視線 -8-




本誌のネタバレが含まれております。コミックス派の方は御一考下さいませ。





































- Side-Mizutani -


あー…………

朝っぱらから心に痛いもの見ちゃったよ……

うん。でも栄口が前みたいな笑顔を浮かべられるようになったのは良い事だよね……うん……
「水谷君?」
「うわっと!なに?しのーか」
いきなり声を掛けられて驚いた俺は、思い切り声を上げて飛び上がると、横に立ってたしのーかを振り返ってぎこちない笑顔を浮かべた。
うわぁちょっと油断しちゃったよ……栄口達の事見てたのばれたかな……でも、そんな変な目では見てなかったよ、ね?

内心動揺しながら、しのーかの言葉を待っていると、しのーかは俺にお絞りを差出してくれた。
「目元の腫れ、気になるならこれで冷やしたらいーよ」
「あ、あぁうん。サンキューしのーか……」
お礼を言いながら手を伸ばして、氷水ででも冷やしてくれたのか、冷たいそれを受け取った。
俺の母さんに良く似た笑顔を向けてくれる彼女にへらりと笑い返すと、しのーかは一瞬何かを言いたそうな顔をしたけど、すぐに俺達の飲み物の準備をする為に、どっかにいっちゃった。

なんだろ……やっぱ見られてたかな……

「おーす水谷。夕べ変な夢、見たんだって?」
明るい声にまた振り返ると、練習着に着替え終わった栄口がにこやかに手を上げていた。
うっわもうまぶしー!!
「そーなんだよーもうほんと山盛りのレバーでさ!」
俺は冷たいタオルを頬に当てながら、さっき心配そうに様子を窺って来た巣山に、咄嗟に言っちゃったでまかせを繰り返した。
だってさ、俺が栄口の事が好きって事を伏せて、栄口と話をして泣いた。なんて言ったら、絶対栄口が悪者になっちゃうじゃん?
でも、俺は自分の気持ちを隠し通すって決めちゃったから、巣山にそんな事言えない。
そうするとそんな手段しか選べなかった。

巣山には悪いけど、自分の為の嘘じゃないし、これくらいは勘弁して欲しい。
俺は栄口と話しながら、目元にタオルを当てないで、火照った頬を隠す為に頬に当て続けた。
ああ、他愛ない話を普通にするだけでもすっごい嬉しい。
「さぁ、それじゃあ瞑想始めるよー」
シガポの号令に、俺達はいつものごとく輪になって手を繋いだ。

俺の左隣が栄口で、その向こうに三橋が居る。
その隣りはもちろん阿部。
阿部は「投手の調子を見る為」とか言って、いっつも三橋の隣りを陣取る。
「じゃあ息を吸ってー」
シガポのいつもの落ち着いた声に従って、俺達は一斉に深呼吸をする。

俺の右隣に座った巣山の手と比べると、栄口の手は少し冷たいように思えた。
ああでも、ここ最近の冷たさに比べたら全然あったかいや。栄口って体温低いのかな?
「…………はい、じゃあ目を開けて!さあ練習を始めようか」
「あっす!じゃあストレッチからはじめっぞ!」
「あーっす」
花井の号令に帽子を被りなおして返事を返すと、俺達は一斉にペアを組んでストレッチの態勢に入る。
暑い夏、自分達の精一杯の事をする為に。





夏の最初の試合、桐青戦。
雨の中で三橋が必死に投げきる姿に、俺は素直に感動した。
だってさ、普段あんなに人に怯えて自信が無くてびくびくしてんのに、はっきり言ってすっごい挌上のチーム相手に、全力を出し切って打ち勝った。

そりゃもちろん、三橋一人が頑張った訳じゃない。
田島があのシンカーを攻略したり、投手のモーション盗んでくれたりしたし、花井は某メジャー選手くらい凄いバックホームをばっちり決めてくれた。巣山も冷静な判断で桐青の投手が調子を崩してる事を見破ってくれたり(栄口となんか握手してたのは羨ましかったけど!)栄口も、皆から影で職人、って呼ばれるくらい、バントをしっかり決めてくれた。皆が皆、自分達の全力を出して勝ち取った勝利だと思う。あ、それに俺も打ったしね!
でもやっぱり、ぼろぼろになっても、阿部と力を合わせて頑張ってくれた三橋がいたから、俺達は勝てたんだと思う。
やっぱ三橋って凄い奴だよな。
――栄口は、三橋のそう言うところも好きなんだろうな。

でも──

二つの試合を挟んで当たった美丞戦の最中、膝を痛めた阿部と三橋の間に走った何かを、俺は直感としか言いようの無いもので感じ取って、ちょっと泣きそうになった。

俺は、阿部と同じクラスだけど、中学時代の事は何も知らない。
けど、同じ中学だったしのーかから、ちょっとだけ聞き知った事があった。
それは、中学時代、阿部が入ってたシニアのチームの投手と仲が悪かったって事だった。
初めて聞いたその時は軽く聞き流す程度だったけど、夏の予選の始まる前、武蔵野の試合を見に行った時に見た榛名さんとのやり取りから、阿部はあんな態度しか取れないけど、三橋の事をすっごく大事にしてるんだなって思った。

だってあんなにきつそうな感じの人だよ?
絶対負けん気の強い阿部と衝突してたに決まってる。
そこにどんなやり取りがあったかなんて、部外者の俺は知りようも無いけど、阿部にとって、それは良い思い出な訳は無い。

三橋とは違う意味で辛い思いをしていたから、どこかで三橋の事を自分と同じなんだと認めて、気にかけていたんだろうと思う。
そして、それが三橋にも届いたんだ。

二人の間に走ったもの、それは絶対に相手の事を疑わない強い信頼だけじゃないと思う。
けど、お互いが、お互いの事をすごく大事に思って、それが結びついて、俺が栄口に向けるような感情に近いものになったんだろうと思う。
きっとお互いそれをはっきり認識してなんか無い。
だけど、それはもうしっかりと結びついてしまってるんだと思った。



栄口の入る隙間なんて無い……



それを感じて、俺は涙が出そうだった。
栄口がどれだけ真剣に三橋の事を思ってるか、俺は良く分かってる。
なのになんで……

神様、あんた凄く意地悪なんだ。

栄口を苦しめて、俺を試すんだ。

サイテーだよ。





球場から引き上げる道すがら、俺はあんまり急ぐ気にはなれなくて、球場から近くの道に出るまでの間歩いてたみんなの一番後を、とぼとぼと付いて行った。
体に蓄積した疲労と悔しさは、決して試合に負けたからだけじゃない事は良く分かってたけど、俺にはどうやって対処すれば良いか分からなくて、みんみんうるさい蝉の鳴き声にすらイライラとしてた。
考えたい事が色々あんのに、なんでこんなに蝉はうるさく鳴いてんのかなぁ!
「水谷君、大丈夫?ちょっと顔色悪いよ?」
「うおっひゃ!」
考え事、っていうか、考え事をしようとしてた俺の横から、しのーかが俺を見上げるようにして並んで歩いてた。
「何か考え事?」
「え、あ!うん、そうなんだ!阿部の足、大丈夫かな!とか何とか、ね!」

自分でも恥ずかしくなるような奇声を上げた事に動揺して、ちょっとつっかえながら返事をすると、首を少しだけ傾けたしのーかの表情が微妙に歪んだ。
「そうだね……治るのは治るだろうけど、新人戦とか、どうなっちゃうんだろうね」
自転車を押しながら明るく振舞って、ぎこちない笑顔を見せてるけど、俺の直感ではこれはあれだよね?
いわゆる恋する女の子、ってやつだよね?

その時、俺の中では天使と悪魔が戦いを始めた。

もししのーかが阿部に告白したりとかしたらさ、阿部も三橋からちょっと離れたりすんじゃない?
いやいや!阿部が酷い奴には変わりないんだから、しのーかみたいに可愛い子は誰か他の奴と付き合った方が良いよ!
でもさ、阿部としのーかが付き合ってくれて、三橋が少しでもフリーになれば、栄口にも少しはチャンスがあるんじゃ無い?
いくら道ならぬ恋であってもさ、三橋って人の優しさに飢えてる感じするもん。そこにつけこんでいけば……

……こんな事を考えてる俺は、きっと阿部以上に酷い奴だよね。
でも考えを止める事は出来なかった。
それを止めてくれたのは、しのーかの言葉だった。
「あの、ね?誰にも言わないで欲しいんだけど、私、阿部君の事が……」
切り出された言葉の先を予感してた俺は、自分の唇に立てた左手の人差し指を宛がった。
それと同時に息を吐き出してしのーかに沈黙する事を促すと、しのーかは驚いたみたいで大きな目をもっと大きくして俺の顔を見上げた。

「言わなくても大丈夫だよ?分かったから。そっかぁ、しのーかは阿部なのかぁだったら余計心配だよね」
一番後ろで話しこんでいる俺達に誰も気付かないまま、先を歩き続けている皆の後を歩きながら、頬を赤くしたしのーかが小さく頷いた。
普通に女の子のこんな仕草に可愛いな、って思うのになぁ……俺は顔を上げると、前を歩いてた栄口の背中を見つめた。
三橋と巣山と、三人並んで歩いてる背中は、どんな女の子の後姿よりも俺の気を引く。
きっと今、栄口の顔には笑顔が浮かんでる。もしくは、三橋を気遣う優しい顔。
俺には向けてくれない顔を見られる三橋に、ちょっと嫉妬しちまう。
何で俺にこんな気持ちが芽生えちゃったんだろう。
自分の事を見てくれない人に、振り向いて欲しいだけなのかな……

「俺もさ、好きな人、いるんだよね」
しのーかにそう話しかけながら、俺は心の中で悪魔を奮い立たせて天使を黙らせた。
「だから分かっちゃったのかな」
そう言ってへらりと笑うと、しのーかは目尻に涙を浮かべながらも笑顔を浮かべてくれた。
「同じクラスのよしみで、俺、しのーかの事応援しちゃう。だからしのーかも頑張れ!」



神様、あんたを見込んで、俺は悪魔になってやる。




隣でお礼なんか言ってくれるしのーかを振り返りもせずに、俺はじっと栄口の背中を見つめ続けてた。





グラウンドに戻ってすぐに始めたミーティングで、俺達は目標を設定しようっていう話しになった。
俺は今まで、そんなものなんか何にも考えた事無かった。
っていうか、ぶっちゃけて言っちゃうと、俺の人生自体にもそんなものを掲げた事があったかな?って考えると、答えは一つだけ、高校受験の合格だけだった。
だって三年先くらいなら、大学受験の為に勉強頑張ってるかもな、くらいの漠然とした未来は描けるけど、どの大学に行こうとか、どんな学部だとか。それからどんな会社に就職するとか?そんなのはっきり言って考えた事なんか無いし、考えられない。
皆で話し合いながら、甲子園優勝とか言えちゃう田島とか三橋が信じられなかった。
栄口の細かい目標設定は、何だかちょっとだけ現実的に思えたけどね。

俺の県大会優勝、って言うのは、今の実力でも何とかなりそうだよな、っていう目標だったけど、あまりに皆の意見が分かれちゃったもんだから、その日は一度解散って事になって、翌日、もう一度練習前にミーティングをする事になった。

美丞に負けて、ベンチに戻った俺達にモモカンが泣くな、悔しさを溜め込んどけって言ってたけど、俺は家に帰ってテレビを見ながら、酷い虚脱感に襲われてた。
試合に負けたショックもあるし、自分も知らなかった自分の一面──誰かの幸せの為に、別の誰かを利用する事が出来る自分に、ちょっとショックを受けてた。
夜になって、蝉の声の届かない場所にいるのに、考えなんてちっともまとまらない。
いつもなら部の他のメンバーとか、クラスの友達とかにメールを送ったりするところなんだけど、試合残念だったねメールがたくさん来てるのは知ってたから、ちょっとほっといて欲しくて携帯には触らなかった。



────あーもう!自分も誤魔化すのはやめよ!
家にいるときくらいは素直になっていいよね?!
栄口ってば、すっごい自然に三橋と一緒にいられる時間作ってるじゃん!
俺なんか要らないって感じ?
色々ショックだけどさ、ほんと止めを刺されちゃったよ!一緒に阿部のお宅訪問なんてさ!
田島も一緒に行くって言わなかったら、絶対俺一緒に行こうとしてたね。

でもそんなことしたら、折角三橋と一緒に居られる時間を自分で作った栄口に、すンごい恨まれる。
ソファに寝転がったまま、クッションを抱きかかえてそれに顔を押し付けるようにしながら、俺はただ点けてるだけだったテレビを消した。
とーさんも姉ちゃんも、今日の試合結果を知ってるから、俺が何してても触らぬ神に、で近寄っても来ないし、声も掛けてこない。
見当違いの解釈を利用させてもらって、冷房のきいたリビングでぐったりしながら、自分の中で渦巻いてる嫉妬と無力感に、クッションを抱きしめた腕に力を混めた。

ちょっと冷静に考えてみると、俺って本当に滑稽だよね。
自分の事を絶対振り向いてくれない相手に恋をして、その人が幸せになる為に何でもする、って言っときながら何の役にも立っちゃいない。そして一人で嫉妬に狂ってるんだもん、とんだ道化者だよ。

でも、さ……
俺、どうしたら良いんだろう?

栄口の恋はもちろん応援する。
しのーかの事も、悪いけど利用させてもらうつもり。
野球に関しては、俺も甲子園優勝を目標に変える。
だって絶対栄口も目標をそれに変更してくる。
それに、俺だって高校球児の端くれだもん。夢の舞台に上がれるものなら上がりたい。
練習きついのはちょっと不安だけど、三橋より体格も体力もある俺が、それくらいで尻込みしてるなんて思われたくない。
勉強と両立ってのは難しいかも知んないけど、皆で勉強すると結構効率良いんだよね。
西広大先生がいるからかな?古典は確実に栄口のお陰だけど。

……こうやって自分を納得させる事なんていくらでも出来る。
でも、いつまで自分を押し殺していくんだろう?

俺は、どうやって自分の気持ちを調整してやったらいいんだろう?



はっきり言って文系が苦手な俺は、答えの出ない問題に両手を上げて降参したくなりながら、窒息死する前にクッションから顔を上げて自分の部屋に上がった。
明日から3日間は普通に練習があるし、その後には合宿も控えてる。
色んな事を考える間も無くなるだろう合宿を心待ちにしながら、俺は携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳に掛けてスイッチを入れた。
バラード調のしっとりした感じの曲を聴きながらベッドの上に寝転がると、俺は目を閉じてそのまま眠りの世界に落ちて行った。

せめて、夢の中では栄口の側にいられるように願いながら……





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(2008.07.29)
どんどん水谷が病んでいきますね……暗い展開ばかりですみません!(土下座)