視線 -13-











水谷は休んだ翌日にはまたちゃんと部活にも学校にも出てきた。
朝練の時は挨拶程度しか声を掛けられなかったから、授業の間の休憩に少し話をしようとしたけど、巣山に先を越されたり色々で、結局その日は話をする事は出来なかった。
でも、側で見ている限り少しは浮上し始めたみたいで、その後数日はまだ阿部とも話しづらそうだったけど、篠岡が阿部とそれなりに口をきいていた所為か、水谷も段々と阿部と普通に話し始めて、俺はそっと胸を撫で下ろした。

同じ部活で、毎日顔を合わせている人間同士が気まずい雰囲気であり続けるのは、周りの人間も辛い。
だから、だんだんと固かった空気が緩み始めるのは嬉しかったけど、相変らず水谷とゆっくりと話をする時間は無かった。
まぁ、大した話をするわけじゃないし、それでも良いかと思っていたけど、ある日の休憩時間中、廊下で出くわした光景に俺は言葉を失った。

休憩時間前の授業で使った資料の片付けを頼まれた俺が、賑わい始めた廊下を歩いていると、珍しく1組の教室近くに水谷の姿を見かけた。
教科書でも借りに来たのかと思って声を掛けようとした瞬間、教室の中から出てきた巣山が、廊下にいた水谷と短い言葉を交わした後、どこかに行くのか二人で並んで歩き始めた。
担当の先生が授業を早めに切り上げた所為で、まだ休憩時間は始まったばっかりだったから、少し離れた場所で話し込むつもりなのか?とも思ったけど、別に話くらい教室の中ですれば良いのに、と俺は首を傾げた。

もう10月も終り、外や屋上で話をするには寒すぎる。
かといって部室や食堂までは遠くて、着いたらとんぼ返りだろう。
他の教室に居る誰かに用でもあるのか?と思った瞬間、ふと水谷が肩越しに後ろを振り返った。
目が合った、と思った瞬間、満面の笑顔を浮かべていた水谷は瞬きをする事も出来ないくらいの瞬間で表情を変え、一瞬気配を凍りつかせた。

隣にいた巣山がそれに気付いて水谷を振り返ろうとした途端、水谷は巣山の腕を掴んで引っ張るくらいの勢いでその場から逃げ出した。

そう、逃げ出したんだ。

取り残された格好になった俺に、その場に立ち尽くす以外の選択肢は無かった。
俺、水谷に嫌われるようなことしたのか?
そりゃ、三橋の事では色々迷惑掛けたけど、それはちゃんと謝って、もう迷惑は掛けないから、って言ってある。
だったら一体何がいけないんだろう?
俺が自分では気付いていないうちに、何か水谷の気に障る事をしちゃったとか?

休憩終了ぎりぎりの時間に戻ってきた巣山に、話を聞くことは出来なかった。
それに聞くとしてもどうやって?と思うと、俺は口をつぐむしかなかった。
水谷が俺の事を避けてるみたいだけど、巣山は何か知ってる?って聞くなんて馬鹿みたいだ。
それなら直接水谷に話を聞くほうが良い。

次の授業中にそう考えていると、ズボンのポケットに入れっぱなしにしてある携帯が震えて、メールの着信を知らせた。
マナーモードにしてあるから、先生に気付かれる心配は無かったけど、何となく気になって携帯を取り出してみてみると、案の定水谷からのメールだった。
条件反射のように届いたメールを開いてみると、珍しく絵文字の無いメールだった。

いつもなら、どんな内容のメールでも絵文字やデコが沢山使われてるのに、タイトルで「さっきはゴメン」と謝った後、味気ない謝罪の文章だけが書かれていた。
これはどう考えてもおかしい。
俺が何かしたのならこっちこそ謝りたい。でも、水谷の事情で俺を避けているなら、さっきの態度は酷いと言っても良いと思う。
俺を傷つけたと思ってこんなメールを送ってくるくらいなんだったら、あの場でちゃんと事情を説明するか、このメールで説明すれば良いのに……

俺は溜息を吐くと、携帯を片付けて授業に集中しようと前を向いた。
そして、授業が終わったらすぐにでも7組に行こうと決めた。



「で?さっきのアレは何?」
「さ、さっきの?」
休憩が終わるなり、クラスメイトに不審に思われない程度に急いで教室を飛び出すと、俺は7組の教室に向かって水谷を捕まえた。
水谷は何か用でも教室から出て行こうとしたところだったから、俺は逃すまいと水谷の腕を掴んでそう問い掛けた。

短い会話だったけど、それで充分だったらしい。
水谷は誰かに助けを求めたかったのか、周りをきょろきょろと見回したけど、誰も助けにならないと分かると溜息を吐いて俺に向き直った。
「逃げないからさ、腕放してもらっていい?」
困り果てたような言葉に、俺はためらったものの頷いて水谷を開放した。

「さっきのアレは、さ……ちょっと巣山と話したくて……でも、栄口には話してなかったことだったから、その、思わず……」
「俺の顔見て慌てたってワケ?」
少し責めるような口調になってしまって、水谷は眉をゆがめながら言葉に詰まった。
……ちょっと失敗した、かな……?

頭の中がグルグルし始めて、俺は自分を落ち着けようと意識して息を吸った。
水谷が、巣山には話しているのに俺には話していない事があるって言うのがひっかかったけど、それは俺にだってある事だ。
責めるような事じゃないと分かっているのに、何かが表情を緩める事をさせてくれなくて、俺は水谷から目を逸らした。

「……栄口?どうかした……?気分でも悪い?」
心配そうな水谷の声が、どこか遠くから聞こえた気がした。
「……大丈夫、何んともない……」
この場から逃げ出したくなっている自分を奮い立たせて何とかそう言い切ると、俺は頭の中で数字を数えながら水谷の目を見つめた。

「何かその……ゴメン。俺、何だか色々考えすぎてるみたいだ」
本気でそう思っているのに、俺は小さな違和感が生まれるのを感じた。
でも、水谷はうろたえながらもどうやって俺に言葉を掛けようか考えているみたいで、何度も口を開閉させていた。
「でも、水谷もあんまり水臭い事してくれるなよなー寂しくなっちゃうじゃん」
胸の中の違和感に気付かれないように、一生懸命明るい声を出して水谷の肩を叩くと、休憩時間の終りを口実に教室に戻った。

1組と7組に離れている所為で、教室に足を踏み入れた途端にチャイムがなったけど、巣山が何か言いたそうな視線を向けてきた。
でも、俺は何も言わずに自分の席に戻って授業を受けた。



結局その日一日、巣山とも水谷とも言葉を交わすこと無く一日が終わった。
家に帰り、細々とした用事を片付けてベッドに横になると、やっぱり学校での事が頭を巡って変に目が冴えた。
部活はほとんど上の空でこなしていたせいで、モモカンからは厳しい言葉が飛んできたけど、そんな事も気にならないほど俺は呆けていて、余計に他のメンバーには心配をかけちゃったらしい。
珍しく泉や花井にまで心配された。

もう何度目かも分からない溜息を吐きながら、俺は寝返りを打った。
色々考えているつもりなのに、頭の中では何も考えられていない心地になる。
いつだったか数学の先生に、分からない問題は分からなくなった最初の地点に立ち戻ればわかる事もある、と言われた事を思い出して、物は試しとばかりに俺は目を閉じた。

色々と、高校に入ってからの事を考えたけど、やっぱり俺にとっての最初の地点って言うのは三橋の事が好きになってしまったと気付いた事だ。
それを水谷に見透かされた事がわかって、最初は腹を立てたけどそれまで色々悩んでいた事を打ち明けて、相談に乗ってもらったり、助けてもらったりした。
それから、水谷が篠岡の事が好きらしいと分かって、俺も、いい加減人に甘えるのを止めようと思って、水谷を応援するから、とこの間携帯で話した時に伝えた。

ふと、その時の事を思いだした俺の頭の中に何かが閃いた。
あの時、水谷は何かを言いかけてたよな?
それって、もしかして巣山には話した話題なのか?
なら俺は、自分が話す事で一杯一杯になってて、自分で水谷が話そうとしてくれていたのを止めたんじゃね?

掛けていた布団を跳ね除ける勢いで上半身を起こした俺は、辿り着いた答えの一つに呆然として、その後で自己嫌悪の溜息を深々と吐いた。
俺ってとんでもない馬鹿じゃん!
そうだよ、携帯で話した翌日に水谷は学校を休んで、巣山が帰り道の途中だからって見舞いがてらにミーティングの内容を伝えに行ったんだ。
なら、その時に水谷が抱えていた何かの話を聞いて、そのまま相談役になっていてもおかしくない。

それなのに、俺は自分が水谷に何でも相談してたみたいに、水谷の問題を相談されなくて、部外者みたいにされた事に腹を立てて落ち込んだ。
それってただの独りよがりの嫉妬じゃね?
俺は頭を抱えながら小さく唸った。

水谷は結構人の立場とか状態に敏いから、多分もう俺が今考え付いた事を分かってる。
明日、水谷に顔を合わせるのがすっげぇ恥ずかしい……
「どーしよー……俺……」
独り言に、もちろん答えなんか無かった。



どんなに朝が来なければ良いのにと思っても、地球の自転は俺の意思だけで止まる訳なんかない。
結局いつもどおり時間は迫って来て、俺は渋々ながらも用意をして家の門を潜った。
夏に比べれば大分朝練の開始時間は遅くなったけど、あまりぐずぐずしていると、昨日の事もあるから皆心配してしまうだろう。
俺は自転車に跨ると、強くべダルを踏み込んだ。

グラウンドに到着すると、まだ何人かの姿は見えなかったけど、顔を合わせた皆はいつもどおりに明るい声で挨拶を返してくれた。
そんな小さな事に、変に緊張していた体から力が抜けた。
別に皆が気を使ってくれているワケじゃないっていうのは分かっているけど、そんな何気ない優しさが嬉しい。
そんな風に入り口近くで考え込んでいた俺の背後に人の気配を感じて振り返ると、見慣れたタンポポ頭が見えて、俺は頬を緩めた。

「栄口君、お、はよ」
「おはよ、三橋」
三橋は俺の顔を見て、ふにゃりと笑ってくれた。
出会った頃の事を思うと、ホント物凄く人慣れしたなぁと感心する。
おどおどと人の顔色を伺う事の多かったのに、今では自分から意見を口にする事も多くなって、名実共に、今の西浦のエースだ。

あんまりこんな事を考えると失礼かなとも思うけど、男にしては可愛らしい感じのする顔が、くるくると表情を変える様が好きだった。
そして、マウンドの上で見せる頼もしさも好きだ。
けれど、守ってやりたいと思う気持ちもある。

「栄口君、どうか、した?」
ふと、俺をじっと見上げる三橋が不思議そうに聞いてきて、俺は慌てて顔の前で両手を振った。
「へ?あ、いやなんでもないなんでもない。寝惚けてたかな」
笑って誤魔化すと、三橋はちょっと不思議そうな顔をしたけど、ベンチの方から田島が呼ぶ声に応じて立ち去って行った。
その背中を見送りながら、俺も着替えて朝練の準備をしようと歩きかけると、後ろから呼び止められて俺はまた足を止めた。

「よ、栄口」
「おはよー泉」
いつもどおりの挨拶だったけど、わざわざ泉が俺を呼び止めるのは珍しかった。
まぁ、昨日の呆け具合が酷かったから、それを心配してかな?と思っていると、泉は俺の耳元に顔を寄せた。
「なぁ栄口、ちょっと相談があんだけど」
「相談?珍しいねー泉が相談なんて」
本気でそう思って訊くと、泉は少し難しそうな顔をして頭を掻いた。

「俺の相談事じゃ無ぇんだ。三橋の事でちょっとな」
聞き捨てなら無い名前に思わず無言で泉の顔を窺うと、泉は悪戯っぽく笑った。
「三橋がさ、告白したい相手がいるんだよ。で、その告白の手伝いをしてやりたいんだけど、栄口にも助けて欲しくてさ」

意識と体が、いきなり引き離されたような感じだった。

「告白?」
自分の呟いた言葉が、まるでノイズだらけのラジオから聞こえる音みたいだ。
「そ。三橋の奴、とんでもない奴に告白したいらしい」
そう言った泉の目線が移動したのを見て、俺もそれを追うようにして泉の見る方向に目を向けた。

そこにいるのは、一人黙々とマウンドを整備する阿部の姿があるだけだ。
「まさか」
冗談だろう?
そう言いたかったのに、声は喉に絡みついたみたいに出てこなかった。
「そのまさか」
泉の声が、止めとばかりに俺の胸に突き刺さった。



「三橋、阿部の事が好きなんだってさ」









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(2010.11.3)
水谷に続き、栄口まで幸せじゃありません(−−;)
基本いじめっ子体質な人間なので……いい加減何とかしたいなぁ!(^^;)