ホワイトラプソディ




前日の内に約束を取り付けておいた相手は、自分よりも先に、待ち合わせに指定していた場所にいた。
「ご、めん。お待たせ」
「いや、そんなに待ってねぇよ。俺も授業あっし」
昼を一緒に食べようと約束していた為、弁当と何が入っているのか紙袋を持参して部室の扉の前に立っていた阿部は、そう言って三橋を出迎えた。
「鍵、開けるね」

花井から借り受けていた鍵をポケットから取り出し、扉を開けると、二人はひんやりとした空気の部屋の中に入り込んだ。
「いつもは汗臭ぇのに、誰も居ないとこんな感じなんだな」
畳の上にどっかりと腰を下ろした阿部は、手を後ろに付き、三橋が座るのを待った。
「うん、ちょっと、変な感じ」
ふへっと笑いながら答えると、三橋も阿部の前に座り込み、持っていた弁当と紙袋を、そろえた膝の上に乗せた。
「で?用って何?」

口の端を僅かに持ち上げる、彼独特の微笑の仕方に頬が上気するのを覚えながら、三橋は心臓の鼓動が促すままに、阿部に向かって紙袋を差し出した。
「こ、これ!」
「は?」
阿部の眉が持ち上げられる。
「これ、阿部君、に!」
「……くれるってのか?」
訝しげな言葉に、三橋はぶんぶんと何度も頷いた。壊れたおもちゃのような三橋の首の上下運動を止めさせると、阿部は紙袋を受け取り、とりあえず、と中身を覗いた。
「お、俺が、作ったんだ、よ!」
得意げな三橋は、鼻息も荒く作り方を話し始めたが、阿部の耳には届いていなかった。

紙袋の中に入っていたのは、透明なビニール袋とピンクのリボンで可愛くラッピングされたスティックパイだった。
手綱捻りをして形を整えたらしいそれは、絶妙な焼き色をしていて、市販のものだと言われても信じたかもしれない。
「お前が、作ったのか?」
嬉しさのあまり、声を震わせながら問うと、今度は大きく、一度だけ頷いた三橋がもじもじと体を揺らした。
「ホントは、バレンタインに、チョコ、を渡そうと、思ってたんだけど、阿部君、チョコ嫌いって聞いて……花井君、に教えてもらって、作った、んだ」

少し引っかかりを覚える言葉に、阿部は眉を顰めた。
「は?俺別にチョコ嫌いじゃねぇけど?」
「ぅへ?」
思わず顔を見合わせた二人は、何度か大きく瞬きを繰り返した。
「俺が言った?」
「う、うん……バレンタインの、時、帰り、に……」
その時の事を思い出した三橋が涙ぐみ始めると、阿部は慌てて彼の顔に右手を伸ばし、目頭に溜まり始めていた涙を親指で掬った。
「思い出した。あの時言ってたのは、チョコが嫌いじゃなくて、チョコをエサに近寄ってくるような女が嫌いっつったんだ。お前の勘違いだよ」
「勘、違い?」
涙に濡れた目が、ぱちりと音を立てそうな勢いで瞬く。

「そ。泉から、お前がチョコを用意してるって聞いてたから、すっげぇ期待してたのに、全然くれる気配ねぇし、焦ってたから、聞き違えるような言い方したかもしんねぇけどな」
阿部の一言一言をじっと聞き入っていた三橋は、ふわりと笑った。
阿部も応えるように頬を緩めると、涙を拭う為に添えたままだった右手と同じように左手を添え、自分の方に向けてぐっと引き寄せた。
「う?あ、阿部、君?」
「なぁ、三橋。お前、今欲しい物あるか?」

熱を帯びたような阿部の目に、三橋はたじろいだ。
「欲しい、もの?」
引き寄せられた所為で、腰を浮かせた三橋の膝の上から弁当箱がすべり落ちたが、二人共そんな事に気付く様子も無く、三橋は問い掛けを鸚鵡返しにし、阿部の目を見つめた。
「あ、る。けど……」
言い澱みながら、真直ぐに見返してくる阿部の視線に耐えかねて視線を泳がせると、こっちを向け、答えを言えといわんばかりに更に阿部の顔に向かって引き寄せられた。
浜田に聞かれた時には、お菓子としか答えが浮かばなかったが、阿部に尋ねられると、途端に答えは全く違うものになるが、それを言うにはとてつもない勇気が要った。

「三橋」
阿部に駄目押しのように再び名前を呼ばれると、三橋の中にあった躊躇いの壁が、火で炙られた蝋のようにとろけ始め、三橋は自分の手を阿部の手に重ねると、小さく息を吸った。
「俺は、阿部君、が、欲しい、よ!」
大きな目を更に大きく瞠って放たれた言葉に、阿部は背後から殴られでもしたかのように固まった。
三橋が様子のおかしくなった阿部の名前を呼びかけようかと、口を開きかけた途端、阿部の顔が迫り、唇は阿部の薄い唇に塞がれた。

「好きだ、三橋……」
浅く深く繋がるキスの合間、呼吸の為に口を離す僅かな隙を突いて何度も囁かれる言葉に、三橋は全てを忘れてしまいそうになった。




阿部が、三橋の空腹に屈服するのはこの10分後の事





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