俺を待つ三橋の顔が浮かぶ。

軽く、何度も触れ合わせるキスを交わしながら、俺はもっと深く重ねたくなる衝動を押さえ込んだ。
そして顔を離すと、いぶかるように目を開けた三橋の頬にもう一度キスを落として、そっと抱きしめた。
「これから、もっと約束していこうな。で、忘れ無ぇように……忘れそうになっても、毎年これ見たら思い出せるようにしようぜ」
直接は言え無ぇけど、これから先ずっと一緒に居て欲しいっていう願いを込めて言うと、三橋は嬉しそうに……いや、幸せそうに笑ってくれた。
「うん!ありがとう、阿部君……!」
また溢れてきた涙を拭った三橋は、俺に勢い良く抱きついてきた。

その体を抱き止めると、俺が言えなかった言葉を分かっていてもいなくても、三橋が頷いてくれた事が嬉しくて、三橋が生まれてきてくれたこと、俺と出会わせてくれた事を、初めてカミサマとやらに感謝した。





(2008.5.17)
三橋、誕生日おめでとう!
阿部の誕生花は極楽鳥花。三橋も用意しそう……。ポスターは確認しないで下さいね!私も確認していません(苦笑)