we wish -2- 翌日から始まった期末試験の間、阿部の不機嫌は一応の沈着を見せたが、それでも近づく事が難しくて、四日間に詰め込まれた試験期間の間、野球部員全員が阿部に近づかなかった。 「あーっ終わったぁ!部活解禁!」 水谷が最後のテストと、終礼を終えて叫ぶ声が響く中、阿部は何の感慨も見せずに、自分の席に座ったまま、どこか遠くを見ていた。 「阿部ぇ……まだ怒ってんのか?」 開放感で一杯になった教室の中、阿部の元に近寄った花井は、凄味のある目で睨みつけられ、押し黙った。 「俺が?俺は怒ってなんかねぇよ」 阿部の言葉に、花井は乾いた笑みを浮かべながら「嘘つけ」と呟いた。 四日前のあの日以来、阿部は三橋を徹底的に避けていた。 朝の登校時間はギリギリになるようにし、終礼が終わるや否や、教室を出て、毎日必ずやって来る三橋が、7組の教室に着く前に校門を出て、真直ぐ帰宅し、メールが来れば無視する。 それまでのしつこいくらいの世話焼きっぷりを見ていた者にとっては、かえって不気味な程の無視具合で、一部の野球部員は、今日の放課後から解禁になる部活の最中、何が起こるのか戦々恐々としていた。 「ところで阿部、お前、今日誕生日だよな?」 「あ?」 嫌々といった体で、部活に向かう為の準備を始めた阿部は、花井が発した言葉を、一瞬理解できなかった。 「何?」 「だから、お前の誕生日だよな?今日」 嫌に嬉しそうに笑みを浮かべた花井は、念を押すように言った。 言われて阿部は、この所の混乱と試験で忘れかけていた事実を思い出して、驚いたような顔を浮かべた。 「何だよ阿部、自分の誕生日忘れてたのか?」 阿部と花井の元に寄って来た水谷の明るい声に、素早く手を伸ばした阿部は、その頬を勢い良く抓った。 「で、それが何なんだよ」 悲鳴を上げる水谷を無視し、花井に向き直った阿部は不機嫌に問い掛け、主将の言葉の真意を探ろうと、上目遣いに睨みつけた。 「ああ、んで、俺達からお前にプレゼントがあるんだ」 「プレゼントぉ?」 心底訝かしそうな声を出した阿部に、花井は徐々に怯みながら、横目で水谷を見遣った。 その視線の言いたい事を察した阿部が手を離すと、水谷が抓られた頬に手を当てながら、花井と顔を見合わせ、にやりと笑った。 「何だよ、気持ち悪ぃ」 「ふーん、そんな事を言って良いのかな?」 珍しく強気な発言をした水谷は、そう言うと、鞄の中から一枚の紙片を取り出した。 花井も、鞄の中から紙片を取り出し、阿部の前に示して見せた。 「んじゃ、水谷。他の連中にも連絡頼むぞ」 「オッケー!」 もう頬を抓られていた事を忘れたかのように、明るく花井の言葉に答えた水谷は、スキップでもしそうな様子で携帯を片手に、鞄を持って教室を後にした。 「一体何だってんだ花井!」 苛々と問いただす阿部に、花井は声を潜めた。 「これは今、三橋が閉じ込められている場所へと通じる手掛かりだ」 「はぁ?」 手にした紙片をひらひらと振りながら、花井は企みを秘めた笑みを浮かべた。 「三橋とお前以外の部員に、同じような紙片が渡してある。中にはダミーも含まれてるからな。あ、因みに篠岡は除外。その代わり浜田さんにも一枚持って貰ってる」 花井の口から飛び出した浜田の名前に、阿部の眉間に深い皺が刻まれ、背後の気配がどす黒いものへと変化する。 「花井ぃ……やっぱりお前は何か知ってんだな?……」 「まぁ、うん、確かに。でも俺が知ったのは、田島の様子がおかしかったあの日だ。お前と別れて帰る時に、この計画に加担した」 悪びれもせずに言い放った花井に、掴みかかりたくなるのを何とか堪えた阿部は、花井が手にしていた紙片を奪い取ろうと手を延ばしたが、僅差で花井の反射神経の方が勝り、阿部の手は空を掴んだ。 「お前ら、冗談ばっかかましてんじゃねぇぞ!」 「おお?冗談?誰がそんな事を言った?」 花井は勝ち誇った声で、左手に持った紙片を高く掲げ、阿部に取られないようにすると、自分の携帯をズボンのポケットから取り出し、どこかへ電話を掛け始めた。 一回コールしただけで繋がった相手に、花井は話をせずにそのまま携帯を阿部に渡した。 画面に表示された相手の名前に、阿部は一瞬怯んだ。 『も、しもし?』 久しぶりに耳にする投手の声に、阿部の背筋がぞくぞくと震えた。 「……三橋?」 『あ、ああ、あ、阿部っ君?!』 受け取った携帯の受話音量は最大にされているのだろうか、耳から離していても鼓膜を震わせた声をもっと聞きたくて、阿部はスピーカーに耳を当て、通話口に向かって呼び掛けた。 その途端に帰ってくる、懐かしいとすら思うどもった声は、でも、電話の向こうで慌てふためいている様子が手に取るように分かりそうなほど、動揺している。 「ああ、俺。三橋、お前今……」 『どこに居るかなんて、教える訳無ぇよ。な、三橋』 呼び掛けた相手が出るものとばかり思っていた阿部は、想定外の人物の登場に眉を吊り上げた。 「泉!お前もかよ!」 『ってか、俺が首謀者?だって俺、三橋に約束しちまったからさぁ』 「馬鹿かお前ら!これから練習あんのに、何してんだよ!」 『練習は一時間ほど繰り下げて貰った。阿部の誕生日だからっつったら、モモ監も許可くれたんだ。話の分かる監督だぜ』 電話の向こうに、三橋と共に居るのであろう泉は、そう言って笑うと、言葉を続けた。 『つまり、後一時間以内に三橋の所に辿り着けないと、俺ら全員でお前から三橋を取り上げてやるからな』 「何っ……こらっ泉!!」 不穏な言葉を残して切れた携帯を睨み付けた阿部は、この計画に加担していると公言した主将を睨みつけた。 「花井……三橋はどこだ……」 ホラー映画のお化けや、サスペンス、ヤクザ物、そのどんな脅し役よりも恐ろしいキャッチャーの脅迫に、花井は軽く命の危機を覚え、自分の手にしていた紙片を阿部に手渡した。 「俺が持ってるヒントはこれだけだ。後は他のメンバーを探して、自分で考えてくれ。じゃあな」 「ッテメェっ!待て!」 教室から逃げ出した花井に、鬼の形相で追い縋ろうとした阿部だったが、手にした最初の手掛かりに視線を落とした。 ルーズリーフを乱雑に切り取ったメモには、ただ一文字、「べ」とだけ書き記されていて、それだけではどこの事を示しているかを知ることは出来なかった。 「上等だ……後で全員ウメボシ食らわせてやる……」 泉の挑発や怒り、それまでの混乱とぐるぐるしていた思考とが、一気に沸騰して白熱した。 阿部は荷物を置いたまま教室を飛び出すと、その足で他の部員の教室に向かった。 ←BACK NEXT→ |