Festival! 3 足りなくなった人手を援団のトランペッター松田に依頼し、受付を変わってもらった泉が守備に入り、叶が投球練習をしている間にも、続々と現れる挑戦者を退けている西浦ナインの様子をブルペンから眺めながら、阿部は叶の準備が整うのを待った。 ご丁寧に軽く準備運動から、いつもは三橋が立っている位置に立つ姿を見ながら、阿部は深い溜息と共にマスクを被って腰を下ろした。 「何だよやる気ねぇな」 叶の言葉に答えることもせず、黙ってミットを突き出してやると、相手は呆れたような目を向けてセットポジションについた。 ピッチングモーションに入って放たれたのは以前も目にしたフォークで、良い音をさせてミットにおさまったそれに阿部は目を瞠った。 シニアの頃に受けていた物よりもスピードも落ちる角度も素晴らしいもので、叶に対する敵対心とは別に、捕手としての何かを刺激するものがある。 「ナイピッ」 無意識にそう言いながら返球すると、一瞬意外そうに目を瞠った叶は、それを嬉しそうに細めて受け取った。 「やっぱ廉があんだけ褒めるだけはあるんだな。良く捕れたじゃねぇか」 離れた場所に立つ叶の放った言葉に、今度は阿部が驚く番だった。 叶が自分の事をどう思っているかは知らないが、三橋が自分の事を叶に話し、しかも褒めていたなどと聞かされては顔が熱を帯びるのを止めるのを抑えられない。 「……ウッセー。さっさと次を投げろよ」 ぶっきらぼうに言い放ちながら再びミットを突き出すと、離れた場所に立つ叶は雰囲気を幾分和らげながら、再び投球モーションに入った。 慣れない位置の守備に付きながら、三橋はブルペンから届く音に神経を集中させていた。 叶の球はまた少し速くなっているらしく、自分の記憶の中にある、中学時代や春の練習試合の頃の畠のミットよりも良い音がしている。 そう考えて、三橋は無意識に歯を食いしばっていた。 ミットが良い音をさせるのは、捕手がちゃんと手のひら全体で受けているのもある。 変な場所で受けていると、乾いた良い音はしない。 少し前、阿部自身からそう聞いていたが、中学時代の畠がおぼつかない捕球をしていた事を思うと、阿部の捕手としての能力の高さに心からの尊敬を覚えた。 そして、それと同時に激しい嫉妬も覚える。 もちろん、それは阿部に対してではなく、幼馴染である叶に対してだ。 叶が投げた最初の一球を受けた時、阿部が「ナイピッ」と言いながら返球していたのを聞き逃してはいなかった。 叶に続いてバッターボックスに立った相手が、沖の投げた球を二遊間に抜けさせた音がして、体は動くべき場所へと向かうが、心はもう阿部と叶のやり取りしか意識させなかった。 叶の球は凄い。 それは三星でも充分に認められていて、今年の夏の大会でも叶はマウンドに登っている。 中学時代のひいきや、今の自分のように、公式戦に使えるピッチャーが自分しか居ないという状況に無い彼が、どれだけの努力を重ねたのか想像もつかない。 ましてや、二、三年生を差し置いての登板など、自分ではどうあがいても無理だっただろう。 「三橋ー?次、お前の登板だぞー」 二塁の守備についていた栄口が声を掛けてきて、三橋はブルペンに向いていた意識をフィールドに向けた。 バッターボックスには小学生くらいの女の子が向かっているが、ホームベースで立ち上がっている田島も、マスクを外してこちらに向けて手を振っている。 「ホレ三橋。ポジションチェンジだ」 一塁から走ってきた巣山に頭をはたかれて、三橋はマウンドに向かった。 いつもは上りたくて仕方が無い場所なのに、今は酷く抵抗を覚えた。 その理由に思い到って、三橋は胸に酷い痛みが走るのを感じ、左手に嵌めたグローブで隠すようにしながら右手で胸元をかきむしった。 阿部が自分の事を見限ってしまうかも知れないという恐怖と共に、夏の大会、最後の試合の時の記憶が蘇る。 あの時の試合の事を思い出すと、今でも体の中心から熱を奪われるような感覚に陥る。 マウンドに登り、2回だけ田島と肩慣らしのためのキャッチボールをすると、三橋は目を閉じて深呼吸をした。 頭の中で、阿部と交わした約束を思い出す。 怪我も病気もしない、という約束は破られてしまったけれど、三年間、自分の球を取り続けてくれるという約束を交わした時の幸せな気持ちを思い出す。 自分は、今でも阿部とバッテリーを組まないと一勝する事は難しい。 阿部を見舞った夜、二人で強くなろうと誓いあった時の、とてつもない歓びも共に思い出して胸の中を満たしながら、三橋はセットポジションにつく。 阿部に見捨てられないようにするには、まず下手な投球をしない事が第一条件だ。 三橋は大きく幅を取った足を踏み込むと、全力を込めた白球を田島の構えるミット目掛けて放った。 五人の打者が挑戦している間、叶の投球練習に付き合った阿部が田島と交代してポジションに着くと、マウンドには叶が登り、周囲の観客が沸いた。 よくよく耳をそばだててみれば、叶が別の学校のチームの投手である事、以前にも対戦した事がある事等が話題になっていて、阿部は眉間の皺を深くした。 一体誰がそんな事を話したのかと思っていると、視界の端に三橋と似通った面差しの女の姿が目に入り、不満に満ちた溜息が零れた。 確か三橋のいとこだという女が、なにやら嬉しそうに近くに居る男と話している姿を見かけ、話の発信源だと断定しながら、ゲームを始めるために腰を落として構えると、左のバッターボックスに田島が立つのを待った・ 自分にとて、三橋がもう今更西浦から三星に戻るなどという事を言い出すようなことは無いと、良く分かっているのだが、相手を想うあまりの不安がどうしても拭えず、三橋の事を自分の目の届く範囲に置きたくて仕方が無くなる。 我ながら自分の小ささに居心地の悪い気分になるが、あれだけ物事を悪いようにしか取らない人間を恋人にしたこちらの心配も分かって欲しいと思う。 「頼むから打ってくれよな」 阿部は溜息を吐くのと同時に顔を伏せながら、ボックスに現れ立った四番バッターに声を掛けた。 と思っていたのに。 「う、うん。俺、打つよ!」 まだ知り合って一年も経っていないが、突然降ってきた既に耳に馴染んだ声に、伏せた顔を首を痛めるのではないかという程の勢いで振り上げると、田島とは似ても似つかない構えを取った三橋が、叶に立ち向かっていた。 「ちょっ、えぇ?!」 声を裏返して叫びながら腰を浮かせると、バッターボックスの三橋が怯えたように身を竦ませてこちらを振り返り、主審の浜田も驚いて背を反らした。 「ほら、何してんだよ阿部。俺もうコールしたぜ?」 「ってお前、田島じゃ無ぇじゃねぇか!」 マスクを跳ね上げながら浜田に食ってかかって怒鳴った瞬間、背後の三橋が声を上げた。 「お、れが、打つんだ!」 自分から声を上げる事の珍しい三橋の様子に目を丸くして振り返ると、三橋はそれに動揺して視線をさ迷わせ、言葉にならない声を発した。 「おい、何やってんだー?」 「早く勝負しろよー!」 見物人の中から声があがり始め、守備についている他のメンバーからもいい加減にしろという視線が注がれ、阿部は盛大な舌打ちと共にマスクを被り直して定位置に構えた。 「あ、阿部く……」 「集中しろ、じゃねぇと怪我すっぞ」 苛々と呟くと、三橋はさらに怯えたようだったが、再びマウンドの叶と向き合うと、阿部に言われた通り相手に集中し始めた。 自分が叶の相手をしている間に、田島と三橋で何かを企んだのだろうと考えながら、頭の別の場所では三橋に対するリードをどうするのか考えあぐねていた。 ピッチング練習の前に叶とサインの確認を取りあい、ストレート、フォーク、チェンジアップの三種類と、内外への合図を決めたが、平素、三橋の打率は悲しいまでの数字をはじき出している。 かなり昔からの付き合いがあるらしい二人であるだけに、もしかしたら三橋も何か勝算があってバッターを買って出たのかも知れないが、どうリードすれば三橋が打て、且つ叶に打たれるリードをしている事を見破られずに済むかと、阿部は必死になってサインを送った。 まずは外へのストレートを要求してみる。 叶は首を振らず素直にモーションに入り、白球が放たれるが、それは思ったコースから少しはずれ、ストライクゾーンのぎりぎりといった場所を通って阿部のミットに納まった。 背にした浜田が声高にボールをコールし、球を良く見ていた三橋はそれをあっさりと見送った。 三橋が万が一にもデッドボールなどを受けず、しかも打つ確立の高い外を指定してみたのだが、阿部の思惑をせせら笑うかのような現実に、噛み締めた奥歯からぎりぎりと音がする。 無言のまま叶に返球し、再び叶と向き合うためにボックスの中でバットを軽く振った三橋が、わずかに腰を引いて構えるのを目端に捉えながら、阿部は再び三橋の好きなコースや球種を選別して組み立てた投球を、マウンドの叶に打診した。 フォークを要求すると、再び素直に頷いた叶は流れるようなフォームでボールを放った。 ミットに届いてしまうと思った瞬間、金属音がして阿部の視界からボールが消えた。 普段の習慣どおり、キャッチャーマスクを剥ぎ取って上空を見上げると、高々と上がった白球は阿部の頭上間近まで迫っていて、脊髄反射のようにミットを落下点で構えてしまった。 この球を捕ってしまえば三橋がアウトになると考えるより早く、ミットに納まったボールの感触に、阿部は人形のようにそのまま立ち尽くした。 ぎこちない動作でバッターボックスを見ると、三橋もがっくりとうなだれている。 「バッターアウト!勝者はチャレンジャー!」 何がそんなに嬉しいのか、いつに無く嬉しそうな声を上げた浜田の声に、観客席もどっと沸いた。 丁度昼時の時間を迎えたこともあって、そこで一旦催しは休止となり、ナイン達は三々五々、昼食や休憩を取る為に、グラウンドの隅に寄り集まり始めた。 阿部はそれに倣う三橋の背中に掛ける言葉を探したが、どう声を掛ければ良いのか全く検討がつかなかった。 自分に断り無く、勝手にバッターとして叶の挑戦を受けた事を怒るべきなのか、もっとちゃんと打ちやすい球を選んでやれなかった事を謝るべきなのか、渦を巻く思考はぐるぐると円を描くばかりだ。 「おーい、廉ー!」 そんな阿部の思考の混乱を停止させたのは、マウンドから降り立った叶だった。 「あ、しゅ……叶、君……」 「なぁ、三十分間、お前の事連れ出しても良いんだろ?」 まくし立てるような叶の言葉に、三橋が驚いた小動物のように目を見開いたのと同時に、阿部の機嫌はあっという間に沸点を越えて爆発する。 が、それを表に現すよりも早く、背後から誰か羽交い締めにされ、口を手で塞がれてしまい、喜色満面の叶からグローブを受け取った浜田がにこやかに頷いた。 「時間の五分前に三橋の携帯鳴らすから、それを合図にここに戻ってくれよな」 「分かった。じゃ、行くぞ廉」 「ま、待って修ちゃん……」 慌てて道具類を近くに立っていた栄口に渡し、バッグに片付けていた携帯を手に取った三橋は、まだ取り押さえられたままの阿部を振り返ると、悲しげに眉尻を下げた。 「ごめん、なさい……阿部君……」 目尻に涙を浮かべてそう言い残した三橋が、叶と共に走り去って行く姿を見ていた阿部の体から、どんどんと力が抜けていき、拘束を解かれても立っているのがやっとだった。 ←BACK NEXT→ (2008.11.1) ねこじゃらし様20000hitリク。お待たせしまくってしまい、申し訳ありません!!!(土下座)……も、もうちょっとだけなんです……ありがちなオチなんですが……頑張ります!! |