ホワイトラプソディ




今日も今日とて部活が終り、殆どの部員が帰途に着いたというのに、部室には今日の部誌当番である花井と、雑誌を読み耽っている田島とが居残っていた。
特に何か約束があったというわけではないが、今日は花井から何かあるだろうな、と感じ取っていた田島は、自分達の都合でさっさと帰った一部のメンバーと、多分気を使って帰ってくれた残りのメンバーに感謝した。
多分、これで花井の箍は外れやすくなっている。

田島は野球雑誌のページをめくりながら、ふと、今日クラスで貰ったものがポケットに入っているのを思い出して、ポケットをまさぐった。
畳の上に直に座って胡座をかいている為なかなか取り出せないが、奥のほうに入り込んだそれを出すと、にんまりと笑った。
それはクラスの女子から貰ったもので、粒の小さい、黄色い飴だった。

「っし、終わったー」
飴の包みに指を掛けて開けようとした時、部誌に向かっていた花井から声が上がった。
もう少し掛かるかと思っていたが、早かったなぁと思いながら飴を口の中に放り込んだ瞬間、こちらを向いた花井と目が合った。
「あ」
こちらを向いた花井の顔に、微かな落胆の色が浮かぶ。

何だろう?

「花井、どうかした?」
分からない事は聞けばいい。彼なら怒ったりけなしたりしても、いつもちゃんと教えてくれる。阿部なら「はぁ?」と心底嫌そうに言われておしまいだ。
「ん、あ……いや、何でも、ねぇ……」
口の中で、ころころと甘酸っぱい味の飴を転がしながら鼻を鳴らすが、何でもないという彼の言葉は嘘だと充分分かっていた。

少し残念そうな顔で、部誌を手に立ち上がりかけた彼の名前を呼ぶと、花井はぎくりと体を強張らせた。
自分が呼びかけた彼の名前が、まるで呪いででもあるかのように、花井は全く動けずにいる。
けれど、彼が動けるようになるまで待ってやるつもりは全く無かった。
田島は素早い動作で机の横に立つと、花井が持っていた部誌を取り上げて横にどけるや、行儀悪く机の上に腰掛け、椅子の上、僅かに腰を浮かせた状態の花井の体を自分の足の間に挟みこんだ。
そして、パイプ椅子の僅かな隙間に自分のつま先を掛けて、花井が動けないように囲い込んだ。
その一連の動作を呆然と見ていた花井は、自分の目の前に田島の顔が迫って来た時点でやっと我に返り、白色蛍光灯の下、手品でも掛けられたように、一瞬で顔を真っ赤に茹で上げた。

「なっ!ちょっ……何これ!てか俺を挟むな田島!」
「なぁ、花井。何?」
田島の言葉に、花井の顔に少しばかり冷静さが戻ってくる。
「何って何がだよ。お前こそ、こんなことして何なんだよ」
茹で上げていた顔から徐々に赤味が薄れて行って、眦にだけ朱が残る。
その顔を見ただけで反応してしまう自分が笑える。
もう半年以上もの時間、いわゆる恋人として付き合っているのに、どこまでも貪欲に求めてしまう。
「あのさ、花井」
口の中の飴を転がしながら呼び掛けると、再び呪いに掛かった花井は口を噤んで固まる。

あぁ、なんて可愛い。
田島は足だけでは足りず、両腕を花井の肩に掛けると、自分の体を前のめりに突き出した。
「花井が何か企んでんのなんて、すぐに分かるよ?」
静かに囁いた言葉に、花井の目が大きく見開かれた。
「だってさ、俺の事凄い楽しそうな目で見るんだもん」
「んなっン……!」

花井の目の中に写り込んだ自分の、まるで犯罪者のような酷薄な笑みに驚きながらも、開かれた花井の唇に噛み付くように自分の唇を重ねた。
静かな部室の中に、少しづつ荒くなるお互いの呼吸と、湿り気を帯びたものが忙しなく絡み合う音だけが響く中、田島は自分の口の中に残っていた飴を小道具に、暖かな口内を思う様蹂躙した。
やがて、飴の存在が分からなくなり、田島はそこで初めて花井の唇を解放した。
時々、呼吸の為に放してはいたが、充分には出来なかった為に、二人共顔を赤くして荒い息を吐く。

「はない?」
目尻に涙を浮かべ、少しばかり苦しそうに顔を伏せた花井の頬を、そっと指の背で撫でると、突然の刺激に彼の体がびくりと跳ねた。
飲み込みきれずに溢れた唾液が顎を伝っているのを、そっと、壊れ物を扱う丁寧さで拭いながら、再びむしゃぶりつきたい衝動に駆られ、拭った手でそのまま顎を持ち上げようとすると、低く唸るような声が聞こえて、田島は顔を離した。
「お前……まさかこの為に飴、舐めてたんじゃないだろうな?」
「は?違うよ。ただ貰ったの思い出したから食べただけ。それよりさ、続き……」
「うわっ待て田島!」
言いながら、花井は器用に体を曲げて、足元に置いていた自分のバッグの中から何かを取り出し、田島の顔の前に差し出した。

「ん!」
「へ?」
「やるよ。お前に」
青い小さな紙袋に入れられた何かを受け取ると、花井はなにやら不機嫌そうに視線を逸らせた。
「折角俺が作ったのを食わせてやろうと思ったのに、渡せると思った途端、飴なんか舐め始めっしさ……いきなり過ぎて訳わかんねーよ」
ふてくされる彼の言葉に、田島はピクリと反応した。
「何?食いもん?花井が作った?!」
食べられる物をもらえるのは凄く嬉しいが、それだけでなく、花井の手作りのものとなると、それだけで手の中におさまった紙袋は、世界に二つと無い至宝に思えてくる。

「開けていい!?」
自然と輝く顔で叫ぶと、顔を背けたまま花井が首筋を染めた。
「お前にやったもんだし。好きにすればいーだろ」
ならばその首筋にこそかぶりつきたい、と言おうとして、そこはじっと我慢した。
多分、上手く行けば後で食べる事を許される。

田島はいそいそと紙袋を開けると、中の物を見て感嘆の声を上げた。
「花井きよーだなー!こんなの作れんだ!」
「毎年ホワイトデーに、お返しの何か作らされんだよ。男でも料理くらいやれっつってさ。これ簡単だし、お前でも作れっぞ?」
「いい!俺花井に作ってもらったのずっと食べるから!」
周囲に花でも飛ばしてしまいそうな喜びに顔を綻ばせながら、花井が企んでくれていたサプライズに心を躍らせた田島は、貰った紙袋を大事に脇に置いた。

あっさりと、また次に作った時にも食べると言ってのけた恋人に、他のものが見ればうっとりするような微笑を浮かべた花井だったが、田島が紙袋を脇にやるのを見て眉根を寄せた。
「田島?」
恋人の怪訝そうな声に、田島は獲物を捕らえた肉食獣の気分になった。
「俺も、花井にお返ししないとな」
ぺろりと舐めた唇に、先ほどの飴の味が微かに残っていた。

「へ?!あ、いや、俺、お返しとかいらねぇし!」
身の危険を感じたらしく、その顔から微笑が消え、代わりに慄きの表情を乗せた花井がそこから逃げ出そうと身を捩るが、田島の腕と足に絡みつかれている格好になっているため、どこにも逃げ場は無い。
「遠慮すんな花井。俺もお返ししたいし」
「お返しじゃねーだろそれ!お前がやりたいだけだろ!」
同じ高さに立っていればまだ少し見上げなければならない相手の顔を、今は見下ろせる位置に居る楽しさと、これからもう一つ頂けるものへ、どんな手技を講じようかと考える楽しさに、田島は淫靡な光を瞳に乗せた。





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